布団の上で本を読んでいたら、いつの間にか意識が飛んでいたらしい。
人の気配に平次は飛び起きた。
「……お前か」
「あ、おはよー。平次」
この幼馴染は。子供の頃からの習慣なのか、主がいようといまいと人の部屋に勝手に入り勝手にくつろいでいる。
そのくせ、最近自分の部屋にはなかなか俺入れてくれへんし。ずるいんちゃうか?
「気持ちよさそに寝てたでぇ。枕に涎、ついとんのちゃう?」
「あほ、涎なんてたらしてへんわ。お前はなにしてんねん」
「これこれ」
ポン、と投げられたのはポケットアルバムだった。
「この前、蘭ちゃんたちが大阪来た時の写真。事件に関係ないとこだけ大滝さんが焼き増ししてくれたんよ」
「あー」
そういえば、フィルムの後半は大阪城事件の写真を撮り捲くり、和葉にぶーぶー言われながら警察に提出したっけ。
「で、お前は今なにしてんねん」
「平次のアルバムに写真入れといたるついでや。なっつかしぃで。これ、小学校の修学旅行やん」
「あ、アホ!!やめんか!!」
「うわー。平次、涎たらして大口開けて寝てんで。誰や、こんな見苦しい写真撮ったん」
「お前や、お前!!男子部屋ずかずか入ってきて人の寝込み襲ったんは、お前や!!」
軽口を叩きながらも、平次もついつい懐かしさから和葉の手にあるアルバムを覗き込む。見開き6枚の写真が収まるアルバム。
そのどれか一枚には必ず和葉の姿がある。
特に修学旅行ではクラスも一緒、班行動の班も一緒だったお陰で6枚全部に和葉がいることも少なくない。
一体、どれくらいの時間を共有してきたんやろか。
ふと感傷的になって隣の幼馴染に視線を送る。そんなことには全く気付かない和葉は、さらにアルバムをめくると声をあげた。
「うっわー、なっつかしいぃぃ。これ、中学校の入学式ちゃうん!!」
「うわ、ホンマや」
「こん時なあ。ちょうど入学式が桜吹雪やったんや。せや!!校門の前におっきい桜の木があったやん!!」
「あー。秋口に誰かさんが登って、足滑らして俺の上に落ちてきた木なあ」
「いらんことは思い出さんでええって」
「桜が終わると毛虫がぎょうさん出てなあ。誰かさんは半泣きやったなあ」
「だからいらんこと思い出さんでええってば!!」
頬をぷっと膨らます所など、写真の頃から全然変わっていない。
平次が頭を軽く撫でてやると、機嫌が直ったのかまた写真に見入る。
「あれ。ここ一枚、抜けてんで」
「え?」
写真なんて抜いた覚えがない。その証拠に二度と見たくない自分のだらしない爆睡寝顔写真だって抜いてない。
かと言って平次は友人にアルバムを見せる趣味もなく、他の人物は考えにくい。
可能性があるとしたら、頼まれもしないのにまめに幼馴染の写真を整理してくれる和葉本人くらいだ。
「なんやろ。覚えてへんけど……」
呟いた瞬間、記憶が波のように押し寄せる。平次は慌てて次に出てくる言葉を飲み込んだ。
************
その日、空は穏やかに晴れていて心地よい春風がそよいでいた。散り始めた桜。まるで絵に描いたような春の日。
学ランのホックを一番上まで止めるて鏡の前に立ってみる。やや窮屈だが、なんとなく気が引き締まる。
中学校の入学式当日。今後の成長を見越して作られた制服はちょっとばかり大きめではあったが。
なんや、ちょっと大人になった気分やなああ。
「平次、何ニヤニヤしとんの。もう行くで」
「なんや、和葉んとこと一緒に行くんちゃうんか?」
「さっき連絡来たから、もうすぐ来るやろ」
「……そか」
真新しいカバンを手に玄関に向かおうとする平次の視線が笑みを含んだ静華の視線にぶつかる。
「なんや」
「楽しみやねえ。和葉ちゃんの制服姿。絶対、かわいいで」
「アホか」
平次はこれまた真新しい靴を履きながら静華の視線から逃げる。屈むと少し首が窮屈だったので学ランのホックを外した。
「べっつに、制服やからってなんもないわ。和葉は和葉やん」
「せやけどなあ。せや、言い忘れ取ったけど、あんたもなかなか学ラン似合うてるよ。男らしゅう見えるで」
「……せやったら、制服の和葉も女らしゅう見えるかもしれん、ってことか?んなわけあらへんわ」
立ち上がった平次が大きく伸びをした瞬間、玄関が勢いよく開けられた。
「あっ……」
「……」
ものの見事に、諸手を上げたまま平次は固まった。
うわ、これ、和葉か?確かに和葉やけど。ほ、ホンマに和葉か……??
