「そいつは違うな」
がらり、と教室の戸が開いた。クラス中の視線がそこへ集まる。
「新一……」
少し涙で潤んだ蘭の声。
大丈夫。大丈夫なはずだ。自分の推理には、一部の隙もないはずだ。間違ってな。俺は正しい。
新一は、一つ大きく息を吸って。
「今、お目にかけましょう。この世にたった一つの、真実を」
***
「らーーーーーーーーーーーーーん!!」
工藤新一はこれ以上ないくらい勢いよく隣の教室の戸を明けた。
「国語の教科書貸してくれよ!!俺、今日忘れちゃってさ」
戸のところで大きく叫ぶ。
そうすると、幼馴染はいつも顔を真っ赤にして叫ぶのだ。
「もう!!新一!!そんなところで大きな声出さないでよ!!」
「だって俺、このクラスじゃねぇし。勝手に入れないじゃん」
「そうだけど。呼んでくれたらそこまで行くから、用はそれから言えばいいじゃない」
「だって、呼んだけど来なかったじゃねぇかよ」
「呼んですぐだったじゃない!!わたしがそっちに行くまで待ってよ!!バカ!!」
「大体、なんでそんなに怒ってんだよ」
「お、怒るわよ。恥ずかしいじゃない!!」
いつものやりとり。
それなのに。今日はいつまでたっても幼馴染の反論が飛んでこない。
……おかしいな。教室に居るのは確認済みだし。
事実、教室のほぼ中心にその姿が確認できる。見誤るわけがない。数人で何か話している。
自分に背を向けてはいるが。さっきの大声に気づかなかったとでも?
そもそも教室に居る誰も新一の方を振り返らず、何かを真剣に話している。
誰も気づいてねぇってか?ありえねぇだろ。
「おーーーーーーーーーーーーーーいい!!らーーーーーーーーーーーーーーーん!!」
「ちょっと」
代わりに答えたのは。
「なんだよ。園子じゃねぇか」
「静かにしなさいよね。今蘭はそれどこじゃないの」
「それどこってなんだよ。こっちだって重要だぜ?国語の教科書忘れて……」
「教科書に一冊や二冊で男がガタガタ言うもんじゃないわよ」
「なんだと?」
「忘れたあんたがわるいんじゃないの。大人しく立たされなさい」
「お前なあ。そりゃ米原先生は優しいからいいかもしんねぇーけど。うちのクラスのブタゴリラなんて……」
「もー!!うるさいわね。じゃあいいわ、あたしの貸してあげるから!!」
「へ」
新一は慌てて表情を改める。
「なんだよ。そんな大変なことになってるのか?」
鈴木園子とは長い付き合いだが。教科書を貸してくれるなどと言い出したのは初めてなのだ。
「さっきからそう言ってるでしょ」
「なんだよ。なにがあったんだよ」
「それが、さ」
園子が眉根を寄せて蘭たちを振り返る。数人で固まって、蘭を中心にまだ何かを話している。
新一も園子の肩越しにその光景を覗き込んだ。
「蘭、うちのクラスの給食委員なんだけど」
「ああ。聞いたことあるぜ。でも二学期になったら飼育委員がやりたいって言ってたけど」
「そんなことはどうでもいいのよ。新一君のクラスでも集めたでしょ?給食費」
「あれ、締め切り今日じゃなかったっけ。松本のやつがまた忘れてさあ。うちのクラスの委員も困ってたけど」
「それどころじゃないのよ!!うちのクラスは!!大事件なの!!」
「大事件ってなんだよ」
「なくなっちゃったのよ!!その、蘭が集めた給食費が!!」
「なんだって!!??」
慌てて身を乗り出して園子の肩越しに蘭を確認する。蘭を取り囲む数人が、蘭に詰め寄っているように見えた。
「まさか!!あいつら、蘭のこと疑って……」
「はあ?」
「蘭が給食費盗むなんて、そんなわけねぇだろ!!あいつ、別にお小遣いに困ってないし……」
「ちょっと新一君!!」
「濡れ衣だ!!俺があいつの無実を証明してやるよ」
「ちょっと待ちなさいってば!!何言ってんのよあんた」
教室に入ろうとするその肩を、園子に強く引き戻された。
「なにすんだよ。邪魔すんな」
「あんた、何言ってんのよ。バッカじゃない」
「バカとはなんだ!!言っとくけどなあ、俺はこの前の国語のテストで……」
「バカはバカよ。蘭が盗んだなんて、誰も言ってないわよ」
「え、だって」
「蘭が何処かに置き忘れたんじゃないかって、今日蘭が何処に行ったか、皆で思い出してるだけだってば」
「あ、なんだ。そうか」
「あったり前じゃない!!誰が蘭がそんなことすると思うと思ってんのよ!!バカ!!」
「だってほら、蘭とこは別居してるじゃん、親」
「だからなんだって言うのよ。関係ないじゃない、そんなの」
「そうだけど。でも結構一般的にはさ……」
「一般的な話なんてどうでもいいの!!あんたは余計なこと言ってないでさっさと自分の教室に帰りなさいよ!!」
ぐいっと国語の教科書を押し付けられて。
改めて、蘭を見ると。
その、非常に複雑な視線とぶつかった。
蘭だけではない。
蘭を取り巻いてた他の生徒たちも。
一様に、複雑な視線を新一に注いでいた。
「ねえ……まさか、ねえ」
「だって……毛利さん、そんなことしないよ」
「うん。そうだよね」
小さな囁き。けれど、その瞳は蘭に対して少しだけ、ほんの少しだけ微妙な色合いを含んでいて。
振り返る幼馴染も少し困ったように笑って。
「新一、また後でね」
返す言葉も見つからないその鼻先で。
ぴしゃっと戸が閉められた。
***
「ごめん」
「いいよ、別に気にしてないから」
「……ホントごめん」
「いいってば。先生も皆も、私のことは全然疑ってないから大丈夫だよ」
「……ごめん」
「ホントにもういいってば。新一が謝ることじゃないよ」
「でも……ホントごめん」
ゆれる赤いランドセルの後ろを歩きながら。その後姿をじっと見つめた。
蘭はどこか空を見上げて。見ないでもわかる。きっと頑張って笑顔を作ってる。
両親の別居を。蘭が気にしていないわけが無い。
だけどそれを、蘭は絶対に外に出さない。
「だって。お父さんとお母さんは離婚したわけじゃないから」
会いたい時にはいつだって会えるもん。そう言って笑う蘭を、優作と有希子は寧ろ心配している。
強いその姿は。時に寧ろ脆く見えて。
何かに支えられている蘭が、時に凄く弱く見えて。
「新ちゃんが、蘭ちゃんを守ってあげなきゃだめよ」
心無い大人たちが、その両親の別居について心無いことを言うのを何度か聞いたことがある。
特に子供たちの不始末に、蘭の祖父母が蘭を引き取ると言い出した時は大変だった。彼らに、悪気はなかったのかもしれないが。
「片親だということで。この子が世間からどんな目で見られるか」
どんな目って、なんだよ!!蘭は蘭だ!!そんなの関係ない!!
