「お姉ちゃん、あのね」
「なあに?」
漸く切り出した宮野志保の言葉に。姉の明美はニッコリと笑顔を返す。
その笑顔に。志保はまた俯く。
それでも。明美は笑顔を崩さずに。黙って妹の言葉を待つ。
柔らかい。柔らかい。全て包み込んでしまうような笑顔。
「な、なんでもない」
「そうなの?変な志保」
「ゴメンナサイ……」
「謝ることなんてないわ。いいのよ。話したくないことは話さなくて」
チラリと。近くの席に視線を送る。
明美の視線の先には。
明らかに。人相の悪い男。
黒のロングコートに黒のズボン、黒の靴。そして黒の帽子。サングラス。
「お前らは常に監視されているんだぞ」というアピール。恐らく、盗聴器だって仕掛けられているのだろう。
そもそも。ここは組織の息の掛った建物の一階喫茶室。敵の庭もいいところだ。
それでも。
それが。今二人に許された。この世でたった二人の肉親が。
会うことのできる。唯一の場所。
組織の施設に隔離され。薬の研究を続ける妹と。
一般市民に紛れて普通の生活を送り。社会的地位を得て。いざという時の計画遂行員として働くことを命じられている姉。
両親を失って。他に縁故も知らず。寄る辺ない二人が。
顔を合わせて話すことのできる。唯一の空間。
「髪が、伸びたわね」
姉はそっと。妹の髪に手を伸ばす。
赤味掛った茶色。遠い記憶の中にある、母と同じ色の髪。
……志保は。本当に母さんに良く似ている。
「切りに。行く時間が、なかなか、なくて」
「忙しいのね」
「……うん」
「いっそ伸したら?」
「嫌。こんな髪、大嫌い」
「あら。どうして?綺麗な色じゃない」
「私は。お姉ちゃんみたいな黒髪がよかった」
「そうお?でも、黒髪なんていくらでもいるわよ?詰まらないじゃない」
「詰まらなくていいもの。皆と同じがいい」
志保の気持ちも分からなくはない。
パッと目につくこの髪のせいで。
明美と志保が姉妹に見られたためしはない。
尤も。残念ながら顔立ちも。それ程似て居る訳ではないのだが。
「……でも。大事になさい。折角、母さんと同じ色の髪なんだから」
「そう、だけど」
「私は大好きよ?志保の髪」
「私は……お姉ちゃんの髪の方が好き」
「そう?珍しくも無い普通の髪だけど……でもそうね。この前使い始めた新しいシャンプーは気に入ってるかな」
「イイ香り……」
「今度、志保にも送ってあげようか?」
「別に要らない」
「ホントにお勧めよ。使ってみたら?」
「だって別に。ずっとここに居るんだもの。髪なんて、なんでもいいわ」
「なんでもなんて言うもんじゃないわ。女の子なのに」
「……そうね」
「ね。送ってあげるから」
「ううん。名前だけ教えて。送られてくるものは、色々煩いから。こっちで買って貰う」
「そう?じゃあ、帰ったらメーカーとかメールするね」
「うん。同じシャンプー使ったら、髪が同じ香りになるね」
はにかんだ様に。志保が小さく笑う。
たったそれだけのことが。酷く幸せなことであるかのように。
「そうね。お揃いだね」
「……ふふ」
「時間だ」
柔らかな空気を。冷たく、低い。どこか無機質な声が一瞬にして凍てつかせる。
再び俯いた志保は。もう顔を上げることなく黙って席を立った。
「行け」
短い命令に。俯いたまま明美に手を伸ばして。長い黒髪に触れる。
「……またね。お姉ちゃん」
「うん。メールするからね」
「……うん」
「電話も」
「……うん」
「無理しちゃダメよ。次に会うまで、ちゃんとご飯も食べて。体壊しちゃダメよ」
「……うん」
男が立ち上がる。弾かれるように踵を返すと。
志保は男の方を見ずに。明美を振り返ることなく。喫茶室の奥に向かう。
大きく。明美は溜息をついた。
***
「まったく。理解に苦しむな」
男の声に。明美は振り返る。
黒尽くめの男。時には女のこともあった。組織の人間。
ここ数年。志保との面会の監視員は、必ずこの男だ。
長い金髪。端正な顔立ち。けれど冷たい瞳。
……ジン、だったかしら。
明美の勘が正しければ。組織の中でも随分重要な立場に居る人物の筈だ。
