残暑の中、それでも少しだけ秋めいた風が。軒先の風鈴の短冊を撫ぜた。
服部家の居間にはクーラーがない。二階の平次の部屋にはある。が、一階にはない。
吹きっ晒しの日本家屋。庭に面した雨戸をあけて、簾を下ろして。
玄関だって開けっ放し。無用心極まりないけど、威圧感さえある大きな門の閂は確りと閉まっていて、早々不法侵入者もありえない。
台所から。切り分けた西瓜を盆に乗せて居間に戻ってきた和葉は、思わず足を止めた。
「……どないしたん?蘭ちゃん」
「えー?」
答える声は。どこか間延びして、それでいてどこか嬉しそうで。どこか楽しそうで。
「蘭ちゃんが大の字になるなん、思わんかったわ」
「えー、だって気持ちいいよー。畳って、ホントに気持ちいいねー」
大の字、と言うには控えめではあるが。それでも広い服部家の居間に仰向けに寝転がった蘭は、その細くすらりと伸びた手足を、軽く投げ出している。
また、ほんのりとした風が蘭の前髪を撫ぜた。
一緒に風鈴の短冊も揺らし、チリンと高く繊細な音が響き渡る。
「もう、夏もおわっちゃうねーー」
「蘭ちゃん、眠いん?」
「うん。ちょっとーーー」
「西瓜、食べない?」
「食べるーーーー」
クスリ、と和葉は笑う。この東京の親友は、余りこんな姿を晒すことがない。
多分。
母が不在の家庭で、一家の主婦として。学校では空手部の主将として。
そして、コナンに対しては母として姉として。
そんな責任感が、無意識のうちに蘭から、こんな瞬間を奪っているのかもしれない。
「ほんなら起きて。今切ってきたらから、冷たいうちに食べるんがええよ」
「うーん」
ゴロリと蘭は寝返りを打つ。膝丈のスカートが少しだけ捲くれて、細い太腿が僅かに覗く。
「らーーんちゃん」
「はあぁい」
叱られた子供みたいに。不承不承返事をして、もう一度ゴロリと寝返りを打つ。
「和葉ちゃーん」
「はいはい」
いつもと。まるで立場が逆だ。
差し出された手を引いて、和葉は蘭を起こす。手を引かれながらも自律的に起きてくれたので、その体は思いの外軽かった。
「そろそろ二人とも帰って来るよね」
「せやねぇ。連絡があったんが……12時過ぎやったから……もうちょい、かな」
「飛行機の時間に間に合うかなあ」
「間に合うやろ。コナン君、平次と違てそういうんしっかりしてるから。……途中で別の事件に遭遇してるとわからへんけど」
「そーだねー」
「ホンマ、段々コナン君が平次に似てくるみたいで申し訳ないわ」
「でも、コナン君最初から事件大好きだったよ。なんか、新一にもよく遊んでもらってたみたいだし」
「うわ。そらあかんわ。……あ」
呼び鈴の音に。和葉はパタパタと玄関に向かう。
静華が朝から出掛けてしまい、主の平蔵は勿論仕事。一人息子も小さな客人を連れて事件に飛び出した今。
服部家の一切は和葉が仕切っている。
フワリと、蘭は笑う。
昼前には、新聞の集金が来た。予めお金を預かっていたらしく、和葉は違和感なくそれをこなした。
その後には、宅急便が届いた。躊躇なくどこからか服部家の判子を取り出して、和葉はやっぱり違和感なくそれをこなした。
本当に、なんだか家族の一員だ。
玄関越しに聞きなれた少年の声。それに応える和葉の声。
蘭は無意識の内に姿勢を正して。少し乱れた髪を軽く手で整えた。
「ただいまーー!!蘭ねぇちゃん!!」
「お帰り、コナン君。危ないから廊下走っちゃだめだってば」
「はーーい。あ、西瓜だ!!食べていいの?」
「うん。多分。和葉ちゃんに聞いてみて?……そうだ、ねえ、服部君は?」
「置いてきた」
「え?」
驚いて目を見開く蘭に。コナンはあどけない笑顔で振り返って見せて。
「途中でね。なんか、町内会の納涼祭りの手伝いにって引っ張ってかれちゃったから、置いてきたの」
「コナン君、一人で帰ってきちゃったの?」
「うん。だって、飛行機の時間に遅れたら困るでしょ?」
「そう、だけど」
事件の時にはどこにだって付いて行くのに。それ以外のことになると案外どうでもいいらしい。
「今日は倉庫からお神輿出す日やから。それに呼ばれたんとちゃうかな」
「そうなんだ」
「あ、せや。蘭ちゃん、冷し飴飲む?」
「冷し飴?」
「せや。よかったらコナン君も……」
蘭の大きな瞳に浮かんだ疑問符に。和葉が小首を傾げる。
「冷し飴?」
「せや。冷し飴。知らん?」
「知らない……コナン君、知ってる?」
「僕も知らないや。水飴みたなの?」
「ちゃうちゃう。飴って言うか……ええと、飴湯の、冷たいの」
「飴湯?」
「東京では飲まへんのかなあ……ちょっと、飲んでみる?」
「うん」
差し出されたグラスには。薄い飴色の液体。氷の浮かんだそれは、炭酸の入っていないジンジャーエールの趣。
二人同時にグラスに手を伸ばして。同時に口を付けて。
