春休み。桜はまだ咲き始め。
今年の桜は、随分遅い。
今日は部活。朝は平次と一緒だったが、帰りは別々。剣道部は試合が近いので、ミーティングがあるという。
それでも当たり前のように、和葉は服部家に寄る。
今日は静華が。桜のちらし寿司を作ってくれるというので。
……あれ。
服部家の少し手前。小さな二階建てのアパートの前に、トラック。
……そういえば。引っ越すって言ってたもんなあ。
そういう情報は。町内会の会報で回ってくる。それでも最近は、個人情報がどうのとうるさくなったので。さすがに転居先までは、載らない。
トラックを避けて道の端に寄ると。
その向こうに。馴染みの顔を発見。
「淳君」
気軽に声を掛けると。しゃがみ込んでいた小さな陰が弾かれたように立ち上がり。
和葉に向かって突進してくる。
「和葉姉ちゃん!!」
飛びつかれて。思わず一歩後退。
「淳君、引っ越し今日やってんね」
「せやねん。僕、もう和葉姉ちゃんに会われへんかと思てた!!」
「引っ越し先、どこやったっけ」
「東京」
「なあんや。東京やねんやん」
「なあんややないで!!僕、東京なん怖いとこ行きたない!!」
「東京は別に……そんな怖いとことちゃうよ?」
「せやけど、皆ニュースみたいに話すんやろ?」
「そらまあ、そうやけど」
「大阪弁なん話すと、いじめられるて聞いた!!」
「そんなことないよ」
淳は今年の春から小学校にあがる。
父親の転勤は半年前だったらしいが、幼稚園を途中で変わるのは寂しかろうと。母子は春まで残ったのだと聞いた。
「お姉ちゃん、東京にもお友達おるよ。東京遊びに行ってもそんなん言うていじめられたりしてへんよ?」
「ホンマに?」
「ホンマや。大阪弁、格好いいって言われるし」
「せやけどやっぱ嫌や!!」
「そんなん言わんと」
「和葉姉ちゃんと一緒におられへんの、僕嫌や!!」
「せやけど……」
「なあ、和葉姉ちゃんも一緒行こ。お友達おるんやったらええやん。なあ、一緒東京行こ!!」
「それは……無理やけど……大丈夫やって。淳君やったらすぐお友達できるから」
「ちゃうねん。あんな、僕、和葉姉ちゃんのこと、す……」
それまで和葉にしがみ付いていた両手を放して。ギュッと拳を握る。
僅かに逸らせた。それでも幼いなりに真剣な瞳に。
……あ。
「す、好きやから!!」
ちょっとだけ予感した。そして、的中。
……あっちゃー。
子供の言うことだ。真に受けるほどでもないのだが。それでもあまり得意な展開ではない。
どうせすぐに忘れてしまうだろうと思いながら。それでも心にも無い口約束が出来ないのは、融通の利かないその性格ゆえ。
「なあ、和葉姉ちゃんも一緒に東京行こう!!」
「あかんよ。アタシのおとうちゃん、お仕事こっちやもん。置いていかれへんわ」
「ほな、おっちゃんも東京来たらええねん」
「無理やねん。ごめんな」
「それやったら、今やのうてもええから。大きくなったら、和葉姉ちゃん迎えに来てもええ?」
「えっとー」
「それまで僕のこと待っとって。な?」
「それも……無理や」
「なんで!?……平次兄ちゃんが、おるから?」
「へ、平次のことなん、関係ないよ!!」
言ってから。少し後悔する。この際そう言うことにしておけばよかったのに。
つい。いつものクセで。嘘でも。言えなくて。
「ホンマに?お母ちゃんが言うてたんやけど。和葉姉ちゃんは平次兄ちゃんのお嫁さんになるから。淳のお嫁さんにはなってくれへんて」
「えーーっと……」
「なあ、違うん?平次兄ちゃんは関係ないん?」
「関係ない、けど」
嘘だ。ありありなのだ、が。
「けど……あかんわ。ゴメンな、淳君」
「和葉姉ちゃん……僕のこと嫌いなん?」
「嫌いやないけど……せやけどお嫁さんはあかんわ。ゴメンな」
少年の目に涙が浮かぶのを見て。心の中で深く溜息。
なんで。こんな時に。
嘘でもいいから。待ってると。
嘘でもいいから。平次がおるからダメだと。
上手く立ち回ることが出来ないのだろう。
……アタシって。ホンマ、アホやなあ……
「……ホンなら僕、和葉姉ちゃんのこと諦める」
「ゴメンな」
「ええもん。そんかし、繭ちゃんにお嫁さんになって貰うもん」
「……」
そうなのだ。この程度のものなのだ。
さらりと流してしまえばよかったのに。
「なあ。僕諦めるから、そんかしキスしてもええ?」
「はぁ!?」
「そしたら諦めるから」
「あ、あかんよ。そんなん!!」
「なんで?香奈ちゃんは、諦めるんやったらええて、言うたよ?」
「……」
最近の子供は。何処までませているのかと。
……ええっと、香奈ちゃんに振られてそんでアタシに告白して……繭ちゃんはこれからなんかな?それともキープ?
