雨が降るだろうとは思っていた。それでも。あともう少しだけもたないかな。そう期待して自転車で出掛けた。
願い空しく、家を出て2,3分もしないうちに空が俄かに掻き曇り、狙い済ましたかのような俄か雨。
服部家の門を潜り、定位置に自転車を止めると和葉は大きなため息をついた。
大した距離ではないし雨の勢いもそれほどではなかったけれど。買ってもらったばかりの白いブラウスがうっすら濡れて、その白い肌に張り付いている。それよりも額や頬に張り付く髪が気色悪い。
「あ〜〜あ」
お気に入りのブラウス。着ただけでワクワクした。ちょっとでも早く、幼馴染やその母親に見て欲しくて。ちょっとでも早く服部家に着きたかったから自転車にしたのだけれど。
裏目に出るとはまさにこの事。
「ま、今更しゃあないわ」
諦めて呼び鈴を鳴らす。
中からかったるそうに間延びした幼馴染の声が聞こえて来た。
「はーーーい」
「アタシ」
「あーー。和葉か……。おかん……はおらんのやった。ちょう待て」
廊下を人影が通り過ぎ。程なくして鍵の空く音。
「……なんや和葉、傘は?」
「自転車で来たん。急に降り出すんやもん。すっかり濡れてもうた」
「あんなあ。今梅雨前線絶好調やん。自転車で出掛けるんがアホや」
「アホ言わんといて!!もう少し、降らんかと思てんもん!!」
「ったく、アホやん。風邪引くで。とりあえず入れや。今なんか、拭くもん持ってくっから」
「せやからアホ言うな!!」
玄関に入って後ろ手に戸と鍵を閉める。靴下まで濡れてしまったので上がるわけに行かず平次を待つ。
「今おかんおらんのや。えーっと……こんなんで、ええか?」
「おばちゃん、何処行ったん?今日はうちにおるから遊びに来ぃって言うてくれたんやけど」
「なんや、買い物一個忘れた言うてちょっと前に出掛けたで。傘は持って行ってるやろけど、着物やし少し雨宿りしてから帰って来るかもなあ」
「ま、ええわ。アタシついでに平次に宿題聞きに来てん」
「あー。一問100円な」
「高!!も少しまけてぇな!!」
「せやったら一問1円」
「……いきなり大盤振る舞いやなあ……」
渡されたバスタオルで髪を拭く。結った髪を解くとポタポタと水滴が落ちた。
「和葉、シャワーとか浴びた方がええんとちゃうか?どうせ着替えるやろ?風呂沸かすか?」
「んー。どないしよ……。シャワー、借りよかな」
靴と靴下を脱いで、平次が持って来てくれた雑巾で足を拭いて玄関を上がる。自分の足跡が残らないことを確認して、頭からバスタオルを被ったまま片手に靴下と雑巾を持って平次についていく。
「あ、せやせや。なあ、平次」
「ん?」
「このブラウス……ちょっと濡れてもうたけど、おニューやねん。どや?可愛いやろ?」
「あん?……そう言えば初めて見……」
改めて和葉を見直した平次が傍目にも明らかにうろたえた。
何を言おうとしたのか開いた口を慌てて右手で抑えて視線を逸らす。
「?どないしたん?」
「アホ。なんもない。さっさと風呂浴びてこいや」
「ブラウスの感想は?似合てる?」
「そんなんどうでもええやん!!早よ脱げ!!風邪引くぞ!!」
「何怒ってんの?似合わんかなあ……」
「そういう問題とちゃうわ。ほな、これ新しいバスタオル。さっさと行け」
「ちょっと、なんやの?平次」
「なんもないわ!!さっさとせぇって」
「ちょう待ってや。着替え持って来な。アタシまたこれ着るん嫌やもん」
和葉の着替えは一揃えどころか二揃えか三揃えくらいは服部家に常備されている。突発のお泊りなど日常茶飯事だ。
何も言わずに踵を返して居間に向かう平次の後姿に首を傾げ、とりあえず客間から自分の着替えを一揃え持って来て。
「なんやの?一体。……そんなに似合てへんのかな……」
呟いて和葉は湯殿に入った。
***
玄関を開けたらすっかり濡れ鼠の和葉が立っていて。
この梅雨時期に何をアホなことをしてるのかと半ばどころか完全に呆れてバスタオルや雑巾を用意して。
