暗い。狭い。そして寒い。
……怖い……怖い、怖い、怖い、怖いよ!!
助けて……!!
助けて…… ……!!
***
微かに流れる携帯からのメロディに慌てて飛び起きる。
この携帯を鳴らせる相手はただ1人。
慌てて脇机の上の携帯を取って、着信ボタンを押す一瞬手前で自分の頬の涙の跡に鈴木園子は気付いた。
あれ。
あたし泣いてた?
ああ、そうか。
嫌な夢を見ていた。
あれ以来何度か見る、怖い夢。
パジャマの袖で目元を拭って、軽く咳払いして。
電話の相手に、泣いていたことを悟られてしまったら心配をかけるだけなので。その気配が消えたことを確認して。
10回コールの後留守番電話サービスに切り替わる直前、準備万端漸く受信ボタンを押した。
「もしもし」
「もしもし、園子さん。京極です」
「そんなの、真さんしかこの携帯の番号知らないんだから!!名乗らなくても分かるって前に言ったでしょ!!」
「は、はあ、そうなんですけど、つい、癖で」
「それに!!名乗るんだったら、真ですって名乗ってよって言ったのに、真さんたら全然あたしの言うこと聞いてないんだから」
「そ、そんなことないですよ。ちゃんと、覚えているのですが、慣れなくて」
「一回も言ったことないんだから慣れる訳ないじゃない!!大体、真さんだって自分の家に掛けたら真です、って言うんじゃないの?」
「そう言われれば、そうですね……」
「もう!!慣れてないなんて、嘘言って……」
「いえ、ホントに、嘘なんかじゃ……、あ、いえ、でもホントに慣れてなくて……あ、いえ、次は、頑張りますから」
「ホントに?じゃあ、期待して待ってるから!!」
「そんな、期待して頂くほどのものでは……」
「それより、どうしたのよこんな時間に。なぁに?」
携帯を持ったまま、もう一度寝転がって足をパタパタとさせる。
「スミマセン。こんな時間じゃ、もう寝てましたよね」
「うん。寝てた。もう、ぐーぐー。すっかり夢の中よ」
碌な夢では、なかったけれど。
「スミマセン……」
「そんな。だって用があったんでしょ?大丈夫よ、明日は土曜で、ガッコはお休みだし特に予定もないし。夜更かしもOKなの」
「でも、寝ていたところを起こしてしまって」
「んもう!!そんなこと気にしないでよ!!折角電話くれたのに、真さんたら謝ってばっかり」
「スミマセン」
「ほら!!またぁ!!ねえ、用があったんでしょ?なぁに?気になるじゃない」
「それが」
言葉を切る真の次の言葉を。根気よく待つ。
「別に、用というほどのものは、ないんですけど」
「え、そうなの?」
何しろ。「用がなくても掛けてきて」と何度言ったか知れないのに、明確な用がない限り電話を掛けてこない男なのだ。この京極真という男は。
「え、なぁに?なぁに?この鈴木園子様の声が聞きたくなったとか?」
ついつい、足のバタバタが激しくなる。姉に見られたらまた眉を顰めることだろう。「園子、もう少しお行儀よくしないと」。無理無理!!
