笹の葉サラサラ。サラサラ。サラサラ。
流れていくのは笹の葉か。それとも二人を隔てる河か。
サラサラと。サラサラと。
広くも深くもない河。水は澄んで穏やかだ。
サラサラと。サラサラと。
勇気を持って渡ってしまえば、渡れるかもしれない、小さな、河。
もしかしたら、一跨ぎ。
サラサラ。サラサラ。サラサラ。サラサラ。
***
よく晴れた初夏の空はどこまでもどこまでもどこまでも青く澄んで。
燦燦とと照る太陽は紫外線の大判振舞い。
「あっちぃー」
空を仰ぎ見た服部平次は眼を細めて手を翳す。
ジワリ、と汗が滲む。
「あれ、平次。どないしたん?稽古?」
軽やかな声に熱さが4割減。幼馴染の遠山和葉が縁側から顔を出す。
「今日もええ天気やなあ」
「よ過ぎや。梅雨はどこいってん」
「そう言えば、まだ梅雨明けしてへんのやもんね。台風なん来るからもう夏やて思ってた」
「ったく。水不足だけは勘弁やで」
「ホンマホンマ。よいしょっと」
新聞紙を広げて和葉が縁側に座る。日陰を確保すると座布団を寄せて座りこんだ。
ガサッと広げた新聞紙には枝豆の枝。
「なんや。おかんの手伝いか」
「うん。後で茹でてくれるって」
誰もいない庭で一人一礼すると、平次はスッと竹刀を構えた。
ピンと伸びた背筋。鋭い眼差し。
こんな時の平次はいつもの二割増くらいカッコよく見えてズルイ、と、和葉は思う。
大きく一つ息を整えて、平次は素振りを開始した。プチン、プチンと枝豆を枝からもぎつつ和葉はそれをぼんやり眺めた。
空はどこまでも青い。
今日も一日、天気がいいだろう。
が、悲しいかなどんなに天気がよくても、雲がなくても。寝屋川市の夜空に天の川は望めない。
でも。
「晴れてよかったぁ……」
答えのないのは百も承知。平次は、多分聞いてはいるだろうけれど答える余裕はないだろう。低く低く腹の底から響く声が単調に庭に染み渡る。
こんな時の声もいつもの二割増くらいカッコよくて、やっぱりズルイと、和葉は思うのだ。
今日は七夕。
織姫と彦星が出会える一年にたった一度の日。
雨が振ると天の川の水量が増加して二人は会う事ができないと聞いた子供の頃から、七夕に雨が振ると酷く悲しかった。
空のどこかで会う事の出来ない恋人達が涙を流しているかと思うと悲しかった。
父に、「雨降らさんとって」と駄々を捏ねた事は今でも話題にされる。
プチン、プチン。枝豆を毟りながらぼんやりと平次を眺める。
側にいる、幼馴染。二人の距離はありえないくらいに近い。
だけど。
それなのに時々平次を河の向こうに感じるのはどうしてだろう。
今だってほら。こんなに近くにいるのに。
平次には人を寄せ付けない空気がある。
竹刀が危険とかそういうレベルではなく。近寄れない。近付けない。入って行けない。
もどかしいような、それでいてどこか心地よい距離。
和葉には和葉の世界があって。平次といえども踏みこんで欲しくない世界があって。
同じように平次には平次の世界がある。だから、そこには踏みこんじゃいけない。
竹刀が空気を切る音がする。
和葉はそっと眼を閉じた。
ヒュン、ヒュンという鋭い音。枝豆をむしる手を止めて、大きく一つ深呼吸した。
空はどこまでも青く、炎天下。気温はドンドン上昇していると言うのに、竹刀の音だけが涼しげに空気を裂く。
それにしても。
一体何本振るつもりなのだろう。漸く一区切りついたのか一度竹刀を下ろし、深呼吸をするともう一度構えた。。
「平次ー」
「……あー」
「一体何本振るん?」
すっかり上がった息と掛け声の中から返事が返ってくる。
「……さん、ぜん」
「三千!?」
これは当分終わらないなと、和葉は枝豆毟りに集中した。
***
ピシッと空気の止まる気配に和葉は顔を上げた。平次の竹刀が正眼で止まっている。上下する肩。大きく息を吸うとゆっくりと深呼吸を開始する。
驚くほどに早く、その息は整った。
「お疲れ」
