迂闊な約束などしなければ良かったと。心の底から後悔した。
ホンの一瞬、魔が差したとしか言いようが無い。休みが取れる。だから応援に行ける。約束はそこまでにしておけば良かった。
自分の「休み」がどれほど不確かなものかわかっていない和葉ではない。
いつ何時呼び出されて行ってしまうかもしれないことも、よく分かってくれている。
だから。それ以上期待させなければ良かったのだ。
「すまんな、和葉」
「……うん」
思いっきり不満を面に表し、それでも不平を口にすることなく健気に頷く。ありがたい反面、申し訳なくなる。
「ちょうど、担当してた事件の犯人が篭城しとるって、今連絡が入って」
「うん」
「……行かなならんのや。ホンマ、すまん」
「……事件やもん。しゃあない、もん」
「今度、どっか連れてったるから。な、和葉」
「うん」
言葉とは裏腹に和葉の瞳がみるみる潤んでいく。
どうせ自分がこれ以上何を言った所で、泣かせるだけなのだ。分かっていても、なんとか今すぐここで許して欲しくて言葉を重ねてしまう。
署のメンツも、今日がどういう日だか分かっている。それでも電話を掛けてきたのは、それだけ事態が良くないということだ。
殺人犯として指名手配されていた前科のある男が、市内の喫茶店に人質をとって篭城したとのことだった。
それだけなら自分に電話はかかってこなかったろう。犯人が、話し合いの相手に俺を指名してきたというのだ。
奴のことはよく知っている。以前、俺が逮捕した。あの時の容疑は詐欺だった。最近出所したと聞いていたが、市内であった殺人事件の容疑者として指名手配された。
どうも、奴は嵌められた気がする。今回の殺人の犯人は別にいるような気がしてならない。奴は、人を殺せるような奴ではない。
だが、証拠が揃いすぎていた。だから奴は逃げるしかなく、そして人質をとって篭城にまで追い込まれた。
そうだとすれば、嘗て腹を割って話し合った俺を呼んでいるというのも納得がいく。
そして。奴が追い詰められて罪を犯す前に、駆けつけてやらなければならないことは分かっている。
「すまんな、和葉。ホンマに、すまん」
「ん。もうええよ」
唇をきゅっと噛み締めて頷く。そんな仕草すら愛しいとつい思ってしまう。
「アタシ、先生に、そう、言うてくるから」
***
刑事という仕事が暇であればそれは日本が平和な証拠なのだが、残念ながらこの職業に就いてこの方、暇だと思った瞬間は無い。
新人の頃は走り回り、少し経験値が上がった頃には複数の事件の指揮をとることになり、ましてやこの浪速で事件の起きない日はない。
お陰で遠山家も服部家も、当主が不在がちな家であった。
その上両家には子供が一人ずつしか生まれなかったため、子供達になるべく寂しい思いをさせないために、自然、両家の間には不文律が出来ていった。
・父親の仕事について、よく説明しておくこと
・なるべく両家一緒に行動し、子供たちを一人にしないこと
・休みが取れた日には、どちらかが必ず両家の子供たちを遊びに連れてってやること
・約束が守れない時には、きちんと埋め合わせをすること
その他諸々。
邪魔にならない範囲で、よく署や府警にも連れて行ってやった。
働く父親の姿を見せておきたかったし、父親の職業に誇りを持って欲しかった。
そんな親の努力の甲斐有って。遠山和葉も服部平次もその点に関しては随分と物分り良く真っ直ぐに育っていった。
遊園地のど真ん中で、父親が呼び出されていくこともしばしばあった。
そんな時は遊園地事務所で待っていると若い刑事が迎えに来て、家まで送ることになっていた。
2人がパトカーを他の車と同程度にしか認識しなくなってしまったのも無理は無い。
「ちょっと寂しそうやったけど、平次君も和葉ちゃんも、ボクに八つ当たりとかしませんし。元気にしとりましたわ。ホンマ、ええ子ですなぁ」
子供たちが誉められるのは嬉しかったが、妙に物分りよく育ってしまった子供たちが不憫に思えることもあった。
別れる時、いつも和葉は泣きそうになりながら、それでも唇をきゅっと噛み締めて。隣の平次の手をぎゅっと握り締めて。
平次も寂しいのを我慢しているのか、妙に明るい、それでいてどこか泣きそうな笑顔で。二人で、声を揃えて。
「頑張って、はよ犯人捕まえてな!!逃がしたら、承知せぇへんで!!」
その言葉に、遠山と平蔵がどれほど奮い立たされたか知れない。
顔馴染になってしまった遊園地事務所の管理人が言っていたことがある。
