まさか、本当に雪が降っているとは思わなかった。
昨日の天気予報で雪雪と連呼していたが、まだ12月初旬である。なんだかんだ騒いで、結局雨になると踏んでいたのだが、外れてしまった。
シンと冷える。
取り敢えずクロゼットから冬物のコートを引っ張り出して、抜かりなくクリーニングのタグを外して制服の上から着込む。
「行って来まーす」
お気に入りのオレンジの傘を差して、降りしきる雪の中を学校へ向かう。昨夜から降り続いている雪が、街のあちこちを白く化粧している。
見慣れた木々。街灯。看板。いつも路駐してある車。いつも見ている景色なのにどこか違って見えてくる。
「雪なん、久しぶりやなあ」
しかも大阪で積もる雪は珍しい。大抵水気の多い霙に近い雪で、積もる前に溶けていく。
空から雪が舞い落ちる様は嫌いじゃない。というより、好きだと思う。上を見ながら歩きたくなる。
はらはらと、空気の抵抗にあいながら、風に舞いながら、静かに降ってくる。
昔。ずっと昔。平次と一緒に雪の日に、口をあけてずっと上を向いてたことがある。
雪が、口の中に飛び込んで来はしないかと。
2人で首が痛くなるまでずっと上を向いていた。
「あ!!入った!!」
「ええええ!!……嘘や!!」
「嘘ちゃうで。ホンマに入ったんや。俺の勝ちやなあ」
「嘘や!!ホンマやったら見せてや!!」
「そんなん、もう口ん中で溶けてもうたわ」
「せやったら、やっぱ嘘や!!アタシの負け、ちゃうもん!!」
「うっさいわ。俺の勝ちや!!」
「ちゃうもん!!」
あの頃は、ホントに喧嘩ばかりで……って、今もそうやけど。
程なくして平次の家の前に到着する。いつも通り門を潜る。今日は朝錬とは聞いていない。まだ平次はいるはずだ。
「あ」
門から玄関まで。その脇に広い服部家の庭に抜ける小道がある。整然と手入れの行き届いた庭に、雪がほっこりと綿帽子になってかぶさっている。
つい、足がそちらに向く。
一面の雪野原。まだ誰も足を踏み入れてない銀世界。
一つ、足跡をつける。嬉しくなって、二つ、三つ。
「えへへ」
自然と笑みがこぼれてしまう。こうやって、誰もまだ足を踏み入れていない所に足跡をつけるのは、なんだかわくわくする。
やっぱり子供の頃、平次と2人であっちこっち駆け回って。駐車場、公園、校庭。先に足跡をつけたほうが勝ち。
「何、子供みたいな事してんねん」
不意の声に振り向くと、当の平次が呆れたように縁側からこちらを見ていた。
「最初に足跡つけるん、そんな嬉しいか?お子様やなあ、自分」
「ふーんだ。先に足跡つけられて、悔しいだけなんちゃうの?」
「アホ。一緒にすなや。俺はもうオトナやねん」
「強がってもあかんよ〜。そんなことより平次、あんまゆっくりしてられへんで。ちゃんと時計見て行動してや」
「あ、せやった」
バタバタと引っ込んで、程なくして玄関が開く音がする。
庭に存分に足跡をつけたアタシも、玄関に向かう。
「お待たせ。ほな、行ってくるな……って、自分、寒ないんか?」
「寒い」
「マフラーと手袋、どないしてん。手ぇも顔も真っ赤やで」
「……せやけど、ホンマに雪降るなん、思わんかってんもん。まだ押入れの奥に仕舞ってあんねん」
「あっほやなあ」
呆れたように見下ろされて、つい反論したくなる。口を開きかけた瞬間。
「しゃあないから、これしとき」
平次が自分がしていたマフラーを素早く外してアタシの首に巻いてくれる。虚を突かれたアタシは言葉を失う。
「手袋も。俺のやからでかいけど、ま、ええやろ。そない手ぇ真っ赤にして。なにしとんのや、自分。動かんやろ、指」
「……うん」
正直、渡された手袋が上手く嵌められないくらいに。
