月に何度か、事件の時に服部平蔵は家に戻らないことがある。別段珍しいことではない。
妻の静華にとっても日常茶飯事。今日も着替えと差し入れを持って深夜の大阪府警本部に足を運んだ。
息子の平次は東京。アホな犯人に変な手紙を貰ったと、嬉々として出掛けて行った。
我が子ながらよくできた息子だとは思うが、如何せんまだまだ未熟。見ていて危なっかしくて仕方がないが、助け舟を出してばかりでは育つわけがない。
「子が可愛いのなら寧ろ進んで千尋の谷に突き落とせ」というのが服部家の家訓らしい。恐らく平蔵もそうして育てられたのだろうと容易に想像がつく。
けれどもし這い上がって来れなければ?
這い上がって来れない程度の人間なら、残念ながらそれまでだ。
親としてはやんわりと更に奈落の底まで突き落とした上で、不本意ながらも息子を路線変更させてやるよりほかはない。幸い今のところ息子の平次は頑張って這い上がって必死に食らい付いている状態。
そんなことをぼんやり考えていると懐の携帯が震えた。着信画面にはつい今しがた別れて来た夫の名。
「どないしたん?」
「すぐ戻れ。エレベータホールに、大滝が居るから案内さす」
「はあ」
丁度エレベータが一階につく。降りない静華に不審そうに軽く頭を下げた若い刑事が二人乗り込んだ。その視線を笑顔で受け流して、上って行くエレベータの数字を目で追う。
平次に、何かあったのだろう。夫の声からそれが察せた。
***
大滝の案内で通されたのは恐らく府警本部の中で一番狭い会議室の一つと察せられた。入り口によれよれの書初め用半紙に書かれた表札がそれでもでかでかと掲げられていた。
『大阪府警本部長御子息誘拐事件対策本部』
ちなみに隣の部屋は立派な木の表札の掛かった『現金輸送車強盗事件対策本部』である。
「なんなん?あれ」
部屋に入ると中には平蔵と、辛うじて見覚えがある程度の若い刑事の二人だけ。
「ええ出来やろ。わしが書いたんや」
「あんたが達筆なんは知っとるけど。なんもわざわざあないなことせんでも」
「後で大滝に写真撮らそ、思てな。隣の事件との扱いの差ぁを痛感してもらおか思て」
「ああ。そらええなあ」
突っ込む所は、表札じゃなくて!!まずはご子息が誘拐されたことに慌ててくださいよ!!
と若い刑事の目が語っていたが、長い付き合いの大滝の表情は変わらない。
自分の息子を「御子息」と書いてしまうのもどうかとも思うが、そこはそれ。平蔵の目一杯の皮肉なのである。
「で、あのアホが、どないしたって?」
「変声機使た怪しい男の声で電話があったんですわ。本部長の息子は預かった、返して欲しくば金用意せい、言うて」
「そない簡単に犯人の手ぇに落ちる息子、返していらんのやけど」
大滝の言葉に即答する静華に、平蔵が黙って頷いて同意する。
「とりあえず本部長は手ぇが離せへん言うたら、また電話する言うて切れましたんや。一応逆探知の準備は出来てます」
「申し訳ないなあ、大滝ハン。この忙しい時にあのアホがとんだ迷惑かけて」
「いやあ、平ちゃんにはいっつも世話になってますから。ここらで一つ借りを返しとかな、思いますし」
「そんなん、あの子に経験積ませてもろてるんに、借りなん言われたらうち申し訳ないわ。ホンマ、捜査の邪魔になってへんとええのやけど」
扉をノックする音がして、若い婦警がお茶を運んできた。
「あのう……平次君、なんかあったんですか?」
「ああ、なんもないんよ。家庭の事情やから。気にせんとってな」
大阪府警本部で家庭の事情も何もないところだが、にこやかな静華の笑顔に戸惑いつつ笑顔を返した婦警はそれ以上何も聞かずに部屋を辞退した。
入れ代わりに大滝が再び部屋に入ってくる。
「本部長。撮っときましたで。写真」
