中学校への進学。それが環境の変化を意味するなんて思ってもみなかった。
今まで当たり前だと思っていたものが、当たり前ではなくなるという事。
当たり前だと思われていて誰も突っ込まなかったことが、当たり前ではなく写るという事。
隣にいることが当たり前だった幼馴染の存在が、当たり前に写らなくなるという事。
だけど俺は。この当たり前を手離す気など無いから。
***
入学式のクラス発表。服部平次は幼馴染の遠山和葉とクラスが違って正直拍子抜けた。和葉は1組。平次は2組。隣のクラスだが、別のクラスになるのは久しぶりだ。
とは言え、クラスの三分の一は見知った名前が並んでいる。この中学校の校区が地元の三つの小学校の校区に重なっているからだ。
そう言う意味では、環境は変わったような変わらないような。この時点ではまったく実感などない。
「なんや、服部。遠山とクラス別やん」
「うっさいわ。これで静かに授業が受けられるっちうもんや」
小学校からの同級生多村と軽口を叩きつつ体育館に向かい、退屈な入学式。そして教室へ移動。
入学初日はどうしたって出身小学校ごとにグループが分かれる。まあ、最初はこんなもんだ。
ぐるりと教室を見回すと気のよさそうな顔がちらほらしている。追々、友達になっていければいいなあ、と思うが、その程度。積極的に声を掛け捲って目立つつもりも毛頭ない。
そして退屈なH.R。恒例の自己紹介。
「服部平次。小学校は……」
斜め後から囁き声がする。
「おい、服部言うたら、あの、剣道の」
「せや。同じ中学になるん、俺、楽しみにしとったんや」
どうやら剣道をやっている奴がクラスにいるらしい。横目で軽く確認。後で声かけてみようかなどと思いつつ。
とりあえず無難に自己紹介をまとめて着席。やがてチャイムが鳴ってH.Rは一時中断。
平次は一つ伸びをした。名前順に座った席で寄寓にも隣になった多村が話し掛けてくる。
「なんや、服部。おとなしいやないかい。どないしたんや。随分な優等生ぶりで」
「アホ。俺はいつでも優等生やで」
そういえばさっきの剣道野郎はどこだろうと教室を見回した時に。
開けられた窓の外の廊下を、見慣れたポニーテールが通り過ぎるのが目に止まった。
一緒にいるのも見知った顔。5年の時に同じクラスだった。名前は確か、橋元。
「あ、和葉ぁ」
なんの違和感もなく声を掛ける。
「ん?何?」
なんの違和感もなく和葉が足を止めて振り返る。一緒にいる橋元も足を止める。
「あ、服部君や。2組やったんや」
「おー。お前らまた一緒のクラスなんか」
「せや。羨ましいやろ〜〜」
「羨ましいことあるかい。それより和葉」
「ん?」
「帰りな、おかんが駅前のケーキ屋でなんや好きなもん買うてええって。お祝いしよって」
「ホンマに!!??」
「せや。せやから、勝手に帰らんとそっちの教室で待っとけや」
「ん。わかった」
「ほな、後でな」
「ん」
ひらひらと手を振って去って行く和葉の背に、つられてなんとなく手を振り返す。
その時。平次はクラスの三分の二の目が自分に向けられてることに気付いた。
「??なんや??」
「服部って、もしかして双子……?」
「はあ?んなわけあるかい。俺が和葉と似てるっちうんか?失礼な」
「じゃ、今の……」
平次と多村が顔を見合わせる。多村も何がそんなに不思議なんだ?という表情でやや呆然としている。
「遠山は……服部の……」
ぽつり、と多村の口から言葉が漏れた瞬間。
「すっげーーーーーーー!!!彼女かよ!!!」
「ラブラブやんか!!!!」
「入学早々見せつけてくれんなあ!!!!」
教室の三分の二の口から次々に言葉が発せられ。
そして平次・多村を含めた残りの三分の一はなにがそんなに凄いんだ?という風情でその様子を呆然と見ていた。
***
「ああああー。そうやなー。そうかもしらんなぁ。うん」
騒然とした教室のまま、チャイムが鳴って先生が来て、平次はこの事態についてなんのコメントも許されないまま再びH.Rに突入した。
隣の席の多村が、したり顔で頷く。
「俺らお前らの事、もう6年も見てるし、かなり今更やったけどなあ。うん。そうかもしらん」
「だから、何が「そう」やねん」
「服部と遠山だよ」
「俺と和葉がどないしたんや」
「だってなあ」
担任に一睨みされて、多村が言葉を切る。
「何がそんな騒ぎになるんや」
クラス中から、囁き声が漏れてくる。どうやら話題が自分と和葉に関係していることくらい流石の平次にもわかる。