同時にちょっと眉を潜めた。
「どないしたん?濃すぎたかな」
「ううん……違うの。初めて飲んだから……なんだろう。なか、不思議な味」
「え、そうかな」
「うん。でも美味しいよ。ね、蘭姉ちゃん」
「うん」
「ほんなら、ええんやけど」
小さく笑って。
それでも。
もう一度グラスに手を伸ばそうとしない二人に。
ごめんな。
そう、声を掛けようと口を開きかけたとの時。
「あーもー、めっちゃ暑いわぁ!!」
よく通る聞きなれた声が。まるで広い服部家の空間で木霊するように。
「うひゃー。こう暑いと、ほんまかなわんで。お、なんやコナン君。ええモン飲んでるやん」
「お、お帰り。平次にいちゃん」
「和葉ぁ。俺にも冷し飴くれ」
「僕のあげるよ」
「はあ?なんや気色わるいのう。なんか入ってるんとちゃうか?」
「そ、そんなことないよ。あはは」
「せやけど工藤が俺になんかくれるなん、絶対裏ありそうやしなあ」
「わーーー!!わーーーーー!!」
「工藤?」
「あ、いや、ボウズも工藤も、結構食い意地はっとってやな。俺に食いモン分けてくれへんかったなーーーーて」
「そうねえ。新一、結構そういうところ子供っぽいし」
「やろ?ほな、折角コナン君がくれる言うねんから、もろとこか。冷し飴」
「はい」
差し出されたそれを。
立ったまま平次は一気飲み。
「ぷはー!!やっぱ暑い日には冷し飴に限んで、やっぱ」
「私のも飲む?服部君」
「お、ええんか?ねえちゃん」
「うん。西瓜で結構、おなか冷えちゃったし。ね、コナン君」
「うん」
受け取ったグラスを。遠慮なく平次はまた一気飲み。
……いつも、こんな飲みっぷりだったろうか。どうだったろうか。
気にしたことも無いので、覚えても居ない。けど。
なんだかそんな幼馴染が嬉しく。
つい、口元が緩んだ。
「なんや、和葉。ヘラヘラして。俺の冷し飴早よせぇ」
「え、まだ飲むん?」
「俺にもくれ、言うたやろ」
「そんな一度に冷たいもん取って。お腹壊しても知らへんよ」
「アホ。水分補給したらまたでかけるんやからな。工藤、ねえちゃん、そろそろ時間やで。空港まで付いてったるから早よ支度せぇ」
「工藤……?」
「あ、いや、ほら、和葉も見送り行くんやろ。俺の冷し飴作ったら、準備な」
「はいはい」
渡されたグラスを。平次はやっぱり一気に飲み干す。
そんな様子を口をポカンと開けて見送ったコナンと蘭が、顔を見合わせて少し笑う。
立ち上がりながら和葉と視線が合うと、蘭はふんわりと、少し申し訳なさそうに笑った。
「蘭ちゃん、早くせぇへんと、ホンマに飛行機間に合わへんよ」
「あ、うん」
「空港で園子ちゃんにお土産買うんやろ?」
「うん。園子がね、関空限定なんだから、忘れないでよって、さっきも念押しのメールが来たんだから」
「あのねえちゃんやったら、買い物しに関空くらいまで来れるやろ」
「うーん。それはそうだけど。まあ、それが園子だから」
「ま、なんでもええわ」
「そうそう、蘭ちゃん。急いで急いで」
「あ、うん。ほら、コナン君、行こう」
パタパタと。客間を出て行く、姉弟のような親子のような後姿に。
二人は顔を見合わせて、そして同時に笑った。
***
「今日、ちょっと哀しいことあってん」
「はあ?」
空港で、二人を見送って。帰り道。
「なんや。ねえちゃん達帰ってもうたからか?」
「それも、あるけど」
味覚なんて。個人差なのだから仕方ない。
蘭もコナンも、気を使ってくれていたし、正直な感想は嫌味がなくて、決して不快ではなかったけど。
自分だって、蘭の料理は少し味付けが濃いと思ってしまうし。
「すっごい、美味しいねんけどな」
「はああ?なんの話や」
それでも。やっぱりちょっとだけ、残念で。
だから。
「ありがとな、平次」
「はあ?何がや」
「ええねん。アタシが嬉しかってんもん」
「なんやっちうねん」
「ええやん。人が折角お礼言うてんねんから、素直に受けといたらええやんか」
「せやかて、わけもわからず礼言われても気色悪いわ。お前、あれか?なんか奢らす気ぃとちゃうやろな」
「アホ!!んなわけないやん!!」
だから。ちょっとだけ。
嬉しかったのだ。
ああもう。相変わらずだからどーしたみたいな夏の服部家の一日。です。
いえね。冷し飴って関東圏じゃなかなかお目にかからないんですよ。せいぜい某お好み焼き屋くらい?
でも大阪の夏には欠かせないと思うのは私だけですかー?だけですかー?あんまし一気飲みはしませんがー(笑)
蘭ちゃんとコナン君の舌には馴染まなかったみたいですけど。でも関東人の某H様の御口には合ったみたいで感無量〜vv。
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