もし君に出会えていなかったら。
そんなことを考えたら、ただ純粋に、怖くなった。
***
「蘭」
「……」
「らーーん」
「……」
呼べど叫べど応えない幼馴染は。もの凄い勢いで角を曲がって俺の視界から消えた。
引きとめる為の片手が空を切ったまま立ち尽くす俺は、傍から見ればとてつもなくカッコ悪い男だったに違いない。
事実この時、俺は非常にカッコ悪い男だった。
だけど、なんて言えばイイ?
事件解決のためならば、どんなに辛い想像もする。最悪の事態も想像する。
だけど悲しいかなこの明晰な頭脳も、こと自分のことに関しては非常に正直で。
嫌なことはなるべく考えないで避けて通る節がある。
自分で言うのもなんだけど、繊細でナイーブな俺は。想像だけで落ちこんでしまうから。
そんな半ば停止した頭で答えたのが悪かった。最悪の想像から導いた最悪の結果。
「新一の……バカ!!」
振りかざされた鞄を避けて、続いた回し蹴りもギリギリで避けて。踵を返すその手を取ろうとした瞬間にちらりと見えた横顔は。
多分、涙ぐんでいた。
今回は、相当怒ってる。それくらいわかる。わかってる。わかってるけど。
だけど。想像した瞬間、あまりのことに思考回路が止まった。そんな俺は、言うまでもなくカッコ悪い。
カッコ悪いついでに、俺は衆目を気にせずその場にしゃがみこむと深く深く溜息をついた。
「……ねえ、あれ、工藤新一じゃない?」
「工藤新一って、高校生探偵の?」
「そうそう。あそこにいるの」
「えー、違うわよ。彼もっとカッコイイし」
「でも、あれ帝丹の制服よね」
「そうだけど……こんなところでしゃがみこんでるなんてありえなぁい。他人の空似よぉ」
「そうよね」
お嬢さん方。残念ながら俺がその工藤新一です。
どうしようもなく、カッコ悪い男なんです。
***
「ねえ、新一」
「あ?なんだよ」
「もし私達が幼馴染じゃなかったら、どうなってたんだろうね」
「どうって、なんだよ」
「うーん。こうやって話すこともなかったのかな、って」
***
いつまでもしゃがみこんでるわけにも行かない。俺はゆっくり立ちあがる。
そもそもなんであんなことになったんだったか。そのままゆっくりと記憶を辿る。空が、青い。
学校帰り。屈託のないクラスの噂話。俺はちょっと聞き流してたけど、聞いてなかったわけじゃない。
ちゃんと思い出せるはずだ。
ああ、そう。前田に彼女が出来たって話だ。他校の生徒。対抗試合で前田が一目惚れして口説き落とした。
確かそれが、俺の、高校生探偵工藤新一の大ファンで。
クラスメイトだと言ったら、サインをねだられたって話。前田は笑って取り合わなかったらしい。
「凄いね、新一。サインなんて芸能人みたい」
「バカ。んなわけねぇだろ?からかってるだけじぇねぇの?」
「でもまた、ファンレターがそんなに」
「まあな。推理おたくだって結構もてるんだぜ?」
「ファンレターで鼻の下伸ばしてないで、ちゃんと探偵なら探偵らしく依頼でも受けてたら?」
「御心配なく。依頼だってちゃんと来てるぜ。蘭とこのおっちゃんと一緒にすんなよな」
「何か言った?」
「べっつにぃ?」
いつものやりとりだった。少なくとも自分はそのつもりだった。
それからふと蘭が黙ってしまったので後ろ姿を見ながら歩いた。
姿勢がイイ。
髪がまた少し伸びた。
シャンプーをまた替えた。
スカート、最近少し短くなってねぇか?……そんなことねぇか。
ぼけっと見てたら、寧ろ見惚れていたら、振り返った蘭に徐に聞かれた。
「ねえ、新一」
「あ?なんだよ」
「もし私達が幼馴染じゃなかったら、どうなってたんだろうね」
「どうって、なんだよ」
「うーん。こうやって話すこともなかったのかな、って」
「あー、そうだなあ」
ぼんやりと考えた。考えたら怖くなった。
