秋の風が、ひんやりと項を撫でた。
***
学校から服部家への道を。和葉はズカズカと歩いていた。セーラー服のカラーが秋風にひらひらと揺れる。
両肩から鞄を提げて。ずりおちそうになるのを何度も直して。
「全く。平次の奴、腹立つわ!!」
片方は和葉の荷物。片方は、平次の荷物だ。
学校の放課後。体育祭前で今は部活が休みだ。クラスメイトと準備に東奔西走。漸く終わって帰ろうと言う時。
……なんで、喧嘩したんやったっけ。
ふと足を止めて考える。なんでだったか。とにかく、そう、とにかく言い争いになったのだ。平次と。
クラスメイトも居ない二人だけの教室。平次の何気ない一言にカチンと来たのだ。
……なんやったっけ。
思い出せないが。とにかく。言い争いになった。相変わらず何が不満なのかと言いたげな幼馴染に更に腹が立って。更に言い募ろうとした時。
それはあっけなく教室に入って来たクラスメイトによって中断された。
「服部、早よ行かな売りきれるで……って、お、悪いな。お邪魔やったか、俺」
「アホ。んなわけあるかい。すぐ行くわ」
そのまま。
補助鞄を置いて教室を出ていこうとする幼馴染の後姿に声をかけた。
「平次!!鞄どないすんのよ!!」
「そこに置いとけ。取られてまずいもんなんないし」
「そういうわけにもいかんやろ!!宿題出てるやん」
「今日鞄重いんや。辞書は和葉に借りるし」
「これくらい持ち歩け!!男やろ!!」
「うっさいわ!!とにかく放っとけ!!」
「アタシが持って帰ってあげるて思たら、大間違いやで!!」
「アホ。んなもん二つ持つなんお前には重すぎじゃ」
更に、カチンと来た。
確かに平次の鞄は重い。ただでも下らない雑学の本やら事件のスクラップが入ってたりするのに、律儀に辞書も毎日持ち歩く。
小さい頃には自分と変わらないと思ってたこの幼馴染は幸か不幸かすくすくと育ち、こんな荷物も軽々と持つのだ。
わかってる。自分と平次が、もう同じでないことくらい。
それでもやっぱりむかついたので。結局二人分の鞄を持って学校を出たのだが。
平次の鞄の負担は距離に比例して増してくる。勿論途中で投げ出すわけにもいかないし、平次の言い分を認めるのも悔しい。
「もーー!!それもこれも全部平次が悪いんやん!!」
もう一つ悪態をつくとまた歩き出す。
いつの間にか日が落ちるのが早くなった。秋の夕日はつるべ落とし。随分ひんやりしている。
虫の声が、耳に涼しい。
歩きながら和葉はふと視線を落とす。
今、和葉は自宅ではなく服部家に向かっている。
平次の鞄を届けなければならないし。
それに、今日は静華に何度も念を押されたのだ。帰りに服部家に寄るようにと。
だけど。
喧嘩別れの今、平次とは顔が合わせずらい。
……せやけど、アタシが悪いんとちゃうもん。
多分。
なにしろ喧嘩の原因が思い出せないのだ。
それでも、平次の言葉にむかついたのだから平次が悪かったに決まっている。
立ち止まってもう一度肩の荷物を掛け直すと、和葉はまた大股気味に歩き出した。
そう。多分、平次が悪かったに決まってる。
両肩の鞄の紐をぎゅっと握り、俯き加減に和葉はずんずんと歩いていく。
全部。全部平次が悪いのだ。
自分が、こんなにイライラしているのも。
こんなに重い荷物を持って歩く羽目になったのも。
通い慣れた幼馴染の家に行くのに気が引けてしまうのも。
一体。何でこんなことになってしまったのだろう。
和葉は足を止めずに記憶を手繰る。
体育祭の準備。の間は何もなかったと思う。そもそも平次は他の男子と団体競技の話をしてた。和葉は女子と仮装行列の打ち合わせ。
平次と和葉の学校では、何故か体育祭で仮装行列をするのだ。
今年の仮装は何にしようかと。色々盛り上がって。
だけど、それは平次には関係ない。
そのうちに平次を含めた男子は、何の準備か教室から出て行ってしまい。
教室には女子だけが残された。
