舞い散る桜の花弁。いやに目に付いた鞠の紅。途切れ途切れに耳に届いた歌声。
幻想的、という言葉はこういうことを言うのかもしれないが、当時はそんな言葉は知らなかった。
あの時はただ、その美しさに心奪われて。
この世のものではないのではないかとだけ思った。
夢か幻か。
あの少女を現実に結びつける唯一のものが、あの水晶だった。
***
「平次、それなぁに?」
「いや……なんもないわ」
大きな瞳で問われて、幼い平次は呆然と答えた。
最初それが誰なのかわからなかった。というより、「それが誰であるか」はどうでもいいことだったので、最初は考えなかった。
ただ、綺麗だ。そう思ったから。
そう思ってぼんやり眺めていたら、桜風と共にその姿は消えていた。鞠と、共に。
慌ててその桜の下に駆けて行って、拾ったのがこの水晶だった。
「なぁに?平次、それ、どないしたん?」
「……もろた」
「もろたって、誰に?平次、どこに行ってたん?アタシ折角綺麗な着物着せてもらったんに……」
着物。
平次はぼんやりと考える。毎年正月。それから七五三。和葉の着物姿を見た事がある。
……あれは、和葉ちゃうかったんか……?
幼い頭の中のデータ量は少ない。あんな鮮やかな格好をするのは、この幼馴染と、あと親戚のお姉さん達とか。
……和葉、やと思ってんけどなあ。
本人が違うというのなら、違うのだろう。
ホントは、顔なんて禄に見えなかったのだ。切れ切れに届いた声にも、確信は持てなかった。
和葉ではなかった。そう思えば思うほど、記憶が曖昧になる。
桜吹雪が、頭の中で降りしきる。あの光景をはっきり思い出そうとする度に、鞠をつく少女は幼馴染に摩り替わる。
でも。
それならこの水晶の持ち主は、和葉のはずだ。
だから、和葉がこの水晶を知らないと言う以上、あれは和葉ではないのだ。
……ほな、あれは誰やってん……。
別に、どこの誰でも構わなかったから、数日後にはそんなことはけろりと忘れた。
***
インタビュアの「初恋」というキーワードに、何故あの少女が出てきたのかはわからない。
ネタになるからとしつこく「初恋」について聞かれ、まさかいつも一緒の幼馴染ですとも答えられずそれらしいネタを頭の中の引き出しを片っ端から探し回っていたら出てきた。
こういう時には「いません」と言い張れば言い張るほど食い下がられるのがオチである。
適当なネタを提供して引き下がってもらうに限る。
雑誌のインタビューにホントの事を載せて間接的に和葉に告白なんて冗談ではない。
……こっちにはこっちの人生設計ってもんがあるっちゅうねん。
しかし漸く引き出しから引っ張り出したネタも、既に記憶が曖昧で、思い出すその顔はお朧気どころか確かに和葉に摩り替わっていて、うっかり細かく描写しようものならそれは和葉以外の誰でもなくなってしまう。
「京都でちょっと見かけた……って感じやろか」
「へえ。服部君にしてはロマンチックやん。なぁに?舞妓さんとか?」
「ちゃうちゃう。俺が小学校……3年で、あんまかわらんかったんとちゃうかなあ。めっちゃ綺麗やって」
「綺麗?可愛いやないんや。年上のお姉さん?」
「まあ、そんな感じやな」
「意外とおませさんやね。服部君」
「はは」
「どんな子?どこで会うたん?」
「せやから京都……」
「京都のどこ?」
「さあ。子供やったからよう覚えてへんわ」
「ホンマに見かけただけなんや。喋ってないん?」
「全然。遠くから見ただけや」
「へぇ。ほな、向こうは服部君の事知らんのや」
「……」
和葉でないなら。知らないだろう。
寧ろ、和葉ではないはずなのに。
どうしても思考が捕われる。はっきりと見たわけでもはっきりと聞いたわけでもないのに、あれは幼馴染だったと頭の中の何かが言っている。違うという、証拠まであるというのに。
希望的観測と言うのだろう。我ながら、泣けてくるほどのロマンティシズムにいっそ笑える。
ずっと記憶の引きだしにしまいこんでいた。しかし一回引っ張り出したが最後、この記憶のすり替えはなんだろう。桜の舞い散る中にいたあの少女が、今では和葉以外の誰でもない。
「見つけたいと思わへん?なあ、雑誌で呼びかけてみたら?」
「ええってええって。思い出は美しいままがええねんて」
「でも、気になるやん。なんか手掛かりないん?あったら写真撮らせてよ」
「上手いなあ。ほんで続報特集とか出すつもりやろ」
「あ、ばれた?西の高校生探偵の初恋後日談。ええやん、売上に貢献してくれても。事件の情報、欲しいんとちゃうん?」
それを言われると弱い。
そもそもこんな面倒くさいインタビューを受けてるのだって、それが発端なのだ。
警察には非協力的な人種も、雑誌記者には意外と色々話していたりする。独自の情報ルートもあるし、その情報力は侮れない。
ギブ、アンドテイク。
今気になっている事件の情報が書いてあるらしい手帳をひらひらされて。服部平次は観念した。
少なくとも、ギブに対して不当な代価を要求する相手ではない。それなりに、でかいネタなのだろう。
自分の初恋ネタ……しかも殆どでっちあげ……で満足してもらえるならそれもよいかもしれない。寧ろ、少し心が痛むくらいだ。
「手掛かりのネタやったら、まあ。家の引きだしに……」
