「和葉」
「何?」
大きな瞳で振り返られて。平次は思わず言葉を飲みこんだ。
「和葉ちゃん、私達先に行ってるね」
蘭と園子が軽く平次に頭を下げて部屋に戻る。後ろ姿を不思議そうに見送った和葉が、再び平次に向き直った。
「何?どないしたん、平次」
「お……」
何故だろう。言葉が上手く紡げない。
***
その日。京極真の帰国にあわせて平次と和葉は上京した。今日は新一と蘭も一緒に広い鈴木家の別荘に一泊する。
が。真の乗る予定の飛行機が悪天候で飛ばず、結局帰国が遅れる事になってしまった。日本はどこも晴天だが、世界は広い。
事件話に花を咲かせる推理オタクを放って、女の子は3人で優雅にお茶としゃれこんだ時の事。
「今のあたし達の最大の問題は、距離だと思うのよ」
「そうやんなぁ。真さん、今どこにおるんやったっけ?」
「違うの。そりゃ勿論、物理的な距離は大問題だわ。でもね。それ以上に問題なのは、心の距離なのよ」
「心の距離……って、でもだって」
「喧嘩でもしたん?」
「違う違う。そうね、強いて言えば言葉の距離かしら」
「言葉の距離?」
ティーポットから紅茶を注いで砂糖を入れて。ゆっくりかき混ぜてスプーンを置いて。
園子は充分に間合いを取ってから、深く深く溜息をついた。
「だぁって真さん。あたしのこと未だに園子さん、って呼ぶのよ?」
「園子だって、真さんのこと真さん、って呼ぶじゃない」
「あたしはイイのよ。アタシの方が年下だし。でもやっぱさぁ、真さんには呼んで欲しいじゃない?園子、って」
「そういうもんなん?」
「別にいいじゃない。真さん、なんかそういう礼儀正しいところがいいんだし……」
「はぁぁぁぁ。生まれた時から蘭v新一vとか呼びあってるあんたらにはわかんないわよねえ、この気持ち」
「べ、別に生まれた時からなんて呼べるわけないじゃない」
「同じようなもんじゃない。物心ついた時から和葉v平次vだもんね〜。和葉ちゃんなんてパパ、ママより平次vが先だったんじゃないの?」
「え、なんで知ってるん?誰に聞いたん?」
「……ホントなのね」
「あ、ええーと、あれやねん。ええと、へーじ、って呼びやすいやん。それに、ほら、実際はへー、って感じでホンマに平次のことやったかわからんし」
「はいはいはいはい。そんなあんたらにこの微妙な機微はわかんないわよ。相談したあたしが間違ってたわ」
「そんな」
「でもね!!あたし達みたいに他人からスタートする場合は呼び方って大事なのよ!!」
「はあ」
「真さん、おはようございますvって言ったら、おはようございます、園子さんって返されるのよ!!それって全然恋人同志らしくないじゃない!!」
「うーん。まあ、確かに……」
「せやけど別に、名前で呼んでるからって恋人ってわけでも……」
「確かに。呼び方なんて一つの形でしかないけど!!でも憧れるものなのよ!!」
「うーーーん……」
「せやけど……なあ……」
「あーーーもう!!やっぱりこの二人に相談したあたしがバカだったわ!!」
「ご、ごめん、園子ちゃん……」
「ああ、別に責めてるわけじゃないのよ。ちょっとうらやましいだけ。憧れなのよ!!オヤスミ、園子って耳元で言ってもらうのが!!」
「そ、園子ちゃん……!!??」
「あらぁ?なあに?和葉ちゃん。あたしは電話越しに寝る前に言って欲しいだけなんだけどぉ?」
「あ、ああ、そうやね」
「蘭だって、新一君と電話で話してて。寝る時には、じゃあな、蘭。お・や・す・みvなんてーー??なんてーーー?」
「い、言わないわよ!!そんな事!!」
「お休み、新一。今日は貴方の夢を見るわ。俺もだぜ、蘭。やーーね、新一君ったらやーらしーーー」
「もう!!園子!!」
「んーー、ごめんごめん。楽しくってさ。とにかく!!彼の声でのモーニングコール!!そしてオヤスミの挨拶!!」
「せやけどなあ……」
「なぁに?あたしの憧れになにか問題が?」
「ちゃうちゃう。ちゃうねんけどな」
視線をさまよわせて和葉は一生懸命記憶を手繰る。手繰るのだが。
「アタシ。平次にオヤスミ、なん、言われた事ない。……気がする」
「えーーーーーーーー!!??」
***
「で?どうなんだよ」
「んーーーーーーーーーー、どうやったかなぁ」
