「おはよー、和葉」
「おはよー」
今日は日直で。和葉は他の生徒より一足早く登校した。
テスト前のこの時期、平次の朝錬がないのでホントなら一緒に登校するチャンスなのだが。
気が向くとそれでも一緒に早目に登校してくれる幼馴染は、昨夜は事件の捜査でお疲れで。残念ながら今朝は気が向いてくれなかったらしい。
さっさと日直の仕事を終わらせて。クラスメイトが登校してくるまでボンヤリ空を見上げていた。
梅雨の空は重くて。
今にも雨が降りそうに、どんよりと。
空気は酷く湿気を孕んで、漸く合服で半袖になったばかりの腕に纏わりつく。
「日直お疲れさん」
「んー、でも今日はあんま仕事なかったし」
「おはよー、和葉」
「あ、おはよー」
「おはよー」
「おっはよ!!なあに?皆して窓んとこで何してんの?」
「ん、別に?和葉がおったから」
次々と仲のいいクラスメイトがやって来て。気付くと窓辺の和葉の周りに4、5人固まる形になっていた。
「そんで?和葉は窓辺で何してたん」
「え、別に。雲、雨降りそうやな……って」
「まったまたぁ」
「え?」
「服部君来るん、待ってたんとちゃうの?」
「あ、そうやったんか」
「どーりで」
「ちゃ、ちゃうもん」
「ホンマに?」
「ほ、ホンマや」
「ホンマのホンマに?天地神明、神様仏様えべっさんに誓えるん?」
「なんやのそれ。誓えるもん」
「ほな、服部君にも誓えるん?」
「なんやのそれ!!」
きゃっと歓声が沸く。
「なんやー、そうやったんや」
「さてさてー。和葉の愛しい愛しい王子様はどこやろなー」
「えー!!王子様て、服部君?あかんやろ、それ」
「どっちかっていうとボディーガード?」
「それを言うなら用心棒!!」
「百歩譲ってもお殿様?剣道部やもん」
「お殿様の放蕩息子って所とちゃうの?」
「あ、似合う似合う!!」
「もー、なんの話やの!!」
「あかんよ、和葉。ちゃんと見とかんと、見逃してまうよ」
「せやから、別に平次なん探してないて!!」
「あ。待ってたんやのうて、探してたんや」
「揚げ足取るな!!」
「ま、そういうことにしといたろ。あ、降ってきた」
1人の声に。他の皆も空を仰ぐ。和葉も垂れ込めた雲を見上げた。
「ホンマや」
「うわ。どんどん強なんで」
「うわー。降って来た。よかったなあ、うちら降る前にガッコ来といて」
「ホンマや。これで帰る時に止んでてくれると助かんねんけどな」
「せやけど、本降りやね、これ。ほら、皆ドンドン傘差して。上から見てると花咲いてるみたいや」
「うわ!!木綿子が詩人や!!どないしたん!?」
「な!!失礼やねえ!!」
「あんたがそんなん言うから雨なん降るんや!!」
「あたしのせいなん!?」
校門から昇降口に向かう生徒たちは。突然の雨に傘を差したり走ったり。人それぞれだ。
「せやけど、ホンマに降ってきたわ」
「嫌やなあ。あたし、雨はホンマ嫌いやねん」
「あたしも。制服、どーしたって濡れるやん?いややねん、乾いても水の臭いするし」
「そうそう。靴も濡れるし」
「学校指定って、ホンマしんどいわ」
「せやけど、うちなんてまだええで。アタシの友達のガッコ、傘まで学校指定やねんて!!」
「なにそれ!!その傘って、折りたたみなん?」
「ううん。おっきいの。しかも、骨がよう折れる、言うて怒ってた」
「そら怒るわ。暴利やなあ。ビニ傘とかあかんのかな。夕立とか、どうするんやろ」
「それ考えたら改方はまだましってこと?」
「そうやけど」
「せやけどなー」
空を仰ぐ一人に釣られる様に、皆次々とまた空を仰ぐ。
「やっぱ、嫌やね、雨」
「ほーんま」
「テスト前ってのも、あかんと思う」
「せやせや。なんかこう、ぱーっといかれへんやん?」
「はあ」
「はああ」
気付くと教室には既に半数以上のクラスメイトが到着している。皆制服についた水滴を払いながら何か話しているが、あまり明るい雰囲気はない。
