掌を精一杯広げて少し余るくらい。
多分、それは距離にしたら20センチ位。
遠くもなく。かといって近くもない。微妙な、距離。
これが。
……幼馴染の、距離。
普段は気にしないそんな距離が気になるのは、暫く続く長雨のせいだろうか。
雨の日は。柄にもなくちょっとアンニュイ。
***
「おはよ」
一声掛けて和葉が部屋に入ってくる。今日は一緒に、借りてきたDVDを見る予定。
いつもであれば居間で見るのだが、今日は母に来客があるため二階の平次の部屋に追いやられてしまった。
「ちゃんと間違えんと借りてきたやろなぁ」
「間違えたりせぇへんもん。あ、あんな、アタシ、クッキー焼いて来たん」
「なんや、そんなら紅茶のがよかったか?茶ぁしか準備してへんで?」
「抹茶のクッキーやから、別に紅茶でなくてもええと思うけど」
「そっか。ほんならええな。おかんがなんや、梅の香巻置いてったで」
急須、湯のみ、お茶っ葉、ポット。
机の上に準備万端。これからの長帳場に備えて、食料と飲料は手の届く範囲に。
「ほい。お前のクッション」
「おおきにー」
無造作に座る二人の距離は。
……多分、掌一枚分。
それが。幼馴染の距離。
***
雨音は、まだ続いている。
***
急須に新しいお茶っ葉を入れて、湯を注いで。二人分のお茶を入れる。
持って来たクッキーを皿に開ける間に、平次が借りてきたDVDをセットしてくれる。
平次の部屋で二人でいるのは、実は結構久しぶり。
ここのところ平次はずっと事件事件と落ちつかないし、遊びに来ても居間にいる事が多かったから。
「部屋、このまんまでええか?」
「うん。ホンマはちょっと暗くしたいけど、眼ぇ悪くするし」
「せやなー。やっぱホームシアター欲しいなぁ」
「貧乏高校生が何言うてんの」
「俺もバイトしたろかな」
「事件って言うてもバイトは休まれへんよ?」
「それなんやなー、問題は」
ピッ。
DVDをセットしてリモコンを操作。リモコンなんだから距離があっても感知してくれるはずなのだが、平次は膝をついて乗りだして、低いテーブルに身を預けて操作を進める。
ピッ、ピッ、ピッ、ピッ。
悪戯心を起こしてその硬い足の裏に一本の線を引いてみた。
「うひゃっ!!なにすんねん!!」
「へぇ。こぉんなかっちこちやのに、やっぱくすぐったいんや」
「あったり前や!!俺は繊細やねんぞ」
「どっこがー?」
「喧嘩売ってんのか、こら。いらん事すな、アホ。水虫うつっても知らんぞ」
「ええ!!??平次、水虫なん!!??」
「嘘や」
振り向いて、ニッと笑うと勢いよく体を戻して和葉の隣のクッションに身を沈める。
僅かに起こる風を、感じる事すら出来るのに。
その距離は、多分、掌一枚分。
それが、二人の距離。
***
木々の葉を打つ雨音が、耳に残る。
***
食い入るように画面を見つめる横顔をこっそり伺う。
集中すると僅かに口が開くのは、小さい頃からずっと。別にだらしがない感じはしない。寧ろ。
……ずるいわ。こんな時だけ。
自分のすぐ横にある白い小さな手。その手を握ってしまえば、この距離は縮まるのだろうか。
縮めたい。だけど。
自分は、握ったその手を壊してしまいはしないだろうか。
傷つけてしまいはしないだろうか。
今だってこんなに心配させて、今だってこんなに怒らせて。今だってこんなに泣かせて。
何よりも好きなその笑顔を。自分の手で壊してしまったりはしないだろうか。
傷つけてしまいはしないだろうか。
もっともっと、強くならなければ。
オヤジの、ように。
***
いつも考えないように。気付かないようにしているこの距離が。なんだか今日は酷く気になって。雨と共に心の中に降り積もる。
***
お茶に手を伸ばすついでにそっと画面から眼をそらして隣の幼馴染を伺う。
大きな瞳はぼんやりと遠くを見ているようで、見ようによっては眠たそうにも見える。真面目に見てんの?何度そう問うたかわからないが、いつだってストーリーをきちんと覚えているのは平次だ。細かいところもよく見ている。
さすが、高校生探偵。
今もこんなに何気ない風なのに。
両手で湯のみを持って、視線を画面に戻す。そのホンの僅かな瞬間に視界に入った大きくて無骨な、手。
もしこの手を握ってしまったら、二人の距離は縮まるだろうか。
だけど。
握ったその手を、自分は離せなくなりはしない?ずっとずっと、今よりも側に。近くに。四六時中。
今だってこんなに側にいたい。今だって心配で、不安で。今だって離したくないのに。
もし、この距離が縮まってしまったら、もっともっと離せなくなって。
……平次を束縛してしまわない?
