燦燦と照りつける太陽。
もうお盆を過ぎたというのに。酷く暑い日だった。
……ちょっと、失敗したかしら。
帽子を被って来るべきだった。日射病……熱射病気味?少し眩暈がする。
灰原哀は小さくため息をついた。
阿笠邸へは、光彦と歩美が迎えに来た。そして三人で元太の家に彼を迎えに行ったわけだが。
案の定と言えば案の定。全く準備のできていなかった元太に延々待ち惚けを食らわされ。
漸く四人で江戸川コナンを迎えに毛利探偵事務所までやって来た。
駅から遠い順に合流しているだけなのだが。この場合一番の役得は、コナンだろう。迎えが来るまで涼しい事務所で待っていればいいのだ。
「じゃあ、あたしがコナン君、呼んでくるね」
幾分はにかみつつ。歩美が階段を上ろうとした時。
「あら、皆。いらっしゃい」
蜃気楼も立とうかという熱波の中。涼しげな声が背後から降って来た。
振り返らずとも。声の主は明白。
……だから。ここには来たくなかったのよ。
「蘭お姉さん!!」
「蘭さん、おはようございます!!」
「おはようございます!!なあ、なんか食い物ねぇ?」
「元太君!!さっき朝ごはん食べたばかりでしょう!?」
「だってなんかよう。汗かいたら腹減っちゃって」
「うーん。そうねえ。アイス食べる?確か冷蔵庫にまだ残ってたと思うけど……」
「ホント?蘭お姉さん!!」
「ちょっと取ってくるね。ついでにコナン君も呼んで来てあげるから」
歩美の顔に。ホンの一瞬陰りが指す。それに気付いた哀が口を開く前に。蘭が歩美に手を差し出した。
「歩美ちゃん、一緒に行こう?」
「あ……うん!!」
……ああ。
二人の笑顔が眩しくて。
頭が。ぼうっとした。
……暑い……。
あ、ヤバイな。そう思ったときには。
「あ、哀ちゃん!!大変!!」
白いTシャツの胸元を。鮮血が、一抹、二抹。
***
「そーいや。博士がそんなこと言ってたなあ」
「そんなことって、なによ」
「鼻の粘膜が弱いんじゃねぇのってこと。風邪引いた時もよく鼻血出してたんだろ?」
「……うるさいわね」
「そうなの?ねえ、哀ちゃん。大丈夫?」
「……大丈夫よ」
断固として嫌がったのだが。結局毛利探偵事務所まで上げられてしまった。クーラーの効いている室内で探偵団の面々はご満悦。
歩美だけは心配そうに。江戸川コナンと一緒に哀を覗き込む。
蘭が。甲斐甲斐しく彼らと。自分の面倒を見てくれる。
バツが悪くて。
ソファに座って上を向いて。蘭が用意してくれたタオルに包まれたアイスノンを鼻の頭から額に掛けて乗せて。
眼を閉じたまま。
「お洋服、そのままじゃ困るわよね。どうしようか」
「……今日は、帰るわ」
「映画、どーすんだよ」
「別に。皆で行ってらっしゃいな」
「珍しくおめーも楽しみにしてたんじゃねーのかよ」
「今日はもういいわ。かと言って、他の日じゃ皆の都合がつかないし。私は他の日に、博士にでも連れてって貰うわよ」
「えーーー!!哀ちゃん帰っちゃうの!?」
「なんだよ、一緒に行こうぜ!!」
「そうですよ。着替えて戻ってくるまで、僕たちここで待ってますから」
「でも、まだ具合が悪いんだったらまだ無理しない方が」
「あ、そうだよね。哀ちゃん、気分悪いの?」
「別に。具合は悪くないわ。もう大丈夫よ」
蘭と歩美の。心底心配そうな顔に、嘘もつけなくなる。事実、さっきまでのダルさと頭の重さは。随分と和らいだ。もう大丈夫、というのは強がりではない。
「でも、やっぱり悪いわ。待たせるのは」
「俺達は全然いいぜ?ここ、涼しいしさ。アイスもあるし」
「そういうわけには行かないわよ。蘭さんたちに、ご迷惑だもの」
「いいのよ、哀ちゃん。そんなの気にしなくて」
「あーーー。俺ぁちょっと、煩せぇのは簡便なんだが……そろそろヨーコちゃんの番組始まっし……」
「何か言った?お父さん」
「……何でもありましぇん」
にっこりと笑顔で牽制されて。小五郎は大人しく新聞の影に身を縮める。
「一度着替えて、また戻っておいでよ、哀ちゃん。皆がここで待ってる分には、構わないからさ」
「そうだよ、哀ちゃん。そうしよう?」
「でもやっぱり……ご迷惑だわ」
「いいのいいの。子供がそんな心配しなくて。あ、そうだ。帽子貸してあげる。外はまだ暑いし。私の子供の頃のが……あ!!」
「どうしたの?蘭姉ちゃん」
「いいこと思いついちゃった!!」
「え……?」
「哀ちゃん、洋服貸してあげるね。私の。まだ残ってるはずだもん。おいで」
強引に取られた腕を。渾身の力で振りほどく。
「い、いいわよ!!」
「えー、いいじゃん、哀ちゃん。いいなー、歩美も蘭お姉さんのお洋服着たいなあ」
「そんな、悪いし」
「気にしなくていいわよ。だってもう、着ることもないし、汚してもいいよ?」
「そうだよ。丁度いいじゃん。借りれば?」
「江戸川君は黙ってて!!」
