日曜の夜。財布を開けた。
財布の中には千円札が三枚、百円玉が三枚、あと小銭がたくさん。
「あー、あかんわ」
財布の中から千円札を一枚抜き取り、階下へ降りる。
「おかん」
「なんや?」
「千円札、両替できへんか?五百円玉に」
「んー。ちょう待ちぃ」
ちゃらちゃらと小銭を数える音がする。
「五十円玉と十円玉と五円玉が入ってええのんやったら、あんで。五百円玉」
「そんでええわ。両替してくれや」
食卓の上に散らばった小銭を指差される。一応、丹念に数えてみる。
「ひのふのみぃ……んー。ちょうどや。ほな、千円札」
「おおきに。財布軽なったわ」
「こっちは小銭大王やで。貧乏なんに」
居間から、平蔵の声が飛んだ。
「なんや、平次。小遣い足らんのか?」
「あ、ちゃうちゃう。大丈夫やで」
来週末が小遣い日。毎日学校に部活、無駄遣いしなければもつはずだ。
事件関係で府警に足を運ぶ時には、必ず大滝達が「足代や」と言って交通費をくれる。
端数を切り上げてくれるので、正直、これもちょっとした小遣いにはなっている。
事件関係で金銭の授受を禁じている平蔵達も、この辺については目をつぶっている格好だ。
「せやけど、千円札崩して、今から何するん?出かけるんか?こないな時間に」
「あー。ちゃうちゃう。人に金返すんにな、端数も揃えてぴったり渡したろ思てな」
「ふうん?」
平次の足音が二階に登っていく。
「なんやろう?」
「どないした」
静華が居間の座卓にお茶を置きながら首を捻る。
「んー。前にも日曜の夜に千円札、崩してくれ言うてたことがあったんや」
「ほう」
「なんやろ。まあ、偶然かも知れんけどなあ」
「静の第六感に引っ掛かる、ちうとこか?」
「ま、そんなとこや。大した事やないと思いますけど」
***
押入れの上の天袋。その奥に昔懐かしい陶器でできた貯金箱がある。
割らねば中身が出てこない奴だ。
これがブタの形をしていればコテコテだが、残念ながら今使っている貯金箱は和葉が商店街の福引でうっかり当ててしまった巨大招き猫貯金箱。
「んーー。でもこれ、やっぱいらへんわ」
割と出来の良い招き猫を可愛い可愛いと褒めちぎった後で和葉は眉間にしわを寄せて言った。
確かに良い出来だとは思うが、和葉の部屋にこいつがドンと居座ってる光景はなかなかにシュールではある。
「なあ。平次の部屋に置いてったら、あかん?」
「俺に飾れ言うんか?」
「うーん。別に仕舞い込んでてくれてもええけど……捨てるんもなんやし……」
「それやったらええで。勝手にせぇや」
ホントはちょうど前の貯金箱が一杯になりそうな気配だったので渡りに船だったのだが口にはしなかった。
有効利用しているなどと知ったら、あの幼馴染はどんな顔をするだろうか?「平次が貯金!!??信じられへん!!」
実際我ながら信じられないことだが、小さい頃からの習慣というのはどこかで断ち切るにしてもきっかけがないと断ち切れない。
ましてや小銭とは言え貯金は別に悪いことでもない。なんとなくだらだらと続けた結果、巨大招き猫も結構重くなった。
巨大ゆえにたくさん入るのはいいのだが、これをこの天袋から下ろす日が来たらと思うと怖い。結構な重量になっている気がする。
チャリン
無機質な音を立てて、ついさっき両替したばかりの五百円玉が貯金箱に吸い込まれた。
毎週日曜の夜に五百円玉を貯金箱に入れている。中学校までは百円だった。必ず毎週入れているので計算しようと思えば現在幾ら貯まってるかわかる。
が、それもなんだか味気無いので計算したことは無い。結構貯まってると言えば貯まってるし、まだまだと言えばまだまだだ。
そもそもなんでこんなことを始めたんだったか。
貯金のことは親や和葉には内緒にしてきた。今でも内緒にしている。そういえば何故だったろう?覚えていない。
いつも通り他の箱などで貯金箱を隠して天袋を閉めて、足場にしていた椅子から降りながら首を捻る。
今では一杯になって天袋の一番奥にある初代のブタの貯金箱。あれはどうしたんだったろうか?誰かに貰った気がするのだが。誰に?
