あれは幾つの時だったか。小学校三年生?四年生?
ガッコの夏休みの宿題に。持って帰った向日葵の苗。
「和葉ちゃん、カキ氷作ってあげるから一休みして来?こぉんな暑い日ぃに帽子も被らんと、日射病になってまうよ」
終業式後。向日葵の鉢植えを抱えて帰宅した平次と一緒に居た和葉に静華が声を掛けて。
荷物を置いて二人で一緒にカキ氷を食べて。
そしたら近所の友達が、遊びに行こうと誘いに来て。
和葉もランドセル共々服部家に放置して。静華がどこからか出してきた帽子を被せて貰って、わぁっと飛び出して。
夕方二人で戻って来ると、当たり前のように和葉の分の夕食も用意されていて。
食後、静華に言われて夏休みの宿題計画を立て終わる頃。
「こんばんわ。和葉、迎えに気ました」
仕事帰りの遠山父が車で服部家に寄って、娘とランドセルと習字道具を乗せて帰宅。
玄関の脇には、向日葵の鉢植えが二つ。
クスリと笑うと静華は。
それを二つとも、庭に移し替えてしまった。
***
「で」
「で?」
「なんで俺が和葉の分もせなあかんねん」
「ええやん。二個並んでんねんから。ついでやついで。それともあんた、器用に自分の分だけ水やるなんいけずするつもりなん?」
「別に、そんなこと言うてへん」
どこか納得行かない表情で。だからと言って庭の向日葵の水遣りなど、一本も二本も違いなんてありはしない。
「大丈夫や。和葉ちゃんにはちゃぁんと、二つとも平次に面倒見さすから、心配せんでええよって言うて置いたから」
「なんやねん、それ」
「せやかて、向日葵の世話の為に毎日うちに来るなん、和葉ちゃんも大変やろ?お友達とも遊びたいやろうし」
「俺かて遊びたいわ!!」
「ほな、水遣ったらさっさと遊びに行って来。晩御飯までには帰って来るんやで」
「へーい」
不承不承、庭に出る。向日葵に二本に水を遣るのは別段手間ではない。その為に毎日うちに通えと幼馴染に言うつもりもない。
しかし。
そもそもは、母が二つとも庭に移し替えてしまったのが原因ではないか。
そう思うと至極納得行かないのに。
反論一つ許されない。
否。反論して不興を買うほどのことでもないだけなのだが。
微妙に納得できない。
ホースの片方の先を庭先の蛇口にセットして。トグロを巻くホースを解しながら程よく解けたところで蛇口を捻って。
水がホースのもう片方から迸るまでに向日葵の前に駆けていく。
正直和葉が居るともう少し楽なのだが。
水が出る前に向日葵に到着できるかどうかのプチ勝負も楽しかったりはする。
どうせ。大概和葉は服部家に遊びに来るのだが。
「水遣りはなあ。朝早うにするんがええんよ」
という、根拠があるんだかないんだか分からない静華の言により、今日まで毎日平次が水を遣っている。
「ほら、平次。早よせなラジオ体操遅刻すんで」
「へーい」
「なんて返事してんの。行儀悪い」
「はい!!お母様!!」
「気色悪いこと言わんといて。かなわんわ」
「では、母上!!行ってきます!!」
「やりすぎやで、平次。はい、いってらしゃい」
一頻り向日葵に水を遣って。土が程よく湿るのを確認して、平次は手早くホースを片付けると、ラジオ体操にでかけた。
***
「おはよ、平次」
「おっす。なんや、今日は遅刻せぇへんかったな」
「今日はって何よ。アタシは昨日も一昨日も遅刻なんしてへんもん」
「そのうち絶対すんで。なあ、あと何日遅刻せぇへんか賭けへん?」
「ほな、アタシ自分が賭けた日ぃに遅刻しよ」
「うわ!!ずっこ!!」
町内会のラジオ体操は。町の中心の小さな公園で。小さいと言ってもそれなりには広くてお盆の頃には盆踊りの夏祭りも開催される。
近所の小学生が集まって、夏休みは毎日ラジオ体操。遅刻してもしなくても、最後の瞬間に居れば出席カードに判子は押してもらえる。
「平次、ちゃんと向日葵に水上げてきてくれたん?」
「おう。遣った遣った。お前の分も遣ったったから、感謝しぃや」
「せやかてしゃあないやん。おばちゃんが、アタシの分までお庭に植えてもうてんもん」
「ったく、なんで俺がお前の向日葵まで世話せなあかんのや」
「枯らさんといてな?」
「さぁなあ」
「うわ、酷!!アタシの向日葵枯れたら、平次のせいやからな!!」
「なんでじゃボケ!!なんで俺が和葉のんまで面倒見なあかんねん!!そんなに心配なんやったら、ラジオ体操の前にうち寄って自分で水遣ればええやろ」
ピピッ
