その日。服部家の縁側に風鈴が下がった。
薄いガラスの江戸風鈴。細く高い繊細な音がする。梅雨の合間とは思えない久々に爽やかな風が寝屋川を吹きぬけた日。
「こんにちわー」
風鈴の音色に負けないくらい心地よいが服部家の玄関で響く。
「平次、居ます?」
「その声、和葉ちゃんやろ!!」
耳慣れない、しかし確実に聞き覚えのある声に、和葉は首を捻った。廊下を過ぎる足音が近付く。
「やっぱ和葉ちゃんや!!」
「うわ!!沙希さんや!!どないしたん?いつ大阪戻って来たん?」
服部家の家人より先に顔を出した女性を見た瞬間、和葉の顔がパッと輝いた。
「昨日や。和葉ちゃん、大きくならはったなあ」
「沙希さんは全然かわらんね!!」
「何言うてんの。もういい歳やねんで」
「ええ!!だって、相変わらずめっちゃ美人やん!!」
「もう!!おだててもなんもでぇへんよ?和葉ちゃん、上手いんやから」
「そんなんちゃうもん!!せやけど、ホンマ久し振りや!!何年ぶり?」
綺麗に揃えてサンダルを脱ぐと和葉は沙希に続いて廊下を行く。
「んー。最後に会うたんは6年前ちゃう?アタシが大学に行ったんと同時にうちの親、奈良に引っ越してもうたし」
「もう卒業したん?」
「ううん。今、院の二年。来年の春卒業や。ホンマ、久々に梅雨に大阪来たけどホンマ暑いなあ。湿度高いし」
「あ、そか。北海道って梅雨無いってホンマ?」
「ホンマホンマ。涼しいで、北海道は」
和葉を振り返る沙希の長い髪が揺れる。蘭ほどに長いけれども髪質は違う。日本人形のように癖のない直毛。沙希はずっと面白みがなくて嫌だと言っていたが、癖っ毛の和葉はほんのり憧れる。
「今日は中学の同窓会で大阪に来たんよ。懐かしいから早めに来てちょっとそのへんぶらついとったん。そしたら偶然静華さんに会うて」
「そのままお茶に呼ばれたんやろ」
「せやせや。ホンマ、かわらんなあ、静華さん。私のこともちゃんと覚えててくれはって。嬉しぃわぁ」
「アタシやって沙希さんのこと、ちゃんと覚えてたもん!!……せやけど、おばちゃんは?」
居間には静華の姿は見えない。見えないといえば、今日この家で自分を待っているはずの幼馴染の姿も見えない。
「静華さんはさっきお隣さんから電話があって、ちょっと行って来る、言うてでかけたん。丁度和葉ちゃんと入れ違いくらいやったよ?」
「そうなんや……せやったら……」
「和葉ちゃんが大好きな平次君やったら、まだ剣道の稽古から戻らんよ?」
「だ、だだだだだ大好きって!!そんな!!」
座布団の位置を直して静かに座ると沙希は冷めかけのお茶を一口飲むとにっこりと和葉を振り返った。
「和葉ちゃん、ちっちゃいころから平次君のこと、ホンマ好きやったもんなあ」
「ち、違います!!違うもん!!」
和葉は沙希の正面に座ると、真っ赤になって続けた。
「そんな、アタシ平次の事なん、全然」
「またまた。無理せんでええのんよ」
「ホンマやもん。ホンマ、平次なん、ちっちゃいころから乱暴やし口悪いしデリカシィないし剣道とか推理ばっかで、ホンマ、全然」
「でも、そんな平次君が和葉ちゃんは大好きなんやもんねぇ」
「も、もう、何言うてんの!!沙希さん」
「あかんあかん。私もう、和葉ちゃんにその台詞何回聞かされたかわからへんで?ちっちゃい頃からそればっか」
「だって、ホンマのことやもん!!」
「はいはいはいはい。で?今日はなんなん?デートの約束?」
「もう!!だからちゃう言うてるやん!!今日は、あれやもん。七夕の」
「七夕?」
「アタシと平次、町内会の七夕祭の短冊係やねん。せやから、これから回収しに周らなあかんの」
「うわー。懐かしい!!七夕祭!!」
