お隣を。守り続けて400年。
***
「動いたら……殺すぞ」
手の甲から流れ出した血がゆっくりゆっくり俺の指を伝い、生温い感触がそのまま和葉に流れていく。
「平次……」
何が起きたのかまだ把握できないと言った表情でボンヤリと。和葉が俺を見上げた。
……やべぇ。結構痛ぇ。
ほんま、なにさらすねん。この女。
背に腹は代えられない。これはもう。さっさと眠って頂くしかなさそうだ。
「しっかり……つかまっとけよ……」
「え、平次、ナニ?」
僅かに抗議するような言葉を無視して。繋いだ手を勢い良く引き上げた。
「きゃ!!なにっ!?」
「捕まれや」
「え、えと」
「俺の手やのうて、肩、か首」
「う、うん」
殆ど顔の位置まで片手で和葉を引き上げる。戸惑ったように顔を赤らめた和葉は、それでも躊躇いがちに俺の首に両手を回してしがみついた。
これで、片手が解放される。
この後は……流石にちょっとあかんやろな。
「和葉、すまん」
「え、ナニ?」
和葉の声が俺の襟足を擽る。解放された片手に、キラリと光るものがあった。
……工藤より、最低やな。俺は。
振り返ることも出来ない和葉の首筋にそっと細い針を宛がって。
「あ」
小さな悲鳴とともに和葉の体からガクリと力が抜ける。俺は危うくずり落ちかけたその体の変わりに針を谷底に落としてその体を確りと受け止めた。
「大丈夫や和葉」
意識のないその体を抱き締める。汗の臭いと、慣れぬシャンプーの香りが鼻腔を擽った。昨日は宿のシャンプーを借りたのだろう。
「……絶対、助けたる」
木の枝を掴んだままの片手に力をこめて、軽く体を揺すって弾みをつける。
次の瞬間。
俺は和葉を抱えたまま、元居た崖っ淵に立っていた。
***
「ふー。ホンマ危ないとこやったで」
柔らかい土の上にそっと和葉を下ろして。乱れた前髪をそっと整えてやる。
規則正しく上下する胸。安らかな寝顔。
それが。つい先ほどの悲壮な表情と被って俺は大きく溜息をついた。
「……すまん和葉」
相手は勿論応えない。
「あんな目ぇに合わすつもりは、なかってんけどなぁ」
茂みの先が崖だと気付かなかった。のは、迂闊の極みだが。落ちる気はさらさらなかった。あんな崖、自分一人ならどうとでもなる。
すんでのところで崖っ淵にしがみついて。
「平次!!」
「おー。焦った焦った」
「アンタ、無事やったん!?」
「アホ。俺が死ぬかい」
そんな感じで済ませようと。コンマ一秒で判断したのに。
まさか和葉があんな行動に出るとは。
……余計なことしおって。
必死だったのだろうが。後先考えないとは正にこのことだ。
……俺が今まで、どんな思いして守ってきたと思ってんねん。
だから。こんな風に眠らされてしまうことも仕方ないと思ってくれればと。勝手に自分を正当化してみる。
……せやかて和葉の前で術使うわけに行かへんしなぁ。
それこそ。これまでの苦労が水の泡だ。
自分の正体は。決して和葉には知られてはならない。だから。
……すまんな、和葉。
「ん……」
応えるように、木の幹に寄りかかった和葉が僅かに身動ぐ。
「平次……」
「おう」
「ありがと……」
……寝言、やんな?
そっと顔を寄せて、幼馴染がまだ眠りの底に居ることを確認。
大きく一つ、安堵の溜息をついた。
瞬間。
***
「未熟者」
何処までも冴え冴えとした声に。一瞬心臓まで凍りつく。
「な、な、な」
「不甲斐ないぞ、平次。未熟者」
「なんであんたがここにおんねん!!」
「当たり前や。未熟者のお前一人に和葉ちゃん任せて、こないな福井の島まで2人でやれるわけないやろ?」
「2人て。せやからちゃんとおかんに言われた通り、毛利のおっさん達も連れて来たやん」
「アホ。そらお前が変な気ぃ起こさんようにや」
「起こすかドアホ」
「そらわからんぞ、平次。男っちうもんはなあ、環境が変わっただけで邪念が沸くこともある」
「……経験でもあるんかい」
「わしはない。お前と一緒にすな」
「俺かてないわ!!」
和葉を起こさないように小声で。それでも勢い良く立ち上がると音も気配もなく真後ろに降り立った存在に食ってかかる。
言うまでもなく、父・平蔵。……忍者装束。
余談ながら自分も和葉を眠らせてからは忍者装束になっている。聊か不本意ではあるが。
「アホ」
「誰がじゃ!!」
「さっさと元の姿に戻れ。和葉ちゃん起きたらどないすんねん」
「そらオヤジかて同じやろ」
「わしは姿ごと消すから関係ない。お前はそうはいかんやろ。万一見咎められたらどないすんねん」
「アホ。俺がそんなこと……」
「ほな、さっきのあれはなんや」
「……」
返す言葉もない。
まさか。オヤジがついてきているとは。全く気配を感じなかったのが、言い様もなく口惜しい。
「まさか、おかんも来てるんとちゃうやろなあ」
「静は一応置いてきた。遠山がおるんに、大阪空けるわけにはいかんやろ」
「おっちゃんはオヤジの担当やろ。そもそも府警本部長が大阪空けてどないすんねん」