そんなこんなで、玄関では禄にその姿を見やしなかった。
それが。
廊下でいきなりあんなことを言われて。
「アホとちゃうか。あいつ」
居間に戻って読みかけの小説をもう一度開いたものの、活字が全く頭に入らず栞を戻して本を閉じた。そのままゴロンと天井を仰ぐ。
「うわ。やば。思い出してもうた」
廊下をパタパタと行く音が聞こえる。着替えを用意した和葉が湯殿に向かう音だ。
この場を見られたわけでもないのに、赤くなった自分の顔を隠すようにうつ伏せになると頭を抱えた。
「……あいつ……いつの間に……」
四六時中一緒にいる割に気付かなかったのは、別段興味がなかったから。当たり前と言えば当たり前のことなのだが、そもそも考えたことがなかったのだ。
が、一度気付いてしまった以上、気にならないわけがない。和葉が風呂から出てきたら、一体自分はどんな顔をしてあの幼馴染に会えばいいと言うのだろうか。
そもそも。視線がそこに行かない自信などない。不本意ながら。
「せやけど、俺が悪いんちゃうし。うん」
一生懸命自分を納得させた瞬間。湯殿から和葉の小さな悲鳴が聞こえた。
洗面所の鏡で自分の姿を確認したのだろうということはすぐに察しがついた。
やばい、と思った時にはもう遅い。
勢いよく廊下を行く足音が近付いたかと思った瞬間、居間の襖が乱暴に開け放たれ、同時にバスタオルが平次の顔めがけて飛んできた。
「平次のドスケベ!!変態!!」
「なんやと!!」
頭に被ったバスタオルを乱暴に取り去って飛び起きると、和葉はまだ着替えていなかった。どうしたって視線が和葉の胸元に行ってしまう。思わず顔を背けると、気付いた和葉が慌てて腕を胸の前で掻き合わせる。
「見んな!!スケベ!!」
「アホ!!せやからさっさと着替えろ言うたやろ!!俺悪くないで!!見せてる和葉が悪いんや!!」
「見せてへんもん!!平次が見るんが悪いんや!!スケベ!!変態!!」
「誰がスケベで変態や!!見たくて見てるんちゃうわ!!」
「なんやってぇ!!」
バスタオルに続いて手元にあったらしいメモ帳が投げつけられる。避けた所にボールペンが飛んできたので、それは右手でキャッチした。
「やっぱ見たんや……」
「アホ。そ、そんなにちゃんと見てへんわ」
「スケベ」
「お前が見せるからやろ!!一瞬や!!もう忘れたわ!!」
「スケベ!!変態!!アホ!!」
「だ、大体なあ!!和葉みたいに薄っぺらいんが、そんなもん着けてんのがおかしいんや!!」
「な、なんやて!!」
「そういうんはもっと色っぽい姉ちゃんがするんや!!和葉には百年早いわ!!」
「平次のアホ!!」
濡れた白いブラウスから透けて見えた。肩紐と、胸元のVの字のライン。ただ単にそれだけだったが、それがなんだったのか流石の平次も分からないわけがない。
見たことがないわけではない。当たり前だがその辺に干してある洗濯物に母親のものが遠慮会釈なく混じっているし、母親の下着姿なんて今更だ。無論、一度もそれをいやらしいと思ったことはない。
……こんなに、ドキドキしたことはない。
年頃になれば女性がそういう下着をつけることを知識として知っていても。その日が自分の幼馴染に訪れるなんてことは、欠片も考えたことがなかったのだ。
「さっさとあったまって来い!!アホ!!風邪いても知らんからな!!」
バスタオルを投げ返す。
真っ赤になって唇をぎゅっと噛んで、何も言わずに踵を返して湯殿に向かうその後姿を見送った。
背中に透ける二本の線から微妙に視線を外す。
大きく溜息をつくと、平次は居間の襖を閉めて、再び寝っ転がった。小説を手にして、暫く考え込んで小説を元の場所に戻した。
***
寧ろ熱めのシャワーを浴びて。いつも部屋着にさせてもらっている浴衣を着込むと和葉は鏡の前で大きくため息をついた。
「あんたもそろそろ、こっちの方がええやろ」
そう言われて手渡されたそれが、最初は酷く恥ずかしくて。初めて着けた日にはドキドキした。誰も気付くわけがないとわかっていてもドキドキした。