平次と和葉の住む町では、毎年七夕祭を町内会が主催している。町内の児童公園に立つ町内会メンバによる簡易屋台。用意される大きな笹。町内の小学生に一人三枚まで短冊を書いてもらい、笹に飾る。折り紙で飾りを作って飾る。
町内会メンバで役割分担をするのだが、今年、平次と和葉は小学生に短冊を渡して期日までに回収し、笹に括る役になっている。
「そうかー。和葉ちゃん、もう短冊書かへんのや」
「せやって、アタシもう高校生やもん」
「うわー。和葉ちゃんが女子高生かあ。私が歳取るはずやわ」
「……そういえば、沙希さんも短冊集めたことあったんちゃう?」
「うん。そう。私覚えてるわぁ!!和葉ちゃんの短冊」
「あうー」
なんとか話題が平次から逸れた事にホンの少し安堵していた和葉は再びつついてしまった薮蛇にがっくりと項垂れた。
「沙希さん、今日ホンマ意地悪や」
「和葉ちゃんがホンマのこと言わんのやもん。覚えてんでぇ、三枚とも。あれ、アタシが高校……一年やったから、和葉ちゃんは小学校3年?」
「そんな昔のこと忘れたもん」
「昔ちゃうやん。全然最近やで〜?一枚目ーー。『平次が剣道の試合で優勝しますように』〜〜〜」
「そ、そんなこと、書いてへんもん!!」
「書いた書いた。二枚目ーーー。『平次が次の昇級審査に一発で合格しますように』〜〜〜〜〜」
「嘘やん、そんなん」
「ホンマやもん!!和葉ちゃんかて覚えてるはずやで?」
「お、覚えてへんもん!!アタシ、麦茶取って来る!!」
立ち上がって沙希を振り返ると至極楽しそうな笑顔で和葉の様子を窺っている。
「……沙希さんも、飲む?麦茶」
「ん。ありがとー!!」
台所で麦茶を注ぎながら溜息をつく。覚えている。忘れるわけがない。ちゃんと思い出せば、もしかして6年間分全部思い出せるかもしれない。
せやって、平次、剣道の試合で負けるとなんや様子がおかしかったんやもん。
それが。悔しさと、それを見せまいとする虚勢の入り混じった微妙な態度だったなどと、子供の頃は気付かなかった。気付いたのは、最近のこと。昇級審査にしたって同じこと。
それでもそんな平次を見ているのは子供心にあまり楽しいことではなく。つい短冊に書いていた。
和葉はもう一度深呼吸して、お盆に麦茶の入ったグラスを載せる。事実は事実。家が近所で特に和葉を可愛がってくれていた沙希に今更なんの誤魔化しも効かないことは自分でも良く分かっている。
「はい。沙希さん。麦茶」
「ありがとー!!で?思い出したん?」
「……」
「ちゃんと覚えてるんやろ?三つ目も」
「そら、まあ」
「やっぱ三つ目がいっちゃん重要やもんね。よう覚えてるわぁ、あん時のこと。絶対平次に見せんといてんな、って私に何度も念押して。短冊も上の方の笹に括ってって注文つけたもんなぁ」
「……せやって、平次に見られたら恥ずかしいやん」
「俺が、どないしてん」
急の声に、和葉は心臓を飛び上がらせた。慌てて振り返ると廊下の向こうの玄関に、靴を脱ぐ幼馴染の姿が見る。
「へ、平次!!いつ帰って来たん?」
「今や。で、俺がどないしてん?」
「平次のことなん、話してへんもん?」
「アホ。お前の声、よう通んねんで?俺が自分の名前聞き間違うかい……って、なんや、聞いた声やと思たら、沙希さんや」
「久し振りやねえ、平次君。随分とまあ、カッコようなって」
「おおきにー。そう言ってもらえると嬉しいわ。沙希さんも、ごっつ美人やん」
「平次君にお世辞言われるようになるとは思わんかったわ。見た目だけやのうて中身も随分ええ男になったんちゃう?」
「んなわけないやん、沙希さん。さっきも言うたやん?相変わらずホンマ、全然デリカシィないねんで?」
「なんやと?和葉こそ相変わらず色気はないしジャジャ馬やし。ホンマ、沙希さんの爪の垢でも煎じて飲ませたいわ。ちょう、沙希さん、こいつに女らしさの何たるかを教授してやってくれへんか?」