和葉の話は蘭から新一へ。そしてあっという間に平次に伝わったその日の夜。
「オヤスミ、オヤスミ、オヤスミ……。せやなあ。あんま言わんかもしらんなあ」
「なんだよそれ。いつも遠山さんの方が先に寝るってこと?」
「いや、そういうわけやないと思うけど……」
「んじゃ、言ってんじゃん?遠山さんが意識して覚えてねぇだけで。それだけ一緒にいてオヤスミの一つもないなんてありえねぇし」
「せやけどなあ。改めて考えると、なんちうか、言い慣れてないっちうか……確かに言うてへん気もするわ」
「んなわけねぇだろ。オヤスミ、なんて別に恋人じゃなくても親兄弟にだって言うぜ?お前いつもなんて言うんだよ。毎日寝る時にさ」
「んー、ほな、俺もう寝るわ、言うたらおかんが、はい、オヤスミ言うて……」
「んで?」
「おう!って言うて寝るわな」
「それだけかよ」
「それだけやなあ。それで通じるやん」
「んじゃ、そこに遠山さんが居たらどうだよ。平次、オヤスミ!って言われたら?」
「工藤……作り声がきしょいんやけど」
「生憎おれは怪盗KIDみたいな特技は持ってないんでね。んで、お前はなんて応えるんだよ」
「おう!ほな、お先!」
邪気のない平次の笑顔に新一はがっくりとテーブルにつっぷした。
「つまり全部それで終わるわけね」
「せやなあ。あんま考えたことなかったけど、そうかも知らんなぁ」
「別に日常会話だろ。言えねぇわけじゃねぇだろ?」
「せやかてなあ。オヤスミ、か……か……」
「か、じゃねぇだろ」
「なんか違和感あんのや。すんなり出てこぉへんっちうか……」
「そんな大した問題じゃねぇだろ。変なヤツだな」
「んーー。ホンマなんでやろ。わからんわー」
「俺だってわかんねぇよ」
「工藤にも推理でけへんのか」
「バァカ。お前の思考回路なんて推理するに値しないね」
「冷たいのう、工藤は」
「俺はいつも優しいだろ。ま、とにかく決まりだな」
「何がや」
「罰ゲーム」
「はあ?」
ベッドの脇に座りなおして、それから平次はポンと一つ古典的に手を打った。
「さっきのトランプゲーム」
「お前、負けたよなあ」
「罰ゲームなん、初めて聞いたで」
「お前、初めにトイレ行ってたろ。そん時決めたんだよ」
「あ、ああーー」
確かに。戻ってきたところで蘭が「今色々決めたんだけどね」と声をかけてくれたのに聞かなくていいと断ったのは自分である。
「あれ、大富豪の地方ルールの打ち合わせとちゃうかったんや」
自分のルールは和葉と一緒なので、こそっと「なんかいつもと違うんか?」と聞いたら「同じやで」と答えたので気にも止めていなかった。
「そ。一番大富豪の回数が多かったヤツが勝ち、一番大富豪の回数が少なかったヤツが負け」
「大貧民が多かったヤツが負けとちゃうんや」
「都落ちがあんだろ。で、俺が勝ちでお前が負けだ」
「そうやったかなあ……」
勝負が掛かってる認識がなかったので、誰が一番だったかなんて覚えていない。勝負が終わった時にも誰も勝ち負けを云々しなかったが、それは夕食に呼ばれてあたふたと片付けたせいかもしれない。
平次は首を捻る。
覚えてはいないが、そこはそれ。これでも一応西の高校生探偵である。きちんと思い出そうと思えば全部の勝負を思いだせる。
指を折り始める平次を、慌てて新一が止めた。
「なんだよ。俺を疑うのか?往生際悪いヤツだな」
「あ、いや、そう言うわけともちゃうねんけどな」
「んじゃどういうことだよ。とにかく、勝ったヤツが負けたヤツに一つ使命を与える事が出来るってルールだったんだから諦めろよ」
「ま、ええけど。で?なにしたらええんや?」
「だから」
新一の口の端が少し上がる。
「遠山さんにオヤスミって言うのが。お前の使命だ」
「なんや。そんなんでええんか?」
「簡単だろ。今夜寝る前に言うだけなんだし」
「ええで」
「んじゃ、決まりだな」
***
なんでもない、ことだと思った。
確かに、普段言ってなった台詞だけれど。
だけど他の相手には自然に言っている台詞だ。別に、何か意図して言わなかったわけじゃない。
だから。
なんでもない、ことだと思ったのに。
そもそも。なんで長い長い廊下に和葉と二人で向きあってるのだろうか。
その後ろに蘭や園子が居たなら、もっと自然にその台詞は出てきたろうに。
