ずっと嵌ってた推理小説をやっと読み終わり、服部平次は大きく一つ伸びをした。話の盛り上げに対してトリックは大したことが無かった。この作家は好きだが、この作品は60点くらい。
コキコキと首を左右に倒し、軽く肩を回してみる。
「なんや、平次。肩凝ったん?」
「いや?別に……」
日曜の昼下がり。外は雨。剣道の稽古から戻って昼食を取ってゴロゴロしていたら、幼馴染の遠山和葉がひょっこり訪ねてきて、そのまま何とはなしに平次の部屋で二人で本を読んでいた。
和葉が読んでいるのは原版の「ハリー・ポッターと賢者の石」。さっきから辞書を片手に頑張っている。
「肩、揉んだげるよ」
「ええって。ホンマ、特に凝ってへんし」
「別に遠慮せんでもええよ。やったげる」
「いらんっちうに」
「折角アタシが親切に言うてんのに」
「お前の親切は裏がありそうで怖いんや」
「なんやてー!!」
和葉が手元にあったアーモンドチョコを鋭く投げつける。上手く受け取った平次はそれをポイっと口の中に放り込んだ。
「和葉が俺の肩凝りなん、心配してくれるとは思えへんしなぁ」
「何言うてんの。アタシはいっつも平次のこと心配してんのやで?ホンマこの幼馴染は鉄砲玉やから?怪我とか多いし」
「アホ。怪我と肩凝りは全然ちゃうやん」
「アタシは、平次の体を心配してあげてんのや。ありがたいやろ?」
「おー。ありがたい、ありがたい。で?なんやねん」
和葉が慌てて本に目を落とす。
「別に。なんも無いもん。揉んでいらんのやったら、もうええわ」
「なんや。お前んとこのおっちゃんも最近肩凝り酷いから、それでかと思たわ」
「お父ちゃん、平次にも言うてたんや?」
つい反応して和葉が顔を上げると、妙に嬉しそうな平次の視線とぶつかった。やられた、と気づいた時にはもう遅い。
「やっぱりや。肩、揉んであげたいな〜、思たけど、やったことないから俺で練習しよ思たんやろ」
「え、ええやん。別に」
「なんや。心配してるとか言うて、結局俺は練習台か」
「ちゃ、ちゃうもん!!平次のことも、ちゃんと心配してますぅ!!」
「ホンマ、この幼馴染は薄情や」
「ちゃうって!!もう!!」
「ま、ええわ。練習台、なったろか?」
常日頃剣道で鍛えていることもあって、平次は残念ながら肩凝り持ちではない。確かにさっきまでは腹ばいに寝っ転がって本を読んでいたので、多少固くはなっているが。
「ええの?」
「ええで?別に。肩揉まれて死んだ言う話は聞かへんし」
「どういう意味よ、それ」
「上手なって、肩揉んだったら、おっちゃん喜ぶで。せやけど、お前ホンマやったことないんか?」
「ん……。お父ちゃん、今まで肩凝ったなん言うたことなかったし……」
「俺なん、子供ん頃からオヤジやおかんの肩揉まされとったからなあ。プロ級やで」
「うん。平次はよくやっとったやんな……。アタシもやっとけばよかった」
「ほな、揉んでもらおか」
平次が起き上がって胡座をかいて座る。和葉は、読みかけの本を栞を挟んで閉じ、平次の後ろに回った。
稽古の後にシャワーを浴びた平次の髪からは、ほんのりとシャンプーの香りがする。高鳴る鼓動を抑えて、尋ねた。
「どうしたらええの?」
「どうしたらって……とりあえず見様見真似でやってみぃや」
「うん……」
立膝をついて座り、恐る恐る平次の肩に手を伸ばした。
沈黙が流れる。平次の顔が見えないだけに、妙に落ち着かない。外は雨。葉を打つ雨の音がパラパラと部屋に染み渡る。
平蔵も静華も留守にしているため、階下からの音もない。居心地が悪くなり、なんとなく和葉は話題を探した。
「平次の肩」
「ん?」
「幅がある」
「んー。俺、結構肩幅広いんよな」
「ううん。肩幅もやけど……胸板が厚い……ともちゃうか」
「あー。そっちか」
「ん。アタシの手が小さいんかな」
「剣道部員の肩、なめたらあかんで」
「なめてるわけやないけど。今まであんま気付かへんかったな……思て……」
「ま、普段気にすることないしなぁ」
「でも、ええやん。肩幅広いんは。男の人のは……なんか、カッコイイ」
「そら、あんがとー。……せやけど、和葉」
「ん?」
急に振り返られて、和葉は反射的に手を離した。一瞬見上げれらて、その視線が盛大な溜息とともに落ちた。
「お前、めっちゃ肩揉むの下手やなぁ」
「しゃ、しゃあないやん!!ホンマ、やったことないんやもん!!」
「俺がやってんの、隣で見とったこととかあったやろ!!」
「見ててもわからんもん!!」
