目を覚ますと。そこは見知らぬ場所でした。
「うにゃん?」
どうしてこんなところに居るのだろうと。和葉は首を傾げて考えます。
……何も、覚えてへん。
寝るまでは。お母さんと。他の兄弟姉妹と。一緒になって丸くなって居た筈です。皆一緒でした。
それなのに今は。一人です。
そしてここがどこなのかわかりません。
そういえば。揺ら揺らする夢を見ました。
なんだか良くわからないけれど、ずっと揺ら揺らしている夢でした。
……あれ?
和葉はもう一度。今度は反対に首を傾げます。
……アタシの名前。和葉や。
何故でしょう。
つい先日まで、自分に名前なんてなかった気がするのに。何故だか今、自分の名前は「和葉」だと思うのです。
……なんでやろ。
一生懸命考えます。
……えーっと、ええーーっと。
揺ら揺らと。酷く気持ちよく揺られていた気がします。揺ら揺らと。揺ら揺らと。
思い出せません。
……せやけど。ホンマにここ、どこなん?
広い部屋です。天井が。前のおうちよりずっと高いです。木の匂いがします。それと。
……畳や!!
和葉は今、座布団の上に座っていたのですが。ちょっと先には大好きな畳の海が広がっています。
前のおうちではよく叱られました。
が。今は誰も居ません。
……畳や畳や!!
ぴょんと座布団から飛び降りると。畳で爪とぎをパリパリ。
と。
……赤いボール!!
ちょっと視線を上げると、赤いボールが転がっています。和葉は今度は、そちらに飛びつきました。
……ボール!!ボール!!
それは少し大きくて。和葉がしがみついてもまだまだ余ります。
そしてなんだか糸が巻いてあるので。爪が引っかかって面白いのです。
一般的にはボールではなく鞠と呼ばれるものなのですが。幼い和葉にはどっちだって同じことでした。
前脚でしがみついて、後脚でカシカシと。猫キック。鞠と一緒に和葉も転がります。
……めっちゃ楽しい〜〜〜〜〜〜〜〜!!
もう夢中です。ここがどこかなんてどうでもよくなりました。お母さんがいない事も。皆がいない事も。
……お母ちゃん?
不意に。足が止まります。
……お母ちゃん、どこや。
和葉は先日から離乳食を食べているので。もうお母さんのおっぱいは要りません。
でも。
……お母ちゃん、おらへん。
泣きたくなりました。
広い広い部屋に、和葉は一人ぼっちです。壁はどこもかしこも締め切られているようで、空気は和葉には届かない、遥か上空を流れています。光もそこからうっすら差すだけです。
……ここ。どこなん?
誰も居ません。和葉は一人ぼっちです。
広い部屋には、鞠と、座布団と。
……あ!!お水!!
お皿にお水が入っています。それを見つけて、それから喉が渇いていることに気付きました。夢中で水を飲みます。
和葉はまだ水を飲むのが下手なので。ちょっと溢しました。でも、誰も叱りません。
叱ってくれません。
……ここ、どこ?
また泣きたくなった時に。
遠くで。足音がしました。覚えのない足音です。木の廊下がキシキシと軋みます。聞いた事のない音です。覚えのない人の香りがします。近づいてきます。
……誰!?
ガラリ。壁が開きました。実際は壁ではなく襖なのですが。和葉にとっては同じようなもんです。
大きな影が。部屋の中に差し込みました。
「おお。起きたか、和葉ちゃん」
低い声が。自分の名前を呼びます。
和葉は精一杯首を伸ばして。その人の顔を見ようとしましたが、余りに大きくて顔が見えません。
でも覚えのない匂いです。知らない人です。
「静!!」
大きな声に。和葉はビクッと飛び跳ねました。
「和葉ちゃん、起きたで!!」
……怖いよう!!
あんまり低くて大きな声だったので。驚いた和葉は。
その足元をすり抜けると、一目散に駆け出しました。
「静!!和葉ちゃん、逃げてもうた!!」
「なにやってんの!!外に出たら大変やんか!!あんた、ちょう、先に雨戸全部閉めて!!」
大きな声が和葉の頭上を飛び交います。
なにを言っているのか良くわかりません。
……怖いよう!!怖いよう!!
和葉は必死に走り続けました。
***
ガラガラガラガラと。
雷みたいに大きな音がしたと思ったら。家の中は随分暗くなりました。
……なにがあったん?
大きな音から逃げている間に。お外が見えなくなってしまいました。
……アタシ、どないしたらええの?
危なくなったら高いところに行きなさいと。お母さんに教わりました。
でも和葉はまだ。あんまり高いところに登れません。
仕方がないので何かの隙間の狭いところでじっとしています。
……ここ、どこ?
実は洗面台と洗濯機の隙間だったのですが。和葉にはそんなことはわかりません。
尻尾がちょっと濡れて。なんだか湿った香りがして嫌でした。
……他んとこ、行こう。
迂闊に出るとまた大きな人間が居るに違いありません。そーっと、そーっと、和葉はそこから這い出ました。
なんだか広いおうちです。たくさんたくさん走ったのに、まだまだ広いのです。
「和葉ちゃん……わしの顔見て逃げた……」
声がします。和葉は吃驚して背中の毛を逆立たせて。慌てて傍にあった段差に飛び乗りました。
「そらそうや。そんなほっそい何考えてるかわからんような狐目、和葉ちゃん怖いに決まってるやん」
「やっぱそうなんや……」
「それにあんた、急に大声出したりして」
「せやかて、静も見たいやろ思たんや。和葉ちゃん」
「それで逃げられてたらあかんやろ!!ホンマにもう。しゃんとしぃ!!」
「和葉ちゃん……何処行ってもうたんやろ……」
「雨戸閉めるんは間にあったと思うし……多分、まだ家ん中やと思うんやけど……」
「せやな」
「大捕り物やったらアンタの専門分野やろ。ほら、しっかりしぃ!!」
なんだか。さっきの大きな人は酷くしょんぼりしているようでした。
……和葉が、逃げたから?