「おー」
竹刀を収めた平次が縁側に戻ってくる。竹刀を置くと徐に胴着の紐を解いた。
そのまま諸肌を脱ぐと庭の蛇口に直行。
「和葉」
「はいはい」
「いつものあれ、頼むわ」
「はぁい」
庭に下りて平次の隣に立つ。ホースを渡されると同時に平次が蛇口を捻った。
「ひゃっ」
水の圧力にホースの先をしっかりと持ちなおす。そのまま弧を描いた水飛沫が平次に降り注ぐように角度をつけた。
「うひゃーー!!気持ちええなぁ!!」
「はいはい」
降り注ぐ水飛沫が褐色の肌を濡して汗を洗い流す。黒髪があっという間に水気を含んで更に肌に張りつく。
弧を描いた水飛沫の下には虹。と、平次。
嬉しそうに笑いながら髪をかきあげる様子は、子供みたいだ。
「気持ちええなぁ。今日、天気よ過ぎや」
「ホンマ。風も殆どないし。でもええんちゃう?」
「なんでや」
「今日、七夕やもん。雨降ったらいややん?」
「あー。まあ、そうやな」
「なんよ、その気のない返事ー!!」
ホースを平次の顔に向けて、蛇口を更に捻る。相当な水圧が平次の顔面を襲った。
「うわ!!なにすんねん!!」
「ホンマに平次は!!ロマンのカケラもないんやから!!」
「アホ!!今の話のどこがロマンチックやねん!!」
「一年に一度遠くはなれた恋人同志が会える日やねんで!!ロマンチックやん!!」
「七夕伝説のどこがロマンチックやねん!!って、うわ!!やめんか!!」
蛇行した水の柱が平次を襲う。堪りかねた平次は片手で水を防ぎつつ素早くホースを奪い取った。
「あ、ひどぉ!!」
「どっちが酷いんや、ぼけ。袴までぐっしょりやんか、やらしいやっちゃなあ」
「誰がやらしいんよ!!大体平次がデリカシィ足りへんこと言うからやん!!」
「せやから」
蛇口を捻って水を止める。
「七夕伝説のどこがロマンチックやねん」
「一年に一度だけしか会われへんのやで?可哀想やてアタシは言ったん!!」
「どっこが可哀想やねん!!ああいうんを自業自得って言うんや!!」
「え」
大きな眼を見開いて。二三度瞬き。
「自業自得、て」
ああ。そうか。
「七夕伝説聞いた時、俺は正直ゾッとしたわ」
「……」
「ま、あれやな。人間、己の本分を忘れたらあかんってことや」
折角手に入れた大事な存在を。自分は手放す気なんてない。
だけどまだ、自信がないから。己を失ってしまう、そんな不安が拭えないから。
もっと自分がしっかりするまで。二人の間に未だ河は必要なのだ。
まだ、越えてはダメなのだ。
「アタシ、七夕の前半、すっかり忘れとった」
「ま、そんなんどおでもええわ。それより俺、腹減ったわ」
タイミングよく、居間から静華が顔を出す。
「和葉ちゃん、そうめん出来たから。お昼にしよ」
「お!!待っとったんやーー!!」
「あんたはまだあかんよ、平次」
「何でやねん!!」
「そぉんな汗臭い上にびしょびしょなんで食事につくなん、ええわけないやろ?さっさとシャワー、浴びて来ぃ」
「へーい」
袴を絞りつつ、諦めきった平次の返事。
不意の緩やかな風が、縁側の風鈴と和葉のポニーテールを撫ぜた。
***
笹の葉サラサラ。軒端に揺れる。
サラサラ。サラサラ。サラサラ。
その河を越える日は。まだもう少し先。
てゆーか!!枝豆はナニ!!??素振りは何処から!!??全然関連性がありませんが葵さん!!何故ーーーーーーーーー!!
おかしいです……最初はちゃんとネタが繋がってたはずなのですが……すみません。
つか、そもそも七夕にこんなロマンの欠片もないネタしか書けない私は平次並みにロマンと縁がありません。
いやだって……自業自得ですよね?(笑)
頑張って地に足つけて、それから河を越えてください服部平次!!でないと引き裂かれちゃいますよ!!(笑)。年に一度も会えなくなっちゃうかもよ!!
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