「平次」
「んあ?」
口一杯に肉まんを頬張ったまま、服部平次は幼馴染を振り返った。
「今日、何のお祝いなん?」
「ひゃあ。ひらん」
「なんでお赤飯なんやろ……」
服部家では、今まさに夕餉の支度中。ちゃぶ台の上にはほかほかのお赤飯が湯気を立てている。
「……そういえば、去年もお赤飯やった」
「お前、よう覚えてんなぁ、そんなこと」
「去年も平次に聞いて、知らんっていわれた」
「せやかてホンマに知らんのや。おかんに聞いてみたらええやん」
「うん。そうする」
「案外、あれかも知れへんで。おやじとおかんの結婚記念日とか……」
「あ、そうかも」
「ちゃうちゃう」
静華の声に和葉が振り返る。平次はもう一口肉まんを頬張った。
「あ、おばちゃん。今日、何の日なん」
「お赤飯言うたら決まってるやん」
口にし辛い連想に、平次はもぐもぐと肉まんを食べながら母を見上げた。
……まさか。和葉が大人になった日とか言いださへんやろな。このおばはん。
抜け目無いくせにどこかずれてるから侮れない。
しかし静華はそんな息子の視線を笑顔でサラリと受け流した。
「今日は、あれや。平次が大人になった記念日やねん」
「ぶっ」
口の中の肉まんが、四散した。
***
その日。
久しぶりに。本当に、これ以上ないほど久しぶりに服部平蔵は非番だった。
非番、且つ、家にいた。事件を抱えている時には非番であっても家にいないのがこの服部家当主の常なので。
その一人息子が幼いうちは、それでも何とか時間を作って遊びに連れてやっていたが。
息子の平次ももう中学生。
部活やらなにやら忙しく。何よりもう、家族で出かけたがる歳でもない。
たまの非番には剣道の稽古をつけたり、事件の話をしたり。それなりに親子のコミュニケーションはあったが無理に時間を捻出することはしなかった。
故に。
事件に没頭していたところ、ゆうに数ヶ月ぶりの非番となった。
縁側に差し込む日差しが柔らかい。
居間に座って平蔵は一人。お茶を飲んでいた。
「どないしたん?」
「ん?」
「めっちゃご機嫌やん」
「そうやなあ」
妻の静華が声をかける。
一見しただけではわからないが。確かにその表情はどこか晴れやかで細い狐目は見ようによっては笑っているようにも見えた。
「ええ天気やな、今日は」
「なんぞ難事件でも解決したん?」
「ん、ん。まあ、そんなとこやな」
話を逸らしたつもりの一言は、案の定妻に一蹴された。
「新記録更新や」
「新記録?」
「せや」
珍しくらいに平蔵は舌が滑らかだ。
「ここ数ヶ月、平次と碌に口利いとらんのや」
「そら、あんた忙しかったやん」
「ずっと風呂にも一緒に入っとらん」
「あの子最近、部活から帰ってすぐ入るから」
「稽古もしてへんしな」
「そらあんたがおらんから。一人でよう素振りしてんで」
「事件の話もしてへんのや」
「ふうん」
平蔵は嬉しくて仕方ないらしい。お茶を飲み干すと湯飲みを静かに差し出す。すかさず静華がお茶を継ぎ足した。
「そんで?」
「さっき、あいつ庭で素振りしとったろ」
「最近、休みの日は毎日してんで」
「わし見て逃げた」
「……」
そう言うと口の端に笑みが浮かんだ。
「二日にちょっと帰ってきた時もわしの顔みて何も言わんと部屋ひっこんだ」
「せやねえ」
「十三日に寄った時には、部屋から出てこんかった」
「寝てたんとちゃう?」
「二十四日には捜査中に西梅田で偶然会うたんや」
「へえ、知らんかった」
「あいつ、遠山にだけ頭下げて逃げおった」
「はあ」
この男が相好を崩すのは、至極珍しい。
「来るで」
「ふうん」
「今日辺り、そろそろや」
「まあ、そうかもしれへんけど」
相変わらず。余人が聞いてもわからない夫婦の会話。少し呆れたように静華は返す。
「そんなに、嬉しいもんなん?」
「そら、なあ」
何を待ってるのか知らないが。平蔵はもう笑みを隠そうともしない。
細い狐目の目尻が僅かに下がっている。僅かに、だが。だがそれはこの上も無く珍しいことで。
長い親友の遠山でさえ、滅多に拝めたものではない。
「わしにも覚えがあるからな。正直、嬉しいもんや」
「そんなもんやろかねえ」
「そんなもんや」
「男親って、おもろいもんやなあ」
静華も小さく笑った。
普段。常に平次の目標であろうとするこの男は滅法息子に厳しい。
が。
もしかしたらこれほどの親バカも珍しいのではないかと思うことがある。
息子のために。息子をより高みに導くために、より高い位置に自分を律する努力は並大抵のものではない。
多大な愛情に裏付けられているからこそ、可能な行動ともいえた。
ホントは手放しで褒めてやりたいだろうに。もういいと許してしまいたくなる瞬間もあるだろうに。
