毎年夏になると、服部家には二通の葉書が届く。
日本で言うところの暑中見舞。向こうで言うところの、サマーレター。
宛名は毎年「Heiji Hattori」「Kazuha Hattori」
「アタシの名前は遠山やって、何度言ったら覚えてくれはるの!!」
国際電話の受話器の向こうで、エヴァンス氏は笑う。
「細かい事、気にしぃなや、和葉」
ぎこちない大阪弁。律儀なイギリス人は毎年の挨拶を欠かさない。
それは。ロンドンからの便り。
***
服部家にその異邦人が最初に滞在したのはもう十年ほど前になる。スコットランド・ヤードの敏腕刑事……にはとても見えない、穏やかな人物。
「事件になると人が変わりはるんやて」
と、静華に言われても、幼い平次と和葉にはピンと来なかった。
見事な金髪と真っ青な瞳。それを除けば流暢な日本語を話すエヴァンス氏は、平次たちの周囲に居る大人達とそう変わりないように思われた。
ただ時々。電話に向かって平次たちのわからない言葉で早口で話す事以外は。
「なあ、今何話してたん?」
「おっちゃん、もしかしてスパイ?今の暗号なん?」
「違いますよ。英語です」
「英語!!今のんが!?」
大きな目をキラキラさせて平次が身を乗り出す。
「俺、英語知ってんで!!あれやろ?犬がドッグで、車はカーや!!」
「アタシも知ってる!!猫はキャットやねん。そんでな、アタシ一から十まで数えられるんよ!!」
「俺30までいけんで!!なあ、30ってサーティやろ?」
「二人とも、よく知ってるね」
「せやけど、さっきおっちゃんが話してるのなん、全然わからへんかったで」
「そりゃあそうさ」
服部家の縁側に座るエヴァンス氏の両側に平次と和葉が座りこむ。
まだ暑い夏の日。蝉の声が遠く近く響く。
夏休みまではもう一息。平次も和葉もどこか落ちつかない。
「平次君だって、電話で犬犬犬、とは言わないだろ?私だってドックドックドックと言ってるわけじゃない」
「あ、そうか。ほな、英語で色々話してたんや」
「そういうことだね」
「ええなー。英語」
「……教えてあげようか」
「ホンマに!!??」
幼い二人が瞳を輝かす。初夏の太陽がエヴァンス氏の金色の髪を一層輝かせた。
「そのかわり、二人に教えて欲しい事があるな」
「何?なんでも言うて」
一人前に胸を反らす平次に、金髪の異人は小さく笑った。
「大阪弁をね。教えて欲しいんだ」
***
「なあ、遠山んちに異人さんおるやろ」
「イジンさん?」
「あ、ちゃうかった。遠山んちとちゃうわ。服部んち」
「イジンさんて、何?」
「異人さんは異人さんや。髪が黄色で、目ぇの青い」
「ああ、エヴァンスさん」
学校の帰り道。最近すっかり英語の勉強にご執心の平次は、掃除当番の和葉を待つことなくとっとと家に走って帰ってしまった。
赤いランドセルを揺らして和葉はクラスメイト達を振り返る。
「イジンさんとちゃうよ。エヴァンスさんはイギリス人さんなんやて」
「イギリス人は異人さんやろ」
「え、イギリス人て、イジンて略すん?」
「ちゃうって。異人さんは外国人や。赤い靴、の」
「赤い靴?」
和葉はふと自分の足元に目をやる。買って貰ったばかりの赤いスニーカー。先週末、エヴァンスさんが大阪の街に行きたいというのに付いて行って、買ってもらった。
「赤い靴や。赤い靴〜履〜いてた〜、の」
「ああ。イジンさんに連れられて、っていう、あのイジンって、外国人さんのことなんや」
「え、そうなん?」
「俺、知らんかった」
「俺もーー」
「アタシも知らんかったー」
「でも、それやったら……」
一人が和葉を振り返る。和葉の視線を追って、視線を下げた。連られるように全員が和葉の足元に注目する。
「和葉、その靴どうしたん?」
すっきりと伸びた眉が途端に八の字になる。
「アタシ」
赤い靴を買ってくれたのは、エヴァンスさん。選んでくれたのも、エヴァンスさん。
アタシや平次に英語を教えてくれてるのは、何故?