「注意力なさすぎや。ちゃんと見とけ!!俺、そんなやり方したことないで?」
「それやったら、どないしたらええんよ!!」
「んー」
どうと言われて、こうと言えるものでもない。散々言葉を捜した結果、平次は腰を上げた。
「ほな、お前の肩、揉んだるから。選手交代や」
「え?」
「オヤジかおかんがおったら俺が揉んでるとこ見せればええんやけど、今二人ともおらんし」
「うん……」
「ほれ。そっち座れって」
律儀に正座する和葉の後ろに回る。今度は平次が和葉の髪の香りにドキリとする番だった。
「なんよ?髪、邪魔?」
「いや、ええで。別に。真中に馬の尻尾が垂れてるくらい」
「馬の尻尾いうな!!」
振り返ろうとする和葉の頭を上から抑える。
「アホ。振り返るなっちうに。こんな至近距離で振り返られたら、馬の尻尾があっという間に凶器やで」
「ご、ごめん」
「ま、ええわ。ええか?ここんとこに首の骨あるやろ?」
白い和葉の首筋にそっと触れる。さっき和葉は平次の肩幅に驚いていたが。やっぱり今度も平次の方が驚く番で。
その白さとか。首の細さとか。小さな肩とか。細い腕とか。妙に色っぽく感じてしまう項とか。
抱き締めたら、後ろから抱き締めたら壊れてしまうかもしれない。それでも。抱き締めたくなる。
その衝動を「幼馴染」という枷で辛うじて踏みとどまった。小さく一つため息をつく。
視線をさ迷わせ、それでも平静を保って、むしろ平静を保つために説明を続けた。
「この辺りやな。で、肩は手のひらで揉むんちゃうんや。まあ、それでもええ時もあるけどな。基本的には親指で、こう……」
「痛!!」
小さく上がった悲鳴に、つい手を離す。
「なんや、そんな痛かったか?」
「んー。メッチャ痛い言うほどちゃうけど……痛い……」
「ちょっとは我慢せぇや?まあ、あんま揉むとなあ、揉み返し言うて後で辛なるから。なんつうか……痛気持ちい範囲で……これくらいでどや?」
「あ……ちょっと……痛いけど……気持ちいい…かも……」
和葉の口から漏れる言葉に手が止まりそうになる。手どころか心臓まで止まりそうになる。が。
……なんちう声出してんのや!!誘っとんのか、こら!!
とも、言えない。軽く頭を振ってあらぬ方向へ転がりかける意識を引き戻した。幸か不幸か家人は居ない。広い家にはたった二人だけ。自分の部屋に二人きり。
引き戻した意識を理性の戒めできっちり結んでおかないと、幼馴染の一線を越えるどころか下手したら犯罪一直線である。
「それにしても、和葉。お前めっちゃ凝ってんで。肩。俺よりおっちゃんより先に自分やろ」
「そ、そかな」
「凝ってる凝ってる」
「い、痛い……」
「俺今、メッチャ手加減してるんや。これで痛いって、そら……高校生の肩ちゃうで」
「ええ!!」
「おかんやってこんな凝ってへんで。まあ、あの人も剣道で鍛えとったから、凝らん方かもしらんけど」
「うう」
細い肩は柔らかいだろうと思ったのに。存外に固く凝っていてなんだか平次は面白くなかった。
「お前、普段から肩に力入りすぎなんちゃうか?」
「そんなん言うても、そうせぇへんと姿勢悪なるやん」
「ちゃうちゃう。もっとなぁ、肩の力抜いて生きろ、言うてんのや」
「い、痛いやん!!平次!!」
「頑張りすぎやねん。まあ、頑張らなあかん時は頑張ったらええけど、肩の力抜いてぼんやりする時はせなあかんで?」
「してるもん!!って、イタタ」
「ちょう、我慢せぇや。ったく、なんでこないガチガチに……うわあ、背中も凝ってんで!!ここ、気持ちいやろ」
「う、うん」
「こう、背骨にそってな……」
「うん。気持ちい……平次ぃ…めっちゃ気持ちい……」
平次の指が押し付けられるたびに、痺れたような感覚が広がっていく。程よい痛み。そして、少しずつ軽くなっていく体。
一緒に、意識まで解放されていくような感覚に襲われる。夢見心地な気分になり、和葉は軽く目を伏せた。瞬間。
「ああ!!もう!!ホンマに!!」
急に大声で立ち上がった平次に、吃驚して和葉が振り返る。
「な、なに?」
「和葉、お前ちょっとそこに寝てみぃ!!」
「え、ええええええ!!!???」
「早よせぇ。ほら」
腕を捕まれて強引に床に伏せられる。あまりのことに事態の把握が出来ないまま呆然としてると、視界の端に平次が自分に跨ってくるのが見えた。
「ちょ、ちょっと!!平次!!」
「うるさいわ!!少しは静かにせんか!!」
「なにするんよ!!ちょう待ってや!!」
