翌日の朝、三年三組の教室は実に騒々しかった。
クラスメイト全員が台本を読んだ為、朝から会う奴会う奴、平次に一声掛けていく。
いかに件の役どころが平次本人とかけ離れているかは、クラス全員が知っている。
もはや王子も姫もラブシーン(?)もどうでもいい。海賊のキャプテンの台詞のみがクラスの話題の中心になっていた。
「ご愁傷様やなあ」
「頑張れよ、服部!!」
「『美しい姫君、恐れなくていい……』」
「よ!!カッコええな!!」
「相手が遠山でまだよかったやんなあ」
いちいち「やっかましいわ」と返す気力も失せ、平次は力なく手を上げて彼らの激励(?)に応える。
ガラリ!!
もの凄い勢いで教室の戸が開け放たれ、クラス中の視線が集中する。そこには怒りの形相の箕輪昇が顔を紅潮させて立っていた。
「やり直しを要求する!!」
一声叫んでまっすぐに平次の席にやってくる。昨日の脱力姿勢のまま机につっぷしていた平次は、はやり生気なく箕輪を見上げた。
「服部君、役を交代しないかい」
「……俺、王子役かて嫌や」
力ない返答が「海賊のキャプテンも嫌」と物語っている。
「じゃあこうしよう。鈴木君、君は確か海賊だったねえ」
「せ、せやけど」
「じゃあ、君が王子だ。で、僕が海賊のキャプテンで服部君が海賊。海賊なら、文句ないだろう、服部君」
「あーーーー」
喉元まで同意の台詞がでかかったが、辛うじて平次はそれを飲み込んだ。
「俺……役、代わる気ないんや。すまんな……」
「き、君は!!」
箕輪の顔が更に赤味を増す。色白なだけに顕著だ。
「昨日、劇の間だけ和葉ちゃんを貸してくれるって言ったじゃないか!!」
「忘れてくれや……」
「僕に海賊のキャプテンをやらせると、和葉ちゃんを取られるんじゃないかと怖いんだろう!!」
「そんなんちゃうわ」
「じゃあ、正々堂々勝負しろよ」
箕輪の言ってることは筋が通っていないが、平次の頭も働いていない。クラスメイトは息を飲んで事の成り行きを見守っている。
「あんなあ、箕輪。世の中には逆ろうたらあかんもんがあんのんや」
「何言ってるんだ。僕に負けるのが怖くないなら勝負しろ」
「勝ち負けちゃうねん。死活問題やで」
「僕にキャプテンをやらせてくれ。王子じゃ……まるで僕が君の引き立て役じゃないか!!」
「そんなことあらへんあらへん。王子やってカッコええやん」
「じゃあ、代わってくれよ」
「……あかん。それはできひん」
「なぜ!!」
「一回決まったことや。俺も腹括って覚悟してやるんや。お前も腹括れや。男やろ」
なおも箕輪が言い募るのを、平次は右から左へ聞き流す。クラス中が注目する中、一人の少女が登校してきた。亜由美である。
「箕輪君!!」
素早く駆け寄って、仄かに頬を染めてその手を取る。
「私、私嬉しい!!お姫様やなくて、ホンマに良かった。宜しくね、箕輪君」
物語のラスト。
平次扮する海賊のキャプテンは和葉姫を浚って(というより手に手を取って)逃げ仰せ、西の国に帰って結婚式を上げて幸せになる。
そして残された箕輪扮する王子様は、身を呈して彼を救った姫君と結婚し、心を入れ替えてよい王になるのだ。
姫君1……亜由美と。
「レディファースト」箕輪は亜由美の前で「僕は和葉ちゃんの方が」とも言えず、和葉に救いを求める視線を投げかけてくる。
その視線を全く無視して、和葉は平次に近寄り、つっぷした顔を覗き込んだ。
「平次、アタシらも、頑張ろうな!!」
「あーーー」
明るい笑顔に、平次は力なく応える。別に、相手役が和葉なのは何の問題もない。寧ろ他の女子でなかったことを感謝すべきかも知れない。
知れないが。
既に、箕輪のこともどうでもいい。気分的にはいっそ全部くれてやってしまいたいくらいだ。
確かに和葉の相手役を箕輪に譲るのは不本意ではあった。しかし、不本意ながらも一度はそれを決意した身である。
あの台詞を吐く位なら当初の覚悟通り箕輪に譲ってもいい、という思いも当然ある。
しかし。母の静華がそんな平次の気持ちが読めないわけがなかった。
昨夜、和葉が帰ったあとで、しっかりと釘をさされたのである。
「平次」
「……なんや」
「もしもこの役降りたら、明日から食べもんにはありつけんと思いぃや。当然、お小遣いもカットや」
「げ……」
食べ盛りの平次にとって、何よりも三度の食事である。
給食だけで生きていく自信はないし、この分では遠山家を始め誰の助けも得られまい。
いつも自分を可愛がってくれる府警の大滝達にも手が回るに違いない。
一晩考え、平次は覚悟を決めたのである。
***
『私はもはやこの国に未練は無い。この国の王はお前だ。しかし、姫は渡さない!!』
『連れて行ってくださいませ!!私、貴方とでしたら何処へでも参りますわ!!』
『ではこれから貴方の国へ……御父上と御母上にご挨拶し、結婚の許しを得たいのです』
『嬉しい!!』
一ヵ月後。
練習の時にはからかわれまくり照れまくり、碌に通し稽古も出来なかった服部平次は持ち前のくそ度胸で舞台の準主役を見事こなして拍手喝采を浴びた。
気障な台詞回しも一言一句間違えることなく言い切った。
但し、そのイントネーションは先生と箕輪の指導も空しく全て関西弁ではあったが。
和葉も度胸よく主役を務め、遠山父と、そして静華と平蔵は感動して涙を流した(息子の活躍はどうでもよかったらしい)
脚本を書いた先生も大喜びではしゃぎまわり最後の挨拶では涙を流し、大盛況のうちに劇は幕を閉じたのである。
その更に一ヵ月後。
亜由美となんとなくいい雰囲気をつくりつつも和葉へのちょっかいも忘れなかった箕輪昇は、再びアメリカへと旅立っていった。
はい。これで終わりです。最後はあっさりと。これ以上引っ張っても仕方ないですしねー。
きっと平次は開き直ると猪突猛進、爆走型。和葉の方が笑わないように努力が必要だったとも思われ。
食べ物に釣られて(?)覚悟を決める辺りが子供らしくてよいかと。微笑ましくてよいかと。うふふ。
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