一瞬真面目に考えて。アホらしくなる。
相手は。まだまだ子供なのだ。
それは。わかってるのに。
「ゴメン……キスも……あかん……」
「そんなんアカンに決まってるやろ」
急に声が振って来て。
淳と二人、驚いて振り返る。
黒い学生服を着た。黒い幼馴染。
「あーかーん。淳、あかん、て兄ちゃんこの前言うたやろ。和葉は、俺のんやから」
「へ、平次!?」
「ええか?俺と和葉はなあ。こーんなちっこい頃から約束してんのやからな?お前なんまだおばさんのお腹ん中にもおらへんわ」
「うう……」
「こういうんはなあ。早いもん勝ちやねん。和葉は俺が先に貰たから。お前は諦めって」
「そう、やけど」
「こんなとこでグズグズしとったら、繭かて取られるぞ。お前、もう告ったんか?」
「まだ」
「あっほやなあ。男が失恋の一つや二つでウジウジするもんちゃうわ。こんなとこでキスがどーとか言う暇あったら、さっさと次や次ぃ!!」
「う、うん」
「繭やったら向こうの公園におったで?お前、今日引っ越しやろ。さっさと言って来い」
「うん!!ほなな、平次兄ちゃん!!和葉姉ちゃん!!」
平次の勢いに押されて。追い立てられるように。
少年は駆け出す。
「……よー言うわ」
「どっちがじゃ。お前なぁ、相手子供やぞ。もうちょい気のきぃたこと言えへんのか」
「アタシは。平次みたいに無責任なこと言われへんわ」
「だぁれが無責任じゃ。ホンならあれか?お前のこと諦めへんと、頑張れて後押ししてやったらよかったんか?」
「誰と誰が。約束してんねん」
「それはまあ。嘘も方便ちうやつやな」
「……」
分かってる。それくらい分かってる。
それでも。
そんな嘘すら口に出来ない自分と。簡単に口に出来てしまう平次。
「大体。あいつのキスなん、ほっぺにチュゥやで?なにびびってんねん」
「え、そうなん?」
「そうや。当たり前やろ。ホンマお前は、アホヤなあ」
「せ、せやけど……」
「相手子供やし」
「子供かて、それは、やっぱ嫌や……」
だって。
「……ファーストキスやのに」
小さく。ポツリと呟いて。ふと視線だけ上げると。
思いっきり呆れたような。バカにしたような。幼馴染の視線とぶつかる。
……ホンマ!!平次なん、デリカシーないんやから!!
この男に。自分の微妙な気持ちなんて。分かるわけが無いのだ。
「もうええ!!」
クルリと踵を返して。服部邸に向かって歩き出す。このまま平次と一緒に居るのは多少気まずかったが。かと言って桜のちらし寿司は捨てがたい。
「どーせアタシはアホです!!」
「アホっちうか……なあ」
2,3メートル後ろを。平次が同じ歩調でついてくる。
ポツリと。
「……初めてやと思てんのは、お前だけかもしれへんで?」
「え?」
桜の花びらを舞い上げた風が運んだ言葉は上手く聞き取れなくて。
その後何度聞いても平次は教えてくれなかった。
ラブい!!……ような気が書いた本人だけはしておりますが、どんなもんでしょうかね。
子供の頃の「好き!!」はまあ軽いんですけど。最近の子供の進んでること進んでること!!ほっぺにちゅーとか平気でしやがる!!……らしい。
会社の先輩が「うちの娘は、五人くらいに結婚OK出したらしいんだけど、俺はどうすればいいんだ。行く末が心配だ」と嘆いておられました。
ちなみにお嬢さんは幼稚園だから……4,5歳?でも結婚相手のうちの一人は幼稚園の先生(女性)だそうなので可愛らしいものです。
でもほっぺにちゅーは挨拶代わりだそうで、幼稚園の送り迎えの際に何度か目撃した先輩は、大変複雑な思いに駆られておりました。ご愁傷様vv
大阪に居る時。東京からの転校生を、友人が「ホンマにテレビのニュースみたいに喋るんやね」と言ってたのが今でも印象的です。
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