梅雨。
テスト前。
じめじめした空気。
浮かないクラスメイト。
「なんかないん?明るい話題」
「明るい話題?」
「そうそう。浮いた話題」
「浮いた話といえば、7組の戸尾野が、3組の譲原君と付き合い始めたって」
「へー」
「それがな。雨が縁結びの神様やねんて」
「へー」
「雨が」
「なんやのそれ?」
「雨でもええことあるんやん?聞かせてぇな」
「相合傘や」
「相合傘?」
「そ。雨急に降ってきた日に、戸尾野が傘忘れて。譲原君が入れてあげて、そんでふぉーりんらぶ」
「へーーー」
「そんな単純なもんなん?」
「ま、きっかけなん、そんなもんやろ。相合傘。ええんとちゃう?」
「せやなー。あの二人、両方とも大人しいからなあ。下手したら、三年間一度も口利かんと終わってたんとちゃう?」
「ホンマ。ああ、でもええなあ。雨の中の恋。そうやって考えると、雨も結構ロマンチックやね」
「……ホンマ、どうしたん?木綿子。熱あるんとちゃう?」
「ないわ!!アホ!!」
また、歓声が沸いて華やいだ雰囲気。恋の話は、いつだって乙女たちを高揚させる。
が。
一人和葉は小さくため息。
「どないしたん?和葉」
「ううん。ちょっと、眠くて」
笑顔を作ると友人は小首を傾げて。しかしすぐに話の輪に戻る。
思い悩んでも仕方がない。自分もすぐにその輪に戻ろうとしたその視界の端に。
……あ、平次。
何故だろう。こんな幾つもの傘畑の中で。幼馴染が判別出来てしまうのは。
どこにでもある、ごく普通の男物の黒い傘。持ち手のところに和葉がつけた目印があるから漸く間違えずに済んでるくらいのものだというのに。
多分、あれが、絶対、平次だ。
傘の大軍の中。珍しく一人で。ああ、多分、ズボンのポケットに片手を突っ込んで。少し反り気味なくらいに背筋を伸ばして。
眉間に皺を寄せて。難しい事件のことを考えながら歩いているんだろう。
再び視線を外そうとした。
その時。
ウサギ、かと思った。
軽やかに駆けてきた何かが。平次だと思ったその傘の下に滑り込む。
……平次?
思わず身を乗り出して。目を凝らしても、ウサギは傘の下から出てこない。
「和葉、どないしたん?」
声をかけられて。
「……ううん、なんもない」
小さく応えて、友人の輪の中に笑顔を作って入った。
***
明日から試験。今日は授業は午前中だけ。
皆の願い空しく、降り止まない雨。
昇降口は傘を差すというその一手間のせいで、いつもより少しごった返していた。
「雨、止まへんかったね」
「お、おう」
試験前だというのに。今日は一日体育だなんだと慌しく。なんだかんだで、きちんと口を利くのは此れが初めて。
少し驚いたように、幼馴染は下駄箱から靴を出しつつ、それでもすぐに笑顔を作った。
「なんや、和葉。景気悪い顔して」
「雨やもん」
「雨なん関係あるか。ほれ、笑わんと不細工になんで」
「元々やもん」
「なんや機嫌悪いなあ」
「別に」
「どないしてん」
「傘」
抱えるように持っていた鞄を、ぎゅっと抱きしめる。
「傘、忘れてん」
「アホやなあ」
即答されて。更に鞄を抱きしめる。
鞄の中には、折り畳み傘。
「朝から雨、降ってたやん」
「アタシが来た時には降ってへんかったもん」
「せやけど朝から雨雨言うてたやん」
「持って来てると思てたけど、持ってへんかった」
「アホやなあ」
「アホアホ言うな。アホ。せやから」
一つ息を吸って。
「傘、入れてくれへん?」
いつだろう。この幼馴染と最後に相合傘などしたのは。
多分、もう何年も前。まだホンの子供の頃。
「しゃあないやっちゃなあ。心配せんでも、和葉の傘くらいあるし」
得意気に笑って。平次は自分の鞄を探る。出てきたのは紺色の、小振りの折り畳み傘。
「これ貸したるから。そんでええやろ」
「……」
「ほな、帰るか」
「……おおきに」
いつからだろう。幼馴染はこうやって。傘を必ず二本持ち歩く。曰く「和葉用」。