軽い笛の音に二人口を閉じて気をつけ。寧ろ子供より眠たそうな町内会の係りの男性は、小さく欠伸をかみ締めるとラジカセのスイッチを押した。
***
平次の真心の篭った(?)水遣りが効いたのか。二本の向日葵はすくすくと順調に育ち。
二人の観察日記も、欠けることなくページを重ね。
確りとしと大地に立つ、けれど若干その花を支えるには頼りなげにも見える茎が和葉の肩くらいまで延び。
大きな、大きな向日葵の蕾が。重たい首を擡げて夏の太陽を見上げ始めたある日。
せっかちな台風が。異常気象に押されて進路をグイっと東に変更。
青々とした葉を茂らせる服部家の庭の桜の木が。暴風に煽られ、平次の部屋の窓をパシパシと叩く。
鯉が跳ねたわけでもないのに、庭の池の水面がざわざわと波立って。
服部家の縁側の雨戸が、カタカタカタカタと絶えず鳴いていた。
「おかん。なんか、棒ない?」
「棒?」
「せや、細いの。二本。……あ、そうや」
台所に顔を出した平次が、すぐに身を翻して。今度は静華が暖簾を片手で軽くいなして顔を覗かせる。
「平次、どないするん?」
「割れた竹刀使うわ」
何に、とはお互い言わなかったけれど。
平次は親子の剣道防具の仕舞われている納戸の済みに、再利用の当てもなく束ねられた割れた竹刀のパーツを選り分ける。
平次のものではまだ短いので、平蔵のものから。
「よっしゃ。これならええかな」
割れたといっても、僅かなものだ。竹の真ん中に亀裂。しかし竹刀としてはもう使えない。組み合わされた四本のうち割れたものだけとりかえるので、こうして余った竹がなんとなく放置されているのだ。
適当なものを二本選び取って。暴風の中を庭へ出る。
雨は、まだ降り始めていない。
それでも、湿気を孕んだ空気が雨の予感を多分に漂わせ。
本来なら重く淀みそうな湿った空気は、暴風に舞い上がり、剥き出しの少年の腕になんとも言えない不快感を残す。
片手には同じく物置から取ってきた荷物紐と大きな鋏。
荒れ狂う風に少し延びてきた髪を舞い上がらせながら、平次は向日葵に向かって一歩一歩歩を進めた。
***
パラパラと。雨粒が雨戸を軽やかに鳴らしたのはホンの一瞬。
程なく豪雨が寝屋川市を襲い、予てから先陣を切って到来していた暴風とともに遠慮なく雨戸を打ち叩く。
「うちの瓦、飛んだりせぇへんのかな」
「そんな安い造りはしてへん」
「明日の朝、また鯉が池から飛び出してへんかな」
「鯉やったらお風呂場におんで」
「なんや、そうなん?ほな、今日の風呂どないすんねん」
「今日はシャワー。湯船に泡とお湯入れたらあかんよ」
「わかってるわ」
急かされるように一人で風呂に入る。平蔵は、今日は帰れない。
こんな、誰も外に出たがらないであろう天気だと言うのに。だからこそ油断できないのか、本日は府警本部に缶詰だ。
恐らく、和葉の父も一緒だろう。
湯船の鯉に気を使いつつ、小さくなってシャワーを浴びると、チャポンチャポンと水音がする。
「よかったなあ。今日は中に入れてもろて」
一昨年大きな台風が来た時。台風一過の早朝、庭に出ると二匹の錦鯉が池の端でもんどりうっていた。父と一緒に慌てて池に戻そうと庭に飛び出し、よくよく見ると池の水は大分風に飛ばされて、その水位を半分ほどに減らせていたのである。
チャポン。
白い尾鰭が水面を叩く。
基本的に、白。そして所々赤。
もっとずっと幼い頃には、鯉の模様が毎日変わっている様に思えたものだが。
「平次、湯冷めしやすいんやから。早よしぃ」
「はぁい」
慌てて湯殿を出ると。後ろでまた、チャポンと水音がした。
***
服部家は、無駄に広い。と、幼い平次は思う。
三人家族。しかも当主は留守がち。自分の部屋を与えられ一人で寝るようになってから随分経つが、こんな夜にはやっぱり少し心細い。
カタカタと窓が揺れる。パシパシと桜の木が窓を叩く。雨音が、絶え間なく、風の音も、途切れることなく。
母の静華は、階下に居て。物音一つ聞こえない。
こんな日に、あの幼馴染が服部家に泊まって居れば。随分と賑やかだった筈なのだが。
布団に潜り込んで、二三度寝返りをして。それから足を抱えるように丸くなって。
なんだか、予感のようなものにふと顔を上げた。
なんだろう。
恐る恐る窓に近づく。真っ暗な服部家の庭。その向こうで強風に煽られた街灯の光がざわざわと揺れる。
立膝になって、庭を覗き込むと。
錦鯉が、一匹。
真っ暗な池を泳いでいる。