「ホンマ、お子様やなあ。今日日足跡つけて回る子やって手袋くらいしてんで」
ブツブツ言いながらアタシの手から手袋を取り上げ、強引に手首をとるとぐいぐいと嵌めてくれる。
「……ありがと……」
「世話焼かすなや、お子様」
連呼されてむっとしたが言い返せる立場でもない。
「せやけど、平次は?」
「マフラーもう一本持ってるし、手袋はまあ、バイクんでええやろ。ほら、できたで。取って来るからちょう待っとれ」
「うん」
手袋に包まれた手を見ながら頷く。この手袋もマフラーも。アタシがクリスマスに編んであげた。あれはまだ中学生の頃。
「何にやけてんねん」
「んんー。まだ使てくれてんねんなー、思て嬉かってん」
「別に解れたわけちゃうし、そんなに汚してへんし。和葉の手編み、あったかいしなー」
「あ、それもアタシがあげたマフラーや」
「おお。初代やで。大事に使わせてもろてます。ほな、行くで」
「うん」
手編みのマフラーとか手袋とか。女の子にとっては割と一大決心だというのにサラリと流されてしまう幼馴染という関係。
でもその代わりそこにあるのはたくさんの思い出。一緒に共有してきた時間。
けれど。
「なあ、平次。子供の頃な、口あけて雪が入ってくるん待ってたん、覚えてる?」
「なんやそれ。忘れたわ」
一緒に共有してきたはずなのに、今でも共有しているはずなのに。ともするとそれは雪のように消えていってしまう。
「なーんや。平次、先に雪が入った言うて勝ち誇っとったけど、やっぱ嘘やったんや」
「嘘ちゃうわ。ホンマに入ったんや」
「忘れたんちゃうかったん?」
「言われて思い出したんや。おっまえ、人んこと嘘つき嘘つき言いおって。ホンマ、負けず嫌いやったもんなあ」
「あんたに言われとうないわ!!」
一緒に駆けずり回ってた日々。アタシだって全部覚えているわけではない。
「そういや、お前、うちの庭に喜んで足跡つけとってうっかり池に嵌ったん覚えてるか?」
「……忘れた……」
「なんや。自分に都合の悪いことだけ忘れおって」
「え、ホンマに?ホンマにそんなことあったんや?」
「あったあった」
「ええー。嘘やろ。平次、またアタシのこと担いでへん?」
「お前、少しは人のこと信用せい」
悔しいくらいに思い出せない。
「せやったら、あれは?平次の家の庭で雪合戦しとって、平次よろけて木ぃにぶつかって、枝から落ちてきた雪に埋まって……」
「あー、せやせや。そんで動けんくなった俺にお前は更に雪球投げおったんや。ホンマ冷たい幼馴染やで」
「!!ちゃうもん!!あれはホンマに動けへん思わんかったんや!!その後一生懸命助け出したったん、アタシやん!!」
「それはまあ、感謝しとるけどな。せやけど、あの雪球は痛かったわ。あれや、心に傷を負った、ちうやつやな」
「ちゃんと謝ったやん!!しつこい男やなあ!!」
2人とも覚えていること。片方だけ覚えていること。二人とも忘れてしまったこと。
生まれてからの様様な時間を共有してきたというのに。ドンドン消えてしまう記憶。
雪は、止む気配を見せない。この分なら、学校についても、もしかしたら帰る頃にもまだ降っているかもしれない。
しんしんと、はらはらと、音も無く。空から降ってくる。舞い降りてくる。そして世界を白く染める。
「なあ、平次」
「ん?」
上を向いたら自然と足が止まった。平次も足を止めて振り返る。
「なんや、自分。また口ん中雪が入るかチャレンジか?」
「……なんで、雪、溶けるんやろ」
「はあ?」
「ずっと、ずっと積もっとったらええんに、なんでどんどん溶けてまうんやろ」
アタシと、平次の思い出のように。ずっと積もっていけばいいのに。消えてしまう。
「なにアホなこと言うてんねん。溶けへんかったら豪雪地帯なん大変やん」
