携帯が鳴る。
普段滅多に取り乱すことのない彼女が、慌ててポケットを探った。
軽く片手で自分を押させる。「ちょっとごめんなさい」。仕草で伝える。
「お姉ちゃん?」
そんな時の笑顔が。
「うん。元気よ。平気。お姉ちゃんは?大学はどう?」
どんな時よりも幸せそうなことくらい。
もうずっと前から気付いていた。
***
海辺のオープンカフェに黒尽くめの男が二人。冬のある日。他に客はいない。
長髪が吸い終えたタバコの火を灰皿で消す頃、一人の女が現れた。黒いワンピースが寒風に吹き荒ぶ。
「貴方が、ジン?」
「ああ」
「……妹から聞いてるわ」
「……」
目深に被った帽子の唾を軽く押し上げる。鋭い眼光に、女は怯みかけたが辛うじて踏み止まった。
「まあ、座れ」
「ありがとう」
もう一人の男に促されて。それでも女は勧められた椅子ではなくジンの正面の椅子に座る。
ジンは少し意外そうに目線を上げると女の顔を改めて見た。
長い黒髪。大きな黒い瞳。
「……似てないな」
「妹は、母に似たのよ。私は父に妹にそっくりらしいわ」
「そうか」
宮野明美はジンを真正面から見据えた。タバコを消してジンは薄く笑うと顎でウォッカに合図を送る。
「任務については、話はついてるんだろ」
「ええ。手筈はついてるわ。組織とは全く関係ない男を雇ったから何かあっても足がつくことはないわ」
「何かあった時のことなんて考えないことだな。あんたと組織の関係がどれほど希薄だろうと、失敗すればあんたの命はねえんだ」
「わかってるわ」
ぎゅっと両手を握り締め、それでも宮野明美は笑顔を作った。
「覚悟はできてるわ。これは、生きるか死ぬかの大博打よ」
「……」
「私と……志保のね」
僅かに、ジンの眉が動いた。静かに二本目のタバコに火をつける。
「……そんな女は知らねぇな」
「約束よ。今日はそれを確かめに来たの」
タバコを咥え、ジンは真正面から女を見つめた。
平凡な女だ。しかし、危険な女だ。
何も持たないくせに、一番大切なものを持っている。故に、最も脆く、最も強い。
「私が組織の資金調達に貢献できれば……志保は返して貰うわ」
「できれば、な」
「貴方達のことは一切口外しないし、一生貴方達の監視を受けることも我慢する。それでも」
「それでも、取り返したいか。あの女を」
「私の妹よ」
「……あの女は宮野志保として生きた時間よりシェリーとして生きた時間の方が長い。それでも取り返すと言うのか?」
「あの子の本意じゃないわ」
「お前の両親は、それを望んだかもしれないぜ」
「ありえないわ」
一度も咥えられないタバコが、その先端を少しずつ灰に変えていく。
「……約束は守ろう。金さえ手に入ればあの女はお前に返してやろう」
「兄貴……」
「必ずよ」
「ああ。俺が保障してやる」
真っ直ぐな女の目をジンは真正面から受け止める。口の端を少し上げて笑うと、宮野明美は視線を逸らせた。
そのまま黙って立ち上がり、身を翻してもと来た道を足早に遠ざかっていく。
ジンはタバコを咥えたまま海を見ていた。後ろ姿を見送ったウォッカはジンを振り返った。
「いいんですか?兄貴」
「なにがだ」
「今組織が金を必要としてるのはわかります。だけどそのためにあのお方はシェリーを手放しますかね」
「それはねぇだろうな。あの女の頭脳は組織には必要だ」
「それじゃ兄貴は、あの女が失敗すると思ってるんで?」
「さあ、どうだろうな」
一際強い海風が、ジンの長髪を弄ぶ。
「あの女は、成功させるだろうな。バカな女じゃねぇ。奴の計画は完璧だ」
「じゃあ兄貴……あの女を裏切るおつもりで?」
「組織にはシェリーが必要だ。金も必要だ。……それだけだ」
「わかりやした、兄貴」
ウォッカは小さく頷いた。風がまた、ジンの長髪を撫ぜた。
***
冷たい銃口が女の心臓を捕らえた。
「じゃあ、貴方達最初から……」
「……」
信じられない、という女の声に男は応えない。
激しい絶望の色が女の表情に浮かぶ。
しかし、次の瞬間、女は薄く笑った。
銃を持つ男の手が僅かに揺れる。
似ている。……初めて、そう思った。
覚悟を決めたのか、女は笑みを崩さない。
……私が死んだら……貴方に殺されたらどうなるか、わかってるの?
これは、一つの賭けだ。
あの女はどちらを選ぶだろう。
組織か。肉親か。……俺か、この女か。
……奴を縛り付けてるのは組織だけじゃねぇかもしれねぇぜ……。
男の口の端が僅かに上がる。
これは、一つの賭けだ。
***
シェリーの脱走の報を、ジンは眉毛一つ動かさずに聞いた。
「兄貴」
「……なんだ」
「兄貴はもしかして、わかってたんじゃねぇですか?」
「なにがだ」
「その……こうなることを」
「……」
「あの女が死ねばシェリーが組織を裏切ることを」
「さあ。どうだろうな」
風一つない組織の建物の廊下。無風の中ジンのタバコがただ上に上にと上がっていく。
「兄貴……兄貴はもしかして……最初からそのつもりで」
「……」
「シェリーを……逃がすつもりだったんじゃ……」
「まさかな」
口の端をほんの少しだけ上げて笑う。その表情を、ウォッカは注意深く伺った。
「俺は奴を自由にする気なんてこれっぽっちもねぇ」
「しかし……兄貴……」
「寧ろ、感謝してるぜ」
「……」
「あの女が、バカだったことにな」
「……兄貴……」
胸元の銃を取り出すと廊下の先に照準をあてる。
「奴は俺が殺す」
「へぇ」
吸い掛けのタバコが廊下に落ちた。
「余計な手出しはするな」
「……了解です。兄貴」
今度こそ割とまっとうにジンシェリです!!ジンシェリです!!……多分<弱気
でもジンが負けてますけど(笑)
志保がいつから明美さんと離れて留学したのかはよくわからないのですが、少なくとも日本の小学校には通ってないみたいなので
宮野志保として生きた年月よりシェリーとして生きた年月の方が長いかな、と。
明美さんとは滅多に会えてなかったみたいなんですけど、組織での親代わりとかいなかったのかなぁ……。
いなかったのかもな……。だからこそ志保は遠く離れた明美さんを慕い続けてその死を契機に自分の居場所を捨てたんだろなー。
とか、そんなこと考えながら書いてます。
妄想膨らみすぎですか?
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