今日は、二月にしては日差しが暖かい。外はまだ寒いけど。柔らかい日差しと、澄んだ空。そして。
服部家の庭の梅の木が、綺麗に花をつけた。紅梅と白梅が、一本ずつ。庭の池の傍に立っている。
「綺麗やねぇ……」
「ああ、梅?」
おばちゃんは、もうすぐお茶会に出かけてしまう。身支度をしながらひょいと顔を出す。
「ホンマ、今年は暖かかったから。綺麗に咲きはったわ」
「……平次は、この梅の花見たんかな」
「平次?」
パタパタと廊下を行くおばちゃんの足音がする。アタシは居間の炬燵で宿題をさせてもらってる。
金曜に出た数学の宿題がどうにもわからなくて。昨夜平次に電話で泣きついたら、教えてやるから明日家に来いと言われた。午前中は部活の練習試合だけど、昼過ぎには戻るから、と。
時計はそろそろ13時。
「せやねえ。あの子、ここんとこ忙しくしとったから。もしかしたら、気付いてへんかもしれへんね」
「折角綺麗に咲いたんに……」
「試合が近いから、最近寒いんに朝練やん?雨戸開けへんうちに出てくし、帰りも遅いしなあ」
「そっかー」
確かに、ここの所平次は忙しい。朝錬があるから一緒に登校もしていない。部活も遅くまで自主錬してたり、事件に首突っ込んだり。
「ほな、おばちゃんそろそろ出かけるけど。台所にお昼作っといたから。平次にも言っといて」
「んー。ありがと、おばちゃん」
「和葉ちゃんが好きな菜の花のおひたし作っといたから。あと鰤大根」
「わーい。おばちゃん大好き!!」
「好きなんはうちやなくて、鰤大根やろ」
「もー!!そんなわけないやん!!アタシ、おばちゃん大好きやで!!」
「おおきに」
ひょいと顔を覗かせて。
「ほな、行ってくるから。あと宜しゅうな」
「いってらっしゃーい」
おばちゃんとほぼ入れ違いに、携帯がなる。物凄く、嫌な予感。
「もしもし。俺やけど」
「わかってるって」
ちゃんと電話帳登録して。平次の時だけ着信音も変えて。画面の発色設定も変えて。わからないわけが無い。
「あんな、長谷川が脚痛めてな、今病院行ったんや」
「長谷川……くんて、ラグビー部の?」
剣道部の練習試合に行ったはずなのに何故ここでラグビー部?
剣道部の練習試合は午前中。試合が終わって帰るところに、同じ高校に練習試合に来ていたラグビー部の連中と出会った。が、ウォーミングアップ中に平次と和葉のクラスメイトに当たる長谷川が足を捻って腱を伸ばしてしまったという。
運動部は全般的に盛んな改方学園の中でラグビー部は現在部員がギリギリ15人しかいない。少し前に内部分裂があって、3年生を中心に半分くらいが退部してしまったと、和葉も長谷川から聞いたことがある。
「で、なんで平次が代役なんよ。平次、ラグビーなん、やったことあんの?」
「んー。まあ、授業でやったくらいやけど……しゃーないやろ?長谷川に頭下げられたら、俺かて断られへんわ」
「それは……せやけど……」
「別に宿題なん、夜でもええやろ?ええやん、和葉も見に来いや。俺がラグビーしてるところなん、そうそう見れへんで」
「あかんよ。アタシ、おばちゃんに宅急便受け取っといて、言うて頼まれてもうたもん」
「なんや、そうなんか?あのおばはん、ホンマいらんことしかせぇへんなあ」
確かに、上手いか下手かは兎も角、ちょっと平次のラグビーは見てみたかったが仕方がない。それにしても、運動神経がいい平次が大抵のスポーツをこなすのは知っていたが、ラグビーは意外だ。
「んー、まあ、せやったらしゃあないわ。ホンマ、一試合だけって話やから。終わったらすぐ帰るから。ええやろ」
「ええけど。まあ、別に遅なっても今日は他に用事あるわけちゃうし……」
「ちゃんと帰ったら数学教えたるから」
「ん。そんかし、怪我したらあかんよ。試合、近いねんから。他所の練習試合の助っ人やって自分怪我して試合出れへんかったら、アホやで?」
「おお。気をつけるわ。ほな、もうすぐ始まるから、な」
「ん。気をつけてな」
電話が切れた。
大きくため息をつく。
「まったく。鉄砲玉やねんから」
勝手知ったる他人の台所で鰤大根と味噌汁を温める。一人で食べるご飯は、やっぱりちょっとつまらない。
お盆にご飯を載せて居間の炬燵でお昼にする。普段宿題をするのは平次の部屋だが、梅が見たいといったらおばちゃんがこっちに炬燵を出してくれた。