「アタシ、イジンさんに連れてかれてまうの?」
誰も応えない。一様に戸惑いの表情で和葉に不安気な視線を返す。
そんな。まさか。
和葉は走り出した。遠くで自分の名を呼ぶ声は、もうその耳には届かなかない。
ただ。蝉の声が煩かった。
***
赤い靴。履いていた。女の子。
異人さんに連れられて行っちゃった。
***
服部家の居間。縁側の風鈴が涼しげな音を運んでくる。
「凄いです、彼は」
「ああ、平次。あの子が、どないしましたん?」
「モノ凄い記憶力です。寧ろ語学のセンスでしょう。あの歳で、この短期間で。もう日常会話には不自由しません」
「子供の脳味噌やもん。真っ白やから、なんでも吸収するんが早いんやろ」
「頭がよいだけではない。身体能力も素晴らしい。平次君は剣道の腕もあの年頃の中ではずば抜けていると聞いてます」
「あの子人当たりがええから、可愛がられ易いんよ。せやから周りの評価も甘なる。5割増やと思った方がええですよ」
「しかし」
食い下がるエヴァンス氏を笑顔でさらりと受け流すと、静華はゆっくりとお茶を飲んだ。
言いたいことを最後まで言わせないのは、静華流の断り方。
「人間、基本が大事やねん。基本もよう出来てないもんがいきなり応用、っちうのは感心せぇへんなあ」
「しかし、幼い頃からその才能を伸ばす事が出きれば」
「英才教育が悪いなん言わへんけど。せやけど才能なん、ホンマにあるかわからへんで?」
「彼にはあります。私が保証する」
「そもそも」
鋭い視線をエヴァンス氏に送る。熱くなっていた金髪の紳士は、虚を突かれたように僅かに後ろに引いた。
静華は笑顔を作る。チリンチリンと風鈴の音がする。
「その才能があるとして、それを生かすか生かさへんのか。それを決めるんはうちら大人とちゃう。あの子自身や」
「あの子は未だ自分の才能に気付く歳じゃない。今イギリスでそれを伸ばすかどうかを決めるのは……」
ふと。静華の視線に気付いてエヴァンス氏は言葉を切った。その視線の先は居間と廊下を隔てる障子に注がれている。
「……どうしました、静華さん」
「足音が」
遠く、子供の足音が聞こえる。近づいてくるそれが一人のものでない事はすぐにわかった。
勢いよく開け放たれた障子の向こうには、服部平次が仁王立ちになっていた。やや遅れて到着した和葉がその肩越しにそっと室内を除きこんだ。
「おっちゃん!!」
「……」
「おっちゃん、和葉連れてってまうってほんまか!?その為に俺らに英語、教えたんか!!」
「い、いや、平次君、それは……」
「おっちゃん、見損なったわ!!」
「平次君……」
「和葉連れてくなん、絶対あかん!!こいつホンマはめっちゃ怖がりやねんぞ!!俺がおらんとなんもでけへんねんから!!]