***
「ブタの貯金箱?」
「せや。ずっとガキん頃やと思うんねんけどな。誰かにもらった記憶が……」
一度気にかかると気になって仕方が無い。平次は階下に降りて静華に訊いてみることにした。十年以上前のことなら、母の方が覚えていて当たり前。
ホンの少し首を傾げて、しかしすぐに手を叩いた。
「それやったら、弘兄ぃやろ。ほら、昔近所に住んどって。あんたや和葉ちゃんとたまに遊んでくれとった」
「ああー」
そういえば、いたいた。弘兄ぃ。あの時にもう社会人だったから、今思えば「兄」という呼称もどうかと思うが。そう言われればたまに遊んでもらったていた。
そしてある年の正月、ブタの貯金箱を貰った。確かあれは小学校に上がるまだずっと前。
「なんで貯金箱やねん!!」
「ええやんか!!平次はぎょうさん、お年玉もらうんやろ?それをなあ、そん中入れて貯めとくんや」
「あ、そか」
……確か、お年玉の代わりに貯金箱をくれたんだったと思う。しかし幼かった俺はあっさり言いくるめられた。
「そんなら、さっきもろたお年玉、こん中入れたらええねんな」
「せやせや。そんで、一杯なったら俺にくれや」
「弘兄ぃに?なんでや?」
「貯金箱あげたん、俺やろ」
「あ、そか」
「弘、平次君騙したら、あかんで。まだ子供やのに」
つっこんだのは弘兄ぃの母親だった気がする。しかし貯金箱をもらった記憶はあるが、貯金の話にはまだ結びつかない。
「あー。思い出したわ。せやせや。俺、危うく弘兄ぃにお年玉巻き上げられる所やったんや」
「あん時はあんたもまだ人を疑うことを知らん、そりゃ可愛らしい子供やったからなあ。なんでこないに育ってもうたんやろ」
「……今でもあんなに純真やったら、そら問題やろ」
「確実に犯罪に巻き込まれてるなぁ」
その後、何がどうなったんだったか。記憶の糸を辿るがいまいち何も見えてこない。
そう言えば、その弘兄ぃはどうしたのだろうか?いつか引っ越したのだろうが、それもいまいち思い出せない。
「懐かしいわあ。せやせや。あの年なあ、和葉ちゃんが初めて正月に晴れ着着たんよ。うちが着せたん。よう覚えてるわ」
「あー、あん時か」
「あんたが和葉ちゃんをかわいいかわいい言うから、和葉ちゃん照れてはったで?あんた近所中和葉ちゃん連れて歩いて見せびらかして」
「……いらんこと思い出すなや」
思い出した。その年初めて正月に晴れ着を着た和葉があんまりに綺麗で、俺は子供心に幼馴染を皆にを見せびらかしたかったのだ。
あの頃はまだ、着飾った和葉を素直に「かわいい」とか「きれいや」とか誉められたものだ。今では。口が裂けてもそんなことは言えない。
縦しんば言ったとしても、和葉の方も怪訝な顔で「はあ?どないしたん?平次。熱でもあるん?」とか言いそうな勢いだ。
「そんであんた、その後の服部本家への年始の挨拶に和葉ちゃん連れて行く言うてきかんくてなあ。大変やったんやで?」
静華に聞いたのは失敗だったかもしれない。平次は後悔したがもう遅い。次々といらないことを思い出してくれる。
言われて思い出した。
「なんで和葉は一緒に行けんのや!!」
「平次、わがまま言うたらあかん。本家へのご挨拶は、服部の者だけが行くんや」
それで確か話が家の話になって。宥めにかかったのは平蔵だった気がする。
「和葉は、服部の者、ちゃうんか?」
「せや。和葉ちゃんは、遠山和葉、やろ?遠山の者なんや。平次、聞き分けぇ」
「それやったら、和葉が服部の者になったら、一緒にいけるんか?」
「せや。せやけどそないなことしたら、遠山が泣きよるわ」
「なあ、どないしたら和葉は、服部の者になれるんや?」
…………お?
記憶の糸を手繰りながら平次は首を傾げる。そんな話だったろうか?いや、確かにそうだった気がする。
「その後あんた、和葉ちゃんをうちの者にする、言うて駄々捏ねたんやで」
「覚えてへんわ。そんな昔んこと」
「そうなん?うちはよう覚えてるんに。残念やわぁ」
不覚にも顔が少し赤くなった所を覗き込まれて、平次は勢いよく立ち上がった。
静華のうれしそうな笑顔は、見なくても分かる。この、一枚も二枚も、百枚くらいは上手な百戦錬磨のオバハンに、勝てるわけが無い。
「せやけど急にどないしたんよ。ブタの貯金箱なん?」
「……別に、なんもあらへんわ。ああいう貯金箱、最近見かけんくなったなあ、言うて和葉と話とって、なんとなく思い出したんや」
「ふうん?せやけどあんた、あん時の貯金箱どないしたん?」
「知らんわ、そんな、十年以上前のこと。捨てたんちゃうか?ほな、俺、もう寝るわ」
「さよか。ほな、お休み」
部屋に戻る前に洗面所に寄ってもう一度顔を洗う。自分の顔が熱いのが分かる。
なんで貯金を始めたか。完全に思い出した。
こんなことを忘れていたとは不覚としかしいようがない。
「せやなあ、お前が和葉ちゃんを嫁に貰えば、和葉ちゃんは服部の者になれるなあ」
「それやったら、俺、和葉を嫁に貰う!!」
嫁の何たるかが分かっていなかったとは言え、我ながら凄いことを宣言したものである。
ふと、階段を上る足を止める。……宣言した相手は平蔵だった。……覚えているのだろうか??
