暖冬と言われた今年。高知では、もう桜が満開と聞いた。
大阪の桜は、やっと咲き始め。
八分咲きくらいになったら、平次が御花見に連れて行ってくれると約束してくれた。平次がこんな約束してくれるなんて珍しい。情緒とかデリカシィとかそういう言葉と縁遠いこの幼馴染は、何故だか桜は好きみたいだ。
「それ、もしかしてデートのお誘いなんちゃうん?」
「そんなわけないやん。平次やで?」
クラスメイトのゆかりに話したらからかわれた。でも、ホントに。そんなわけないのはアタシが一番良く知っている。
平次は今。色んなことが楽しくて。アタシは勿論、他の女の子なんて目に入ってない。多分。
人並みには女の子にも興味があるらしく、誰が可愛いとか美人だとかその手の話をしてたり、他人の恋愛話は面白そうに聞いてたりするけど、自分の恋愛についての感情は今のところ欠乏気味だ。
剣道とか。勉強とか。推理とか。そんなものが優先されて、色気もへったくれもない。
「でも、ええやん。和葉は。高校も一緒やし」
「んー」
「改方やろ?ええなあ、文武両道の進学校!!服部君、剣道推薦蹴って試験受けて入ったんやろ?」
「平次、そういうところで意地っ張りやし」
アタシは、正直一杯一杯だった。中学での成績はよかったけど、改方となると話が違う。平次にアホとかマヌケとか言われながら勉強を見てもらって、やっと受かった感じ。
後三年間を。三年間ほぼ毎日一緒にいられる立場を手に入れるために、頑張った。
一緒にいて、何がどうなると言うわけでもないのだけど。この三年間一緒にいたところで何がどうなったわけでもないし。
……アタシ達は今日、中学を卒業する。
***
「遅いんじゃ、ドアホ」
いつも通り平次を迎えに服部家に到着。玄関を開けた瞬間投げかけられる身も蓋もない台詞に思わずムッとする。
「遅いって何よ。ちゃんと時間通りやん」
「どこがやねん。俺、今日は20分早くガッコ行かなならんのや」
「ええ!!??そんなん聞いてへんもん!!」
「言うたわ、ボケ」
「聞いてへんもん!!」
「とりあえず行くで!!遠回りして川沿い歩くって、あれ、なしな」
「ええーー!!」
慌しく靴を履く。その後ろからおばちゃんが顔を出した。
「あら、和葉ちゃん、今日は可愛らしくして」
「あ、おばちゃん。おはようございます」
卒業式。アタシ達生徒はカメラを持ってこないようにと厳しく言われているが、当然、保護者はその限りではない。式の後は親からカメラを受け取った生徒たちの記念撮影会になるのはいつものこと。
折角だし。アタシもちょっとは頑張った。と言っても制服だし、リボンも校則で規制されてる。化粧なんてもっての外。精々が先生に目をつけられない程度の色つきリップ。その中での精一杯の頑張り。
そのホンの小さな努力を見止めてくれるおばちゃんは、ホントにホントに凄いと思う。
平次は、「はあ?」と言いたげに一瞬アタシに視線を移して、すぐに俯いて靴紐を結ぶ。
「ほな、二人ともそこに並んでみぃ。写真撮ったげる」
「……おかん、俺急いでんねんけど」
「10秒もかからんやん。ほら、玄関先で撮ったるわ」
剣呑とした平次の視線を笑顔で受け流しておばちゃんも玄関に出てくる。こんな時、平次はあまりおばちゃんには逆らわない。逆らえば3倍時間がかかることを良く知ってるからだ。
「ほら。二人ともそこ並んで」
「早よせぇ、和葉。俺ホンマ遅刻するわ」
「うん」
急いで制服を調えて。平次の隣に立つ。
「ほな、行くで」
パシャ。と無機質な音がする。
「もう一枚なぁ」
「……おかん……」
「ほら、何二人で突っ立ってるん。何か、こう、もっと楽しそうに」
「ピースでもせぇっちうんか」
「せめて笑いぃ」
「ほな、和葉。これな」
親指を立てて、イエーイ、ってするのが最近の平次の所謂マイブームらしい。マイブーム、って、もう死語やなあ。
「行くでぇ」
「おう」
笑顔を作った瞬間。平次の腕がアタシの肩に伸びて。
パシャ。
「ほな、行ってきぃ。うちもあとから、遠山さんらと行くし」
「急げや、和葉」
「う、うん。ほな、おばちゃん、また後で」
足早に門を出る平次についていく。
これだもん。
カメラを向けられて。ニカッと笑ってアタシの肩を抱くその仕草は男友達にするそれと全然違わない。どんなに仲がよくても。他の子と比べたら特別でも。所詮は、幼馴染。
多分、あの写真のアタシの顔は真っ赤だ。笑顔なんて作れるわけもなく。きっと目を見開いて平次を見てる。
平次はきっと。出来上がった写真を見て「なにびびってんねん、自分」って言って笑うに違いない。
平次が前をぐんぐん歩くので、アタシは少し小走りに後を追う。背丈に差があるからリーチの差は否めない。それで大股で歩かれるととても歩いては追いつけない。
自然、話をする余裕も無く、何も言わない背中を一生懸命追いかけるだけ。肩に掛けたカバンが何度も肩から落ちそうになって、持ち直す。こんな時、撫で肩はホント不便。
赤信号の横断歩道。止まる平次にやっと追いつく。何か話し掛けようとした瞬間、信号が青に変わる。平次がまた大股で歩き出すのに、アタシはちょこちょこと付いていく。
毎日通ったこの道を一緒に歩くのも、多分今日で最後。
横断歩道を渡りきり、直進しようとすると平次が左に曲がった。
「え」
「川沿い歩くんちゃうんか?最初急いだから、ちょっとくらい平気やろ」
……さっきなしって言ったのに。20分前に着くだけならそんなに急がなくても、とは思ったけど。あんなに急いだんは、アタシのため?