なんだか悪いことをした気がしてきて。和葉は胸が痛みます。
……悪い人、ちゃうかったんかも。
でもあの時は。吃驚してしまったのです。怖かったのです。
……出て行ったほうがええのんかな……。
でもまだ。ホントに怖い人じゃないのか。和葉は自信が持てません。
不意に気配が動いて。足音が二つ、近づいてきます。さっきの二人です。和葉は吃驚して飛び起きました。
……どないしよう!!
「うちはこっち見てくるから。あんたは、そっちから見といて」
「おう」
「猫は狭いとことか、高いとこ好きやから。まあ、和葉ちゃん子供やし、まだそぉんな高いとこは、行けへんと思うけど」
「わかった。任しとき」
「ええな。和葉ちゃん見つけても、大声出したらあかんよ」
足音が近づいてきます。
……どないしよう!!どないしよう!!
高いところに逃げろとお母さんは言っていました。和葉は今、ちょっと高いところに居ます。降りて逃げるか。もう一段上がるか。
……上がろう。
丁度自分でも何とか登れそうな段差があります。前脚を掛けると和葉は。懇親の力で段差を登り始めました。
小さなお尻を振り振り。前脚で一生懸命引っ張ります。後脚がかかりました。
ヨイショと登りきると、また同じくらいの段差。
……頑張ろう。
和葉はまた、次の段差に前脚を掛けました。
***
どれくらい時間が経ったか解りません。
遂に和葉の目の前から段差が消えました。
……ここ、どこ?
なんだかとても明るいです。窓があって、光がそこから一杯差し込んできます。
ちょっとジャンプしてみましたが。窓には全然届きませんでした。
途中から目的も忘れてただ必死に段差にチャレンジしてきたのですが。ここは一体何処なのでしょう。
……戻ろうかな。
振り返ると。
……見なかったことにしよう……。
なんだかここは明るくて。とても気持ちが良いので。戻らなくてもよいことにしました。
和葉はホテホテと歩き始めました。
段差を登るのは案外に大変で。和葉はすっかり疲れてしまっていました。どこか暖かいところで眠りたくて仕方ありません。
……さっきの座布団。気持ちよかったなあ……。
ホテホテ。ホテホテ。
和葉は歩き回ります。
ふと。
一つの部屋に、人の気配がします。
……また、怖い人やろか。
でも。人の気配は動きません。声もしません。物音もしません。
そーっとそーっと。和葉はそちらの部屋へ向かいました。
小さな部屋でした。
大きな窓から、光が一杯差し込んでいます。
ベッドの上に人が居ます。寝ているようです。規則正しい、寝息が聞こえます。
片方の足がベッドから落ちています。あまり寝相がよくないようです。
……あれ?
この匂いには。覚えがあります。
そーっとそーーーーっと。和葉は部屋に入って。もう一度匂いを嗅いでみました。
やっぱり覚えがあります。
……よい、しょ。
ずり落ちかけている足にしがみつき。パジャマのズボンに爪を掛けて。
最後の力を振り絞って登ろうとします。
が。
さっき段差を登るのに力を使い果たしていて。なかなか前脚に力が入りません。
……うーん。
必死になっていたらいつの間にか後脚まで空を切っていて。その爪が、足に当たりました。
僅かに。皮膚の裂ける感触。
「う……ん……」
不意に。足が動いて。和葉はパジャマの裾に立てた爪が取れないままに。
振り回されるようにベッドの上に。
……ニャーーーーーーーーーー!!ニャーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!
あまりのことに。声も出ません。
けれどベッドは酷くやわらかくて。ポフンと和葉は着地しました。
弾みで爪も取れました。
ベッドの上では。やっぱり人間が一人寝ています。
この匂いには覚えがあります。
クンクンクンクンと和葉は何度も確認します。やっぱり覚えがあります。何処で?それは思い出せません。
……あったかい……。
お日様が。ポカポカしています。寝ている人間も。なんだかヌクヌクしています。
すっかり疲れて。もう此処で眠ってしまいたいなと思った時に。
「和葉……」
ポツリと。声が漏れました。
この声には覚えがあります。眠い頭で和葉は一生懸命思い出そうとします。
だけどお日様がポカポカで。何も考えられません。
……どこで、聞いたんかなぁ……。
ウトウトと。ウトウトと。意識は遠のくばかり。
「お前の名前は、今日から和葉や!!」
……ああ……そうやった……。
和葉は。眠りの底に落ちていきました。
***
「まさか。こんなちっこいんに二階に登るなん、思てへんかったわ」
「やっぱり、平次が貰ってきた猫やもん。平次に懐いてんのや」
「ええなあ……平次。わしも和葉ちゃんと寝たいわ」
「あかんあかん。あんたはまず、和葉ちゃんに逃げられへんようになるんが先や」
「……」
ポカポカの日差しの中。ベッドの上の幼い平次の顔のすぐ隣。
小さな和葉が丸くなって。
二人仲良く、お昼寝中。
平和、ですが。パラレルです……すみません……パラレルです……。初めてやってしまったーー!!ドキドキです。
でもでも。様々なリクエストの中で一際光って見えてしまったんです「猫和葉」!!猫!!猫!!猫ですよぉ!!
……猫……仔猫、だったんですけど、わかりましたでしょうか……ゲフ切腹。
平和の割に平蔵さんと静華さんが出張っておりますが。平和です。ほのぼのと。ラブい感じで。
デカイ和葉はどうなってんねんとかそういう細かいことは気にしない方向で……。
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