「そ、そんなことないもん!!アタシ、別に、平次がおらんくても」
「なんやと?そんなら和葉はおっちゃんとイギリス行きたいっちうんか?」
「そんなんちゃうもん。ちゃうけど、せやけどなんもでけへんことないもん!!」
「アホか。自分で服のリボンも結べへんくせに」
「へ、平次やって一人で夜中トイレに行けへんかったやんーー!!」
「あ、アホか!!今は平気じゃぼけーーー!!」
「ボケって何よ!!平次のアホ!!」
「なんやとーー!!」
「ほんで」
すっかり萱の外に置かれて目を白黒させているエヴァンス氏に代わって静華が二人の間に割って入った。
「平次は何を怒ってんのや?和葉ちゃんのことやん。あんたには関係ない」
「か、関係あるわ!!」
「なんでや?」
「そ、そら……」
幼い視線をさ迷わし、一端に照れる平次に静華は相好を崩した。
チリン。風鈴が鳴る。
「か、和葉がおらんかったら、俺、困るわ」
「ふうん?」
「け、剣道の全日本で優勝するとこ見せたる、て、約束したんや」
「ふうん?他には?」
「と、ともかく、あかんもんはあかんのや!!」
「ほんなら」
挑むような静華の視線を平次は小さな胸を張って受けとめる。
「あんたも一緒にやったら、ええのんか?」
「ええわけない!!」
即答する平次にがっくりとエヴァンス氏は項垂れた。
「絶対、和葉をイギリスなんやらへん!!俺かてそんなとこ行くん嫌や!!」
「そんなとこって……平次君。イギリスだっていいところだよ。立派な刑事になるための勉強だってできる」
「そんなんおとんが教えてくれるからええわ!!おっちゃん、ホンマに俺ら連れてくつもりなんか?」
「ああ……いや、そんなことはないよ。誤解だ」
「ホンマやな?」
「……ほんまや」
「絶対やからな。そんなんしたら俺、おっちゃんと絶交すんで」
「……わかったよ」
「それよりおっちゃん」
さっきまでの必死な表情がスッと消え、満面の笑みで。
「Your ohsaka-diarect has funny intonation」
「……」
チリン。チリン。
風鈴が、軽やかな音色を立てた。
風に揺られて。チリン、チリン、チリン、と。
***
「イギリスに来たくなったらいつでも言って下さい。待ってます」
エヴァンス氏の手紙の締めくくりは、いつも一緒。
「まぁだ諦めてへんのやなあ、エヴァンスさん」
「諦めるって、何がや」
「……あんたホンマに覚えてへんのやもんなあ」
「せやからなんのことやねん。毎年毎年思わせぶりになん、勘弁せぇや」
「おばちゃん。アタシも気になる。エヴァンスさん、いっつもアタシに電話で言うねんで?アタシに負けた、て」
「まあ、そういう言い方もできるかもしれへんなぁ」
「……せやからなんやねん。ええ加減にしぃや、おばはん」
「せやから」
静華は表情一つ変えず茹でたての素麺の水気を笊を振って切る。
「エヴァンスさんが平次に片想いしてはる、ってことや」
ぶっ、と品の悪い音に続いて平次が咽る。口の中の冷やしトマトは辛うじて飛びだす寸前で両手で阻止された。
「なんやの。あんた。行儀悪い」
「おばちゃん……エヴァンスさんて……そっちの人やったん?」
「ああ。そういう意味とちゃうかったんよ。……せやけど……」
平次は座卓の上の冷水を流し込んで胸をトントンと叩く。
「……もしかして、そういう意味やったんやろか……」
ゲフ。
再び咳き込む平次の背を、慌てて和葉がトントンと叩いた。
チリン、チリンと。今年も風鈴が軽やかな音を立てている。
夏は、もうすぐそこ。
このお題で平和!!あひゃー。新蘭とか快青ならやりようのあるものを平和!!私的に純和風を目指してる平和!!あひゃー!!
そんなこんなでこうなりました。ジョディ先生との対決シーンで英語が堪能であることが発覚した平次君ですが。
なんつか、こんな形で長期滞在のお客がいたり、ホームステイとか受け入れてたりしてそうなイメージです。
日本文化に触れるのには絶好の環境ですからねー。服部家。
しかしそうなると必然的に(<必然なのかよ)和葉も英語はそこそこできるってことで。でも私的にはそこそこ希望。
で?他には一体ナニを約束したのかな?平次君。
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