「確かに、こんな風には話せなかっただろうな」
「……そ、だよね」
こんな風に話すことも。こんな風に並んで歩く事も。
***
空は、どこまでも高い。視線を感じて俺は振り返った。
電柱の影には、呆れたような顔をした蘭。
「……バッカみたい」
「なんだよ」
「そんなとこにしゃがみこんで、カッコ悪いじゃない」
「どうせ俺はカッコ悪いよ」
「ファンの子達が幻滅しちゃっても知らないから」
「いいよ、別に。そんなの」
走り去ったはずの蘭が俺の後ろに現れたのは別に不思議でもなんでもない。俺の今立っている十字路を蘭は右折していった。さして区画の大きくない住宅街、後二回右折すれば一つ前の十字路に出れるわけだ。
「そんなこと言っちゃっていいのかな?女の子に大人気の名探偵さんが」
「別に。人気者になるために探偵やってるわけじゃねぇよ」
「でも人気がなくなっちゃったら困るんでしょ?」
「そりゃまあ情報収集の役に立つ事もあるからなあ」
「まったまた。そんな事言っちゃって」
怒りを顕にしない代わりにどこか変化のない表情。抑揚のない声。……精一杯、頑張っている声。
「……そうやって、ドンドン手の届かない所に行っちゃうんだから」
え。
***
小さい頃から、蘭は可愛かった。断言できる。
だけど、年を経るごとに俺の予想を越えてドンドン綺麗になっていく蘭に、俺が焦らないわけがない。
蘭は性格がいい。性格の良さってもんはどうしたって滲み出る。
だから、縦しんば蘭が十人並みの容姿だったとしても、魅力的だったに違いない。
それなのに。顔よしスタイルよし性格もよし声もよし。
三拍子も四拍子も五拍子も揃った日には泣きたくなる。ちょっとばっかり気が強くて素直じゃない以外は非の打ち所がないと来たもんだ。
こっちはただの推理オタクだと言うのに。
こんなカッコ悪い事、死んだって口には出来ないけど。
不安になる。
蘭がドンドン遠くへ行ってしまうようで不安になる。
こんな俺だから。
だからきっと。幼馴染でなかったら。
***
「え」
蘭の意外な言葉に本日二度目の思考停止。
たかだか女子高生の一言でこの有様では、高校生探偵の名が泣くってもんだ。
でもどうすればいい?
カッコ悪いのは百も承知。
「俺が?」
蘭の言ったことが上手く理解できずに、鸚鵡返しのように答える。
その様子が余りに間抜けだったのか、蘭が少し面食らったような表情をした。
「だ、だって」
「俺が、遠くへ?」
「そ、そうよ」
「蘭の、手の届かない?」
「だぁって!!ファンレターなんかもらっちゃって!!ニヤニヤしちゃって見てられないもん!!前田君の彼女だって……すっごい可愛いんだから!!さ、サインなんて」
「何言ってんだよ。蘭」
酷く幸せな気分が体中に満ちていく。
蘭が心配してくれた。そのことが。その誤解が。
不謹慎かもしれない。それでも酷く、嬉しくて。
「ちょっと新一!!今笑ったでしょう!!ひっどぉい!!」
「違うよ、蘭。違うんだ」
「何が違うのよ!!だってほら、笑ってるじゃない!!」
毀れる笑みを我慢できずに。ホントは腹を抱えて笑いたかったがそれだけは耐えて。
蘭の誤解が可笑しいのではなくて。臆病な自分が可笑しくて。
「蘭、誤解しないでくれよ」
再び身を翻しかける幼馴染の手を取った。あっけないほどあっさりと蘭は引き戻される。
自惚れてもイイのか?俺は少しは自信を持ってもイイのか?
蘭の誤解を、都合よく解釈してるだけじゃないのか?
「誤解なんてしてないわよ!!」
「違うんだ、蘭」
「な……何が違う、のよ」
もう少しだけ引き寄せて、その瞳を覗き込む。じっと見つめると蘭が先に眼を逸らせた。
小さな誤解の連鎖を一々釈明するなんてまだるっこしいことはしてらんねぇ!!
「蘭……俺……」
「新一……?」
言え!!言ってしまえ俺!!