「府警は遠山がおれば大丈夫や。静は和葉ちゃん絡みやと、ちぃと私情に走るからな。今回はわしが見張りに来た」
「……」
服部家が。遠山家を守り続けてかれこれ400年が経とうとしている。
当時の殿様が何の気紛れか、遠山家の子孫を守り続けるようにと服部家に下した命令を、律儀に守り続けているというわけだ。
当の殿様の家系はとっくに途絶えてしまったと言うのに。
……アホらし。
と、正直俺は思っている。何が嬉しくて、自分の人生の殆どを他人の為に裂いているんだか。
「それが、忍っちうもんや」
子供の頃からそう父に言われて。
遠山家の当主を平蔵が、その妻を静華が。
そして一人娘の和葉を、自分が。
守り続けて17年。
決してその正体を知られることなく。和葉に悟られることなく。影から。
そう。
大阪府警本部長とその妻、そして一人息子にして高校生探偵というのは世を忍ぶ仮の姿。
その実は、甲賀忍者服部家の末裔にして現役バリバリの忍者。
その割には全くもって影に徹しておらず、寧ろ人目に曝されることの多い立場に当主と息子があるのは、平蔵曰く「木は森の中へ隠せ」ということらしい。
立場上トラブルは避けられない以上、自らトラブルに常に接していた方がカモフラージュになるし修行にもなると言うわけだ。
「それにしてもやなぁ」
俺は大きく溜息をつく。
「俺らのこと見張っとったんやったら、もう少しなんか出来たんとちゃうんか?」
「ほう」
平蔵の細い狐目が僅かに開く。
「……助けて欲しかった、言うことか」
「そ、そんなことは言うてへん。けどなあ、和葉危険な目ぇに合わさんように……」
「そら、お前の役目やろ。わしの役目とちゃう」
「ホンなら何しに来てん!!大体、遠山のおっちゃんなん、守ったる必要ないやん。オヤジの手ぇなん借りんと、自分で危険なん回避するやろ!!あのおっちゃんやったら」
「おう。助かってるで」
「ホンなら、少しはこっち手伝うてくれてもええやんか。オヤジと違て、こっちはなあ……」
「ほほう」
一段と下がった平蔵の声に。
……やば。
いち早く自分が藪を突付いたことを察知する。
「……自分の未熟棚に上げて、和葉ちゃんが悪い、言うんか?」
「そ、そこまで言うてへん」
「和葉ちゃん守るんはお前の役目や。それに、守る言うたかて、遠山家は別に悪の組織に狙われてるわけやない。わしらはただ遠山家の人間が、日々平穏に暮らせるよう見守るんが仕事や。なんの苦労がある言うんや」
平蔵は視線で平次の反論を許さない。
蛇に睨まれた蛙とは、正にこのことだろう。
「わしが今回付いて来たんは、お前が立派に役目果たせるか見届けにきたんや」
「なんやと?」
「……お前の働きが先日来里で問題になっとる。蜘蛛屋敷の一件以来なあ」
「せやけど、あれは!!」
思わず両手を握り締めた。
分かってる。知っている。あれは、不覚の極みだ。和葉を、遠山家の人間を命に代えても守る、忍として失格と言われても反論の余地はない。
「場合によっては、お前を里でもう一度修行させる、いう話も出とるんや」
「せやけど、ほんなら和葉は。オヤジやおかんやと、ガッコ行ってる間は……」
「勿論。その場合にはお前の代わりが来る。お前の代わりの、服部平次が、な」
「なっ……」
確かに。服部家の手錬であれば。俺に成り代わることは不可能ではないかもしれない。
姿形、人格まで全て。今の俺に成り代わって。
だけど。
それは。
「ん……」
僅かに身動ぎした和葉に。
目にも止まらぬ速さで平蔵が姿を消した。俺も慌てて服装を元に戻す。
「ええな、平次」
何処からともない平蔵の声が自分の耳にだけ届く。
「役目下ろされる。それがどういうことか、わかるやろ」
風の音にも似た、声が。
「……下手、打つんちゃうで」
「おう」
呟くように応えて。大木に寄り掛かって眠る和葉を抱き起こす。
と。
「……平次……?」
「おう」
「アタシら……助かったん?」
「当たり前やろ。俺が死ぬか」
「平次……無事やったん……?」
「せやからそう言うてる」
「よかったぁ……」
汗と泥で塗れた笑顔が。この世で最も美しいものに思えた。
……一瞬だけやけどな。
美國島を読んだ瞬間、「どうやったら助かるんじゃ!!忍者かお前!!」と叫んだか叫ばなかったかは兎も角。
実は一回素で書いてみたかった甲賀忍者の末裔服部家話。や、だって似合いません?似合いません?
なぁんて言ってたら深夜アニメ『陰からマモル』が微妙にツボだったりして(苦笑)
書き掛けの江戸川乱歩パロディ(<身の程知らずが)を躊躇いなくボツにして書いちゃいました『陰からマモル』服部家バージョン!!
結構嵌ってると思いませんか?(笑)
えっと『陰からマモル』は原作はラノベらしいのですが、未読です。こらー。
アニメのラスト二話を偶然ツモっただけなんですけど。何気にOPが好きだったりします100万回のドアを叩いちゃいます。萌え〜<こら
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