「ん。ほな、あれはもう外してええな。静、記念に持って帰るか?」
「せやねえ。うちの玄関にでも貼っとこか」
外されたよれよれの半紙が大滝の無骨な手で丁寧に丸められる。
「で?あのアホはホンマに誘拐されたん?」
「さあな。まだ声は聞けてへんが。ま、そうなんやろ」
「ほんなら……」
「そういうことや……」
「やっぱ、そうなんやろか……」
「恐らくなあ」
主語はおろか述語すらも怪しい二人の会話に、若い刑事は戸惑いの表情を隠せない。
「せやけど……」
「安心せい。遠山なら向う任せてきたからこっちのことは知らん。ま、いずれは耳に入ると思うが……」
「せめて二人が帰って来るまではもたせたいところやなあ」
静華が神妙な表情で考え込むのとほぼ同時に、電話のベルが鳴った。
大滝が素早く逆探知のスイッチを入れる。「引き伸ばしてください」などとは今更言わない。
「大滝、とりあえず、お前が出ぇ」
「了解です。……あー、もしもし?」
受話器の向うに一瞬の沈黙が流れる。スピーカボタンを押して大滝が再度声を掛けようとした時。
「あーー。大滝ハン。俺や」
「平ちゃん……や、平次君。どないしはったんや」
例の変声機の声が聞こえるかと思ったが、意外にも電話の相手は平次本人だった。
「あー。なんもないわ。大滝ハン、元気かー?」
どうにも歯切れが悪い。無事に脱出したわけではないようだ。
「なんや、平次君。本部長になんか用事が……」
「ちゃうちゃう。ホンマ、なんもないんや。ほな、切るから……」
平次が言い終わらないうちに受話器の向うで鈍い音がした。カラカラと不審な音が響く。どうやら受話器が地面を転がったらしい。
スピーカを通して、受話器の向こうの音が響く。
鈍い、人を殴る音。僅かに漏れる痛みに耐えているであろう呻きは間違いなく服部平次のものだった。
「貴様!!言う通りにしろ!!」
「だ……誰が……そんな……」
まだ地面に転がっているであろう受話器から、遠い声が漏れてくる。若い刑事がおろおろと平蔵と静華の顔を見比べた。
「みっともない……真似……できるかっちうんや……」
「貴様!!まだそんな余裕があるのか!!くそ!!」
低い呻きが遠くに微かに聞こえる。
「……誘拐された時点で、十分みっともないと思うんやけどなぁ」
「アホやなあ。殴られてもなんの得にもならんのに。若いなぁ」
「ま、あの子はあの子で信念があるんやろ。青春やなあ」
大滝の視線を受けて、平蔵が受話器を取った。
「わしだが」
更に低い声が部屋中に響く。空気が凍りついたような錯覚を起こした。
「大阪府警本部長、服部平蔵や。わしに、何ぞ用か」
***
受話器の向うの声は変声機を使っているらしく幾分聞き取りずらかった。
「私の名は、ネメシス」
「……」
芝居がかった物言いに、一同は少し安堵した。大丈夫。相手はアホだ。
「貴様の息子は預かった」
「簡単に人の手ぇに落ちるよな不肖の息子は、持った覚えないんやけどな」
平蔵の表情は変わらない。
「大した自信だな。だが実際今我が手に……」
「ほな、人違いやろ」
「人違いかどうかは自分で確かめるんだな!!おい!!起きろ!!」
受話器が何かに当たる音がする。察するに平次を受話器で殴りつけたらしい。
随分と乱暴だ。芝居がかった偽名を語り、必要以上に暴力的に、威圧的に構えている。長年の経験から、大滝は素早く頭の中でプロファイリングを行う。
「平次」
「……オヤジか」
「みっともないことやなあ」
「面目……ない……」
「なんか、言うことはあるか」
「そっちはどないやねん。事件」
「ん?」
無表情のまま平蔵は手元の書類に軽く目を通した。
「ま、順調や。容疑者の絞込みはもう済んだし、今遠山が向かっとるころやろ?」