「ま、まあ。そんなところです」
ぼとっ。
携帯が羽毛枕に埋もれる。
今何か。凄い台詞を聞いた気がする。
慌てて携帯を持ち直して。
「え、え、え?」
「いや、あの、ですから」
2人して、しどろもどろ。
「ど、どしたの?真さん」
「いえ、その、ですから」
熱でもあるのだろうか。
「ですから、その、園子さんが……泣いてる気がして」
ぼとっ。
再び落ちる携帯電話から。今度は京極真の慌てたような自分を呼ぶ声が漏れてくる。
園子は慌てて携帯電話を握り締めた。もう寝転がってなんていられない。ベッドの上に、正座。
「ど、ど、どうしたのよ!!真さん!!ちょっと待って、今の台詞もう一回言って!!録音する!!」
「ええ!!だ、だめですよそんなの!!」
「だって!!真さんのそんな台詞、二度と聞けないかもしれないわ!!やだ、あたしったらこんな凄い台詞、寝転がって聞いちゃった!!髪もぼさぼさだし!!」
「あ、いえ、それは関係ないかと……」
「関係あるわよ!!こんな少女漫画のワンシーンみたいな台詞!!ピンクのストライプパジャマにナイトキャップなんてありえないーー!!」
「ストライプですか……」
「ちょっと。そんなとこだけ反応しないでよ。真さんたらやーらしー」
「あ、いえ、そういう意味では!!」
「と、兎に角ちょっと待って!!すぐに着替えて髪も梳かすから。そしたらもう一度さっきの台詞!!」
「む、無理です。言えませんよ」
「ええーー!!いいじゃない!!減るもんじゃないんだから」
「駄目なものは、駄目です」
「なんでよー。真さんのけち!!」
「けちとか、そう言うのとは違います。と、とにかく、泣いてなかったのなら、いいんです」
「な、泣いてなんか」
思わず言い淀む。
泣いて、なかったわけじゃない。
夢の中で。怖くて。怖くて。
暗くて、狭くて、寒くて。怖くて。怖くて。怖くて。
ずっと叫んでた。
「ど、どーしてあたしが泣いてるなんて思ったのよ」
「どうして、というわけでもないんですけど……ただなんとなく……胸騒ぎが……」
「む、胸騒ぎって、やぁだ、真さん。に、似合わないわよ。なんか、新一君みたい」
「シン、イチ?」
「い、いきなりかっこいい事言うんだもん。あ、勿論真さんはかっこいいけど、でも、なんか、らしくないって言うか」
「シンイチ君、らしい」
「そ、そうよー。もう、吃驚しちゃった」
話を逸らせようと。園子は必死で言葉を探す。
泣いてたなんて。
あの時の夢で泣いてたなんて。
事件を知った真が、どれ程心配したか。どれ程心を痛めたか。
どれ程自分を想ってくれているか。
知っている。知っているから。
だから、言えない。
「そうよー、そんなのは新一君の専売特許かと思ってたもん。あー、吃驚した」
「……」
「あ、勿論嬉しいのよ。あたしの声が聞きたいだなんて、やだもー、照れちゃうなー」
「……おかしいですか?」
「おかしくないわよ。でも、だから吃驚しちゃったんだってば。でも、すっごく嬉しかった。ホントよ?」
「シンイチ君らしい方が、いいってことですか?」
「そ、そんなこと言ってないわよ。でもたまにはいいし、やっぱり嬉しいもん。真さん、滅多に言ってくれないから、それだけに価値があるっていうか」
「……」
「いつも、言ってくれたら嬉しいなー、って思ってた台詞が聞けたって言うか……ねえ、真さん、聞いてる?」
「聞いてますよ」
不意に。
受話器の向こうの気配がなくなった気がして。園子は恐る恐る声をかけた。
その返事は。
酷く低い声で。
園子は漸く姿勢を正すと、携帯電話を持ち直した。
「真さん?」
「……」
「どうしたの?真さん」
ばれただろうか。
故意に。話を逸らせようとした事に、気づいたのだろうか。不自然だっただろうか。
何か隠し事をしていると思って、それで。
「真さん?あの……」
「……誰ですか?」
「は?」
「誰ですか?」
「あの」
「誰ですか、その……」
明らかに怒気を含んだ電話越しの声が。ラジオのボリュームをゆっくり上げるように大きくなって。
「誰ですか、その、シンイチ、という男は」
一語一語はっきりと。
聞き間違える余地がないくらいに。
「……え?」
「どこの誰かと聞いているんです。私には、言えないような人なのですか、それは」
「あの、真さん?」
「確かに私は貴方の傍に居ない」
「あの……」
「だから、園子さんが危険な時に助けて差し上げることもできないし、守って差し上げることもできない。それでも、私は」