***
「あら!!新ちゃん!!なにしてんの?こんなとこで。あら!!蘭ちゃんじゃなーーーーーい!!久しぶりvv」
脳天を突き抜けるような底抜けに明るい声に。
俺は頭を抱えて座りこんだ。
「有希子おば様!!」
「母さん!!いつ帰ってきたんだよ!!」
「さっきよさっき。そのうち一度帰るかもしれないって手紙に書いたでしょ?」
「何ヶ月前の手紙だよ。それ」
「そのうちはそのうちだもん。嘘は書いてないわ」
「有希子おば様お久しぶりです」
「久しぶりね、蘭ちゃん。N.Y以来かしら?なあに?またちょっと美人になったんじゃない?」
「そ、そんなこと」
「そうだ、ね。英里は?久しぶりに帰ってきたんだもん、会いたいわ」
「あ……母は今……仕事で沖縄に……」
「やだ!!沖縄!!??さすがに会いに行ってる時間はないなぁ。明日の飛行機とってあるのよ」
「ったく、そんなに忙しいなら帰ってくんなっての」
「ああら?何か言ったかしら?新ちゃん」
軽く後ろから羽交い絞めにされつつ、俺は諦めてされるがままになる。もう、どうとでもなれ、だ。
「ね、蘭ちゃん。よかったらこの後一緒にご飯食べに行きましょうよ。おばさん、美味しいお寿司が食べたくって」
「え、いいんですか?」
「いいのよーvvだって新ちゃんと二人でご飯食べると、この子事件の話しかしないんだもん。ねえ、もしかして蘭ちゃんと二人で居ても事件事件事件なの?」
「ええ、まあ……」
「もー!!優作も毎日毎日小説小説小説だし!!小説って言っても結局事件事件事件だし!!どうして男ってこうなのかしら!!ま、いいわ。じゃあ蘭ちゃん、制服着替えてうちにいらっしゃいな。おばさん待ってるからvv」
「あ、はい!!」
毛利邸と工藤邸の分岐点まではまだ少しある。にも拘わらず急かすような母さんの物言いに蘭は律儀に一人駆け出した。
ヒラヒラと笑顔で手を振る、母さんを見上げる。
「いつから見てたんだよ」
「なあに?なんのことかしら?」
「ったく。んな偶然俺が信じると思ってんのか?」
「やあね。偶然は偶然よう。ホントホント」
極上の笑み。元アイドルってのはこれだから。自分が魅力的に見える表情を心得てる。息子じゃなければグラリと来るかもしれないが、生まれてこの方飽きるほど見させられてちゃ効果なんてあるわけがない。
「今日帰って来たのは偶然。駅からの道を一本間違えて住宅街に入っちゃったのも偶然。でもまっすぐ行けば大通りに出れるし結局同じじゃない?ま、いっかぁってご機嫌で歩いてたら蘭ちゃんが走ってくるじゃない」
「……」
「うつむいてて私にも気付かないしなんか落ちこんだ風情だし。女の第六感ってヤツ?すぐに尾行を開始したわけ」
「尾行って……母さん……」
「そうなのよ!!開始した途端に蘭ちゃんは立ち止まっちゃうし、案の定しょぼくれた新ちゃんがいるし」
「誰がしょぼくれてんだよ」
「あらあらと思って見てたら新ちゃん、急に何を言い出すかと思ったら!!」
「……見なかった振りして立ち去るのが親心ってもんだろ」
「ちょっと待ったぁぁぁぁ!!って、なんて言うのかしら?ねるとん風?」
「……古……」
「慌てて割って入ろうってもんじゃない?」
「だから」
新一は憮然として有希子を睨みつける。
「なんで邪魔するんだよ」
「あら。だって」
対する有希子は屈託がない。
「だって。母さん、新ちゃんが蘭ちゃんに告白するのは米化ホテルの展望レストランって決めてるんだもん」
……それはあんたじゃなくて俺が決める事だろ!!
どうせ口にしたところで3倍になって反論が返ってくるに決まっているのだ。
心の中でだけ突っ込みを入れ、新一はがっくりと天を仰いだ。
空は高く青く。薄く棚引く雲は遠く。
***
幼馴染でなかったら。
きっと自分は、声をかける事すら出来なかったに違いない。
すみません新一カッコ悪くて。弱々で。ダメダメで。でも蘭ちゃんの前では弱気な彼には萌えませんか?萌えませんか。そうですか(自己完結)
私は結構好きだったりします新一も快斗も平次も。好きな彼女には完敗してたり弱気になったりカッコ悪くなったりしちゃう。
でもそんなところ見せたくないから頑張ってる感じが。頑張れ青少年な感じが。
好きな彼女の前では。世界一カッコ悪く世界一カッコいい男な感じ。
……そんな感じが好きなんです。上手く言えませんが。
書きたいシーンはさっさと決まった割には書き上げるのにエラく苦労しました。なんつか、いまいちまとまりが……。
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