「なんや、遠山のおっちゃんそこにおらんのか」
「……平次」
「あ、和葉は無事やで。五体満足で元気なはずや。大丈夫やって。全然、問題なしや」
更に低くなる平蔵の声に、息も絶え絶えだったはずの平次が妙に早口に言い切る。
「それやったらまあ、わしも静もなんも言うことはない」
「こっちも元気に頑張ってるから。ほな、おかんに宜しく言うといて」
「ん。明日の晩飯までには帰れや」
再び鈍い音が受話器の向うから響く。激昂した自称ネメシスの罵声が切れ切れに聞こえた。
「アホやなあ。こういう時はとりあえず犯人の要求飲んどったらええんや。後で逮捕できれば問題なしや?」
「まあ、そこが若さやな。その辺、ちょう不器用やな……あいつは……」
「和葉ちゃん、一緒におらんのやったらカッコつける必要どこにもないやん。ホンマ容量悪いにもほどがあるわ」
呆れたように溜息をつく。
「ま、そこがあの子の可愛いとこやねんけど」
妙に嬉しそうな妻の物言いに苦笑して、平蔵は受話器を持ち直した。
「で、用はなんや。わしは忙しい」
「一億円だ!!」
荒い息の中で犯人が叫ぶ。どうやら平次を殴るのに疲れてきたらしい。
「身代金、一億円用意しろ!!でなければ貴様の息子の命はない!!」
「……すまんがもう一度平次を出してくれんか」
「貴様に用だとよ。ほら!!起きろ!!」
受話器の向うで盛大な溜息が聞こえた。
「……俺やけど」
「安い男やなあ。平次」
「せやろか。随分過大評価されてる気ぃすんのやけど」
思ったより息が上がっていない。どういった状態かはわからないが、それなりの受身は取れているということだろう。犯人が思う程にダメージは受けていないようだ。
「……出世払いにするが、ええか?」
「無理やって。一億て、どんだけ出世したら払えんねん。別に身代金なん払わんでええで」
「せやけどなあ」
若い若い、と言いたげに静華が大袈裟にため息をついて平蔵から受話器を受け取った。
「あんた、いつまでそないしてるつもりなん?なんや勝算はあるんか?」
「お、おかん!!??」
受話器の向うで平次の声がひっくり返る。
「なんであんたがそこに居るんや!!」
「そない言うたかて、うちかてあんたのせいで呼び戻されて迷惑してんのやで?終電で帰るつもりやったんに、もう電車終わってもうたわ」
「なにやってんねん!!俺のことなん、どうでもええから、さっさと帰ったらよかったんや」
「そない言うても、そらうちかてあんたのことなん放って帰りたいんはやまやまやけど、世間体ってもんがあるやろ?うちもこの人も、ここで身代金払わんかったら何言われるかわからんのやで?」
「あー。それはそうやなあ。警察の面子にも関わるか……」
「せや。とりあえずなあ、あんたみたいな不肖の息子でも警察は人質の安全が第一なんや」
チラリと大滝に視線を送ると、OKサインが返ってきた。当たり前だ。これだけ引き伸ばして逆探知できないわけがない。
「場所は東京都米花市……このあたりですから、この地図やとちょっと曖昧やけどおそらくこの廃工場やないかと……」
「戸川運送やな……」
犯人に聞こえないように大滝と平蔵が囁きあう。
さて、どうするか。
「とりあえず身代金は用意したろ。ホンマ、なんであんたなんかに一億も払わなあかんのや」
「お、おかん……ホンマすまん……」
妙に湿っぽい静華の声に、これまた必要以上に湿っぽい平次の声が帰って来る。二人ともまだ十二分に余裕だ。
「探偵や〜言うて遊んでるんはええけどな、人様に迷惑かけたらあかん。たとえそれが親兄弟でもや」
「……」
「まあ、あんたがあの強盗事件の犯人逮捕したんは間違いやない。それは誇りに思てええ。せやから、ちゃんと出世して返してぇや?」