「真さん……」
「それでも、私は園子さんのことが大事だから、だからもっと、もっと強くなりたいと……違う、違うんです」
「あのー」
「園子さんの為なんて大義名分です。強くなりたいのは自分のエゴです。だから、だから私は、私の意志でここにいるのだから、園子さんと離れているのだから、だから、こんなことにも甘んじなければいけないのはわかってるんです」
「……」
堰を切ったように喋り出す真に、園子は口を挟む隙も見つけられず。
「それでも、園子さんが待っててくださると言ってくださったから、いえ、でもそれは私の甘えです。そんなことが許されないのはわかってるんです。でも」
「……」
「園子さんは、その、ちょっと大雑把なところもおありですけど、でも可愛いし美人だし優しいし他人を思いやることができてスタイルだっていいしおへそだって出して歩いちゃうし魅力的だし、そりゃ、周りの男が放って置かないのだって私だってわかっています。でも、それでも、私は」
「ちょ、ちょっと」
放っているといつまでも終わらない。
いつまでも聞いて居たいような、一方で酷く居た堪れなくなるような真の言葉に。
園子は意を決してその流れに割って入った。
「あの、真さん、なんか勘違いしてない」
「勘違い?」
「新一って、新一君。工藤新一。真さんにも、この前紹介したでしょ?写真だったけど」
「あの、もしかして……蘭さんの……」
「そう。蘭の旦那。真さん、あたしの話聞いてなかったの?」
「いえ、そんなことは、全然。ちゃんと、聞いてました、けど」
さっきの勢いはどこへやら。
真はまたしどろもどろに逆戻り。
「ちゃんと、聞いてましたし、覚えてます。工藤、君ですよね、高校生探偵の」
「そ。あたしだって小学校からの付き合いだから。新一君って呼んでるけど」
「あ、ああ」
「気障でカッコつけで蘭のことをずーーーーーーーーーーーーーーーっと待たせてる甲斐性なし」
「そ、そういえば……」
「蘭が言ってたのよ。この前新一君が、蘭が泣いてるんじゃねぇかって思ってよ、とか言って電話してきたって。ホンッと気障なんだから」
「は、はあ」
「真さんたらいきなりなんだもん。吃驚したわよ」
「す、すみません」
「でも、嬉しかったなー。真さんがそんなにヤキモチ焼いてくれるなんて」
「そ、そんな。別に、そんな、ヤキモチとかでは」
「違うの?」
「……そうです」
さっきの勢いはどこへやら。消え入りそうな声が可愛くて可愛くて。
「え、なあに?聞っこえな〜い」
「いえ、あの」
「真さーーーん?電話が遠いみたいなんだけどーーーー」
「あの、ですから」
その表情は。電話越しだってわかる。
きっと耳まで真っ赤にして。視線を逸らせて、頭をちょっと掻きながら。
「ヤキモチ、でした」
ああ!!あたしってなんて幸せなんだろう!!
園子は、またも携帯の録音ボタンを押し忘れたことにも気付かずに。
真の言葉の余韻を全身でかみ締めていた。
***
それから何か、他愛もない話をして。
電話を切る時、最近真はいつも繰り返す。
「今度園子さんが危険な目に合いそうになったら。私が絶対に守って差し上げます」
強い強い決意の溢れた言葉。
嬉しくて、涙が出そうになる。
けど。
ごめんね、真さん。
あの時……あの時、あたしが、名前を呼んだのは。
………真さんじゃ、なかったんだ。
ごめん。ごめんね、真さん。
ヤキモチを焼くなら、多分、相手が違う、よ。
でも、大丈夫だよ。真さんのことだって、大好きだから。比べることなんて、できないから。
比べる意味なんてないくらいに。
大好きだよ、二人とも。
う、ゴメンナサイ。最後は京園で園蘭だった……。あは。あはははは。だって、銀翼で陰謀で……。ああ、園蘭最高〜<こら
でも、これでも、真さんは私の中では甲斐性のある人なんですけどね。
平次に比べれば。
なんか弱々でゴメンナサイ。真の京園ファンには怒られそうな予感にドキドキです。
でもね。(勢いとは言え)ちゃんと思いを言葉に出来るのは、真さんだからなんですよ。
平次じゃ無理無理。それはそれで、そこが愛いんですけど服部平次。語りだすと長いので自主規制。
でもやっぱりじれじれが好きな私だったりするのでした切腹。
自分で選んだ道とはいえ。傍に居られないのは辛いだろうなと思うんですよ京極真。特に陰謀……。頑張れ。道は長いぞ。
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