彼女を見ると、どうしても彼女を思い出すのは。ただ単に外見が似てたから、という理由ばかりではないと思う。
長い黒髪。屈託のない笑顔。自分のことより大切な誰かをいつも一番に考えていて、その人の為なら自分の手を汚すことをも厭わない。それでいて、犯しがたい清廉潔白さを持っている。
大切だった、何よりも大切だった、だけど失ってしまった存在。自分では何も出来ず、みすみす失ってしまった存在。もう、私のことを抱き締めてくれることのない腕。
それが。目の前にあって。しかも自分ではなくて彼の為に存在しているなんて。
だから。
素直になんて接せるわけがなかった。
***
「ねえ、哀ちゃん大丈夫?」
「え?」
急に声を掛けられて哀は顔を上げた。いつの間にか授業は終わり、心配そうに自分を覗き込む歩美の顔がある。
「また風邪引いちゃったのかなあ」
「元気ありませんよ?」
「ホントにもう熱はさがったのかよ」
歩美の後ろに光彦、元太の姿も見えた。矢継ぎ早に詰め寄られて、哀はつい苦笑する。
「大丈夫よ。確かにまだ少し疲れてるけど。ぼんやりしてただけ」
「それならいいけど」
「心配かけちゃったわね」
「ねえ、今日一緒に博士の家に行くのやめた方がいいかなあ」
「気にしなくてもいいわよ」
歩美の真っ直ぐな視線はいつも少しくすぐったい。
比較的裕福な家庭で、両親に愛情たっぷりに育てられて。日々の生活に不自由を感じることなく。素直で真っ直ぐ。
私は。
つい走り出しそうになる思考を、頭を振って止める。こんな比較は何の意味も持たない。それは、歩美のせいでも自分のせいでも、ましてや自分の両親のせいでもない。
まだずっと幼い頃には親を恨んだことがなかったわけではないが。
たった一人の肉親である姉と引き離されて一人異国に送られて。寂しくて、心細くて仕方のない時には、心の中で両親を恨んだ。
けど、今なら少し分かるから。
だから。こんな比較は何の意味も持たない。
「頭が痛いの?」
「違うわ。少し眠いの。疲れてるのかしらね」
「じゃあ、やっぱり今日は博士のうちに行くのはやめとくね」
「大丈夫よ。私、久しぶりに皆と遊べるの楽しみにしてたんだから」
「ホントに?じゃあ、今日は哀ちゃんも一緒にゲームしようね」
「え?」
「絶対だよ」と念を押して歩美が自分の席にランドセルを取りに行く。
楽しみにしていたのは、あながち嘘ではない。歩美達がする博士の作るゲームには全く興味が湧かなかったが、それでもそれを側で見ているのは嫌いではなかったから。
自分が、子供でいられる気がしたから。
ベルモットが本当に自分を諦めたのか。それはまだ確とはしていないが、工藤新一は大丈夫だろうと言っていた。彼らの間にどんな契約をが交わされたかは知らないが、確かにここ数日、あの圧迫感を感じたことはない。
だから、久しぶりに歩美達と一緒にいれば杞憂の種を忘れることもできる気がしたのは、事実だ。
が、それとゲームを一緒にやるかどうかは別問題である。
「ま……、気が向いたらそれもいいかもしれないわね」
「頑張れよ」
誰にともなく呟いた言葉に、返事があった。声の主の方は振り返らずに、哀は自分のランドセルを背負う。
「博士の作るゲーム、結構難しいぜ?」
「あら」
薄く笑みを浮かべて工藤新一、もとい、江戸川コナンを振り返る。
「私多分、貴方よりは上手いと思うわよ。ゲーム」
コナンは一瞬虚をつかれて目を丸くし、それから無理に笑った。
「悪かったなあ……ゲーム下手くそで」
***
「大丈夫よ」
やめてと言ったのに。私のことなら平気だからと。
「私のことなら大丈夫だから。心配しないで」
それは私の台詞。別に、こんなことはなんでもない。他にも方法はある。だから、大丈夫だから。
「そんな顔しないで。私だって、やる時はやるのよ?少しは信用しなさい」
違う。そんなことは問題じゃない。信用していないわけではない。そうじゃない。ただ、手を染めて欲しくないだけ。
「待っててね。すぐに帰ってくるから」
やめて。
やめて。
やめて。
やめて。
行かないで!!!!!!