「鋭意努力させていただきます」
「ちょ、ちょっと待てぇ!!」
急に。聞き覚えのない声が響いて静華は受話器を耳から遠ざける。どうやら犯人が変声機を使うのももどかしく受話器に齧り付いてきたらしい。
「貴様!!こいつの母親か!!」
「はあ。服部静華いいます。以後、よろしゅうに」
「よろしゅうない!!」
平蔵の目配せに大滝がそっと部屋を出る。若い刑事は身動ぎもせずに親子の会話に聞き入っていた。
「貴様、それでも母親か!!一人息子の命が危険に曝されてるんだぞ!!俺は本気だ!!本気でこいつを殺すぞ!!」
「せやから、身代金はちゃんと払う、言うてるやろ?そっちの要求はのむんや。筋は通してもらうで?」
「そ、それは、そうだが!!その身代金が出世払いとはどういうことだ!!親だったら、息子のために全財産投げ打つもんじゃないのか!!??」
「何言うてますの?親やって一人の人間やねんで?あんたあるところから取ったらええと思てるかも知れへんけど、府警本部長いうても所詮は公務員。安月給やねんで?全財産言うたかてたかが知れてますし、一億も要求されればこっちの心情も複雑やわ。」
「し、信じられない……なんて薄情な……」
「は。何言うてますんや?あんたの親かて、余程人の情を知らん人なんちゃいますの?」
挑発的な静華の言葉に、受話器の向うで空気が凍る。
「な、なんだと!!俺の、俺の母さんはなあ、あんたと違って優しい、ホントに優しい人なんだ!!」
「そうやろか?それやったらなんで、あんたはそないに人の痛みがわからんのや?」
「う、うるさい!!俺の母さんはあんたとは違う!!俺は、俺は母さんを助けるために……!!」
「はあん。あんたのお母さんは、自分らが助かれば他人は不幸になってもええ、ってあんたに教えたわけやな?やっぱ人情ない人やん」
「ち、違う!!母さんは、母さんはそんな!!」
「それやったらなんであんたの兄さんは強盗なん、したんや?あんたかてそうやって人一人攫ってその命と引き換えに金取ろうとしとんのやで?親が子を思う気持ちを逆手に取ってるわけや」
「お、お前が言うな!!」
「せやけどそうやろ?あんたがそない非人情なことできるんはあんたのお母さんがちゃんとあんたらにそういうこと教えてくれへんかったからや」
「違う!!違う!!違う!!俺の、俺の母さんは!!俺は、俺はただ、母さんを助けたくて……」
「ほな、この事件はあんたのおかんは知らんのか?」
「当たり前だ!!知ってたら、こんなことあの優しい母さんが許すはずが……」
「あんた、ホンマにアホやねんなあ」
「なにぃ!!」
静華の声のトーンが落ちた。
「あんたのお母さん苦しめとんのは病気よりも何よりも、あんた自身なんちゃうの?」
「な!!」
「あんたホンマに子供やなあ。ホンマの親孝行もようせぇへんなん」
「き、き、き、貴様ぁぁぁぁぁぁ」
受話器の向うで何かが切れる音がした。ような気がした。
平蔵が無言で静華から受話器を受け取る。
「わしやけど、明日の朝8時までに一億用意する。それでええな」
有無を言わさぬ声音に、受話器の向うでは呟くような同意の言葉が漏れただけだった。
「あ、ああ」
「で、何処に置いたらええんや」
「き、貴様が、米花市まで来るんだ」
「わしか?わしは無理や。わしは忙しい」
「お、お前らホントに人の親か!!」
その声は叫んでいる割に覇気がない。静華による精神的ダメージは大きそうだ。
「こっちは現金輸送車強盗事件で忙しいんや。幾ら自分の血ぃ分けた息子や言うてもそっち行ったら、世間に何言われるかわからん。身代金用意したるんが精一杯や」
「そ、それがこっちの狙いなんだよ!!これは!!警察に対する復讐でもあるんだ!!」