ぎこちない空気だけは伝わってしまったらしく「どっか具合悪いんか?」と幼馴染に心配されてしまったが、無論、本当の理由を気付かれることはなかった。
あれはもう、随分前。年末だったから、もう半年くらい前になる。
確かにその時、「夏場薄着になったら、タンクトップかTシャツを着た方がいい」と言われたが、すっかり忘れていた。ブラウスが濡れなければ、そうそう透けることもない。着替えて鏡の前に立ったときには大丈夫だったので、そのままでかけてしまった。
「平次のアホ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜」
何も言わずに真っ赤になって視線を外した幼馴染の顔を思い出す。
「そんな顔されたら、アタシの方が恥ずかしいやん〜〜〜〜〜〜〜〜」
かと言ってあそこで「ブラ透けてんで」と言われてもむかつくし、何事もなかったかのようにブラウスの感想を言われても後で自分が透けてることに気付いた時にむかついただろう。
確かに。平次の言う通り、平次は悪くないのかもしれない。
気付かずに普通に振舞ってた自分が悪いのかもしれない。平次にとってはこれは不可抗力だったのかもしれないが。
「でもやっぱむかつく〜〜〜〜〜〜」
最初の反応にもむかつくし、薄っぺらいと言われたこともむかつくし、百年早いと言われたことにもむかつく。
「アタシやってちゃんと………」
かと言って、幼馴染にそれを意識されるのは、それはそれでやっぱりむかつくのだ。
「平次のアホ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜」
ぐるぐるした思考が行き着く先は結局そこ。とりあえず目の前にいない幼馴染に責任を転嫁して悪態をついてみる。
「どんな顔して出てったらええのんよ……」
鏡の前に座り込む。そのまま暫く考え込むものの、いい考えなど浮かぶはずもなく。
なるようになれ。意を決して勢いよく立ち上がった瞬間、湯殿の戸がノックされた。
「な……なに?」
「和葉、もう上がったか?」
「あがったよ?」
「もう開けても大丈夫か?」
「……大丈夫や」
スッと戸が開いて幼馴染が顔を出す。その様子は全然いつもと変わらない。
「これ、服掛けとけや。帰るまでに乾かんで」
「あ、ありがと……」
……なんでアタシがどもらなあかんのよ!!
心の中で突っ込みつつも、いつもと変わらぬ幼馴染の態度に、少し安堵する。
慌ててお気に入りのブラウスとスカートを掛けて。濡れてしまった靴下と下着は「おばちゃん、洗濯お願いします」と呟きながら洗濯籠に入れて。上からバスタオルも入れて。
思わず浴衣が透けていないことを鏡で確認。和葉は鏡の前で笑顔を作ると、「よしっ」と自分に気合を入れると湯殿を後にした。
***
「和葉ぁ」
「ん?」
「さっき、ごめんな」
居間の座卓で二人で宿題。唐突に掛けられた言葉に和葉は顔を上げた。
「さっきって?」
「さっきや」
「見たこと?……ええよ。あれはまあ、アタシも悪かったし」
「まあ……それもやけど、薄っぺらい、言うたことや」
「え」
思わず手が止まる。
その話題は、出来ればこのまま流して欲しかった。何を言うつもりなのだろうと、横目で幼馴染を窺う。
教科書から顔を上げた平次がじっと和葉の胸元を見詰める。それからしたり顔で何度も頷いた。
「俺、和葉は薄っぺらい薄っぺらい思とったけど、そうでもないわ。うん」
「な、何見てんの!!アホ!!」
思わず両手で胸元を隠す。
「さっきは百年早いて言うたけど、そら、そろそろ下着も着けなヤバイわ。うん」
「なに納得してんのや!!スケベ!!」
「スケベ言うなや。俺は冷静に判断してんねんで。大真面目や」
平次の表情はあくまで真面目で、少しも崩れる様子を見せない。
さっきはあんなにうろたえてたくせに!!……と突っ込みたくもあり。