事件に向かうキラキラした瞳が、頼もしいその背中が、何よりも好きなのに。
それを他でもない自分が奪ってしまったりはしない?
自分の中の大きな矛盾。自分の方を見て欲しいのに。自分だけを見て欲しいのに。自分の事だけ考えて欲しいのに。
……そんな平次は嫌。そんなの平次じゃない。アタシの好きな平次じゃない。心のどこかでそう思っている。
あれもこれも全部なんて無理。矛盾がある以上、両方なんて絶対無理。
だから。
もっともっと強くならなければ。
母の、ように。
***
寧ろいつもは心地よいこの距離が。なんだか今日は酷くもどかしくて。
***
「うひゃ!!」
エンディングロール。別にホラーを見ていたわけではないのだが、和葉は突然右肩を叩かれて跳ねあがる。
慌てて右を振り向いても誰もいない。ポニーテールを振って、左隣の幼馴染を上眼遣いに睨みつける。
「アホ。なんちゅう声出してんねん」
「アホはどっちや!!なに子供みたいな悪戯してんの!!」
「ひっかかるお前がアホや」
「もー!!アホアホ言うな!!」
ニヤニヤしながら平次は抹茶クッキーを2,3個一度に口に放りこんだ。
「……どうやった?」
「ん?」
大きな瞳で問われて、座卓のお茶に手を伸ばしつつ極力さりげなく返す。
「旨いで、このクッキー。よう焼けてるやん」
「え、ええ?」
和葉の、どこか頓狂な声。
「なんや」
「アタシ、映画の感想聞いたんやけど」
「あ」
大失敗。
「なんてな。ま、ようやっと食える程度やなあ、これやったら」
「何言うてんの。さっき美味しい言うてたやん。今更言うても遅いもん。嬉しいなぁ、平次が誉めてくれるなん」
「誉めてなんないわ。お世辞やお世辞」
「またまたぁ!!さっきのが本音なんやろ?照れんでもええやん」
「だ、誰が照れるか!!アホ!!」
傾きかけた夕日が、二人を赤く染めあげた。
***
いつの間にか止んだ雨が、二人の心の帳を押し上げる。
二人の距離。大事な距離。
それが今は、酷く幸せ。
難しいお題で引いてしまいました平和。あんまり深刻にならないようにサラリとさせてみたのですが。如何だったでしょう。
実は私の中では上手くまとまったようなまとまらなかったような。うう。未熟。
つか、和葉の目標(?)が微妙に難しく。だって和葉母って出てきてないんですもん。でもここで静華さんってのもどうかと。
確かに和葉の目標の一人だとは思うのですが……。でも平次→平蔵に対して和葉→静華では和葉母の立場があまりにも無さ過ぎかなあ、とか
和葉母だって、あの和葉父の妻なんですから。相当な女性と勝手に認定。「刑事の妻」ですから。ええ。
強い女性に違いありません。てなわけでこんな感じになりました。
頑張って大人の階段上ってください二人とも(笑)
でもまあ、今は今で高校生らしくていいと思うんですけどねー。その距離は大事だよ。うん。
ちなみに葵さんは静華さんと有希子さんは強い女性だと思ってます。が、英理さんはちょっと弱いかなとか思ってます。二人に比べれば。
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