……そんなことだろうと思ったわ。
台所から。また派手な音が響く。今度は鍋をひっくり返したのだろう。
……様子を見に行った方がいいかしら。
諦めてソファから立ち上がり掛けた時。
「もう少しじゃからな、哀君。その辺の雑誌でも、読んでいなさい」
「……ええ」
声を掛けられて。諦めてまた雑誌に目を通す。
宮野志保が阿笠邸に住むようになって。灰原哀を名乗るようになって。そろそろ一週間。
「今日は特別」と繰り返し毎日毎日外食だったので。
流石にそれは経済的に苦しいのではと思い。気を使わずに今日は何か作ってくれと言い出したのは、確かに自分だが。
「わ、わしの、手料理?」
「ええ……毎日外で食べるのは。経済的ではないと思うんです……私が来るまでは、自分で作っていたのでしょう?」
「も、勿論、そうじゃが」
「もしかして……料理、出来ないんですか?」
「そ、そんなことはないぞ!!この天才発明家が、料理の一つや二つ……」
「あの、無理なら、別に……」
「無理じゃない。無理じゃないぞ。そうじゃな。組織では、手料理なんて、食べたことがなかったじゃろうしなあ」
「そう……ですね。そんな、心の篭ったものは」
……バカみたい。
出来ないなら出来ないと。さっさと言えばいいのに。
別に恥ずかしいことでもなんでもないだろうに。
最後はなんだかしんみりと。
……どうでもいい。ことなのに。
確かに。組織で誰かの、心の篭った手料理なんて有り得なかった。
だけどそれを悲しいと思ったことはない。
最初から。期待なんてしていなかったから。
だから別に。
ここでだって同じだ。最初から。そんなものは期待していない。
雨の日に。家の前で着の身着のままで倒れていた自分を。組織から抜け出して来た自分を。保護してくれた。
組織からも狙われている。そして世間的には犯罪者になるに違いないのに。
拾ってくれただけでも御の字。
寧ろ。
明日にでも裏切られて。組織や警察に売られてもおかしくない状況なのだから。
……これ以上。何を望むっていうの?
期待なんてしちゃダメだ。
自分の居場所は。
暖かい。帰るべき場所は。
あの時奪われた。あの場所だけなのだから。
……お姉ちゃん……。
もう。死んでもいいと。そう思った自分が。
これ以上。何を望むと言うのだろう。
何を。望めると言うのだろう。
再び響いた台所からの音に。哀は深く溜息をついて。ソファから立ち上がる。
……いい加減に。すればいいのに。
バカな男だ。自分を拾ってくれた上に、戸籍情報を操作して。小学校の転入手続きを済ませたという。来週からは通えるように。
お人よしにも程がある。
それじゃ全くの犯罪者だ。
「あの」
台所まで来て声を掛ける。
焦げた匂いと、カレー粉の匂いが充満している。
床に散乱した野菜の数々。焦げ付いた鍋。計量カップ。ボウル。……ボウル?何に使ったのだろうか。
「おお、すまんな、哀君。お腹が空いたじゃろう」
「いいえ。そうじゃないんですけど。ホントに、無理しないでくれて構わないんです。何か、出前でも」
「や、もうすぐじゃぞ」
「明日から、私が何か作ります」
料理などやったことは無いが。
この男よりはマシだろう。
「そ、それは……実は……助かるんじゃがのう」
「だから、今日も……」
「今日は。今日は大丈夫じゃぞ。もうすぐじゃ」
「……」
「おお!!ご飯が炊けたぞ!!」
炊飯器が。カチッと音を立てた。
***
「……どうじゃ?」
「……」
情けない顔をして聞いてくる。
答えなど。聞くまでも無いだろう。
野菜は生煮え。ジャガイモも人参もまだ硬いのに、玉葱だけは原型を留めていない。肉は一応火が通っているが。
水が多すぎたのか。随分と緩い。
そしてご飯はべちゃべちゃ。
「美味しい……です」
「無理しなくていいんじゃぞ?」
「……嘘です」
ボソリと小さな声で。正直な感想。
「やっぱりのぉ」
目に見えて肩を落とす目の前の男が。なんだか酷く。可笑しくて。
「おお!!」
「え……?」
「笑ったな?」
「え……?私、が?」
「そうじゃ。今。笑ったな?」
「え、ええ」
思わず自分で。自分の頬を押さえて。
……確かに今。笑った。
あの日から。あの知らせを受けてから。二度と笑えないと思ったのに。
「いやぁ。哀君、全然笑わないからのう。心配しとったんじゃ」
「……」
「よかったよかった」
「すみません……」
「謝ることはないぞ。ところで、よかったついでに一つ聞きたいことがあるんじゃが」
「なんでしょう……?」
「出前は。蕎麦とピザ。どっちがいいかな?」
「……ピザで」
笑いながら電話を掛けに立ち上がるその背中を見送りながら。
……あ。私。今、また笑った。
なんだか酷く。不思議な気がした。
阿笠博士の喋り方は、いつもホントに迷います……難しい……どのタイミングで「じゃ」が入るの……?
おかしかったらスミマセン……色々研究(?)したんですけど……。
とりあえず自分としては、まだまだ他人行儀な哀ちゃんが書けたのが楽しかったですvv
つか、カウントダウンでカレーも碌に作れないことが判明した阿笠博士。日々の料理はやっぱり哀ちゃんですか??
「すっごい、家族愛ですよね!!」とリクを頂いたカプ(?)でした。
なんか、黒の組織との対決が終わっても、哀ちゃんは阿笠邸に、灰原哀のままいるってのも、いいな〜と思います。
原作ではどうなるのかなあ〜?
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