まさか、ね。
川沿いには桜並木があって、日当たりのよい木はもう随分花を咲かせていて。水面に写る桜が綺麗で、アタシは平次と一緒に見たかったのだ。
いつの間にか平次の歩調が緩んでいる。桜、平次も見たかったんかな。
「桜、綺麗やね」
「ん?ああ」
「平次、桜好きやろ」
「別に……」
「好きやろ?」
「ん……まあ、なあ」
珍しく、ぼんやりと視線を桜に移す。視線が、柔らかく、優しくなってアタシはちょっとドキッとする。
「すぐ、散ってまうやん。せやから、ちゃんと見たらな、思うんや」
「……なんや、めっちゃ平次っぽくなくてきしょいんやけど」
「なんやと?」
「なんでもない。せやけど、なんで今日早く行くん?誰かと待ち合わせ?」
「ちゃうわ。卒業式の打ち合わせや」
「ああ、答辞の」
そういえば。この3年間成績優秀かつ剣道部で優秀な成績を修め続けた平次は、今日の卒業式で答辞を読む。
毎年元生徒会長が選ばれるのに、今年は何故か平次に決まった。自分が選ばれると思ってた井村君がすっごく悔しがってたって聞いた。
「面倒くさいわ。答辞なん。井村に読ませとったらええのに」
「またそんなこと言うて。嬉しいくせに」
「嬉しいなん、あるかい。大体あれは毎年前の生徒会長が読むもんちゃうんか?」
「そうとも限らんらしいで?今までも何度か例があったみたいやし」
「何で俺やねん」
「嬉しいんやろ?」
「嬉しない」
「素直に認めたらええのに!!」
最初、ホントに平次は面倒くさそうに、断ってしまいそうな勢いだった。その平次が結局引き受けた理由を……多分、アタシだけが知っている。
「なんや、平次。卒業式で答辞読むんやてなあ」
「……和葉、お前余計なこと喋るんちゃうわ」
珍しく、平次のおっちゃんが早く帰ってきて、居間にいた平次に声をかけた。アタシは、台所でおばちゃんに籠カステラの作り方を教わっている所で。
おばちゃんに目顔で頼まれて、お茶を持って居間に行った。
「……面倒やし、断ろう思てるんや」
「なんや。そうなんか。……せやけど、懐かしいなあ。中学校の卒業式なん。お前ももう、高校か」
「オヤジが年とるはずやろ?」
「そういや答辞。わしも読んだわ」
「え」
ずっとこの町で育ったおっちゃんは、アタシらの中学校のOB。
「オヤジ、生徒会長なんやったんか?」
「やらんかったが。何故か先生に言われてなあ。そう言うお前も生徒会なん、やらんかったやろ」
「毎年生徒会長がやるわけちゃうみたい。平次、この前の全国模試の成績よかったし。剣道部で主将もして全国大会行ったし」
「……別に、選ばれたかて、嬉しないわ」
視線を外して。吐き捨てるように言った平次の顔は不機嫌そうだったけど。………一瞬見せたその目は、すごく、嬉しそうだった。
ずっと、もっとずっと小さい頃から平次はおっちゃんに憧れている。平次の目標は、おっちゃん。一番近くて、それでいて大きすぎるくらい大きい、目標。
だから。
ホントに、嬉しかったんだと思う。おっちゃんがしたように、自分が答辞を読めることが。
自分でも知らないうちに、少しでもおっちゃんに近づけていたことが。
あんなに嬉しそうな平次、滅多に見れるものじゃない。
平次は相変わらず嬉しい気持ちを認めない。面倒くさいとかなんで俺やねんとか言いながら。少し誇らしげなくせに、認めない。でも、平次のことだからおっちゃんのことを持ち出せばもっと強く否定するに違いない。だから、内緒。
あの時、平次のあの表情を見たことは、内緒。
「せやけど、大変なんは答辞よりその後やで」
「後?」
「せや。去年の卒業式、答辞読んだ後藤さん、退場した後もみくちゃにされとったやん」
「ああー。第二ボタン」
「なんで答辞読んだくらいであんな目ぇにあわなあかんのか、俺ようわからんわ」
……それ、はずれてないけど、ちょっと違う。
去年、後藤先輩が卒業式会場の体育館から出た瞬間第二ボタン目当ての後輩達にもみくちゃにされたのは、別に答辞を読んだからじゃない。