音が無いのがやっぱり少し寂しくてついTVをつける。もう、バレンタインが過ぎたら、情報番組はホワイトデー特集。……平次は、今年は何かくれるんだろうか。
毎年、面倒くさいと言いつつもアタシの分だけはお返しをくれる。他の義理チョコについては音沙汰なし。こんな時、幼馴染でまだよかったと思ってしまう。
「彼女」ではないまでも。一応、その他大勢とは違って特別なんだな、と。……それで満足してたら、あかんねんけどな。
完食して食器を洗って。平次の分にラップして冷蔵庫に入れて。もう一度数学とにらめっこ。
「あかんわ。国語の宿題、終わらせておこ」
宿題が出ている全部の教科持ってきたことにちょっとだけ感謝した。数学は、これ以上一人で考えてもどうにも埒があきそうに無い。
ふと庭に目をやる。綺麗に咲いた梅。やっぱり花は心和む。癒し系?なんだかほっとする。
「平次も、たまには落ち着いて花とか見たらええのに」
そういえば。教科書をパラパラめくる。この前、梅の花の出てくる和歌をやった。
平次の携帯にメールする。タイトルは、「東風吹けば」。本文には短く「綺麗に咲いてるで」。
「人生、少しは余裕もたなあかんって。な」
誰にともなく呟いてみる。TVを消して、宿題に集中。程なくして宅急便が届いた。一瞬、平次のラグビー……と思ったものの、今から行ったのでは丁度試合が終わる頃。
それよりもなによりも。なんだか、暖かい日差しをガラス越しに受けつつ、暖かい炬燵でぬくぬく宿題をやっていたせいか……。
「眠い〜〜〜〜かも〜〜〜〜〜〜〜」
アタシは一つ大きく伸びをした。
***
途中、携帯のメール着信音がした。気がした。夢だったろうか。
ああ。なんだか、甘い香りがする。
「いい加減、起きんか。こら」
軽く頭を小突かれて。
「ん……」
気付くともうすっかり夕暮れ。いつの間にかアタシの肩には赤い半纏がかかってる。
「あ……お帰り、平次……」
「ったく、応援にも来ぉへんと、宿題やってるんか思たらぐーすか寝てるし」
「え、ええやん。眠かってんもん」
「さっきおかんから電話あったで。なんや、遅なるから、晩御飯勝手に作って食うとけって」
「あ、平次のお昼ご飯……冷蔵庫に……」
「おお。おひたしと鰤大根やろ?もう食った。あと味噌汁とご飯な」
「あ、気付いたんや……って、平次、いつ帰って来たんよ」
「……一時間くらい、前、か?」
「さっさと起こしてくれたらよかったんに」
「涎垂らして気持ち良さそに寝とったからなあ。下手に起こすと、和葉機嫌悪なるし」
思わず手元のノートを確認する。
「涎なん、垂らしてへんもん!!」
「頬っぺたに、ノートの跡付いてんで」
「う」
確かに左の頬に一筋、ノートの跡がついているのが触ってわかる。頬を撫でた時に、肩から半纏が落ちた。
「これ、平次が?」
「……あー」
「ありがとな」
「風邪引かれたら、かなわんしな」
レンジのチンという音がして、平次が台所へ戻っていく。
ふと思い出して、携帯電話を確認する。メールの着信がある。ああ、夢じゃなかったんだ。
「メール……平次から……」
開くと、アタシのメールへのレスだった。
「誰が誰の主やねん。こら」
……?
短い一文。何のことだかわからない。
「平次ぃ」
「んー」
「このメール、何?」
平次がもう一度顔を出す。なんだか、台所からは甘い香りがしてくる。
「お前がくれたメールへの返事や」
「……どの辺が?」
「どの辺がて、東風吹かばにほひをこせよ梅の花、やろ?」
「うん。梅の花、咲いたでって。折角綺麗に咲いたんに、主の平次が気付かんかったら、可哀想やん」
平次の目が点になる。
「へ?」
「へ、って?」
「……なんや」
「なんやって、何よ」
「なんでもないわ。そのメール、なかったことにしてくれ」
「……なんで?」
「なんでもや」
「……気になるやん。なんで?なんでやの?どういう意味やったん?平次」
「知らんわ。間違いメールや。さっさと消せって」
「……メッチャ気になる。なあ、平次ぃ。どういう意味で送ったん?これ。誰が誰の主人って……」
「ええやん。俺の勘違いや。さっさと消せって」
「気になる!!」
東風《こち》吹かばにほひをこせよ梅の花 主《あるじ》なしとて春を忘るな
折角。春を忘れずに梅の花は咲いたのに。それを主である平次が忘れてては意味がない。気付いてあげてね、そんな意味だったのだが。
誰が、誰の、主?平次が、梅の、主。
それ以外に、何が?