所々で同じ台詞が聞こえる。
「ちゃうって。あいつらただの幼馴染や。めっちゃ仲ええけど、そんだけや」
どうやらクラスの三分の一がフォローに回っているらしい。
「せやからな、普通幼馴染でもや。お前らほど仲ええんは、珍しいかも知らんってことや」
「せやろか」
「せや。俺らそれが当たり前やと思っとったけどな……」
「幼馴染なん、こんなもんやろ?」
「いや、俺もそう思っとったけどな。そう思わん奴らもおるかもしれんな……って」
どうやらクラスの三分の二は思わない連中だったらしい。
平次も、この時点でようやっと事情が飲み込めた。
ここ一、二年。何度か聞かれたことがあった。和葉との関係。そのたびに「単なる幼馴染」と言って。相手は大抵納得してくれていたように思う。
「俺らにとっては当たり前やけどな。お前らが一緒に登校するんも下校するんも痴話喧嘩するんも」
「……痴話喧嘩ってなんやねん」
「スミマセン、ゴメンナサイ、言葉の綾です」
「……」
「ま、そのお前らの口喧嘩とか、名前で呼び合ってることとか」
「名前がなんやねん。俺に「遠山さん」とか言えっちうんか?んな気色いことできるか。アホ」
「だから、そういう日常がやな」
再び多村が言葉を切る。全体的にざわついた気配に担任の神経はピリピリ来ているらしい。
「知らん奴の目には、違う風に見えるっちうことや」
「なんやそれ」
「せやから、お前らが付き合ってるように見えたんも、仕方ないことかも知らん、言うてんのや」
「アホらし」
「ま、そらお前にとってはアホらしい以外の何もんでもないやろけどな、そろそろそうも行かんのちゃうか?」
「なんや」
「ま、この手のネタには皆さん興味津々なんやと思うで。何もないんはお前くらいや」
「せやかてなあ。大体、付き合ってる付き合ってないっちうんは何がどう違うんや。俺にはサッパリわからん」
「この年になって好きなオンナの一人もおらんっちうのも、どうかと思うで?俺らマセガキやしなあ」
「せやろか。うちのおかんなん、ガキのくせに100年早いわ、言うてせせら笑っとったで」
「んー。まあ俺ら男にしてみれば、男の俺でも惚れてしまいそなくらいカッコいい平次クンが今んとこ特定のオンナに興味ないんはありがたいんやけどな」
「なんやそれ。気色悪ぅ」
「ま、ノリと性格が軽い割にその辺に関しては妙に硬派な平次クンが俺は大好きや、ってことや」
「更に気色悪いねんけど。しばかれたいんか、自分」
「めっそうもない」
小さく舌を出した多村が担任に睨まれて慌てて真顔に戻る。俺平次も仕方なく黒板をぼんやり眺める。
詰まらない、ことだと思う。
自分がいて、和葉がいる。そのことにどうして名前を付けなければならないのか。友人。クラスメイト。幼馴染。恋人。彼女。家族。姉。妹。やはりしっくり来るのは「幼馴染」だ。その次、は、強いて言えば、「家族」?
和葉のことが好きか問われれば、好きだ。しかしそれは、父や母や、例えば和葉の父親を好きな「好き」と変わりない。
全く同じかと言われればそんなことはない。ただ、大差ない。
それを。
好きなのかと。彼女なのかと。付き合ってるのかと。聞かれたところで答えはいつも同じ。
「あいつは、ただの幼馴染や」
ずっとかわらない、いつも自分の隣にある存在。それだけだ。自分にとっての必要十分条件。
「……ホンマ、めんどいなあ」
ポツリと呟くと多村が肩を竦めた。
「ま、こんなん最初だけやろ。皆おもしろがっとるだけや。人気もんやなあ、服部は」
「……どこがやねん。人だしにしおって。胸クソ悪いわ」
「そう怒るなや。ええやん、嘘から出た真、ちう話もあんで。あ、ちょっと違うか」
「なんやねん。それ」
「なんでもないで。服部クン」
ニヤリと、笑う。
***
退屈な本日最後のH.R終了。
とりあえず面倒なことを明日にまわすのは性に合わない。さっき和葉には先に帰らんと待っとけと言っておいた。ここは一つ、少し待ってもらってでもクラスの3分の2に自分たちの関係について一言説明した方がよさそうだ。
平次が小さく覚悟の溜息をついて振り返ると好奇心の入り混じった視線が自分に注がれている。
明日からもこんな目に合うのは、まっぴらごめんだ。
「あんなぁ」
言葉を捜して前髪をくしゃくしゃと掻く。
「何がそんなにおもしろいんか、俺にはようわからんのやけど。とりあえず、あれや。俺と和葉は……」
言いかけた、瞬間。
視界の端にポニーテールが写った。一瞬にして走り去る。
和葉??