「んだよ」
「でも、時間も勿体無いし、丁度いいじゃない?Tシャツとか、結構イイ状態のが残ってるから。まあちょっと、十年前だから流行じゃないけど……。ね、上に行こう?」
「絶対イヤ!!」
「哀ちゃん……?」
「あ……違うの……ええと……」
悲しげに眉を寄せられると。強く拒めなくなってしまう。
違う。
そうじゃなくて。
別に。
蘭の服を借りるのは。嫌じゃない。
三階の自宅スペースに行くのも。ホントは。嫌じゃない。
寧ろ。
戻ってこれなくなる気がして。
これ以上踏み込んではいけない気がして。
***
結局。蘭に持ってきてもらった服に、二階の事務所で着替えた。
「へえ、懐かしいな」
「……何が?」
「それ、蘭が一年の時に来てたヤツだよな。おばさん達と買い物に行ってさ、すっごい欲しがって買って貰って。そんでそのまま一日着てたんだよな」
「ふうん」
「そしたら蘭の奴、屋上でソフトクリーム食べた時に思いっきり溢しちまって。もう大変」
「……」
「慌てておばさんがトイレで元着てたのに着換えさせて。いっそいで洗ってさ。綺麗だろ?染み一つ残んなかったんだぜ」
「そう言えばそうだったわね……って、なんでコナン君そんなこと知ってるの?」
「あ!!いや!!ええと!!ええと……!!新一兄ちゃんから聞いたんだ!!」
「なんで新一ってそういう細かいことばっかり覚えてるのかな!!」
「……大体。なんでそんな話を江戸川君にしてんのよ」
「ま、まあいいじゃねぇかよ。ええと、まあ、似合ってんじゃん。よかったな」
「……当たり前じゃない」
蘭が貸してくれたのは。白地に、薄い水色の水玉が。裾から胸の辺りにかけてグラデーションしているTシャツ。
夏らしい。涼しげなデザインで。
アイスを溢したとコナンは言っていたが。確かにそんな名残はない。綺麗なものだ。
「大好きなTシャツだったから。大事に大事にしてたのよ」
Tシャツを差し出しながら、そう言って蘭は笑った。
「でもね。子供の頃って、すぐ大きくなっちゃって。すぐ着れなくなっちゃうのよね」
「……そうね」
「Tシャツなんて夏しか着れないじゃない?次の夏にはもうちっちゃくなっちゃってて。哀しかったなぁ」
「……」
「でもよかった。哀ちゃんに着て貰えて」
「え……?」
「私、年下の親戚とかお友達とかも周りに居なかったから、こういうの初めてなのよ。お下がりとか。……上にお姉ちゃんの居る友達とか嫌がってたけどね。園子とか」
「お下が、り……」
Tシャツは。蘭の香りがするかと少し期待したのに。タンスの消臭剤の香りがした。まあ、無理もない。
こんな。二度と着ることもない子供の頃の服を取って置くなんて。
……一人娘だし……なんだかんだ言って親バカっぽいし……。
自分が子供の頃に着た服なんて。今一着も手元にはない。見た記憶もない。
……私も着たのかしら……。
姉の。
お下がりを。……記憶にない。
「んじゃ!!そろそろ映画に行こうぜ!!」
「そうしましょう!!灰原さん、もう大丈夫なんですよね」
「ええ。平気よ」
「じゃあ、哀ちゃんも復活したことだし!!映画に行きましょうーーー!!」
「おおーーー!!」
訳もなく拳を振り上げる三人に薄く笑いながら。コナンに続いて哀も事務所を出ようとして。
「あ、哀ちゃん。どうする?この服。荷物になるから置いていく?」
「あ、いえ」
「帰りにまた取りに寄ればいいよね」
「……もって行くわ」
「え?でも荷物になるでしょ?大丈夫、洗って干しておいてあげるよ。帰って来るまでには乾くと思うし」
「そんな。悪いし。いいわ」
「遠慮しないでいいから」
「あの、その代わり」
蘭の手から。一応小さな紙袋に入った、元着ていたキャミを強引に奪い取って。
「……このTシャツ。……貰ってもいいかしら……」
「え……?」
「あ、ごめんなさい。無理よね。思い出の……」
「そんなの。いいに決まってるじゃない!!」
満面の笑顔を作られて。思わず面食らう。
「嬉しいな!!大事にしてね、哀ちゃん!!」
「え、ええ」
パタン、と扉が閉まった。
蘭ちゃんに。甘えたいんだけど甘えられないというか、これ以上深く踏み込むのが怖い哀ちゃん。は、萌えなのです。
というわけで。テーマ『鼻血』で鉛筆の神様は「その他」を指定しやがったのですが。……難しかったです。
もう鉛筆の神様も無視して好きに書いちゃおうかと思ったこともありましたが、それすら無理でした。
なんででしょう?なんだか誰も、鼻血を出すイメージがなくて。いや、男連中は妄想して吹いてそうですけど(爆)
つか、そんなネタしか思いつかなくて。……それは私の頭が腐れてるだけなのか?そうなのか?……そうなのかも。アイタタ。
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