「平次、わからへん」
「わからんでええわ。ホンマ、間違いや。なかったことにしてくれ」
「なんでそんな頑ななん!!気になるわ!!」
「お前こそ何でそんな拘んねん。うだうだ言うてると、鶯餅、やらへんで」
「鶯餅?どないしたん?買うて来たん?」
「食うんか?食わないんか?」
炬燵に座るアタシを、得意げに見下ろしてくる。
「う……。食べる……」
「食べるんやったら、そのメール、消せや?」
「ええ!!??」
「せやなかったら、俺が一人で全部食う」
「……試合前に、太るで!!平次」
「別にこれくらい何でもないわ。別にええねんで?食いたくなければ」
別に。消したところでメールの内容は覚えている。どうせ、短いメールだった。別に……あぶりだしとかも、ないみたいだし。
「え、ええよ。せやったら、消すから」
「もう、あのメールの話は、なしやで?」
「なんか、そんな大事なメールなん?」
「ちゃう。単なる間違いや、言うてるやろ?」
言い置いて、台所へ引っ込む。その隙に携帯を確認。何度読んでも意味がわからない。「誰が誰の主人やねん、こら」
他に仕掛けもなさそうやし……。
「ほおら。鶯餅やで〜。どないすんねん」
平次が差し出したお皿の上には。綺麗な黄緑色の鶯餅。……ほかほかの。
「……湯気立ってる」
「おお。出来たてやで」
「……出来たて?」
「せや」
「……平次が作ったん?」
「おお」
「えええええええええええええ!!??」
平次は、料理は結構作る。面倒だ面倒だと言いながら、なんだかんだでレシピぱっと見の大雑把な料理で、それなりに……下手するとメチャクチャ……美味しいものを作る。
が。鶯餅?
「平次が?」
「おう。この前新聞に載ってたんや。簡単鶯餅の作り方、言うてな。折角梅も咲いたやん。作ってみたんや」
「ええー!!食べたい!!」
「せやったら、メール」
「うん。消す!!」
即座に携帯を操作してメールを削除する。満足げな平次がアタシの前にお皿を置く。
「食べてええの?」
「ちょう待て。茶ぁ入れてくっから。手掴みで食うんちゃうで。ちゃんと串持って来るから」
「わーい。ありがとー!!待ってる!!」
少し苦笑して平次が台所へ引っ込む。確かに。炬燵に座ったまま至れり尽せりに甘えるアタシは苦笑されるに値するかもしれないけど。今は幸せだから、まあいいか。
「ほら。茶ぁやで〜」
「ありがと!!平次」
お茶を置いて、平次も炬燵に入り込む。殆ど落ちかかった日に仄かに庭の梅の木が照らし出される。
一つ、鶯餅を食べる。
「美味しい!!」
「残念ながら餡子は市販やけどな。今度おかんに言うて、漉し餡作ってもらったら、また作ったるわ。鶯餅」
「餡子やったら、アタシ作れんで」
「ホンマか。せやったら、今度頼むわ」
「ん。でも、市販の餡子でも、メッチャ美味しいで。この鶯餅!!平次がこんなん作るん、意外や〜〜」
「いっくらでも食うてええで。また作ったるわ」
「ホンマに!!??平次、大好きやで!!」
「……大好きなんは、俺やのうて、鶯餅やろ」
「もー!!そんなわけないやん!!アタシ、平次も鶯餅も大好きやで!!」
「そら、おおきに」
***
梅の花が、俺。主は、和葉。
アタシが側にいなくても、ちゃんとアタシのこと忘れんとってな?
そんな、無茶苦茶都合のいい解釈をして、一人照れて突っ込みのメールを出したなんて。口が裂けてもいえない。
簡単鶯餅の作り方〜。耐熱ガラスのボールに白玉粉50gと水100cc砂糖100gを入れてよく混ぜて(粉類は徐々に入れるのがコツ)、ラップしてレンジでチン。
一分ごとに取り出しては混ぜ取り出しては混ぜ、粘りのある牛皮になったら鶯黄粉を敷いたバッドの上にあけます。粗熱が取れたら約12等分にします。
で、餡子を包んで再度鶯黄粉をまぶしたら、美味しい鶯餅の出来上がり〜〜〜。美味〜〜〜〜!!平次!!お疲れ様!!
平次がかなり一人相撲な感じで、私的には可愛らしくて気に入ってます。和葉は……気付かないんだろうなあ。きっと。
ラグビー平次は、自分的に意外なところを持ってきました。いや、一瞬サッカーも考えたんですけどね。それはまあ、新一の専売特許(?)なんで。
和葉が絶対に応援に来てくれる、たまには意外な一面見せたろ、ついでにカッコいいトコ見せたろ、とか思ってたに違いない平次。ご愁傷様。
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