「たまに和葉ちゃんは泣いてまうんやけど、私らぁには心配かけんように、平次君が一生懸命慰めてますわ。刑事さんが来はる頃には、2人とも元気にしとりますんや」
元気な時ははしゃぎまわったり喧嘩したりの2人なので、平次のそんな一面は親は見たことが無い。
「子供は、知らんうちに大きくなっとるんやなあ」
この話を聞いた時に、平蔵が妙に感慨深げに呟いたものである。
そんな非日常的な日常であったから。
2人の子供は自然、父親の約束が不確かになってしまうことを仕方の無いこととして受け入れるようになっていた。
父親の方も、過度の期待をさせないようにしてきた。
だから。今回のことは遠山に非があるとしか言いようが無かった。
今日は、和葉の幼稚園の運動会だった。
平蔵は元より仕事。だから平次の場合、何も期待するところは無かった。
それに対し、遠山はちょうど休みが取れた。
「和葉、運動会な、応援に行けるで。休みが取れたんや」
「ホンマ!!??」
余程嬉しかったのだろう。満面の笑みを浮かべてそこらじゅうを飛び跳ねる和葉が余りに可愛らしくて。
渡されたプログラムをぼんやり眺めているうちに、ふと目にとまってしまったのである。
「親子競技:障害物競争 お父さんとご参加ください」
昨今、子供の幼稚園の運動会に親が来られないケースは多い。よって、こういった親子競技は全て自由参加になっている。
平蔵が来られない以上、当然平次は参加しないはずだ。それならば自分と和葉だけ参加というのもどうかと思う。
どうかとは思ったのだが。
和葉と手を繋いで走る。その自分なりの「親子らしい光景」に心がぐらついてしまったのである。
当然、運動会当日に呼び出されてしまう事も考えた。署のメンツに事情を話しておけば多少は何とかなるだろうが、かといって無責任な真似は出来な
い。
まして、これまで一貫して仕事を優先してきたのだ。ここで中途半端な態度をとるのは子供に対しても示しがつかない。
それを考えれば、思いとどまるべきだった。
しかし、ついあの時は。何とかなるだろうという甘えが出た。何よりも和葉の喜ぶ姿が見たかったし、和葉の手を引いて走る自分を思い描いてしまった
。
「和葉、出るか?これ」
「ええ!!ホンマに!!??お父ちゃん、出れるん??ホンマに??!!ホンマに??!!」
喜色満面、という言葉はこういうことを言うのだろう。和葉のこの上も無い笑顔に、当日は絶対何があろうと何とかしようと心に決めたのだ。
決めたのだが。
遠山が一人で心の中で誓ったところで、何の意味も無かったのである。
こうなったしまった今、泣き出しそうな和葉の前に力なくうなだれることしか出来ず。
かと言って、現場に駆けつけないわけにいかない。
これで犯人が何か事を起こせば。世間だけではない。何より最愛の娘に顔向けが出来ない。
「先生に、出れんくなった、言うて来るから」
「ホンマに、すまんな。和葉」
「うん」
気丈にも笑顔を作る和葉に、思わず心が揺らいだ瞬間。
「おっちゃん!!」
不意の声に遠山は顔を上げた。肩で息を切らせて、服部平次が立っている。
「平次くん」
「おっちゃん、事件って、ホンマか!!??今から行く、て、ホンマか!!??おかんが、そない言うてたけど……」
「ああ……篭城した犯人が、俺を名指しにしとるんや……」
「そんな……」
平次が小さな拳を握り締める。
「でも、和葉と、かけっこ、出るんやろ」
「……」
「あかんのか?」
「もう、行かなあかんのや」
「……事件やから、しゃあない、か」
和葉と同じ事を言って俯く。和葉が平次を振り返った。
「アタシ、先生に、出れへん、て、言うてくるな」
平次の横をすり抜けて駆け出そうとする和葉の手を、平次が掴んだ。
「平次?」
「出れへんこと、ない。俺が、おっちゃんの代わりに出たるわ」
「平次が?」
「せや。おっちゃんが、出れへんのやったら、俺が代わりに出たるから。やって和葉、出たかったんやろ?めっちゃ楽しみにしとったやん」
「うん……」
「俺がおっちゃんの代わりしたる。あかんか?」
平次くん、それは、
口を開きかけた瞬間。
「ホンマに!!??平次、お父ちゃんの代わりに出てくれんの!!??」
「うん。あかんか?」
「ううん。だって、お父ちゃん、事件やし。平次がお父ちゃんの代わりしてくれるん、アタシめっちゃ嬉しい!!」
ハンマーで頭を殴られたような衝撃、というのはこういうことを言うのかもしれない。
自分の存在は。和葉にとって自分の存在は、その幼馴染に代役が勤まる程度のものでしかないというのだろうか?