息子に対して不安を感じることなく、この夫はただ前を見て進む。後ろから平次が付いて来ている事に一分の疑いも抱かずに。
掛け値なしのこの愛情は絶大で。にも拘らず一見すると寧ろ逆にもとられかねない。
だから。
こんな風に。夫の息子への愛情を垣間見るのは静華にしても幸せなことだった。
「静、今日は赤飯や」
「気ぃ早いなあ」
「小豆、ようけ入れたれ。あいつ、好きやろ」
「よう気ぃついてたなあ」
「和葉ちゃんが残す分まで食うくらいやからな」
流石に。観察眼は侮れない。
平蔵はもう一口お茶を飲む。
嬉しくて仕方ないらしく、小刻みに肩が揺れている。
夫を。
可愛らしいと思うのはこんな時。
それからふっと顔を上げると、平蔵は表情を改めて廊下を顎で示した。居間から出て行けと言うのだろう。
「うちがおったらあかんの」
「女親は居らん方がええやろ」
「そんなもんなん」
「そんなもんや」
「ほな」
ゆっくり立ち上がると静かに襖を開ける。廊下を遠ざかる足音が僅かに聞こえた。
静華の後姿を見送って、平蔵は姿勢を正す。
廊下の気配は、まだ襖の向こうで逡巡している。
口の端に浮かぶ笑みをかみ殺す。手元の新聞を必要以上に何度も繰り返して読んだ。
やがて。
スッと襖が開いて。
「おと……」
これ以上ないくらい全身に力をこめて、平次は廊下で仁王立ち。
平蔵は、新聞を読む顔を上げない。
「おと……お、お、お……、オヤジ!!」
何度もドモリつつ。最後は寧ろ叫ぶように。
平蔵は漸く顔を上げた。
「オヤジ!!」
「おう」
「稽古、つけてくれ」
息子に一瞥をくれるとまた背を向けて新聞を読み始める。
僅かに流れた沈黙。
「平次」
「お、おう」
「10分後に行く。用意しとけ」
弾かれた様に息子は走り出す。
新聞の影で父親は。一人笑み崩れて幸せをかみ締めていた。
***
「お、お、お、大人て」
「平次、肉まん飛んだで。汚いなぁ」
「なんちうこと言い出すねん!!このおばはん!!」
「なんやのあんた。急に大きな声出して」
「出すわ!!ボケ!!」
四散した肉まんを踏まんばかりの勢いで平次は立ち上がると、幼馴染には極力聞こえないように静華に詰め寄る。
「人の剥けた日なん、勝手にチェックすな!!ボケ!!なんちう母親じゃ!!」
「剥けたて、何が?」
「声がでかいんじゃぼけ!!」
「何のこと言うてんのかわからへんで?」
「とぼけんな!!」
「あんた、なんや勘違いしてへん?誰がそんな下品なこと言うてん」
「なんや、違うんかい」
「そんなアホらしい日わざわざ祝わんよ。それとも祝って欲しかったん?」
「祝っていらんわ!!」
二人を見上げる和葉は大きな目に疑問符を一杯に湛えて。
「どないしたん?二人とも」
「アホ。なんでもないんじゃ」
「ホンでおばちゃん、今日、何の日なん?」
「せやから平次が」
「アホ!!いらん事言うな!!ボケ!!和葉が誤解するやろ」
「そんな下品な誤解するなん、あんただけや」
「下品て、何?」
「な、なんでもないわ、ボケ」
「なんでアタシがボケなん言われなあかんのや!!」
「うっさい!!お前は黙っとけ!!」
「なんでよ!!」
立ち上がる和葉の視線を平次が真っ直ぐ受け止める。とばっちりとしか言いようの無い睨みあいの隙に、静華はひょいと戦線を離脱すると座って赤飯をつけ始めた。
「あ、おばちゃん。アタシ小豆少な目で……」
「アホか。んなもん好き嫌いせんと全部食え」
「大丈夫矢で、和葉ちゃん。和葉ちゃんの分は平次につけとくから」
「わーい、おばちゃん大好き!!」
「好き嫌いしとると大きくなれへんで」
「うるさいアホーー!!」
「誰がアホじゃ!!」
「アホって言うたら平次の事やん」
「そら和葉の代名詞じゃ」
「なんやってーー!!」
もう何年も変わらない口喧嘩に。静華は小さくため息をついた。
この息子が。上る階段はまだまだありそうだ。
平次がナニをどう誤解したか分からなかった純真なお嬢さんは、気になさらずスルーして下さい。……所詮下ネタ切腹。
てなわけでー。マイラブ弟君曰く。お父ちゃん→オヤジの呼び変えは結構一大決心&タイミングが難しいことだったらしいです。
私はいつからパパママがお父ちゃんお母ちゃんになったかもう覚えてませんが。男親子って面白いなあ(笑)。
それにしても可愛いなあ平蔵!!<自分で書いててまたそんなことを。そんなに息子が可愛いか。うぷぷ。
もう、私の中では平蔵さんは平次を溺愛してますから親ばかですから。
絶対そんなことおくびにも出しませんが!!
静華さんと遠山刑事部長だけが時折気付くとかだったら萌えだなー。
どでしょー?
しかし和葉がいるだけすね切腹。いいの。場が和むから。癒しだから。ラブー。
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