俺が!!絶対守る!!
そう心に誓った。誓ってた。誓ってた、から。
……俺は、バカだ。
相手は大人ではない。自分たちと同じ小学生だ。
言わなければ、誰も蘭の家庭の事情にまで思い至らなかったに違いないのに。
あれでは。
まるで。
……自分が、真っ先に蘭を疑ったみたいではないか。
「蘭……俺……」
謝りたくて言葉を捜す。疑ったわけじゃない。疑ったわけじゃない。ただ、つい、最悪の事態を。
「あの……」
「ありがとう、新一」
意外な言葉に。新一は足を止めて顔を上げる。
振り返った蘭は、……やっぱり少し頑張った笑顔を作って。
それでも。明るく。
「ありがとう、新一。私のこと、守ってくれようとしたんだよね」
「蘭……」
「大丈夫だよ。先生も、用務員のおじさんも探しておいてくれるって言ってたし。明日にはきっと見つかってるよ」
「蘭……」
「ね、そうだよね」
どうして。
どうして、蘭は。こんなに、強い。
「……ああ」
新一も笑顔を作って幼馴染に返して。
決めた。
俺が。絶対。
「なあ、蘭。今日のこと、もう一度思い出してみようぜ。朝から集め始めたんだろ?給食費」
俺が、絶対。
守る。
***
「もーーーー!!信じらんない!!」
「何がだよ!!ちゃんと俺が言った通り見つかったじゃねぇかよ!!給食費。感謝しろよ」
「感謝は。してるけど。でも、もうーー!!ホント信じらんない!!何よあれ!!」
「何って」
改めて言われると。自分でもちょっと恥ずかしくはあるけど。
「……そんなに、おかしかったかよ」
「おかしかったおかしかった。何がこの世にたった一つの真実、よ!!新一熱でもあるんじゃない?」
「そんなに笑うなよ」
「笑うに決まってるじゃない。何あれ!!気障ーーーー!!」
「気障って言うな!!カッコイイだろ!!」
「どっこがー?」
「全部だよ全部」
「どこがよ。新一もしかして、ナルシスト?」
「なんでそんな言葉知ってんだよ」
「最近芸能人に多くて困るって、この前お母さんが言ってたもん。なんか、弁護したんだって」
「ふうん。最近なんかそんな事件あったかな……って、違う!!俺は別にナルシストとかじゃ!!」
「じゃあなあにあれ?おっかしいの!!」
「……そんなに、おかしかったのかよ」
思わず。トーンダウン。声と一緒に視線も落ちる。
俺が。蘭を守るのだと。
蘭の、騎士になるのだと。
そう誓って。
だから。
「……う、そ」
「へ?」
顔を上げると幼馴染は極上の笑顔で。……あの、頑張ってる笑顔ではなくて。極上の、笑顔で。
「ホントはちょっと、カッコよかったよ。新一」
「ホントかよ!!」
「う、そ」
「どっちなんだよ!!」
「ちょっとね。ちょーーーーーーーーーーーーーっとだけね」
「なんだよーー」
「でも、カッコよかったよ」
「ホントに?」
「ホントホント」
ああ。俺は。
……蘭の騎士に、なれただろうか?
「また何かあったら、お願いね!!探偵さん!!」
すみませんー。気障なシーンが殆ど無いじゃないですかという突っ込みはこの際無しでプリーズ……。
相変わらず迂闊です新一君。って、小学校四年生……でしたよね、この話は。
頭の回転が人様よりちょっと宜しいばかりにいらんことまで考えてしまったわけですね……頭の良い子にはありがちです。
頑張って名誉挽回汚名返上!!頑張れ工藤新一10歳!!蘭ちゃんの騎士になるため切磋琢磨。頑張れ〜〜!!
すんません。頑張り過ぎて空回りしてる感じが萌えなのです<ええー
しかし、新ちゃんにしろ快斗にしろ、どうしてあんなにいざとなると気障なんでしょうね……。
少し重めのネタを扱ってしまいました。異論反論お気に召さなかった方は、しれっと忘れてなかったことにしてくださると嬉しいです。
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