激しい風が。窓をパシパシと叩いた。
正確には、風が、ではなくて。平次の部屋の窓際に立つ桜の木の枝。
昼間の晴天が嘘のように。さっきコンビニの往復がてらにした夜桜見物の時の僅かな心地よい微風が嘘のように。
ちょっと前から激しい風が吹き始め、服部家の庭の桜を激しく揺らせている。
「……はああ」
「なんやねん。景気悪い顔して。眉間に皺寄ってんで」
「せやけど」
「なんや。英語わからんのか?どこや。見してみ」
「ちゃうもん」
「ほんなら、なんやねん」
「風」
「風?」
「嫌な風やな、て思て」
視線を窓の外に移して、和葉はもう一度溜息をつく。
「桜。散ってまうやんな」
「せやなあ」
「あ〜〜あ」
「あ〜〜あ、てお前」
ガラリと音を立てて、平次は座卓に座り込む幼馴染を椅子ごと振り返った。
「何が不満やねん」
「桜。終わってまうやん?」
「お前、桜咲いてから何回花見してん」
「え……と。皆で京都行って……あと府警の人らと大阪城の桜見て……」
「友呂岐緑地に4回と、あと俺んちで3回。あと夜桜見る言うて買い物とか」
「それは、買い物のついでに桜見にちょっと遠回りしただけやん。友呂岐緑地かて、近所やし」
「ガッコの近くの公園とかガッコの桜とか。わざわざ中等部中庭まで行ったり。あれもこれも入れたら両手両足でも足りへんのとちゃうか?」
「そ、そうかな」
「そんだけして、何が不満やねん。それに、あれやろ?造幣局、今年も行くんやろ?おかんと」
「うん……」
「仁和寺の御室桜もこれからやし?まだまだ花見できるやん」
「せやけど。でもやっぱ寂しいやん」
「贅沢なやっちゃなあ」
背凭れに体重を預けて。平次は椅子を引くと行儀悪く両足を勉強机に乗せて組んだ。
「平次の部屋からは、もう見れなくなるし。桜」
「花見するんか宿題するんか、どっちかにしとけや」
「友呂岐緑地の桜も散ってまうから。そんなに気軽にはでけへんようになるし。……やっぱ寂しい」
「あっほやなあ。何遍言わすねん。ああいうんはなあ」
手持ち無沙汰の片手で弄んでいたシャープペンを放り出して。和葉は大きく伸びをしつつ、寝転んだ。
「わかってるて。散ってまうから、価値があるんやろ」
「せやせや。ずーっと咲いてたら」
「飽きるし、咲いてることにも気ぃつかへんようになる、言うんやろ」
「なんや。ちゃんと俺の言うこと聞いとんのやん。ほんで今更なんやねん」
「そんな理屈、わかったからって寂しいもんは寂しいの」
「なんや。ややこいなあ」
「散るから価値がある、言われても、散れ散れ〜〜なん、思えへんもん」
「ま、そらそうやけどなあ」
今度は和葉以上に眉間に皺を寄せて頭をがりがりとかく幼馴染に。和葉はゴロンと腹ばいになって、もう一度溜息。嫌な風に対してついてるのか。微妙な機微をわかろうとしない幼馴染についているのか。自分でももうわからない。
はあ。
その溜息が。窓を叩く枝の音に。木々の間を渡る風の音に吸い込まれる。
「桜が散んのやって綺麗やん。アタシ、桜吹雪大好きや〜〜〜言うてさっきまでご機嫌やったんは誰じゃ」
「……平次、作り声きしょい」
「アホ。お前が言うてたんやろ」
「桜、散ってんのは、好きや。けど」
パシパシと。パシパシと。枝が激しく窓を打つ。和葉の溜息なんて、まるで意に介さずに。
「やっぱ、嫌な風や」
「お前なあ。自然現象に文句つけてどないすんのや」
「せやかて!!こんなに強ぅ吹いたら、風情もなんもないやん!!」
「風情を云々する柄か。ボケ」
「なんやって!?平次に言われとうないわ!!夜桜行くたんびに死体とか事件の話するし!!」
「せやかて、絶対なんか埋まってんで。あれ」
「埋まってるか!!アホ!!そんなん言うたら大阪中死体だらけや!!」
「せやなあ。大阪城とか、あかんで、あれ。人柱とかやろか」
「そんなわけないやん!!平次のドアホ!!」
「誰がドアホじゃ。兎に角ええかげん諦め。この風や。明日には殆ど散ってるわ」
「嫌や〜〜〜」
「嫌や言うてどうにかなるか、ボケ。お前、今度溜息ついたら、部屋から叩き出すぞ」