だから、その後の話も平次には関係ない。
男子連中が戻ってくる前に女子の話はお開きになって。
和葉も、取り立てて平次と約束していたわけではなかったのでクラスメイトと教室を後にした。
静華に呼ばれて服部家に寄ることは平次も知っているはずだったけど、別に一緒に帰る約束をしてたわけではない。
だから。別にそれが喧嘩の原因になるとも思えない。
下駄箱まで行く頃に、帰りにちょっと寄り道をしようと誘われた。が、それは断った。
断る時に、少しからかわれた。「服部君と、約束でもしてるん?」事実違ったので、きちんと否定した。「そんなんとちゃうよ」
それでも。やっぱりそれも平次とは関係ない。
昇降口を出るところで、忘れ物に気付いて。皆と別れて慌てて戻って。戻る廊下で帰り際のクラスの男子とすれ違って。
……平次は、その中には居なくて。
「遠山、どないしたん」
「ん。教室に忘れもん」
「あ、教室に服部がまだおったら言うといて。早よせな置いてくで〜って」
「平次、教室におるん?」
「なんや荷物が多い言うてたから置いてきた」
「わかった。おったら言うとく」
階段を上って廊下を曲がって。そこで走ってきた見知らぬ女子生徒とぶつかって。でも相手は謝罪の言葉もなくそのまま走り去った。多分、和葉の顔も見てなかったろう。セーラーカラーの色が一年生であることを物語っていた。
呆然とその後姿を見送って。それから首を捻りつつ教室に向かったら。
平次が一人で教室に居た。
無言で戸を開けた瞬間あんまり鋭く振り返るものだから。怒ったような瞳に思わずたじろいだ。
「なんや。和葉か」
「なんやってなによ。なにしてんの一人で」
「お前こそ何しに来たんや」
「アタシは忘れもん。智恵に借りた漫画忘れてん」
「お前、漫画ばっか読んでると脳みそ溶けんで」
「なによー。平次かて漫画くらい読むやん。それにこれ、歴史を題材にしたやつやから、勉強にもなるし」
「アホ。そういう問題ちゃう」
「そんならどんな問題なんよ!!」
「そんな絵空事ばっか読んどったら、現実が見えへんようになるって言うてんのや」
「はあ?何それ。言うとくけどアタシはちゃぁんと現実見てるもん。アタシの夢なん誰かさんが片っ端から打ち砕いてくやん」
「女は夢ばっか見てかなわんわ」
「なによそれ!!大体、平次にやって夢あるやん」
「俺はちゃんと夢に向かって努力しとるんじゃ。なんもせぇへんと夢ばっか見てるんとちゃう!!」
「アタシやって努力してるもん!!」
「お前のことなんいうてへん!!努力せぇへんアホが多くて困る言うたんじゃ!!」
「女が、言うたやん!!努力せぇへん男も居るし、努力する女も居るもん!!」
……ほら。
やっぱり平次が悪い。
勝手に言い掛かりをつけてきたのは、やっぱり平次だ。
そもそも最初から平次は機嫌が悪かった。和葉は何もしてないはずだ。そう。何も。
どう記憶を手繰ってもそれ以上のことは出てこない。
つまりやっぱり平次が悪いのだ。
自分がこんな、重い荷物を持って歩く羽目になったのも。こんなにイライラしてるのも。
***
全部、全部。全部、平次が………悪い。
……違う。ホントは。
廊下の向こうから走ってきた。俯いて走って来た。和葉とぶつかって、それでも顔も上げずに走っていった一年生。
廊下の先には教室が五つ。そのうちの一つに平次が一人で居た。他の教室なんて見てない。彼女が、平次の居た教室から出てきたかどうかなんてわからない。
わからない。わからない。わからない、けど。
いつからだろう。自分と変わらなかった幼馴染が、ドンドン自分と違ってしまって。
そして、それは。時に自分と幼馴染の間に明確な何かを要求してくる。
今のままでイイのに。未だこのままでイイのに。幼馴染のままでイイのに。それなのに。
何も。考えたくないのに。気にしたくないのに。
このままで、まだイイ、のに。
***
足が、止まった。