成績優秀でスポーツ万能、サッカーの中学生関西選抜にも選ばれた上に、元生徒会長。その上二枚目。女の子に人気が無いわけが無い。
すっごい可愛い彼女がいたけど、そんなことは関係ない。ボタン争奪戦は毎年の恒例行事。ちょっとでも人気のある先輩達がもみくちゃにされる。本命とかそんなのは関係ない。単なるイベント。
他にも人気のあった陸上部のエースの先輩とか、ブラスバンド部の元部長とか。あっちこっちで凄い騒ぎになってたのだけれど、さっさと帰ってしまった平次は知らないのかもしれない。
……二枚目、と言う程ではないかもしれないけど、平次だって格好イイと思う。幼馴染の贔屓目では、多分無い。成績もいいし、剣道では大阪大会個人戦三連覇。
口が悪くてデリカシィが無い以外、性格もまあよし。女の子の人気が、ないわけがない。実際、ある。そこそこ、ある。……結構、ある。
こんなん、何処がええのやろって思うのに。ある。
まあ、ボタン争奪戦は、お祭みたいなもんだし。今年もあるんだろうな。
「……ま、たかがボタンやん?さっさと外して節分の豆まきみたいにぱーって投げてもうたらええやん」
「アホ。ボタン取られたら、この学生服もう着られへんやん」
「……もう着ぃへんから、卒業式でボタン貰うんやろ?」
「あー。そういうことなんや」
「……平次、アホなんちゃう?」
「うっさいわ」
「別に今更……第二ボタンなん、信じてるコ、おらへんやろし」
「第二ボタン、て」
足を止めて、平次が振り替える。
「好きな人の第二ボタン貰うとええ、っちう、あれか?ええ、言われても、何がどうええねん」
「アタシかて知らんよ。……両想いになれるんちゃう?後は……記念とか……」
「別に第二やなくてもええやん」
「だから。アタシかて知らんもん。そんなん、誰ももう信じてへんよ。ボタン貰いに来るコなん、別に第二やなくてもええんよ。平次の、ボタンやったら」
「それと答辞読んだやつのボタン奪うんと、なんの関係があんねん」
「……平次、やっぱアホやわ」
アタシは、わざとらしく大きく溜息をついて歩き出す。眉間に皺を寄せて平次も遅れて歩き出す。
「誰がアホやねん」
「アホはアホや。女の子に囲まれてもみくちゃにされるん嫌やったらさっさとボタンは渡すことや」
「……」
「別に……貰った子やって、誤解したりせぇへんやろ。第二やからって……特別な意味があるんかな、とか……」
「なんや、ややこしいなあ」
「……平次が、アホやからや」
平次を振り切るように歩調を上げる。折角の桜を、愛でる気分ではなくなってしまった。
第二ボタン。そんなん、関係ない、と思う。今更や。ホンマ、なんて言うの?形骸化、ってやつ。今更、何の意味も無い。そう。多分……無い。意味なんて、ない。
お祭みたいなもの。行事の一つ。ちょっと人気のある男の子が毎年囲まれて。ボタンを奪われて。
去年、後藤先輩の彼女は、結局ボタンは貰えなかったって聞いた。誰がボタンを貰ったかしらないけど、でも先輩が好きなのはその彼女なわけで。
関係ない。……平次のボタンを誰が貰おうと。第二ボタンを誰が手にしようと。それは、平次の気持ちとは関係ない。
……例えアタシが手にしたとしても、関係ない。だから。
だから。別に。
……第二ボタンなんか欲しくない。アタシがホントに欲しいのは。第二ボタンなんかじゃないから。だから、第二ボタンなんて、どうでもいい。そう。どうでもいい。
もう一度、大きく溜息をつくと、不意にポニーテールを引っ張られた。
「何するんよ!!」
「アホ。下向いてどうすんねん。折角の桜が、泣くで」
引っ張られたまま、無理矢理上を向かされる。
「折角の卒業式に、何、景気悪い顔してんねん。も、面倒なこと考えんのやめや、やめ。ボタンなん、どうでもええわ。くれてやる」
「……それで、ええと思うよ」
「なんや、詰まらん顔して。お前がそう言うたんやろ?ぱーっと投げたらええって」
それも。なんだかお祭の一環としては面白い、とは思う。嘘じゃない。
「大人しくもみくちゃにされるより、平次らしいやん。最後やもん。景気よくいったらええわ」
