夕暮れ時。いつの間にか落ちるのが早くなった太陽に、和葉は知らず足を速める。
乾いた秋の風が、少し肌に冷たい。
どこからか聞こえる微かな声に和葉はふと足を止めた。
「だぁれかさんが、だぁれかさんが、だぁれかさんが見ぃつけたぁ〜」
あどけない、子供の声。
肩の荷物をもう一度肩にかけなおす。
今日は学校の友達たちと神戸へ出かけた。女の子ばかりはしゃぎ回った楽しい一時。もう何度も足を運んだ異人館街も気の合う仲間と行けばいつも楽しい。
今日は新しくできたお店もチェック。
「小さいあぁきぃ、小さい秋ぃ、小さい秋ぃ見ぃつけたぁ〜」
舌足らずな歌声が続く。微妙にリズムがずれているところが微笑ましい。
新しく見つけた小さなカフェは、まだ高校生の和葉達には少し敷居が高かったが。落ち着いた大人の雰囲気に比べて案外値段は手頃だった。
今度、蘭ちゃんが大阪に来たら、連れてったげよ。
子供の声につられてつい口ずさむ。
「目ぇ隠し鬼さん、手ぇの鳴る方へ」
しかし、意に反して聞こえてきた子供の声は。
「だぁれかさんが、だぁれかさんが、だぁれかさんが見ぃつけたぁ〜」
どうやら8小節分だけ覚えてループしているらしい。
そう言えば。
平次はあれで結構歌が上手いのだが、歌詞を覚えるのがなぜか苦手で。しょっちゅう口ずさんでいる割にすぐに鼻歌になってしまう。
全般的に物覚えがよいだけに寧ろ珍しい。
子供の頃にやっぱり平次も、ああして延々リピートしていた気がする。
「平次さっきからそればっか」
「ええんや。歌は心や」
もっと遠くで母親らしき人が呼ぶ声がして、あどけない返事と共に足音が遠のいた。
小さく笑って和葉も歩き出す。
一日笑ってすごした日の夕方は少し寂しい。
今日は日曜。明日は学校ということもあり、友人のうち一人の親が夕食を済まして帰宅することにいい顔をしなかったので、今日は早目の解散となった。和葉の家は何も言わないし、寧ろ幼馴染の家で食事をとることも多いくらいだけれど、厳しい家は、厳しい。
今日は、どうしようかな。
和葉自身は夕食までは皆と一緒にいられると思っていたので、家にはそう告げて出てきてしまった。無論、帰った所で問題があるわけではないが。
こんな風に少し寂しい日には幼馴染に会いたくなる。
が、これで事件に出かけているとか言われると余計に寂しさが募るから迂闊に連絡を取るのは時に逆効果。
それに今日の平次の予定は聞いていないし、自分と同じように、友人と遊びに出ているかもしれない。
夕焼けが妙に物寂しさを助長した。
小さく一つ、溜息。
住宅街を抜けて商店街にさしかかった。人通りが増して、ホンの少し気分も上向き。
あ、秋刀魚食べたいな。塩焼き、刺身。どちらでもよい。
そう思った瞬間。
「おっちゃん、高いって。も少しまけてぇな」
よく通る、耳慣れた声が耳に届いた。
「高いって、平ちゃん。今年は秋刀魚豊漁でメッチャ安いやんか。これでまけろは殺生やで」
「せやかて俺、二匹もいらんのや。せやから一匹で80円。どや」
「あかんな。いくら平ちゃんかてそこまではまからん。2匹やったら大特価160円やけどな、1匹やったら100円や」
「せやからそれが高いっちうてるねん。80円。ええやろ?」
「ようない。……そんならこっちの3匹250円やったら1匹80円でも……」
「あかんあかん。こっちのやとちっこいし、なんや色艶もいまいちや。目ぇみたらわかんねんで?絶対こっちのが旨い。せやからこっち。こっち1匹80円。どや」