***
「でもさ。なんかしっくりこないんだよね」
ひとしきり善哉の美味しさを絶賛した後、蘭がポツリと言った。
「ひっふりっへ、はひは?」
伸びる餅を噛み切れずに難儀しつつ和葉が答える。上眼遣いに蘭を振り向く園子も餅を咥えていた。
「さっきのさ、服部君の記事」
「あー、確かに」
柔らかい餅を飲みこんで、園子が頷く。
「あの服部君がねぇ。雑誌のインタビューに初恋語るなんて、ちょっと信じらんない」
「まあ、それも意外だったんだけどね」
もうその話は。少し眉根を寄せる和葉に申し訳なさそうに笑いかけると、蘭は手を出した。
「和葉ちゃん。さっきの雑誌、ちょっと見せてくれない?」
「う、うん。ええけど」
丁寧に畳んであった小冊子を蘭に差し出す。広げられた記事を園子も覗き込んだ。
「なんか、違和感なんだよね」
「違和感って、なに?」
「なんて言うのかなあ……。服部君、ホントにこの初恋の女の子、探したいのかな」
「え?でもそうじゃなかったら載せないでしょ。こんな水晶の写真なんて」
「そうなのよねぇ」
蘭は小首を傾げる。善哉を食べつつ、和葉は上眼遣いに蘭の様子を伺った。
「水晶を公開してるってことは、探してるって事なんだと思うんだけど」
「うんうん」
「それにしては情報が少なくない?この記事」
「え?」
今度は和葉が乗りだした。
「だってさ、京都でしょ。11年前。ちょっと年上。水晶。こんな情報で人探しなんて、普通無理だよ」
「そう言えば……」
「服部君がその子にこの水晶を貰ったなら、何か話したりしたんじゃないのかなあ。そういうエピソードとか。普通、そういうの載せない?」
「そうやね……」
「京都って言っても広いし。ちゃんと覚えてなくても大体の場所とかさあ。季節とか。天気とか。あと、相手の情報とか」
「そうよね。髪型とか、服装とか。もう少し覚えててもよさそうじゃない?覚えてるなら、なんで話さなかったのかな」
「でも平次……昔っからアホやったし……」
「またまた。服部君は昔っからアホみたいに記憶力がよくって人ととかめっちゃ覚える、って嬉しそうに言ってたの、和葉ちゃんじゃない」
「あ、アタシは別に。嬉しくなんか」
「ともかく。8年前って言ってももう9歳よね。もう少しなんか覚えててもいいと思うけど」
「そうなの。……そうやって読むとさあ。この記事ってすごく片手落ちよね」
「たしかに中途半端」
自ら高校生探偵をしてるくらいだ。人探しに必要な情報がなんだか、わからないはずはないだろう。
「ホントに探したいのかな。初恋の相手」
「せやけど、それやったらこんな水晶なん……」
「そうなのよ。だからわかんないのよ」
3人揃って首を捻る。
「わかんないなあ……」
「まあ、平次の考える事なん、大抵意味不明やねんけど」
「もしかしたらさ。なんか、すっごい深い意味のある暗号だったりして」
「暗号?」
園子の突飛な台詞に二人が眼を丸くする。
「初恋の記事とみせかけて、実は違う意味が隠されてたり」
「違う意味って?」
「それはわかんないけど、例えばさあ、新一君へのメッセージとか」
「新一?」
「あの水晶はなんか事件にかかわってるのよ。それを新一君に知らせる為にあんな記事を載せたとか」
「でも、それじゃあその事件に拘わってる、例えば犯人とかにばれちゃわない?」
「だってそれ、地方のローカル誌で若者向けでしょ?読む人なんて限られてるわよ。人気があるって言っても」
「でも、危険は危険やと思うけど」
「じゃあ、こういうのはどう?」
一人納得して園子は続ける。
「前もって示し合わせてたのよ。あの写真が何かのサインなんじゃないかな」
「まさか」
蘭が軽く笑う。
「それはちょっと考えすぎじゃない?」
「アタシもそう思う」
「そう?」
善哉の最後の一口を飲みこんで。園子は人差し指を立てて頬に当てた。
「結構いい線、行ってると思うんだけどなあ」
ええと、平次が事件の情報と引換えにインタビューに答えた、というのは「eプラス」ネタです。
何それーー、と言う方はレビューをお読みくだされば、なんとなく伝わると思います……オフィシャル扱いかは微妙ですが。
というわけで、アレからそろそろ一年経とうと言うのに相変らず映画萌え萌え、DVD流しっぱなし状態です。
で、またフォローネタというかつっこみネタっちうか、なんつか。
でもホントに思うんですけど、あの距離で斜め上から見下ろしたら顔なんて禄に見えないと思うのです。
毬だってそんな大声で歌いながらつくもんじゃないですし、どんなに良く通る声と言ってもそんなはっきり聞こえないと思うのです
というわけで
あれは平次の妄想入りの回想シーンに違いないのです(笑)。妄想=真実だったと言うことで(爆)
夢見てますか?妄想ですか?ううう。笑ってやってください。
後もう一つ不思議なのは西条氏がいつ何処でどやってあの情報誌を見たかってことですよねー。関西で人気……若者に、ってわけじゃないのかな??
あ、鞠の少女を和葉と疑いつつ水晶の持ち主=鞠の少女という思い込みゆえに云々はどっかで見たネタですが読み物には初出ですね。
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