「アホ!!もっと気持ちようしてやるっちうんじゃ!!黙っとけ!!」
「え!!??ちょ、ちょっと平次!!」
***
帰宅して、一声掛けようと思ったところ、二階から人の声と物音が響いてきた。「ただいま」の声を飲み込む。耳を澄ませたが、物音はもうしない。
静華は足音を殺して、一歩一歩階段を上がった。
声は、まだ部屋から漏れてくる。
「ちょ、ちょっと、平次。乱暴やって。痛い〜〜イタイイタイイタイ」
「これくらい我慢せぇっちうんじゃ。後で気持ちようなるから」
「う、うん……せやけど……イタイ〜〜〜〜」
「痛いけど気持ちいやろ?痛いだけか?」
「う。……気持ちいいです……あ、あ」
「ここ、気持ちいか?」
「うん。あ、その辺!!今んとこ!!もっと!!」
「ここか?」
「うん。そこ。あ。気持ちい!!」
「この辺とか、どや?」
「あ、あ、あ。メッチャ気持ちい!!」
「……ったく、最初から大人しゅうしとったらよかったんや。なあ」
「せやかて……平次が急に……。あ、その辺!!い、イタタタ」
「どっちやねん!!」
「痛いけど、気持ちいねんもん……。それより平次……ちょっと重い……」
「和葉。お前、注文多過ぎやで」
カチャリ。
無機質な音が部屋に響き、平次は固まった。振り返るとドアの隙間から、母、静華の姿が見える。平次の手が止まったのに気付いた和葉も振り返った。
「お、おかん……」
「あ、おばちゃん。お帰りなさいぃ」
今更なのは分かっていたが、急いで和葉から立ち上がる。
「なにしてたんや?平次」
何をしていたかなど。一目瞭然だったが、とりあえず静華は息子に問うてみた。
平次は答えない。
広い家に若い男女が二人きり。この二人にとっては今更なシチュエーションかもしれないが、それでも二人きりには違いない。しかも場所は自分の部屋。
そして目の前には、可愛い、年相応に発育したお年頃の幼馴染。この状況を目の前に。
「平次に、マッサージしてもろてたん」
「よかったなぁ。和葉ちゃん。どうやった?この子、結構上手いやろ?」
「うん!!めっちゃ肩と背中、軽なったん!!やっぱアタシの肩、凝っとってんなあ。ありがとな!!平次」
「お、おう」
うつ伏せとはいえ可愛い幼馴染を組み敷いて。あんな可愛らしい声をあげさせて。
それでも一線を越えない息子を。
甲斐性無しと罵るべきか、無敵の理性を誉めてやるべきか。
嘴の黄色いヒヨっ子には、まだ早い、とは思う。ちゃんとこの幼馴染を守れるだけの力を身に付けるまでは指一本触れることは許さないつもりでいる。
つもりではいるのだが。この状況を目の当たりにすると、それはそれで不安になる。
……プレッシャー、かけすぎたやろか。
かといって、そうそう簡単に押し倒してもらっても困るのだが。
平次は気まずそうに視線をさ迷わせて、静華を見ようとはしない。その様子に、ホンの少し安堵した。
……一応、後ろめたい気分はあるんやな?
ならばこの場合、無敵の理性を誉めるべきだろう。
「平次、頑張ったんやねぇ」
「な、なにがやねん!!」
「何がって、マッサージに決まってるやろ?ほな御飯にするから。和葉ちゃん、下、手伝ってもろてもええ?」
「うん。ええよ。平次、また肩凝ったら、お願いしてもええ?」
「お、おお。ええで」
「ほな」
和葉を先に廊下に出し、閉まる寸前の扉からニッコリ笑った。
「ごゆっくり」
閉められた扉に、座布団が当たる音がした。
と言うわけで甲斐性なしで無敵の理性の平次に乾杯(完敗)!!つか、好きなんですよね。こういう展開。はっはー。まだまだ先には進ませたらん!!平次!!
ホントは和葉は肩凝りって感じしないんですけど、でも肩に力入ってるな〜(そんでそこが可愛いんだよな〜)って思うんで。そゆ意味では肩凝りかと。
肩揉まれてる時は気持ちいいですよね……つい声が出ますよね……声だけ聞くと怪しいですよね……。静華さん……なんて冷静な……。
和葉。早く肩揉み上手くなって遠山父の肩を揉んであげて下さい。きっと滅茶苦茶喜びます。涙流して喜びます。そして「平次に教わったん」って聞いて愕然!!みたいな!!
つか!!私の肩も揉んでくれ……。でもそれよりも何よりも……平蔵・静華の肩揉む平次って……自分で書いてなんですが、想像できない!!
二人の掛け合いが書きたくて書いたので、台詞がたくさんですが御容赦ください。
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