胸元の赤いリボンがまず目に入った。そして白い大きな襟。丈の短いかわいらしい上着。短めのスカート。
白いソックス。黒く光るまだ新しい革靴。そして胸のリボンと同じ赤いリボンをつけたいつものポニーテール。
この中学の制服は最近新しくなり、他校に比べて女子の制服がかわいいと評判だ。(男は単なる学ランだが)
「おはよー。平次」
「……遅いんや、自分。おいてくとこやったで」
和葉のいつもの明るい笑顔に、何故だか平次は眩暈を起こしたような感覚にとらわれる。
こいつ、ホンマに俺の幼馴染やろか。昨日まで、一緒にその辺駆けずり回って遊んでた和葉やろか。
なんや、急に大人びた顔してるけど、ホンマに和葉なんやろか。
ずっと変わらないと思っていたものが急に変わってしまったみたいで、平次はなんとなく面白くない。
「うわ、和葉ちゃん、かわえぇわぁ」
心底嬉しそうな静華の声が割って入る。
「あ、おばちゃん、おはようございます」
「ええわあ。ここの中学校、やっぱ女の子の制服が絶品やもんねえ。よう似合とるで。和葉ちゃん」
「そ、そうかな……。ありがと、おばちゃん。まだなんか、ちょっと恥ずかしいねんけど……。でもここ、女子の制服かわいいやん。楽しみにしててん」
「ホンマ、和葉ちゃんが一番かわえぇ。誂えたみたいや。ねぇ」
ねぇ、と言って平次を振り返る。
「……そんなん、和葉には似合わんわ」
「何言うてんの。顔赤いでぇ、平次。素直にかわいいって、言うてあげられへんのか」
「うっさいオバハンやなあ。俺はそんなんより、普段の方がええっちうてんねん」
「普段って、アタシ、これから毎日、これ着なあかんねんけど」
和葉は、少し困惑気味に自分の制服をまじまじと見つめる。勢いよく反論されると思った平次は、ちょっと拍子抜けた。
和葉、らしぃない、気がする。何か、変や。
改めて見ると、確かに新しい制服は和葉に似合っている、のかもしれない。
少なくともおかしくはない。尤も、和葉がおかしな格好をしているのを平次は見たことがない。
大抵なんだって、似合っているということなのだろう。
かわいいかかわいくないか、と言えば。不本意ながらかわいい。ような気もする。
ような気がしてしまうことが、平次には面白くない。
別に。
和葉が和葉なら、かわいかろうがなかろうが、制服が似合ってようがなかろうが、どうでもいいことのはずなのに。
変わってしまったように見える幼馴染。それを素直に認めざるをえない自分。
おもしろくない。
静華に促されてとりあえず家を出て並んで歩き始めたものの、隣で和葉がまだ自分の制服を見ながら思案顔なのが更に気に障る。
「ぜんっぜん、かわいくなんないわ」
そんな和葉を横目に更に力強く否定すると、和葉の肩がピクリと反応するのがわかった。堪忍袋の緒が切れた瞬間、とでも言うのだろうか。
キッと隣の平次を振り返る。
「かわいくないかわいくない、言うなや!!仮にも女の子に向かって!!」
「俺はホンマのこと言うただけや」
「しっつれいな男やなあ!!皆かわいいって言うてくれたんに」
「そら、気ぃ使てくれただけや」
「平次、デリカシーなさすぎや!!」
「嘘がつけへん正直でまっすぐな男っちうことや」
「うわ、むかつく!!」
「こんなくらいで傷つく繊細な和葉チャンやないやろ。ええやん。制服の一つや二つ」
「アタシやって傷ついたりしますぅ。微妙なお年頃やねんで」
「アホくさ。自分で言うなや。しゃあないなあ。ああ、かわいいでぇ」
「余計腹立つわ!!なんや、平次かてまだ制服に着られてるで」
「なんや、俺の着こなしがわからんのか」
「その言葉、そっくりそのまま返したるわ。アタシの可愛さがわからんようじゃ、まだまだやねぇ」
延々と続く言葉の応酬。ただ、言葉ほどに和葉が怒ってないことはその表情から読み取れる。
前を歩く静華らも、別に止めにも入らずに何事かを笑いながら歓談しつつ歩く。
周囲を歩く人たちも気にとめる気配すらない。その殆どは入学式に向かう小学校の同級生達なのでそれこそこんな光景は日常茶飯事だ。
なんや、いつもの和葉や。めっちゃ元気やし。俺の思い違いや。
平次は自分の杞憂がおかしくて心の中で一人笑う。
あまりのことに外見に惑わされてしまったが、幼馴染はいつもの幼馴染に変わりない。それが平次には一番嬉しい。
変わるのは、仕方がない。事実、自分も変わっていく。声が低くなり、いつの間にか和葉との身長の差が開いた。
ただ。自分が自分であり、和葉が和葉であれば。
軽口の叩き合いを続けながら、平次は少しだけ感傷的になり。顔に笑みが浮かんでいたのかもしれない。
「なんや、自分、きっしょいでぇ」
「失礼なやっちゃなあ」
「笑ってるん?」
「あまりの和葉チャンのアホさに苦笑ももれるっちうもんや」
「平次クンのアホさには負けますなぁ」
瞬間、一陣の風が吹き抜け二人の間を桜吹雪が駆け抜けた。
平次の視界に突然はらはらと舞う桜の花びらが現れて、和葉にふりかかる。
「なんや。着いたんやな」
中学校校門前の大きな桜の木。見上げると、まだ一杯に桜の花を残し、風と共に桜吹雪を量産している。
「平次、桜まみれやで」
「そらお前もや」
二人同時に噴出す。コロコロと和葉が笑う。笑いながら二人で、自分に積もった花びらを払う。
「中学校か……」
「なに感傷的になっとんの」
「なってへんわ。行くで」
「あ、平次」
先に歩き出そうとする腕をとられ、平次は振り返る。
「入学式くらい、ちゃんとせな」
すっと和葉の両手が伸び、外していた学ランの一番上のホックを止める。
平次の動きが固まった。そんな自分に、平次自身が一番戸惑う。
なんや、顔が熱い。照れてるんか?俺。別に、なんでもないことやなのに!!どないしたんや!!俺!!