「だーー!!ホンマ平ちゃんは魚見る目ぇ肥えてんなあ」
「そらもう。ガキんころからよう仕込まれたからなあ」
「ったく親父もいらんこと教えよって」
「いらんことちゃうで。この前もなあ、魚の鮮度で犯人のアリバイ崩したことあったしな。めっちゃ役に立ってんで」
「へぇ、そんなこともあるんかい。どんな事件やったんや」
「それがなあ」
他に客がいないのをいいことに鮮魚店の若旦那がしゃがみこむ。一緒に平次もしゃがみこんで話し出す。
店先で、何をやってるのだか。
呆れて一つ溜息をつくと、和葉はつかつかとその背後に回った。
「いて!!」
軽く頭をはたくと少しバランスを失った平次が地に手をつき、もう片方の手で後頭部を抑えて和葉を仰ぎ見る。
「なんや、和葉。なんでここにおんねん」
「おおーー、和葉ちゃん。今日もべっぴんやなぁ」
「ホンマに?おおきにー」
「アホか、ボケ。客商売の常套句に何喜んでんねん」
「うっさい。あんたこそ何してんのよ。秋刀魚の1匹や2匹で」
「なんやお前、いつから見とったんや。やらしいやっちゃなあ」
「誰がやらしいんよ」
もう一度軽く頭をはたく。
「なにすんねん。アホになったらどないしてくれるんや」
「平次なん、これ以上アホになりようないやんか」
「なんやとぉ?」
平次が立ち上がって和葉を見下ろすのを、負けじと見返す。
子供の頃から顔馴染みの鮮魚店の若旦那も立ち上がると、笑いながら腰を伸ばした。
「ホンマに二人とも仲ええなあ。なんや、もしかして平ちゃん、奥さんに言われてお使いか」
「誰と誰が仲ええのんよ」
「誰が誰の奥さんやねん。こんなじゃじゃ馬、俺の手ぇにあまるわ」
「ほな、しゃあないなあ。平ちゃんも財布の紐握られて日々苦しいんやな。しゃあない。ほんならこっちの秋刀魚、2匹で160円。どや」
「どやって、全然まけてへんやん。ほな120円」
「120円は殺生やろ、平ちゃん」
「せやせや、平次。そら言いすぎちゃう?それやったらこっちの鰹の切り身つけてしめて600円。どお?」
「和葉ちゃん、そっちの方が殺生やで。この鰹、脂乗ってむっちゃ旨いんやで?戻り鰹言うたら今が旬や」
「知ってるもん。それやったら大奮発700円。うちも財布苦しいし、これ以上もうビタ一文出ぇへんで?」
***
「まったく」
1時間後。服部家の縁側では、年の割には地味な単を着込んだ服部平次が団扇片手に七厘から上がる煙を庭へ逃がしていた。団扇をもう片方の手に当てているので、軽い紙の音がパタパタと鳴る。
「ホンマ要領ええやっちゃなあ。いきなり出てきて戻り鰹まで値切りおって」
七厘の上には鰹の切り身も乗っている。軽く焼き色がついたところで平次は切り身を皿に移した。
「鰹、焼けたで〜」
「ん」
短い返事を返して、和葉が台所から刻み葱を持って縁側へ顔を出す。
「うわー。メッチャ美味しそう!!」
「メッチャ脂乗ってんで。これ。見てみぃ、この色艶」
「アタシのおかげで安く買えたんやで?感謝してぇや」
「ホンマ、ちゃっかりしたオンナやなあ」
「誰がよ。大体、最初に秋刀魚でけち臭く値切っとったんはあんたやん」
「アホ。魚は値切って買うもんや、いうて教えてくれたんは、あの店の先代やで。折角の教え、守らんかったら失礼やろ」
「ったく、調子ええねんから。結局人だしにして値切るし。誰が誰の財布握ってるんよ」