妹の志保との手紙も電話も面会も。全て組織の監視及び検閲下にあり、組織に関わることは基本的に知ることが出来なかったが。
それでも。言葉の端々や、態度や仕草。そういった細かいところにそれが読み取れる。
そして。
この男に。命令以外で声を掛けられたのなど。
初めてだった。
「なにが……でしょうか」
慎重に。言葉を選んで問い返す。
明美を見下ろすように男はジロリと視線だけをこちらに向けて。
「何故あの女が。お前に拘るかが、な」
「それは……たった一人の肉親ですから」
「肉親……ね」
薄く。男は笑ったようだった。
新しいタバコに火をつける。
「ヤツがここに来て何年になる?面会は三ヶ月に一回。電話は一ヶ月に一回。手紙は一応許されているが、そんなに頻繁にはやっちゃいねぇな。メールも」
「それが……なにか」
「あいつを未だに本名で呼ぶのはお前だけだ。組織では、あいつはコードネームで呼ばれる」
「知っているわ」
「あいつにとってこれまでの人生の殆どが組織の人間として過ごして来たものだ。それなのに、何故」
深く。煙を吐く。
「あいつは、お前に拘る」
「……たった一人の肉親ですから」
「血か?そんなものはなんの足しにもならない」
何故だろう。
男は酷く。苛ついているようだった。
「血の繋がりがなんだと言うんだ。お前が、ヤツに何をしてやれる?ここから助け出すことだってできやしない」
「……そうね」
「それなら。いっそここから出ることなんて諦めちまえば。いっそ幸せなんじゃねぇのか?」
「……」
「ヤツはこっから出れねぇんだ。外のことなんて、忘れさせた方が幸せだとは思わないのか?お姉さん」
最後の五文字を。殊更に強調して。ありったけの皮肉を込めて。
歪んだ笑みを浮かべて。男は明美に問いかける。
……何を。苛ついているのだろう。
「あの子がどこで何をしていようと。外に出られようと出られまいと。それでも、私があの子の姉であることには変わらない」
「……お前とヤツじゃ、生きる世界が違う。そうじゃねぇのか?」
「それ、は」
「なのになんで。お前もヤツも互いに拘る。こんな細い糸、切っちまった方が楽なんじゃねぇのか?」
「そんなことは、ありません」
「……わからねぇな」
「そうでしょうね」
何故だか。そう思った。
この男には肉親なんて無いのかもしれない。
「俺にはわからねぇ。謎だな」
「……」
「何がお前らをそこまで結びつける」
「たった一人の肉親ですから」
「血か。わかんねぇな……まったく、理解に苦しむ」
「貴方は」
言い差して。
「……なんでもないわ」
止めた。
何かを察したのかもしれない。
男は酷く鋭い視線で明美を睨みつけ。明美は。その殺気に、立っているのが精一杯だった。
「……もう行け」
「ええ」
立ち上がり。志保の消えた喫茶室の奥とは、反対の出入り口に向かって歩き出す。
自動ドアが開くと秋の風が髪を一気に跳ね上げた。
強風に思わず足を踏みしめる。
「 」
何か背中で声がした気がした。
が。
振り返った時には自動ドアは閉まり。ガラス越しに奥へと消える男の後姿が見えただけだった。
ジンシェリです!!そして宮野姉妹愛です!!明志です!!イェイ!!リクありがとうございましたぁ!!
うちは完全にジン→シェリーで、そんでもって明美←→志保なわけです。完全に断ち切って、シェリーとして生きるのも一つの道だったと思うのですが。
その道を選ばずに。宮野志保としての自分を捨てなかったから、明美さんを殺されて、組織を抜けて、そして灰原哀になったのではないかと。
そう思うのです。萌えなのです。ああ大好き明志!!でも切ないのです。志保が明美さんを選んだから、明美さんは殺されてしまったのですから。切ない。哀しい。
そんな哀ちゃんの救いに。蘭ちゃんと、そして阿笠博士がなってくれることを切に切に祈るのでありました。
哀ちゃんには絶対幸せになって欲しいです!!
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