多分、自分は、何も悪くないのに。それなのに。
顔が上げられないのは何故だろう。
肩の荷物がどんどん重くなっていく。気がする。学校を出たときにはそれでももっと軽かったはずなのに。
どんどん。どんどん。重く。重く。肩に食い込む。
秋の風が、ひんやりと項を撫でた。
一つ吐いた溜息が。 涼やかな空気に沈んでいく。
そのまま、自分もずんずん沈んでいってしまう気がした。
瞬間。
景気よくポニーテールを引っ張られて、否応無く空を仰いだ。
「……月や」
日はとっくに暮れて。群青色の空にぽっかりと満月。
「……月や」
「他、何に見えんねん」
「……月やね」
「折角の満月やのに。何下向いて歩いてんねん」
「……荷物が……重くて……」
「せやから俺の荷物なんええって言うたんに。アホやなあ、貸してみ」
折角持って来たと言うのに。どうしてアホなどと言われなければならないのか。
そう思うのに全てが満月に飲み込まれて。上手く言葉が出てこない。
言葉を探す間に、両肩の荷物を奪い取られた。
「あ、そっちアタシの」
「うち、寄るんやろ。持ってきてもろた駄賃や」
「ええよ、自分のくらい持つって」
「そんかし、お前こっち持て」
「え」
渡されたのは、和葉も好きな和菓子屋の箱。
「ひっくり返すなや」
「う、ん」
ああ、それで。この和菓子を買うつもりで。
荷物が増える予定があったから。平次は補助鞄を置きっ放しにしたのだろうか。
スタスタと歩き出すその背を、慌てて追いかける。
「平次、あの」
「なんや」
「……ありがと」
「なにがやねん。別にそれ、お前が一人で全部食うてええわけちゃうで。おかんが、買うて来いて言うから」
「うん。でも、ありがと」
「礼はおかんに言えや。せやけど、中のそれはお前にやるわ。鞄持ってもろた駄賃や」
「中?」
和菓子の袋をよく見ると、中にはヒラリと一枚映画の招待券。
「映画?どないしたん、急に」
「アホ。せやから荷物持ってもろた駄賃や言うてるやろ」
「せめてお礼とか言えへんのかアンタは!!」
「せやかて俺、白馬に乗った王子様ちゃうし」
「はああ?」
余りにも不釣合いなその台詞に、思わず声が大きくなる。
「誰もそんなこと言うてへんやん。大体、平次に白馬なん似合わへんわ。黒いし」
「肌の色は関係ないやろ」
「うん。それ以前に王子様ちゃうし。どう見ても侍。浪人」
「……ええなあ、お前は」
「なにがよ」
「なんでもないわ。ほな、次の日曜な」
「うん。ええけど、でも急にどないしたん?映画何観るの?平次、なんか観たいのあるの?」
「なんや知らんけど、無料券もろた」
「誰に」
「知らん」
「……ふうん」
手渡された映画の券は、およそ平次と似つかわしくないラブロマンス。
「平次」
「……なんや」
右肩に二人分の荷物を背負って。左手はズボンのポケットにつっこんだっまま。
ぶっきら棒に、幼馴染は振り返る。
「月、綺麗やね」
「中秋の明月ってやつやな」
「ああ、それで」
「おかんが団子待ってるわ。さっさと行くで」
「うん」
満月が。眩しいくらいに明るく。二人の後ろ姿を照らしていた。
ええとー。一応私的年齢設定は中二です。中二なんです。
色々無駄に苦労してしまいました。もう少し自分設定を固めておけばよかったです。反省。
補助鞄ってなんやねん、って思った方いますか?これって全国共通じゃないのかな?
私の通ってた中学では、メイン鞄ではあれこれ全部入らないからってんで補助鞄ってのがあったんです。
全部入らないんだったらメイン鞄(学校指定)を変えろよって気もしますが。校則には不思議が一杯。
とりあえず走り去った一年生のモデルは中二当時の友人だったり。彼女のドリームは凄かったです。それはもう凄かったです。
私もそれなりに夢見がちな思春期でしたが(笑)、そんなものは遥かに凌駕したドリームっぷりでした。一緒にいて飽きないキャラクタでした。
懐かしいなあ。元気かなあ。
←戻る