「でも、折角降って来たんになあ」
「んー」
足を止めてても仕方が無い。遅刻してしまう。アタシはまた地面を見ながら歩き出す。少し遅れて、平次が歩き出す。
どんどん降る雪。どんどん過ぎる時間。消えてしまう雪。消えてしまう記憶。
アタシと平次の間に確かにあった思い出なのに。消えてしまう。平次の中からも。アタシの中からも。
「和葉?」
「ん?」
少し後ろから、平次の声がする。足を止めずに、アタシは答える。
「何景気悪い顔しとんのや」
「してへんわ。……寒いだけや」
「ふうん?」
歩調を上げた平次が、追い抜きざまにアタシの顔を覗き込む。視線を外すと首を捻りつつ数歩前に出る。
少し歩いたところで、徐に口を開く。
「雪、綺麗か?」
「ん。綺麗やで」
「せやけど、あれや。いつか消えてまうからな、雪は綺麗なんやで」
「え?」
「すぐに消えへんけど、いつか消えるから、綺麗やねん」
「……」
「それにな」
振り返って笑う、平次の笑顔が酷く優しくて切なくて消えてしまいそうで。アタシは泣きたくなる。
「消えてしもてもな。また新しいのが降ってくるからええのんや」
「……」
「そういうところがええのんや。せやから、そない泣きそな顔、すなや」
「ん」
「雪なん、また消えても降ってくるって」
「ん」
「ま、大阪には雪はそうそう降らへんけどな」
「……」
急に伸びてきた手に、額をかるく小突かれる。
「なんや、アンニュイやなあ、自分。……あの日か?」
「あ、アホ!!」
条件反射で肘鉄を食らわす。
「うお!!まじ入ったで!!」
「なんや、平次。珍しくデリケートな言葉の数々や思て見直してたんに!!やっぱ自分、デリカシィなさすぎやで!!」
「うっさいわ。お前が不景気な面しとるから、励まそうとしたったんやろ!!」
「生理のどこが励ましなんや!!」
「そこちゃう!!その前や!!大体オンナが生理生理でかい声で言うなや!!慎みっちうもんがないんか!!」
「最初に言ったん、平次やろ!!あんたかてでかい声で連呼しとるやん!!」
こんな風に軽口を叩いたり。笑ったり怒ったり泣いたり慰められたり。そんな日々もいつか忘れてしまうに違いない。でも。
二人の思い出が消えてしまったら。また新しい思い出を作ればいいから。
更に何か言い募ろうとする平次に、とびっきりの笑顔を向けてみる。
「平次、ありがとな」
励ましてくれたこと。こうやって、一緒に時間を共有させてくれること。暖かい思い出をくれること。
それが例え、幼馴染という関係故でも構わない。いつか、コイビトとして時間を共有できたらとは思うけど。でもまだ、こういうのも悪くない。
「……なんや、急に。きしょいなあ」
「ええやん。お陰で元気出てんから。笑いたい時くらい笑わせてや」
「なんや、やっぱ元気なかったんやないか」
「乙女は悩み多き年頃なんです〜〜」
「はっ。乙女が聞いて呆れるわ。じゃじゃ馬やのに」
雪がしんしんと降りつづける。アタシと、平次の傘に降り積もる。
街中の木々や、街灯や、看板や、車。植え込み。アスファルト。全てに積もる。
アタシと平次の時間が、しんしんと積もる。
朝、雪で遅れた電車の中で考えた話、なので非常に安直な感じでございます。んあー。
とりあえずなんですかね、後半の和葉のアンニュイはおまけで、私的には前半の色々が萌えシチュエーションだったりします。
後半はなんか……少女漫画ですねえ。和葉。かわいい(*^_^*)<ダメな感じ
手編みのマフラーとか手袋とか。また他の読み物で出てくる可能性が高いですが、まあ、こんな感じで。<どんな?
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