こんなことすら飲み込んで受け入れてしまう幼馴染がいつもとかわらなくて。なんだか安心してみたり。
「うん。俺、和葉は色気とは無縁やと思とったけど、今はまあ、あれやけど、大きなったら結構色っぽくなるかも知らんなぁ」
「あ、当たり前やん!!誰に向かって言うてんの!!」
「んー。せやから、ごめんなって。俺が間違っとったわ」
真顔で素直に謝る幼馴染に。なんだか照れることすらアホらしくなって来る。
「……アタシ、大きくなったら女らしくなるかなあ?」
「なるなる。俺が保証したるわ」
「ホンマに!!??」
この幼馴染の「保証」とやらにどれほどの価値があるかは置いておいて、そう言われるとなんとなく嬉しい微妙な感じ。
「アタシな、大きくなったら平次のおばちゃんみたくなりたいん」
「お、おかんか?」
「せや。美人やし、強いし、なんでも出来るし。アタシ、おばちゃんみたくなりたいん」
「せやけどうちのおかんはそれこそ色気とは無縁やぞ」
「そう?おばちゃん、めっちゃ色っぽいやん」
「どこがやーー?怒ると怖いし、怒らんでも怖いし、すぐ人んことはたくし」
「ええーー!!おばちゃん、めっちゃ優しいやん」
「そら、和葉に対してだけや。俺にとっては、鬼婆以上やで。おかんは」
「そうかなあ……」
「せやせや。あんなになったら嫁の貰い手なくなんで」
「そんなことないと思うけど……」
「あるある。ま、うちのおかんは鬼婆やけど、おとんはもっと鬼やから何とかなってるけど」
「鬼婆ってそんな。そんなことないやん」
「そんなことありありや。和葉、あないになったら鬼しか嫁に貰ってくれなくなんで」
「……あ、でも」
ふと思い出して。平次の顔を覗き込む。
「そしたら、平次が貰ってくれるんちゃうん?」
「へ」
「アタシがおばちゃんみたくなったら、平次がアタシのことお嫁に貰って」
「な、なんでやねん!!」
「せやって、平次、おっちゃんみたくなんのやろ?」
頑張って剣道の稽古して、おとんより強くなる。
大きくなったら刑事になって、おとんみたいにたくさん事件を解決する。
平次が、もっとずっと子供の頃から願いつづけてる将来の夢を、和葉が知らないわけがない。
「せやったら、平次は鬼になるんやん?アタシが鬼婆になったら、平次がお嫁に貰ってくれたらええねん」
「んーーー、なんや理屈は通ってる気ぃするんやけど………」
眉間に皺を寄せて、腕組みして平次は考え込む。
平次の答えを待たずに和葉は再び宿題に取り組む。憧れの女性になって平次のお嫁さん。和葉的に、その選択肢は悪くない。
まだまだ先のことはわからないけれど。
しばらくすると、平次の盛大な溜息が聞こえた。ふと、顔を上げる。
「……もしもの時には俺が責任とったるから」
「うん」
「せやから、やっぱおかん目指すいうんは……勘弁してくれへんか……」
んーーーー。なんか我ながら難しいネタを扱ってしまった気がしなくもない思春期突入和葉と思春期入り口に片足かけたばかりの平次な感じです。
つかーー。雨ネタ考えてただけな筈なのに、なんでこんなことになってるんでしょう切腹。
得てして男の子の方が遅い奴は遅いと思うんですけど。早い奴は早いですが。どうなんだろう。
ま、平次は所詮その辺は朴念仁の天然君ですから。ホンの一瞬のドキドキで終わってますね。そして探偵モード(?)発動?なのか?
とりあえず自分は小学校5年くらいでブラに移行したんで、そんくらいってことで書いてるんですけどどうでしょう?
最近の子供は発育が宜しくていらっしゃるから!!もう少し早かったりするんでしょうか??ま、いいか。
しかし安心しろ!!服部平次!!静華さんを目指した所で所詮和葉ちゃんは天然ちゃんだからvv彼女の魅力が損なわれることはありません。
ので、謹んで責任とってあげてください。もしもの時じゃなくてもな!!つか、寧ろ進んで嫁に貰ってくれ。
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