「おう。俺、そういうのやったら得意や」
すっきりしたのか、晴れ晴れと笑う。つられて私も苦笑する。
川沿いの桜並木が切れて、本来の通学路に合流。途端に平次の足が速くなる。アタシは黙ってついていく。
第二ボタン。
ホントにどうでもいいかと言われれば、そんなわけは無い。……やっぱり欲しい。
だけど。争奪戦に加わる気にはなれない。かと言って……直接本人に欲しいなんていえるわけもなく。
……人間諦めが肝心や。
アタシは、平次に置いていかれないように更に歩調を上げた。
***
恙無く終了する卒業式。3年間の色々に想いを馳せて、つい涙が零れた。
そんな感傷も、「在校生、退場」の声で現実に引き戻される。まず、在校生が退場。本来なら、体育館から校門まで人の道が出来ている。はず。練習ではそうする。
その後を卒業生が退場する。両側から拍手を受けて。
本番では、そんなことにはならない。退場した在校生がきちんと並ぶわけも無く。卒業生が大人しく校門から退場することも無く。毎年のことだから、先生達ももう黙認。
最後に保護者が退場する。その頃にはもう、ガッコのいたるところで大騒ぎ。
体育館の外で歓声が聞こえる。あれは、きっと1組の菅谷君のファンの子達の声。あと、そうか。1組には津本君もいたなあ。
卒業生が外に出るたびに。歓声が上がる。ああ。もうすぐうちのクラス。先生の声に、アタシはのろのろと立ち上がる。順番に、体育館を進む。
名簿順。平次はアタシより4列後ろにいる。気配でわかる。後ろに並ぶ古屋君にからかわれてる。「ボタン、覚悟せぇや」って。「任せとけ。準備万端や」って声がする。
ホントに、全部外したのかな。
出口が近付く。合気道部の後輩が、一緒に写真を取りたいと言ってた。そんなことすらどうでもいいくらいに。平次が出てくることを察知した子達の声が気になってしまう。
嫌やな。出たくない。
さっきまで、凄く気持ちよく思い出に浸れていたのに。なんだか、最低な気分。自分の意志とは裏腹に、前を歩く田代さんに引かれるように歩を進める。
アタシの片足が体育館を出るか出ないかの所で。
急に腕をとられて引き戻された。列が乱れて、アタシは転びそうになる。
引かれた右手に、何かを握らされた。
「これ、持っててくれ」
低い、平次の声。
「やるんちゃうで。預かっといてくれ」
平次が外に出た瞬間、もの凄い嬌声。口々に叫んでいる。「先輩!!ボタンください!!」。アタシに言えなかった、その一言を。
「どないしたん?和葉」
本来ならとっくに体育館を出ているはずのアタシに、ゆかりが声を掛ける。
「ちょっと……コケてん」
「ふうん?行こ。あとで、写真撮ろ」
「うん」
ゆかりといっしょに体育館を出る。平次はもう、人だかりの中で見えない。
「いっくらでもやんで!!こんなもん!!」
楽しそうな平次の声がする。
何度か、歓声が上がる。……ホンマに、投げたんや。平次、ホンマにアホやな……。
思わず笑みが零れてしまう。さっきとは、打って変わって幸せな気分で。
アタシは。ポケットの中で右手を握り締めた。
***
その後。平次がアタシに預けたそれについて口にすることは無く。アタシも何となく切り出せず。
今でもまだ、アタシの机の中で眠っている。
ええと、卒業式の争奪戦は友人の高校の話をちょっと脚色。写真と答辞と桜と第二ボタン。……詰め込みすぎです!!詰め込みすぎです!!
うちのガッコでも、なんかもう第二ボタンなんてかな〜り形骸化してました。
つか、第二ボタンがどういいのか、私自身も覚えておらず。
でも。どんなにお祭りになっていようと形骸化してようと有名無実になっていようと!!
やっぱ欲しいよね!!第二ボタン!!やっぱあげたいよね!!第二ボタン!!ね!!ね!!ねぇ!!
もう桜満開ですが……寧ろもうすぐ入学式ですが……。どうぞ御容赦ください。
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