「そらお前かて一緒やろ?どの家の財布が苦しいねん」
「遠山家」
「は、さよけ」
パチパチと秋刀魚の脂がはぜる音がする。
「んー!!ええ匂い!!」
「……大体、今日うちで飯食う約束なんしてたかぁ?」
「してへんけど」
結局。一緒になって鮮魚店で秋刀魚と鰹を値切って、一緒に服部家に帰宅した。神戸で見つけた新しいお店の話などしながら幼馴染の出方を伺いつつ門を潜ったのだが。
別段何も言われなかったし、家に上がるなり「七厘出して来るから、飯炊いといてくれ」とか言いつけられるし。
「迷惑やったん?」
「……別に、そういうわけちゃうけどな。いきなり出てきてちゃっかり値切って、しかも人様の食卓に一緒についてるなん、そうそうできる真似ちゃうなー、思てな」
「あんたが言うな」
「ま、俺らの仲やし、今更か」
そう言って、ニッと笑う。
「飯も一人で食うより二人のが旨いしなあ」
「平次、酒飲みみたい。オヤジくさぁ」
ジュッと音を立てて 脂が落ちる。
「そう言う和葉も寂しかったんとちゃうんかぁ?お、そろそろええころやろ。和葉、皿持ってきてくれや」
「ん」
妙に心細かった夕方。気づけば隣には幼馴染。和葉は小さく笑って台所へ向かう。
別段珍しくもない光景。それがいつまで続くかはわからないけれど。
今は幸せだな。そう思えるから。
「だぁれかさんが、だぁれかさんが、だぁれかさんが見ぃつけたぁ〜」
小さく口ずさむ。見つけたのは、小さな秋。小さな、幸せ。
大好きな幼馴染の隣に居られるということ。
心細い時に、傍にいてくれる人がいるということ。
「小さい秋ぃ、小さい秋ぃ、小さい秋ぃ見ぃつけたぁ〜」
秋刀魚。戻り鰹。大根卸は紅葉卸にした。椎茸とエリンギも、七厘で焼く予定。
二枚のお皿に綺麗に紅葉卸を盛って、盆に乗せて縁側へ向かうと。
七厘の隣に座っていると思っていた幼馴染は、いつの間に下りたのか庭にいた。
庭の小さな池の傍に立っている、まだ背の低い楓の木を片手で弄んでいる。
「平次、なにしてんの?秋刀魚焦げるやん」
「おお、そうならんうちに救出したってくれ」
「もう!なんのための七厘番なん?」
いい按配に焦げ目のついた秋刀魚を身崩れしないように慎重に皿に盛る。
「んー、なんやったかなあ」
「?なに?」
「紅葉の出だしや」
「出だし?」
「小学校で習ったやん、もみじ」
「あ〜きの夕日〜に〜って、あれ?」
「あ、それやそれや。なんやったかなあ、その続き」
「……出だしだけちゃうやん。覚えてへんの。なんで平次って歌の歌詞覚えるの苦手なん?いらんことはよう覚えてるんに」
「いらんこというなや。俺かてちゃんと歌詞覚えてることあるんやぞ」
「例えば?」
「……まあなんでもええやん。そや。飯、縁側で食うか?」
「あ、それええなあ。椎茸焼きながら!!ほんならアタシ、ご飯とおすまし、こっち持ってくんね」
「おう!!こぼすなや」
秋の日はもう落ちかけ。それでも縁側で七厘を囲んでご飯なんて、平次にしては上出来の発想だ。
普段気が利かないくせに、変な所で気が利く幼馴染の口ずさむ声が聞こえてくる。
「あ〜きの夕日〜に〜……っと」
いい声だと思うのに。相変わらず歌詞は思い出せないらしく、その後鼻歌になってしまう。
「………い〜ろ〜ど〜〜る〜か〜え〜〜でぇやぁ………」
所々うろ覚えの歌詞を、覚えているところだけ口ずさむのがなんとも言えず微笑ましい。
あれでは、夕方に聞いた子供の歌と変わらない。