なんやあいつ。待っとけ、言うたんに!!
クラスメイトへの説明など一瞬でどうでもよくなる。慌ててカバンを片手に身を翻してその後を追おうと廊下に飛び出した瞬間、空いている腕を取られた。
昼に和葉と一緒にいた橋元が、怯えながら見上げてくる。
「何すんねん、離せや」
橋元が怯んだ瞬間に腕を払おうとしたが袖の端を案外強く握られていた。
「か、和葉から、伝言やねん」
「伝言?」
「せや。先に行くから、服部君は後からゆっくり来てって」
「俺は、待っとけ、言うたはずや。お前かて一緒に聞いとったはずやで」
「せやけど」
橋元がチラリと2組の教室に視線をやる。全ての視線が自分達に集中していることくらい、見ないでも分かる。
「さっきの騒ぎ、うちのクラスにも聞こえとったよ」
「騒ぎってなんやねん」
「そんなしっかり聞こえたわけちゃうから、他の1組の子はなんも思てへんと思うけど、うちらは分かったし。和葉気にしとったんや」
「何をや」
「……そら、自分のせいで服部君がからかわれるん、和葉がええ顔するはずないやん」
「俺は別にからかわれてなん、ないで」
「んー。兎に角、一緒におるとまたなんか言われるやん。迷惑になるから、せやから先に行く、言うて……」
「あんのドアホ!!」
有無を言わさずに腕を振り払い全速力で駆けた。今ならまだ、あのアホに追いつける。足なら、とうの昔から平次の方が早い。
はるか後ろで聞こえた橋元の声を平次は無視した。
***
「で?」
2組の生徒の視線が、今度は多村に集中した。
「あいつら、どんな関係なんや?」
「幼馴染や」
間髪いれず、多村が答える。
「あれが?」
「そうや」
まだモノ問いたげなクラスメイト達にさらりと。
「ほな、見に行くか?」
「見に行くって、何を?」
「あの勢いやったら、門を出る前に服部の奴、遠山捕まえるやろ。幼馴染言うても、まあ、色々あるやん。あいつらがどんな『幼馴染』かは、ま、実際見るんが一番や」
「ああ、なるほど」
「百聞は一見に如かず、言うやろ?」
***
下駄箱に到着すると同時に広い校庭に出て行く和葉を視界の端に捕らえた。追いかけてくるとは思っていないのか、もう走ってはいない。
急いで靴を履き替えて、人でごった返す下駄箱を脱出する。
もう走らなくても追いつく。平次は大股でずかずかと歩くと、校門へ続くその道のど真ん中でそのポニーテールをいきなりひっぱった。
「ひゃっ」
バランスを失った和葉が平次に寄りかかるように倒れ、そのままぼんやりと平次の顔を見上げる。
「へ、平次?」
「なにしとんのや。ドアホ」
慌てて立ち上がるとポニーテールを庇うように平次の方へ向き直った。
「な、なにしてるって、平次こそ、なんでここにおんの?後から来てって、アタシ橋元ちゃんに伝言頼んだん、聞かなかったん?」
「聞いた。俺が聞きたいんは、なんでお前が先に行かなならんのか、や」
「え、えっと……」
「なんぞ用事でもあるんか?ん?」
一歩詰め寄ると、和葉が一歩下がる。
「一緒におると俺に迷惑かかるって、なんやねん」
「せやって……平次、クラスの子にアタシのこと彼女や言うてからかわれとったやん」
「別にからかわれてなん、ない。あいつらが勝手に誤解しただけや」
「そら、誤解、やけど……」
「そんでなんでコソコソせなあかんのや。俺は別に彼女やったからってコソコソせなあかんとは思わんけどな。幼馴染やろ、俺ら。なんで一緒におって迷惑なんや」
「せやから……。ホンマに彼女ちゃうんに、彼女言われたら、平次、困るやろ?」
「別に、なんも困らへん。誤解したいやつにはさせとけや。お前、ホンマに俺が迷惑思うと思っとったんか?」
「う、うん……。平次、そういうん騒がれるん、嫌いやん」
「それとこれとは関係ないやろ。アホらし」
「あ、アホらしいこと、ないやん」
呆れたて溜息混じりに言った台詞に、和葉が鋭く反応する。
「あほらしいわ。堂々としとけば、誤解なん、そのうち解けるって」
「う、うん」
「堂々としてへんかったら、余計なんか言われんで?俺、その方が嫌や」