パシャッ
無機質な音が響き、平次はギョッとしてそちらを振り返った。
***************
「その写真やったら、ここにあんで」
「う、うわあああああああああああああああああああ」
いつの間に部屋に来たのか静華が戸口に一枚の写真をひらひらさせて立っている。
「アホみたいにでかい声出すんちゃうわ。いくらうちが広いかて、他所様に聞こえんで」
「お、おばハン、いつ帰ってきたんや。ちうか、いつからそこにおったんや!!」
和葉の後ろからアルバムを覗き込んでいたその位置から慌てて飛び退る。
今更やで、と静華の笑みを含んだ表情が物語っている。
「わー。おばちゃん。何の写真なん?」
「たいした写真ちゃうよ。ただなあ、平次がめちゃめちゃ照れてて可愛いねん」
「うわ!!返せ!!このおばハン!!」
慌てて立ち上がってその手から写真を奪い取ろうとするがヒラリと身をかわされる。
「ホンマねえ、ネクタイを直してもらう新婚夫婦のような初々しさでなぁ」
「こら、まて、おばハン。勝手なこと言うなや!!」
「平次にもこんな可愛い頃があったかと思うと、おばちゃん、何度見ても涙が出るわ」
「やっかましいわ!!」
「こんな図体も態度もでかなってもうて。ごめんなぁ、和葉ちゃん。うち、育て方間違ったやろか」
「だからって人のアルバムから勝手に抜くなや!!」
「勝手にちゃうわ。ちゃんと写真、借りんで、って言うたで」
そう言われればずっと以前にそんな会話を交わした気がしなくもないが、どの写真かなど確認しなかったし忘れていた。
「おばちゃん、見せてぇ」
「あかん!!止めとけ、和葉!!」
「なんでやの、ええやんなぁ、和葉ちゃん」
平次は二人の間に入って写真をガードする。
和葉が興味深げな瞳で立ち上がるのを見て、慌てて静華の隙を突いて写真を奪い返す。
「不覚。油断したわ」
「平次、見せてぇな。気になるやん」
「なんもない!!なんもないんや。ホンマに」
「たいした写真ちゃうやん、そんなん。こっちのアルバムのフルヌードに比べたら……」
「赤ん坊のころの写真なんか持ち出すなや!!」
「うわあ、ホンマや、平次。セクシィや!!」
「どこがや!!」
「あ、ほらこれ。和葉ちゃんと仲良く手ェつないでぇ。あ、こっちは一緒にお風呂入っとる」
「三歳ん時やん!!」
「うわぁ、懐かしい!!この浴衣っておばちゃんが初めて作ってくれたやつやん。平次とお揃いで」
「ちゃうちゃう。その前になあ、甚平もあってんで。お揃いの。ほら」
和葉の興味はあっという間にそっちに移り、静華と二人でアルバムを眺め始める。
平次はそっと、さっきの写真を手近にあった数学の教科書に挟んでしまう。
多分、和葉が見たところでなんでもない写真。「これが、なんかあかんの?」きっと和葉はそう言うに違いない。
それでも。
平次にとっては大事な写真。大事な瞬間の写真。
何度も繰り返して訪れた、その一瞬のうちの一つ。
「そうそう。こっちのアルバムにはあのマル秘写真があるはずやねん。ええと……これやこれや」
「うわぁ!!凄い!!これ、平次なん?うわ、今度蘭ちゃん大阪に来たら、見せたろ!!」
再び感傷に浸りかけていた精神を慌てて現実に引き戻すと、平次は一呼吸おいてから割って入った。
「何の写真見とんのや!!お前ら!!」
思春期平和萌え〜。てなわけで、平次が当社比50%増量でおセンチ(死語)です。に、似合わねぇー。うひゃひゃ。
まあたまには、こんなんもいいかと。どうですか?だめですか?可愛すぎ??
さて和葉ちゃんは。
1。ホントに写真のことはどうでもよくなった
2。興味が移った振りをして奪い取る隙を狙っている
さあどっち!!
正解はそのまま数学の教科書をガッコに持ってって、写真落としてクラスの悪友たちに散々からかわれる………かもしれない。
マル秘写真に何が写ってるのかも気になるところです。
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