ふわり。ふわり。
チャポン。
聞こえる筈のない音に。平次はピクリと肩を震わせて。慌てて立ち上がると窓にへばりつく様にして庭を再確認。
窓を開けようと鍵に手をかけて。一瞬だけ逡巡して部屋から飛び出した。
***
「和葉!!」
玄関を飛び出して、庭に周り。真っ暗な闇に向かって叫ぶ。
「平次!!」
甲高い、聞き慣れた、幾分泣きそうな声が、激しい風の中返って来た。
「なにしてんねん!!ドアホ!!」
「アホとちゃうもん!!」
「アホはアホじゃ!!台風来てんねんで!!ニュース見ぃひんかったんか!?」
「見た、から」
突風が、その細い体を押し戻す。ポニーテールを保つ白いリボンが、風の中で踊り狂っていた。
「アタシ、向日葵、心配で」
「ドアホ!!」
「アホとちゃうもん」
「アホはアホじゃ!!向日葵は、ちゃんと棒立てた。鯉は、風呂場入れた。あたりまえやろ」
「アタシのは?」
「二本とも、棒立てた」
白いブラウスに、赤いスカート。水気を吸ってまるで脱水前のそれは、和葉の肌に張り付き。一方で強い風に煽られる。
「ホンマに?」
大きな瞳が。意外そうに見開かれて。なんだか少し、腹が立った。
「ホンマじゃ。嘘ついてどないすんねん」
「せやかて、平次、アタシの向日葵なん知らんて」
「アホか。んなわけあるかい。俺がちゃんと水遣ったったから、大きなったんやんか」
「そう、やけど」
「どうでもいいから、早よ中入れ。風邪引くやろボケ」
「うん……平次、あんな」
いつも威勢のいい幼馴染が。濡れ鼠になってどこかボンヤリと。
豪雨に耐える向日葵のように、頼りなげで。風に飛ばされてしまいそうで。
支えがなければ、倒れてしまいそうで。
酷く。居心地が悪くて。
「平次、疑ってごめんな。そんで、……おおきに」
「アホか」
突風と、容赦ない滝のような雨が、二人を打つ。
「俺のモンは俺のモン。和葉のモンは、俺のモンじゃ。そんだけや」
「え」
俯きがちだった和葉が、弾かれたように顔を上げた時。
「和葉ちゃん!!平次も、何してんのそないなとこで。早よこっちおいで。怪我でもしたらどないすんの」
玄関から。滅多に取り乱すことのない静華の、幾分狼狽した声が響いた。
***
「今年も綺麗に咲いたなぁ」
「ああ。そやな」
あの時の向日葵が種を落とし。以来、毎年服部家の庭には向日葵が咲く。
「あん時、平次がちゃあんと、竹刀で支えてくれたお陰やもんなー」
「おー。感謝しぃや」
向日葵の側にしゃがみこんで、綺麗に開いた大輪を見上げる和葉の。少し後ろで平次はポケットに手を突っ込んだまま。
……こいつ、覚えてんのやろか。
「アタシ、絶対平次はアタシの向日葵見捨てると思たんに」
「なんやと?むかつくオンナやなあ。ホンマに見捨てたったらよかったわ」
「そしたらアタシ、観察日記に、平次がいけずするから枯れてもうたって、正直に買いたんに」
「なんじゃと?」
しゃがんだままの不安定な姿勢で、ポニーテールを軽く引っ張られて。
「きゃー!!なにすんの!!」
「いらんこと言う奴にはこうじゃ」
「アホー!!ボケー!!放してぇな!!」
……平次、覚えてへんのやろな。あんなこと。
とっさに地に着いた片手を、幼馴染のシャツに擦り付けた。
「うわ!!なにすんねん!!このオンナ!!」
「自業自得や!!平次が悪い!!」
「な!!待てこら!!」
真夏の太陽が。二本の向日葵と、二人の幼馴染に。惜しみなく、惜しみなく照りつける。
チャポン。
庭の池で、鯉が跳ねた。
向日葵から更に台風に錦鯉と詰め込んだ日には『夏平和』に入るわけが!!(爆)またラジオ体操だしなワハハ。
や、でも『夏平和』に載せたものは載せたもので、かなり綺麗にまとまってると思うんです向日葵ネタ。
つか、可愛すぎだよ向日葵と平和!!向日葵!!平和!!萌えじゃーーーーーーーーー!!<黙れ
てなわけでー。チビです。ええ、チビです。何気に爆弾発言してますけど、チビですから。
チビ和葉が深夜にどーやって自宅を抜け出したかとか突っ込んではいけません。
あ、最後は一応高校生なつもりです……既に言い出せない状態に陥ってます(笑)ええねん!!そこがええねん!!<落ち着けー
頂いたイラストは中学生っぽかったので、最初は最後のシーンが中学生だったのですが。色々あって高校生に変更(笑)
実は最初は平蔵エピソードも入ってましたが、流石に長すぎて削除しました切腹。
←戻る