いや、そんなことは無いに違いない。幼い和葉がそこまで深く考えて言っているいるわけがない。
勿論、平次にしたって和葉を元気付けたいだけなのだろう。
子供の言うことを真に受ける方がどうかしている。どうかしているのは分かっているのだが。
理屈では分かっているのだが。感情的に如何しても……。
面白いわけが無い。
そんな遠山の胸中を察することなく、満面の笑顔で……あの時と同じ笑顔で……和葉が振り返る。
「お父ちゃん、アタシ、平次と走って一等賞とるから!!お父ちゃんも、事件頑張ってな!!」
「お、おう……。せやけど、俺の代役が、子供の平次くん、ちうのは、あかんのちゃうか?」
「そ、そかな」
「いや、わからんけどな……まあ、先生に聞いてみれば……」
タイミングよくか悪くかクラス担当の保母さんが通りかかり。和葉は自分の父親が出れなくなったことと平次が代わりを務めることを伝えた。
「まあ、そうなんですか?和葉ちゃん、ホンマ楽しみにしてはったんですよ?お父さんと出られるん……」
「はあ、それが急な仕事で……」
「刑事さんやもんなあ。仕方ありませんわ。でもそうねえ……平次くんが代わりかあ」
「あかんやろか」
「うーん」
ベテラン保母は不安そうに見上げる2人の子供の目をかわるがわる見て。
「ええよ。じゃあ、和葉ちゃんは平次君と出るんやな。先生、今から本部にそう言うて来るから。そんかし、2人とも一等賞とるんやで。ほら、和葉ちゃん
、お父さんに約束しぃ」
「もうした!!」
「偉いなあ、和葉ちゃん。約束、守るんやで。お父さんも、それでええんですよねぇ?」
「え、ええ」
「じゃ、2人とも、張り切りすぎて転んだらあかんよ」
手を振りながら去って行く保母に、平次と和葉が嬉しそうに手を振る。
そのあどけない後姿を、遠山は複雑な視線で眺めていた。こんな感傷に浸るにはまだ早い、と自分に言い聞かせながら。
深くため息をついて立ち上がると、和葉が振り返った。
「頑張って、はよ犯人捕まえてな!!逃がしたら、承知せぇへんで!!」
「お、おう。任せとけ」
「俺、おっちゃんの分まで、頑張って走るからな!!」
「お、おう。頼んだぞ!!」
「任せといて!!絶対、絶対一等賞取ろう、な、和葉!!」
「うん!!」
屈託の無い平次の笑顔が妙に頼もしげに見えたりして。ふと平蔵の呟きを思い出す。
「子供は、知らんうちに大きくなっとるんやなあ」
平次も。そして和葉も。知らないうちにドンドン強くなっているのだ。なんだか今この場で、一番気弱なのは自分のような気がしてくる。
遠山は小さく息を吸い、気合を入れ直した。自分を鼓舞するように、勢いよく娘達に宣言する。
「ほな、お父ちゃん、行ってくるからな!!」
「うん!!」
「怪我したり、びりっけつやったら、承知せぇへんぞ!!」
「うん!!頑張るから!!お父ちゃんも怪我したらあかんよ!!」
「任せとけ!!」
携帯が鳴る。
「おう、わしや。今すぐいくわ。奴の様子はどうや。……興奮してる?ちょっと拡声器、この携帯に寄せろや」
「お父ちゃん、カッコいい〜〜」
和葉の声に、思わず緩みかけた頬を慌てて引き締める。
「やっぱ、事件解決してるお父ちゃんが一番やね!!」
「ホンマや。おっちゃん、めっちゃカッコええわ〜〜!!おっちゃん、頑張ってな!!」
「おう!!……ほな、行ってくるからな!!」
無邪気に手を振る子供たちへの未練を断ち切るように足早にその場を立ち去る。携帯の向うで、「用意できました」と声がする。
「おい!!わしや!!遠山や!!今すぐそっち行って、お前の話聞いたるから!!ちょう待っとけ。いらん真似、するんやないぞ!!!!!」
意外や意外(?)。遠山父の話でした〜〜〜〜。って、ちょっとお父さん。あんたまで和葉泣かせてどうするですか。全くもう。
「ブタの〜」に続いて、幼い故の爆弾宣言by平次のつもりで書いてたのですが、それよりなにより遠山父の哀愁話になってますね(^_^;)
刑事の娘・息子として二人は「しっかり育てられた」と思うのですよ。働く父の後姿を見ながら〜〜。かっこいい〜〜〜〜。
さてさて。平次&和葉は一等賞を取れたのでしょうか?遠山父は無事事件を解決することが出来たのでしょうか?
そして。平次が遠山父に取って代わる日は来るのか!!乞う御期待!!<?
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