「酷!!平次の人非人!!」
「うっさい。お前は黙って宿題でもしとけ」
「もう今日はええわ。やる気なくなった。明日する」
「なんや、勝手なヤツやなあ」
いつの間にか椅子に座り直して。すっかり宿題体制に入った平次はぱらぱらと辞書をめくる。
「ああもう!!ホンマ、嫌な風や!!」
クッションをぎゅっと抱えて膨れっ面。一杯に膨れたその頬をつついてみたくなるのは、何も自分だけではあるまい。
子供っぽい仕草をからかおうと平次が口を開いた瞬間。
バリバリバリバリ
空を裂く轟音が響き渡った。
「何!?雷!?」
「春雷、っちうやつやなあ」
ゴロゴロという前奏も、光にも気付かなかった。不意に裂かれた空に、和葉が恐る恐る窓際に近付く。
「まさか、桜の木ぃに落ちたりしてへんやろな……」
「さあ?どっか落ちたかもしれへんなあ?」
「ええーー」
不満を述べられても。風同様、雷だってどうにもならない。
「ホンマ、最悪!!」
八つ当たりで、和葉は平次の背にクッションを投げつける。
「いた。なにすんねん、お前……」
平次が振り返った瞬間、階下から静華の、和葉を呼ぶ声が響いた。
恐らく。不順な天候に、今日は和葉をうちに泊める気になったのだろう。
「はぁい」
弾かれたように和葉が立ち上がる。
「こら、まて、お前。何しくさんねん。逃げるんか、ボケ」
「何のことー?」
ポニーテールを揺らして部屋を飛び出す和葉に、平次は諦めたように小さく溜息。
外は、相変わらずの強風。そして時折遠くに春雷。
服部家の桜は。飽きず平次の部屋の窓を叩いていた。
パシパシ。パシパシ。パシパシパシパシ。
***
桜が好きなのは嘘じゃない。
今を盛りに、それなのにどこか儚げに咲き誇る、桜の花は自分だって大好きだ。
だけど。
桜は、平次も好きだから。
だから毎年。
少しでも。少しでも長く、一緒に見たいと思うから。
桜を見上げるその表情に、ドキドキするから。
事件を追う時とも、剣道の稽古をする時とも、学校でみんなとバカやってる時とも、家でゴロゴロしている時とも違う、その表情にドキドキするから。
だから。
……やっぱ嫌な風や。
階段を下りながら。和葉は心の中で一人ごちた。
***
「なあ、平次。何処行くん?」
問いかける背中は、さっきから何も答えない。
春雷去って、抜けるような青空。昨夜の強風さえなければ、どんなにお花見日和だったか知れない。
和葉は前を歩く幼馴染にも聞こえるくらい、大きく溜息をついた。
漸く、平次が足を止める。
「なんやねん、お前は。昨日からはぁはぁ言うて、景気悪いやっちゃなあ」
「せやから、なあ、平次。何処行くんよ」
「アホか。友呂岐緑地に桜見に行く、言うたやろ。最初に」
「そんなわけないやろ。なあ、ホンマは何処行くん?」
「なんでそんなわけないねん。そんなわけもどんなわけもあるかい。友呂岐緑地で桜見んのや。お前、桜見たい見たい言うてたやんか」
「そうやけど」
確かに、桜が見たいとは言ったが。友呂岐緑地の桜が散ってしまったことなど、確認しなくたってわかる。
何しろ、昨日風が吹く前から散り始めていたのだ。
自分にだってわかるそんなことが、平次にわからないわけがないのに。
事実。服部家の桜だって散り切っていた。
「行くんか行かへんのか、どっちやねん。置いてくで」
「行く、けど」
「けど、なんやねん」
「せやけど、桜、散ってもうたんとちゃうの?」
「ま、そうやろな」
「それやったら、わざわざ確認せんでも……」
「アホか。お前は」
コツンと。額を小突かれた。
「咲いてるだけが、桜やないやろ」
「へ?」
「こんなん、珍しいで。何年かに一回っちうくらい、見事なんちゃうか?今日は」
「見事って、何が?咲いてない桜って何?八重桜……は関係ないし……」
「お前が行かんのやったら、俺一人で行ってくるし。ほなな」
「あ、平次!!」
踵を返す幼馴染に慌てて付いて行く。
何が見事だと言うのだろうか。何が見れると言うのだろうか。
……なんで、そんなに満面の笑みなんだろうか。
ホントに。