大概が大雑把なくせに。変なところは妙に律儀で。
ありがたいのかなんなのか。お陰で二人で相合傘など、望むべくもない。
「二人で一個の傘って、結局二人とも濡れて、意味ないやん」
と言うのが、幼馴染の弁。道理は通ってる。理屈は通ってる。仰ること、御尤も。
だけど。
「朝、は?」
「朝?」
「朝は、なにしてたんかなー?この傘は」
あ。
今自分。きっと、すごく、可愛くない。
慌てて視線を逸らせて。
「ごめん、なんもない」
「マネージャーの、都竹」
「え?」
「大した距離ちゃうかったからな。折り畳み、使うと後が面倒やし。今度の練習試合のオーダの話もあったしな」
ウサギの正体判明。
「それに、あいつが半分濡れて風邪引ぃても俺には関係ないしな」
「え」
「なんもないわ。行くで」
「服部ーーーーーーーーーーーーーーー!!」
踵を返すその後姿に。和葉が声を掛けるより先に声が飛んだ。
「なんや津守か」
「ちょーーーーどええとこで会うたわ。俺、今日傘持ってきてへんねん」
「アホがここにもおったか」
「ここにもって……なんや、遠山」
昇降口の人ごみを掻き分けて、駆け寄ってきたのはクラスメイト兼剣道部の同輩。
平次よりも頭一つくらい背の高い津守は、漸く和葉が視界に入ったと言わんばかりに視線を下げる。
「なんや。遠山も傘忘れたんか。そら、お邪魔様やったなあ」
「何が邪魔やねん」
「そ、そうや。アタシ、別に」
「せやかて今から二人でラブラブ相合傘なんやろ?」
当たり前のことのように。さらりと言い放つ。
「アホ!!んなわけないやん!!」
「せやせや。心配せんでも傘は二本あんのや」
「なんや。おもろないのう」
「せやから、こいつはお前に貸したろ」
「へ?」
さりげなく渡された折り畳み傘に。津守はポカンと平次を見下ろす。
「えーーーっと」
「それも、俺のんや。ちっこいからお前入りきらんかも知れんけど、ないよりええやろ。貸したる言うてるやろ。さっさとせぇ」
「お、おう」
突き出された折り畳み傘を受け取って。首を捻って指を折る。
「俺が傘忘れて、遠山も忘れて……そんで服部が二本持ってて、ほんで俺が一個借りて……」
「さっさと帰れ。ドアホ。試験明け稽古でしばくぞ」
「あーーーあーーーあーーー」
「何があーーやねん」
「はいはい。そういうことやねー。ホンなら、遠山、また明日な」
「う、うん」
「服部も頑張ってなーー」
「何がじゃ、ドアホ」
「試験勉強や、試験勉強。明日のReaderは村井の出題って噂やでー。ほななー」
「津守君、またな」
「おう!!」
雑踏に。クラスメイトの後姿が溶け切る頃。
「ほんで、アタシ、は?」
一応、恐る恐る確認。
幼馴染の視線はやや下向き。ガリガリと髪を掻いて。
「しゃあないやろ。特別やからな」
「うん」
「半分しか入れてやらんからな。半分、濡れんで」
「うん」
「制服も濡れるからな」
「うん」
「風邪引いても知らんぞ」
「うん」
「気色悪いやっちゃなあ。ニタニタ笑うな」
「ニタニタって何よ!!」
「ほな、ヘラヘラ」
「笑ってなんないもん。ほら、帰ろ。今やったらまだ快速に間に合うし」
「お、おう」
***
降り止まない雨。どんよりと低く暗い雲。
だけどこういうのなら。たまには、雨も楽しい。
傘を持つ幼馴染が、歩調を合わせてくれてるのがわかる。
普段は余りいい気のしないそれが、今はなんだか。ちょっとだけ、幸せ。
保険かなんかのCMを見て思ったこと。……その展開はありえないだろー(爆)
傘が二本あるかどうかも確認しないで一本借りていく上司なんてヤダ。
そんなこんなで過保護が過ぎてラブが足りませんうちの服部平次。本人良かれと思ってるんです許してください。
甲斐性ないくせに過保護なんです切腹。
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