……ホンマ、子供やねんから。
居間の座卓を縁側の方へ寄せながら、苦笑する。ふと、目を細めて自分を見る平次と目が合った。
妙に優しげに小さく笑った気がしたが、逆光で定かではない。
案外に細い指で楓を一葉折って、縁側に戻ってくる。よっと一声かけて縁側に上がると、座卓にお茶碗とお皿を並べるアタシの髪に、楓の葉をさした。
驚いて見上げるとにっと笑う。
「よう似合てんで」
「……ありがと」
夕日が縁側と一緒に、平次の姿も紅に染める。七輪の前に再び座り込み、長い菜箸を操って椎茸をひっくり返す。傘の中に醤油をたらすのが、平次のお気に入り。
その正面に座って焼けたものから皿に移す。
「ん〜〜〜〜〜〜〜。やっぱ思い出せへん」
「もみじの続き?山の麓の裾模様、やろ?」
「お前、ホンマ歌の歌詞よう覚えてんなあ」
「せやかて、音楽の時間によう歌ったやん。秋の合唱コンクールの課題曲やったし。これ」
「あー、せやったなあ。二部合唱」
「平次が覚えてへん方が不思議や。どうすんのよ、事件解決の手掛かりが歌の歌詞やったりしたら」
「そら別に、問題ないやろ?」
「いただきます」を言うために合掌していた平次が、さらりと言うのに顔をあげる。
「そん時は和葉が思い出してくれるんやろ?ほな食うで。いただきます」
「……いただきます……」
それって。その時に、アタシは隣にいて、ええって、こと?
何も考えないで言っているのか。ちゃんと考えていっているのか。上機嫌で秋刀魚をほぐす平次を上目で窺い。
それでも、やっぱりちょっと嬉しくて。
「んーーーーーー。ホンマ旨いなあ、この秋刀魚」
「戻り鰹も脂がようけ乗って美味しい!!」
「秋はやっぱり、七厘囲むんがええなあ!!」
「庭の楓も綺麗に赤なったし。彼岸花も綺麗に咲いてるし。日本の秋やね!!」
夕日は沈む速度を増して二人の影を長くする。鈴虫の声が、庭のどこからか微かに聞こえる。
「すすきの中の子、はなんやったかなあ」
「秋の子、やろ?」
「だぁれかさんが、は?」
「小さい秋」
「ホンマ、よう覚えてんなあ」
「任せてぇな」
いつの間にか、鈴虫が二匹に増えて秋の歌を奏でる。
「お前、魚ほぐすんホンマ下手やなあ。近所の野良が喜ぶで」
「……せやかて、小骨がいやなんやもん」
「貸してみ。俺がやったるわ」
「ええけど。中間搾取はあかんよ」
「あほ。だれがそんなんすっか。手間賃はもらうけどな」
「ええ!!」
慌てて皿を取り戻そうと手を出すと、ひょいと逃げられる。
小さな秋の、小さな幸せ。
……なんか、ぶっちぎり……ですかね?そんなつもりはないんですけど……。あり?
幸せ〜な幸せ〜〜な感じで。ほのぼの〜〜〜な感じで。つか、あの、平次。さりげなくあんたなんて似つかわしくない事を……<自分で書いておいていうなや
すんません。秋っぽいものをギュッと詰め込んだ感じというか、寧ろ秋っぽい食い物を詰め込んだと言うか!!
食べ物ネタが多いのは……私の食い意地が張ってるだけですね……切腹。
ちなみに「平次が歌の歌詞を覚えるのが苦手」というのは完全にオリジナル設定ですので悪しからず!!なんか新一の音痴と被ったかな?
さてさて。そんな服部平次が確り覚えてた歌の歌詞ってなんだったんでしょうね?<そっちにからめるつもりが。うーん。いつの間に
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