カラカラカラカラ。
軽い、無機質な音がする。
雑踏の中。
土曜の夕方、駅前の商店街は人だらけ。特に今はサマーセールが酣。買い物客がごった返している。
人、人、人、人。
タイムセールスを叫ぶ八百屋の店員。今日の特売品を進める魚屋のおっちゃん。ドラッグストアでは試供品を配っている。あらゆる音があらゆる声と混じって、入り乱れて、注意しないと聞き分けられない。
が、勿論注意してその中から特定の音を聞き分けようと意識すれば、それは決して難しくない。
だから。
と、服部平次は一人自分に言い訳をする。
その音が自分の耳に入ってくることも別に不思議でもなんでもないのだ。
夕食の買出しに出されたところで、幼馴染に出会った。友達と梅田で買い物をして来た帰り道だという。
その場で自宅に一報入れて、本日の服部家の夕食に和葉が加わることが即決された。
で。
二人で買い物。ついでに和葉がドラッグストアで大きな買い物をしたので。
手元に結構な、福引券がたまった。
「アタシ、ちょう回してくるわ」
「おう」
そう言って雑踏の中に飲み込まれた後姿を見送った。
自分は両手に買い物袋を下げて自動販売機の前で待機モード。荷物が多く、この雑踏を一緒に福引所まで戻る気がしない。
だから。
カラカラカラカラ。
雑踏の騒音の中からその音だけがはっきり聞き取れたのも、別に不思議なことではない。
***
「平次〜」
「おう」
その笑顔に面食らう。おかしい。自分が聞き逃したのだろうか?
「どないしてん。顔がだらしないで」
「だらしない言うなーー!!」
「ほなら締りがない」
「余計悪い!!」
「んー、せやったらみっともない」
「最低!!」
「……とにかく、どないしてん。なんか当たったんか?」
「えへへー」
おかしい。自分の聞き漏らしか?
「何当たってん。一等のDVDプレーヤーか?」
「そんなん平次んちにあるからいらんもん」
「俺んちにあればOKなんかい。ほな、二等のUSJ招待券か?」
「ぶ、ぶー」
「三等は……なんやったかなあ」
……おかしい。
福引所。さっき覗いた時には魚屋の隠居が座っていた。律儀な頑固オヤジ。話しかけ難い外見だが、実は陽気なじいさんだ。子供の頃からかなり世話になっている。
和葉とも当然顔見知りだし、随分と和葉を可愛がってる。だから、話し込みながら和葉が福引を回したことは容易に想像がつく。
……けれど。
話に夢中になって、忘れたのだろうか。あの頑固オヤジが?
魚屋現役のころは口と一緒に手も動いていた。魚を捌きながら魚に関する色んな四方山話を聞かせてくれた。
現役を引退したとは言え、たかだか和葉と話し込んだところで手がお留守になるとも思えない。
だとしたら、やっぱり自分の聞き漏らし。
「……なに当たってん」
「ええもん。ええもんや」
「ふうん」
特賞。は。
「まさか、お前」
「さあ、なんでしょーー!!」
「……ハワイ?」
「え、そんなんあったっけ」
違うらしい。
「特賞はハワイペア旅行券やで」
「嘘ーー!!そんなんあった?」
「あったあった。どこ見てんねん」
違うらしい。
確かに。特等から三等までを当てたのなら、あの律儀なおやっさんはカランカランと軽快にそのことを商店街中に知らせたことであろう。
そんな音は、しなかった。聞き漏らしたわけではないらしい。
しかし。
四等以下は大したものではなかった。気がする。少なくとも昨日自分が引いた時には別段心引かれるモノはなかったように思ったのだが。
「平次が喜ぶもんや」
「俺が?」
なんかあったろうか。
「もー、わからへんの?ホンマ、ようそんなんで高校生探偵なん言うてられるわ」
「うっさい。もうちょい待てや」
四等はお中元の残りと思しきカルピスのセット。五等は缶詰の詰め合わせ。六等は用意された日用品から好きなのを選べて、七等は数種類のお菓子から。八等は。
「……まさか」
「まさか?」
訝しがりながら両手を開いて、左手だけ親指と小指を折る。
「ピンポーン!!はい、平次の分」
「二個も八等当てたんかい」
「ううん。ほんまは1個はおまけ。魚屋のおっちゃんがな、末等のティッシュ五個と取り替えてくれたん」
八等は、缶ジュース。
これであの満面の笑顔なのだから安上がりなことこの上ない。
「そんな嬉かったんかい」
「せやかて、暑いし。平次もさっきから喉渇いた喉渇いた言うてたやん?」
「そら、まあなあ」
「それに」
プルトップの缶を開けて、一口。
「ずっと、お返ししたかったんやもん」
「あー」
両手の中の缶ジュースを見つめる顔が、ホントにホントに嬉しそうで。
その笑顔に思わずクラッと来たのを、平次は心の中でだけ暑さのせいだと言い訳した。
***
服部家、遠山家。両家で溜まった福引券を握りしめて商店街に走って行ったあれは、もう何年前のことだろう。
あの頃はまだ自分の自由になるお金は殆どなくて。缶ジュースは雲の上の存在だった。
あの日も随分と暑かった。
カラカラカラカラ。
末等のティッシュが殆ど。稀に七等のお菓子や六等の日用品を引くものの、不思議と和葉は八等が引けなくて。
最後の一つになった。
「絶対絶対、緑が出ますように」
「なんや、和葉。一等より八等がええんか?」
「せやかてアタシ、喉渇いたんやもん!!」
カラン。
残念ながら、玉は黄色だった。
「おー、和葉ちゃん、よかったなあ。五等やで!!」