この幼馴染の考えることはわからない。
歩速を上げる幼馴染に頑張って付いて行く。友呂岐緑地の桜が遠く視界に入ってくる。
案の定、その姿は昨日に比べて随分色濃いと言うのに。
幼馴染は、歩速を緩めない。
「……やっぱ、散ってもうたね」
和葉の呟きにも、平次は応えずに。近付くに連れ、どうしても満開の時に比べると貧相な姿を晒す桜を見上げることもなく。
「やっぱ。思った通りや」
そう言うと、得意そうに笑って和葉を振り返った。
友呂岐緑地は寝屋川沿いの小さな公園。
その水面に付かんばかりに張り出した桜の木は、どれも花弁がちらほらとしか残っていなくて。少し物悲しい風情だったけれど。
「う、わぁ………」
続く言葉は、でなかった。
川面を一面に埋め尽くした花弁が。まるで反物のように。花弁の柄、と言うよりは寧ろ、桜色の一枚の反物。
細い川を埋め尽くして、ゆっくりとゆっくりと流れに沿って。途切れることなく、どこまでも。どこまでも。
「これ……散った、桜」
「せやせや。毎年まあ、結構見れたもんやけどな。今年は一気に散ったから、結構凄いことなってるやろ」
「ホンマや……」
「散ってもうたんは残念やけど、そう言うてても拉致あかんし。これはこれで、ええもんやろ」
「うん。凄い。ホンマに、凄い」
初めて見た。
散った花弁が川面を飾るのは毎年のこと。それが、散り始めた友呂岐緑地での桜の楽しみ方の一つでもあったけど。
ここまで埋め尽くされてるのは。
初めて、見た。
「花筏、言うより花反物やな」
「花筏?」
「せや。散った桜の花弁が川面に浮かんでんのをそう言うんや」
「……平次、なんでそんなこと知ってんの?」
「なんでって。俺が知ってたらあかんのか?」
「あかんく、ないけど」
そんな風流なことを知ってる柄ではないくせに。
そう返そうと思って、辞めた。
今は。桜が綺麗だから。散ってしまったけど、だけどやっぱり桜が綺麗だから。
つまんない喧嘩をするより、この天からの贈り物を堪能したい。
だから。
「ホンマ、綺麗やね……」
隣の幼馴染が。
いい加減にせぇと不平を言い出すまで、飽きず川面を眺めていた。
いつの間にか。
昨日の夜の。小さなイライラが消えていることにも気付かずに。
***
桜が好きなのは嘘じゃない。
今を盛りに、それなのにどこか儚げに咲き誇る、桜の花は自分だって大好きだ。
だけど。
桜は、和葉も好きだから。
だから毎年。
少しでも。少しでも長く、一緒に見たいと思うから。
桜を見上げるその表情に、ホンの少し、ドキドキするから。
何がそんなに嬉しいのかと問いたくなるような笑顔で、舞い散る桜の下を歩く幼馴染が。小さくさくらの童謡を口ずさむ幼馴染が。あの日の思い出に被るから。
だけど。散ってしまったものは仕方がない。だから。
……ま、よかったことにしとこか。
放っておいたら川面に吸い込まれかねない幼馴染を隣で注意深く監視しつつ。平次は心の中で一人ごちた。
桜の花の見る影も無いこの時期になってこんなものUPしててすみません……。
そもそも友呂岐緑地を知らないと想像しずらい話でごめんなさい。
和葉が迷宮映画で平次を花見に誘った友呂岐緑地は、寝屋川沿いの、公園と言うより遊歩道と言った方がいいような
細長〜い公園です。所々に遊具があったり、一応公園なのですが。6割くらいは遊歩道かなあ。
そんでその桜がまた見事なのですよ!!綺麗なんですよ!!染井吉野が、河にこれでもかこれでもかと張り出していて!!絶品です!!
今年の4月中旬に大阪に行った際にはもう殆ど散ってましたが、寝屋川には花筏ができてて綺麗でした……ほえほえ。
新幹線の時間を気にしながら、花の盛りの過ぎた友呂岐緑地を、それでもほえほえしながら歩く私は、地元の方々から見たらどんなに不審だったでしょう(苦笑)
そんなわけで、書いては没にし続けてたネタが一年越しに漸く形になった感じですが。
……平次が別人ですか?そうかもしれません。
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