「なんやてーーー!!」
振り上げる拳を受ける仕草をする。
「そういう所があかんのや。ほな、俺荷物置いて着替えて来るわ。あれやろ?短冊回収」
「誤魔化すな!!こら!!」
笑いながら二階に上がっていく後姿に和葉は舌を出してささやかに復讐する。
「ホンマ、相変わらず仲ええなあ」
「これのどの辺が仲良くみえるのん?沙希さん」
「全部や全部。せやけどホンマ、カッコようなったなあ、平次君。よかったなぁ、和葉ちゃん」
「べ、別に、アタシには関係ないもん」
「またまた。意地張ってるととっておきの秘密教えてあげへんよ?」
「秘密?」
「そ。平次君の短冊」
「え」
思わず手が止まる。平次の短冊が気にならない和葉ではない。大体なんでも明け透けな平次には珍しく、今まで一度も短冊を見せてくれたことがない。
それでも毎年二枚は確認している。『剣道が上手くなりますように』『大きくなったら刑事になれますように』。残り一枚は、高い所に括られたのか笹が立てられた後に和葉には一度も確認できなかった。
「私が回収するとき、平次君も絶対上に括ってくれ、言うて念押したんよ?短冊。一枚だけ」
「アタシ……二枚しか見たことない」
「せやったら、毎年和葉ちゃんに見られへんようにしてたんちゃう?短冊」
「……」
「気になるやろ」
「うん……」
気にならないわけがない。寧ろ気になる。気にはなるのだが。それでも。
爽やかな風に風鈴の短冊が揺れる。軽やかな音が居間に響いた。
平次が。絶対に誰にも見られたくないと思った短冊。
麦茶の氷がカロンと音を立てる。
「でも……なんや、アタシも平次に内緒にしてるし。アタシだけ沙希さんに聞くん、やっぱズルイと思うし……」
「和葉ちゃんはまじめやねえ」
「そんかし、アタシの最後の一枚も、内緒にしてや?沙希さん」
「しゃあないなあ。和葉ちゃんのその心意気に免じてそうしたろか。せやけど、それには条件があるわ」
「条件?」
「そ」
和葉から受け取った麦茶を一口飲むと、沙希はにっこりと微笑んだ。
「あの三枚目の短冊、ちゃんと実現するんやで?」
顔を赤くしながらも確りと頷く和葉の瞳に。沙希はそっと心中呟く。
ま、あの分やったら二人とも実現は間近みたいやけどな……。
「沙希さん、一人にしてごめんなぁ。あれ?和葉ちゃん来てるん?」
「和葉ー、そろそろ行くでー。準備せぇや?」
ほぼ同時に聞こえてきた親子の声に顔を見合わせて笑うと。和葉と沙希は声を合わせて返事をした。
「「はーーーーーーーーーーい」」
ちりりん、と風鈴が一つ、涼しげな音を立てた。
というわけで、二人の三枚目の短冊については内緒です。私的には一応、決まってるんですけど、皆様のご想像にお任せしようかと!!七夕ですから!!他力本願です!!(笑)
まあ、あれです。知らない人が見たら大した事ない内容なんですけど「平次/和葉には見られないように」と念を押した段階で、は〜ん、って感じの。想像してみてください<そこまで言っておいて無責任な
だからこんなタイトルなんです……。かなり意味不明な感じ……がっくり。
つか、七夕っつったら織姫と彦星でしょう。もっと恋愛に直結したネタとかないんですか葵さん、と自分に突っ込んでしまいましたが、なんでかまた子供の頃の話に……チビ平和〜〜。萌え萌え。
小学校三年っつったら映画の年頃ですね!!<自分で書いてるくせに今気付いた。
困った時のオリキャラ頼み。ってわけでもないんですけど、なんつか、静華さんじゃ収拾つかなかったんですよ(笑)
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