「いややー!!アタシ缶詰よりジュースがええの!!」
「そら、まあ、和葉ちゃんがそう言うんやったらジュースと換えたってもええけどな」
「ホンマに!!??おっちゃん。お菓子でも缶詰でも何でも換えてええの。アタシジュースがええの」
「ほんなら、俺に任せとけ」
福引券を数えながら平次は根拠のない自信に満ちた台詞を吐く。
「俺がジュース引いたるわ」
「ホンマ!!??」
「任せとけ。俺が引いたらジュースなんあっちう間や」
「やったー!!」
カラカラカラカラ。
ポトリと落ちたその玉の色は、……緑だった。
「やったー!!平次!!」
「おー、平ちゃんエライなあ!!ホンマにジュースや」
「せやから任せとけ言うたやろ」
幸運に、幼い平次は胸を張る。
「ほんなら和葉ちゃん。ジュースはなにがええんや」
「アタシりんごのんがええな!!」
「ほい。ほな、りんごジュース」
冷たい氷水の中から小さな缶を出してやると首から下げてた手拭で軽く拭いて渡してやる。
「おおきに、おっちゃん」
「お礼はわしやのうて平ちゃんに言わんと」
「うん!!平次、ありがとう!!」
「アホか。たかがジュースやん。俺は一等の液晶TVか特等の北海道旅行を引くんや」
カラカラカラカラ。
最早平次の結果には興味がないのか、冷たいジュースを片手に和葉は福引所の周りをウロウロ。
「あら、和葉ちゃん。ジュース引いたん?」
「ううん。アタシやのうて平次が引いたん。もろたんよ」
「へえぇ。そらよかったなぁ。今日は暑いし。美味しいやろ」
「うん!!」
カラカラカラカラ。
カラカラカラカラ。カラカラカラカラ。
カラカラカラカラ。カラカラカラカラ。カラカラカラカラ。
…………。…………。……………。
「和葉、忘れてんで」
「あ、アタシのティッシュとお菓子。ごめん、平次、終わったん?」
「全部引いた。行くで」
足早に商店街を抜けようとすると慌ててついて来る。
「平次、どないしたん?」
「別に」
人生そんなに甘くはない。
母にも言われてはいたが。それでも特等か一等か。せめて二等か三等か。
お菓子と日用品とティッシュで一杯のビニール袋を片手に、やっぱりちょっと面白くなかった。
ジュースであれだけ喜んでくれたのだ。
「……平次、もうジュース引かんかったん?」
「ん?ああ。別にそんなんどうでもええ」
「……」
同じく引き当てた色々を詰めて貰った袋を片手に和葉は先を歩く平次の顔を覗き込む。
「なんやねん」
「平次、怒ってんの?」
「何でやねん。別に怒ってなんないわ」
「アタシが、ジュース飲んでもうたから?」
「アホか。あれは和葉にやったんやから、関係ない」
「……」
まさか。
もっとカッコいいところを見せたかったなんて口が裂けても言えず。
「なんやねん。もう、なんでもええやん。さっさと帰るで」
「ごめんな、平次」
「関係ない言うたやろ」
「今度は、アタシが平次にジュース引いたげるな」
***
「あー」
「あー?」
「あー」
「平次、忘れてたん?」
忘れてたもなにも。全く気にも留めていなかったというのに。
全く、この幼馴染は。
「もー、毎年挑戦しとったんに、全然引けへんねん。ジュース」
「……そういや去年も嬉々として引いとったなあ」
「今年こそ平次にお返ししよ、今年こそ、今年こそ、て、ずーっと思てたんよ」
「……アホか」
コンビニでジュース買って、はい、終わり、にしないところがこの幼馴染らしくて、なんとも微笑ましい。
「アホってなによ!!結構頑張ったんよ」
「へぇへぇ。ほな、ありがたく頂いとこか」
タブを引くとプシュッと小さな音がする。オレンジの香りが暑い日差しの中、妙に爽やかだった。
「んー、やっぱジュースは100%に限るなーー!!」
「ホンマ。りんごも美味しいー。平次、オレンジ一口ー」
「アホか。こんなもん一口で飲みきってもうたわ」
「早!!酷!!平次のいけず!!」
「なんでやねん!!俺にくれたんとちゃうんかったんか!!??」
「そうやけど!!一口で飲みきってまうってどういうことよ!!もっと味わって飲んでぇな!!」
「味わった味わった。さー、さっさと帰るで。鰹のタタキは鮮度が命やで」
寧ろ随分ぬくまってしまってる気もしたが。
雑踏をさっさとすり抜けると慌てて和葉がついてくる。
なんだかまだ不平を述べているようだったが、とりあえず、聞き流すことにした。
今日も暑い。もう夕刻だというのに日差しは一向に衰えず。燦燦と照りつける太陽にジワリと汗が滲む。
和葉に貰ったジュースは。
五臓六腑に染み渡った。
別に、和葉から貰ったからではない。暑かったからだ。そう。暑くて喉が渇いていたのだ。
それだけだ。そう。ただそれだけだ。
平次はまた一人で自分を納得させた。
元ネタがなんだったのかまたも非常に分かり易い夏の平和でした。チビ萌え!!何気ない日常萌え!!ビバ幼馴染!!
価値観は人それぞれですからー。何よりもジュースが飲みたかった和葉と何でもいいからいいものが当てたかった平次。
つか、
和葉にカッコいいトコ見せたかった平次。ブハ。
しかし和葉的にはジュースを引いてくれた段階でクリアされてたりする空回りっぷりが萌え!!
商店街の福引の景品がいかにも余りモノっぽかったのはうちの地元だけでしょうか……。
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