***
伸ばした手を握られて、哀は目を覚ました。ぼんやりとした視界の中、自分の小さな手の先の人物を見定める。
長い髪。大きな瞳。自分を心配している、それは。
「大丈夫?哀ちゃん」
「私……」
軽く頭を振って、それからベッドの隣に阿笠博士を見止める。
「私、どうしたのかしら」
「眠っとっただけじゃよ。本を読みながら寝てしまったんだが、歩美君が学校でも疲れていたようだと言っていたんで起こさずにこっちに運んだんじゃ」
「そう……」
「しかし大丈夫かね?随分魘されておったようじゃが……」
「……大丈夫よ」
「でも、凄い汗だよ?哀ちゃん。夜、ちゃんと眠れてる?」
心地よい声音に、つい視線を逸らす。分かってる。知っている。自分は、この温もりを欲している。この声を欲している。この安らぎを欲している。
どんなに欲しても、それは自分のものにはならないというのに。
今自分の手を握っているこの手は、所詮、彼のものなのだ。
分かってる。分かってるのに。
きっと以前なら冷たく振り解けたその手が、今は振り解けない。
……抱き締められたその温もりを、知ってしまったから。
「まあ、熱もないみたいだし、もう大丈夫だろ」
不意の声に哀の肩がほんの少し反応する。ベッドの脇には博士と蘭。そのやや後方に江戸川コナンがいた。
博士を押しのけるようにして前に出て、哀と蘭の間に立つ。コナンの場所を確保する為に蘭が立ち上がって手を引きかけた。
慌てて、今度は哀がその手を握り締める。少し驚いたように、それでも蘭は片手を哀に預けたままにした。
「ったく、大丈夫だって言っただろ?」
「……」
幾分他の二人を憚って。コナンが小声で話し掛ける。
「暫くは奴らだって動きはしねぇよ。心配なんてねぇって」
「……」
「しっかり寝ろよ。心配してたぜ?歩美ちゃんたち」
「……皆は?」
「さっき帰ったよ。もう19時だからな」
「……彼女は?」
「ああ、蘭か?俺が飯の時間になっても戻らないから迎えに来たんだよ。……しゃぁねぇだろ?あいつ、この前の事件は誘拐だったって信じてるんだし」
「……」
「いつもより過保護になってるだけだよ」
「……帰って」
「え?」
哀は視線を上げるとコナンを睨みつけた。
どうして、わからない。まるでひけらかすように。この男はいつもそうだ。私にはなくて自分にはあるものを、まるで見せつけるかのように。
「帰って!!皆帰ってよ!!」
叫びだす哀に、コナンの顔の狼狽の色が濃くなる。小さくついた溜息が、哀のイライラを増長した。
「なんだよ、お前。人が折角……」
「心配してくれなんて言ってないわ!!帰って!!帰ってよ!!博士も、江戸川君も!!出てって!!」
叫びながら。それでも握り締めた手が離せない。握られた手を振り解けないままに、蘭は哀とコナンを見比べる。
「出てってって言ってるでしょ!!??さっさとあっちに行って!!一人になりたいの!!」
「あ、哀君……」
「博士もよ!!一人になりたいの!!」
「行こうぜ、博士。一人になれば落ち着くだろ」
「じゃ、じゃが……」
「行こう、蘭ねえちゃん」
蘭の空いている方の手をコナンが取って、扉の方へ促す。蘭は、もう一度哀とコナンを見比べた。
「ごめね、コナン君。先に上に上がってて。博士も」
「でも蘭ねえちゃん、灰原は一人になりたいって……」
漸く。蘭の片手が哀に握られていることに気づいて眉根を寄せる。それが更に哀の態度を硬化させた。
「どういうつもりだよ、灰原」
「……」
「一人になりたいんじゃねぇのかよ」
「……」
そっぽを向いて哀は応えない。一歩前へ出るコナンを、慌てて蘭が押し止めた。
「兎に角二人とも上に行ってて。私も、すぐ行くからさ」
「蘭ねえちゃん……」
わけがわからない、と言いたげな表情で、それでもコナンは博士と共に部屋を出た。哀は小さく溜息をつく。
ホントに。ホントにあの東の高校生探偵とやらは全て分かったような顔をして、なにも分かってないのだ。自分の気持ちなど、何一つ。
手を握られたまま、蘭は哀のベッドの脇に腰掛ける。
……どうしよう。
自分でも、何がしたくて彼女を引きとめたのかわからない。何故この手を離せなかったのかわからない。彼の為の、この手を。
「哀ちゃん」
違う。この声は彼の為の声だ。自分の為の声ではない。自分の為の手ではない。自分の為の温もりではない。それらはもう、二度と得られない。
顔が上げられず、哀は黙ったまま手を握り直す。わかってる。わかってるのに、この手が離せない。
不意に。ふんわりと抱き寄せられた。
「大変だったんだよね、哀ちゃん」
あの時と同じだ。埠頭で自分を抱き締めた温もり。腕に篭められる力は今は優しいけれど、同じ温もり。
「こういう時はねえ、哀ちゃん」
どうしてこの声は。どうしてこんなに心地よいのだろう。
「泣いてもいいんだよ」
……そう言われて。哀は、ホントに自然に泣くことができた。
***
多分、彼女の胸に縋ってずっと泣いていたのだろう。いつの間にか哀は眠っていたらしく、気づくと部屋には一人きりだった。
時計を見ると、午前三時。耳を澄ますとここからでも博士の鼾が微かに聞こえる。多分、自分を思いやって居間のソファで寝ているのだろう。
ほんのりと残る温もりを逃がさないように、哀は自分で自分を抱き締めた。
「……お姉ちゃん……」
というわけで、私的に哀ちゃんが蘭ちゃんとちょっと距離を置くのも素直に接しないのも、こんな理由なのです。違うかなー。
なんつか、新一にとっての蘭ちゃんの存在と志保にとっての明美さんの存在には共通点があるような気がして。
そんで船上ハロウィン後のあのお粥のシーンですよ!!あの時の哀ちゃんの微笑み!!微笑み!!
で、こんなのが出来上がったのです。蘭ちゃん女神様ーーvv
埠頭で哀ちゃんを庇うシーンとか。もうー、萌え萌えですね!!
でもこんなこと考えてるのは私だけだったりするのでしょうか。いかがですか?
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