「う……うん」
いつの間にか俯いてしまった幼馴染の表情は伺えない。怒っているのか。困っているのか。納得してくれているのか。
平次の方は。中学生になったからといって何一つ変える気はないというのに。
どうしてこう、歯切れが悪いんだか。
「せやったら、和葉は、誤解されたないからもう俺と一緒にガッコ行ったりせぇへん、言うんやな?」
「そ、そんなこと言うてへんもん。へ、平次が嫌やないんやったら、明日また迎えに行くし」
「ガッコから一緒に帰るんも、無し、言うんやな?」
「あ、アタシ剣道部入らへんよ?」
「別に毎日、言うてへんわ」
「え、ええと。無しちゃうよ。時間があったら、一緒に帰るし」
「うちに寄って宿題するんも無しか?飯食ってくんも無しか?おかん、泣くやろなあ」
「そ、そんなこと言うてへん。行く。行くもん」
「せやったら、教科書忘れたら借りに行くんとかも、ありか?」
「ありや」
「弁当忘れたら、わけてもらいにいくんも、ありか?」
「ありや……って、あかん!!アタシのお弁当なくなるやん!!」
俯いていた顔を上げて、真っ赤になって反論する。たかが弁当一つで。平次は表情を変えず、心の中でだけ苦笑する。こいつ、ホンマおもろいわ。
一緒にいて面白い相手。一緒にいて楽しい相手。性別なんて関係ない。この居心地のいい環境。
この存在は。既に自分の生活の一部だ。
「剣道部入らん代わりに試合には絶対応援に行くとか言ってへんかったか?」
「言うた。平次も合気道部の演舞、来てくれる言うてくれたし」
「それもこれも、全部無しにするんか。お前は」
「そ、そんなこと、言うてへん」
「せやったら、ええやん。また明日からも一緒にいたらええやん?」
「平次」
「今更何、変えなあかんのや。俺ら幼馴染やん。今日から急に幼馴染やなくなるなん、無理やで。昨日までと同じで、何が悪いんや」
「……せやね」
「わかったら、そんな景気悪い顔すんなや。もう、勝手に先帰るなん、なしやで」
「うん」
漸く納得したように少し笑いうその額に、軽くでこピンをくれてやる。
「なにすんよ!!」
「勝手な真似したおしおきじゃ。ドアホ。行くで、駅前のケーキ屋、お前の好きなアップルパイ無くなってもしらんぞ」
「あ、ちょう待ってや!!平次!!」
平次がすたすたと歩き出すと和葉が慌ててついてくる。
後には。彼らを遠巻きに眺めていた一段が取り残された。1年2組の面々と。偶然居合わせた生徒達。
***
「で?」
「見ての通りや」
「あれの、どの辺が幼馴染なんや」
「本人たちが言うてんのやから、幼馴染なんやろうな」
短い沈黙が、流れる。
「まあ、幼馴染、言うても色々あるけど。あいつらは、ああいう幼馴染やから」
「よく分かった気ぃするわ」
「俺らもう、慣れきってしもたんやけどな。まあ、明日からもあんなんやろから、お前らも早よ慣れてくれ」
「努力するわ」
今よりももっとアホだった頃の平次の話でした!!……って、アホなんか!!
平次の一連の行動が確信犯なのか天然なのかは、ご想像にお任せいたします。和葉は当然何も考えてませんがな。
いきなり恋人宣言……ちゃう、幼馴染宣言もどうよ、とも思うのですが、それもありかなー、と思って書きました。
中学生にしたのはあんまり意味は無いんですけど……。なんとなくそっちのが可愛らしくて自分的に萌えたので。
なお、高校は私立改方学園の二人ですが、小・中は地元の市立って事で書いてます。
地域の小学校3校分(正確には2.5校分)だったのはうちの中学。小学校は1学年4クラスで、中学校は1学年11クラスでした。
ちなみに高校は1学年16クラスありました。今は少子化でもっと減ってるんだろうな。ごめんなさい。
最初平次の一人称で書いてたので文体がちょっと変かもです。ごめんなさい。当初の予定以上に多村君(オリキャラ)大活躍(爆)アイタタ
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