……覚えとるやろうなあ。あのオヤジのことや。畜生っ!!子供やったとは言え、なんちう弱味作ってくれたんや!!俺!!
思わず過去の自分につっこみを入れる。
そう。思い出した。俺はその後それを弘兄ぃにも宣言したのだ。
「せやけどなあ、平次。嫁貰うんは、大変やで」
「そうなんか?」
「ん。まず金がかかるんや。ホンマ。これでもかってくらいにな」
「俺のお年玉やったらあかんやろか」
「全然あかんな」
……子供相手に随分夢の無い話をしてくれたものだ。
いや、待てよ。
そうか。弘兄ぃが引っ越した記憶がないと思ったが、思い出した。あの直後、弘兄ぃは結婚して、家を出たのだ。
時期的にはちょうど正月の頃は結婚準備に忙しかったのだろう。それで、あんな現実的な話になったに違いない。今考えれば、合点が行く。どうせわからないだろうと思ったに違いない。
「平次、ホンマに和葉ちゃんを嫁に貰うんか?」
「うん」
「今はまだ無理やで。もっと大人になってからや」
「そうなんか?」
「せや。だからなあ、平次。兄ちゃん、ブタの貯金箱さっきあげたやん。あれにな、貯金せぇ」
「お年玉をか?」
「……お年玉は止めとけ。せやなあ、そんかし、あれや、毎週な、十円ずつ貯めるんや」
「毎週十円でええんか?」
「せや。平次が和葉ちゃんをお嫁に欲しい、思う間、毎週や」
「うん。わかった」
「そんでな、大人になった時に和葉ちゃんお嫁に貰うんにな、お金いるから。そしたら、この貯金箱割りぃ」
「うん。俺頑張るわ」
「おう。頑張れや。せやけどなあ、和葉ちゃんには内緒にするんやで」
「内緒なんか?なんでや?」
「こういうことはぺらぺら喋るもんちゃう。男やったらな。おっちゃんとおばちゃんにも内緒にした方がええかも知らんな」
「ん。わかった。誰にも内緒にする」
「おう。それやったら、俺も内緒にしたるからな。頑張れや、平次」
なんてことだろう。すっかり忘れていた。
十円がいつの間百円になったかはもう思い出せない。目的もすっかり忘れて。
ただなんとなく、習慣で。「親に内緒で」というのもなんだか子供心に魅力的で。ずっと続けてきただけなのだが。
寝間着にしている浴衣に着替えて布団に入る前に、ふと天袋を見上げる。
結婚資金。にしてはあまりにもお粗末な金額がそこに眠っている。さて、これからどうしたものか。
目的を思い出した今、俺は来週からどうするか?貯金を続ける?それとも……??
和葉のことは、大切だと思う。一緒にいて楽しいし、一緒にいたいと思う。しかしこれが恋愛感情か?といわれるとまだよくわからない。
誰よりも守りたい存在ではあるが。これは恋なのか?それとも単なる友情。幼馴染だから?そう言われるとわからない。
ましてや結婚。そんなものがピンと来るわけがない。
この状況で結婚資金というのもどうかと思うが。
布団に入る。
まあ別に。バカ正直に結婚資金にしなくてもいいわけだし…………。
……来週からも五百円玉を入れとく、か。
***
……いつか来るのだろうか。あの貯金箱を割る日が。
和葉の為に。
さりげなく服部家が由緒正しいお家柄&平次の家は分家って設定になってますが、気にしないでください。
てゆーか、普通そんなこと忘れないだろう、って思うんですけど、実はこれは元ネタがあるんです。
結婚資金じゃないとは思われるのですが。当初の目的をすっかり忘れて何でだかわからないままに貯金をつつけてるK!!お前のことじゃ!!
ちなみにKは未だに目的を思い出せないらしいです。ホントに両親にも内緒にしてたので、誰も知らないらしい。
というわけで、平次君。頑張って金ためて和葉を嫁にもらってください。一週間に100円とか500円じゃ到底無理だから。
私的には和葉には白無垢希望。チャペルより高いからね。神前式。うはは。
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