「なんやの、平次。明日の事?」
「あ、いや、ちゃうねんけど」
「せやったら、何?なんか用事あるんやろ」
「い、いや。別に用事なん……」
ない、と言いかけて、止めた。それはあまりにも、不審すぎる。
「あったんやけど、やっぱ、ええわ」
「はあ?なんやのそれ」
「なんもないわ。ほなな」
身を翻して歩きかけて。その背中で幼馴染が抗議の声を上げる。
一つ大きく息を吸って、振り返った。
「和葉」
「何よ!!用なんやったら、ちゃんと……」
「オヤスミ」
「は?」
大きな瞳が更に見開かれて。じっと自分を見つめるその瞳に吸いこまれる錯覚に陥って。
引力に逆らうように身を翻して。そのまま廊下の向こうまで全速力で駆けた。
***
「うわ〜〜〜〜」
「服部君て、こういう時だけ可愛いよね〜」
「いいねえ。青春だねぇ」
「新一、オヤジ臭いよ」
「でも一体どうやったのよ、新一君。たった一言とは言え、よく服部君に言わせたわよねぇ」
「罰ゲームってことにしたから。その辺ヨロシク」
「罰ゲーム?」
平次が走り去った廊下の反対側。和葉と別れた蘭と園子を待ち伏せて、3人揃って、出歯亀。
女性陣二人に不審そうに振り返られて。新一はクスリと笑う。
「さっきのトランプゲームの罰ゲーム」
「え、だって別に勝負なんて賭けてなかった……よね」
「適当に話し作ったら信じたから、あいつ。ま、遠山さんに聞かれるとばれちゃうけど」
「和葉ちゃんにも話合わせてもらったら?」
「だめよ。それじゃあれが罰ゲームだったって和葉ちゃんにばれちゃうじゃない」
「あ、そっか」
廊下の真中で、和葉はまだ立ち尽くしたまま。
「よかったねー、和葉ちゃん」
「後ろ姿から幸せがにじみ出てるわよね。こういう微妙な機微なのよ!!あたしが言いたかったのは!!」
「でも意外。こんななんでもない一言で、ねえ」
「知らない人が見たら告白シーンにしか見えないっての」
「ああ!!オヤスミ、まで17年かぁ。今すぐなんて思った私が高望みだったのかしら」
「いや、だから……あれが特殊なだけだって」
「んんーーー!!でもいいなあ!!やっぱ憧れよね!!楽しみだわ〜〜〜〜!!真さんのオ・ヤ・ス・ミvv」
「聞けよ人の話」
「ね、ね。蘭達はどうだったの?初めてのオヤスミ!!」
「だから!!んなもん意識するわけねぇだろ!!日常会話だっての!!」
「んもーーー新一君たら照れちゃって。いいじゃない。ねえ、蘭、教えてよ!!」
「あ、でも、園子。ホントにね」
眠さのせいか一度上がったテンションがなかなか下りてこない園子の後頭部を新一が軽く小突く。
「なにすんのよ」
「どーでもいーから。さっさと遠山さん迎えに行ってやれよ。放っておくと一晩中あそこでああやってぼんやりしてんじゃねぇのか?」
「あ、そうだよね。和葉ちゃん、風邪引いちゃうよ」
「んじゃこの話の続きはあとでゆっくり聞くとして。じゃね、新一君。オヤスミ」
「おう。オヤスミ」
「じゃあ、新一」
和葉の方に駆けていく園子の後を追いつつ振り返る蘭の手を、新一が素早く取る。
「新一?」
「蘭」
言葉を切ってじっと瞳を見て。
「オヤスミ」
一瞬虚を突かれた蘭の瞳が丸くなって。
それから、花のように笑った。
「うん。オヤスミ、新一」
はい。平和で京園で最後は新蘭〜〜。
つか、あれなんですよ。どーーーーーーーしても平次の「オヤスミ、和葉」がしっくりこないのです。私的に。
どうでしょうか?私だけでしょうか?「オヤスミ、平次」はあり。「オヤスミ、和葉」は……うーーーーーーーーーーーん。
そんなこんなでこんな青春真っ只中みたいなこっ恥ずかしいものが出来上がってしまいました。うーん、青春。
女の子の会話も男同士の会話も書いててごっつ楽しかったです。ああ。新一と一緒だと平次のアホ度が上がる。可愛い<自分で書いて言うな
さてはて。真さんが園子を「園子v」と呼ぶ日は来るのでしょうか。想像できません切腹。微妙に妄想力足りないよな自分。
きっと明日からも平次は「オヤスミ」とは言わないに違いなく。ええのう、新蘭はラブラブで。
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