「欲張りなやつやなあ。せやけど、全国の警察官の信用とわし一人の信用やったら、そら全国とるやろ。平次、すまんが身代金は諦めてくれ」
「おー。俺はええで。オヤジ。俺のせいで警察の信用に傷ついたら生きて帰っても針の筵やし」
「ち、畜生!!」
犯人の声が裏返る。
「お、お前ら、変だ」
「いや、変なんはあんたやと思うけど……」
「う、うるさい!!」
受話器で平次を殴る音がする。
「と、とにかくだ!!受渡しは……そうだ!!警視庁に居るこいつの知り合いにでもしよう。だ、だから金だけは用意しろ!!いいな」
「別にええけどな……なんや、警察関係者にせなあかん理由があるんか?」
「い、言ったろう。これは復讐だ!!挑戦なんだ!!貴様ら警察から、俺は見事に一億円、奪ってやるんだ!!」
「さようか……」
最早子供の喧嘩レベルになってきている。若い刑事が部屋の隅で笑いを噛み締めていたが、受話器の向うには聞こえない。
大滝が部屋に戻ってきた。
「すまんが、もう一度平次の声を聞かせてくれんか。最後かもしれへんしなあ」
「何しおらしいこと言うてんのや、オヤジ」
「平次か」
大滝からのOKサインに一瞬視線をやり、軽く頷く。
「わしが言いたいことは、わかるな」
「……ぎょうさん思いつき過ぎるんやけど」
「とりあえず、あれや。和葉ちゃん、これ以上泣かせたらあかんぞ」
「う……」
「あとな」
声のトーンが更におちる。
「大阪帰って来る前に名誉挽回しとけや。人の口には戸は立てられん」
「わ、わかってる」
「奴の逆鱗に触れてみろ。わしも静華もフォローに限度がある」
「わ、わかってるて!!」
「ほな、元気でな」
「お、おう」
電話が切られた。
「本部長。例の金、用意いたしました」
「おお。すまんな」
いかにもといったアタッシュケースが平蔵の前に置かれる。
「例の金?って、なんやの?」
「先日一万円札偽造事件で押収した証拠品や。こいつを使う。まあ、警視庁の連中の目ぇくらい、誤魔化せるやろ」
「せやけど、証拠品、そないして大丈夫なん?」
「いや、紛失したらやばいもんや。君」
「はい」
平蔵の視線を受けて既にこの場の雰囲気に慣れきった若い刑事が立ち上がる。
「これを、警視庁まで頼むわ」
「は!!」
「それと、その足で米花市の戸川運送の廃工場へ向かって欲しい」
「は!!ご子息救出ですね」
「いや、それはええ。とりあえずは様子を見とってくれ」
「はあ」
「ホンマにやばなったら、すまんが助けてやってくれ。せやけど、それまでは、手出しせんでええ」
「はあ」
「あいつのことは。自分のことくらいなんとかするやろ。せやけど、この金だけは世間の目ぇに触れたらあかん。無事に取り戻して来い。それが、お前の使命や」
「はい!!」
大滝に頼まないのは平次と面識が低い方がいいだろうという親心だろう。
「このことはここに居るもん以外には、他言無用や。ええな」
「は!!」
妙に張り切った若い刑事の後姿が扉の向うに消えるのを待って、平蔵は冷め切ってしまったお茶を気にせずに一口で飲み干す。
「せやけど、静。ちょっと煽りすぎやったんちゃうか?」
「せやって、あのアホ、うちの平次あないに殴っとったんやで?ちいとは言わせてもらわんと」
「ま、あんだけ逆上させとったら平次もやりやすいやろ。こういう時は上に立ったもん勝ちや」
***
「骨折」
「はあ、あと打ち身が少々……」
「少々」
「それ以外は五体満足だそうです」
「五体満足」
足を骨折しておいて五体満足と言うのも変な話だが、アレだけ派手な殴られ方をしておいて、打ち身少々と言うのも変な話だ。
一体どんな受身と殴られる演技をしていたというのだろうか。
……案外、強かに育っとるようやな……。
無事に任務を終えた若い刑事の報告を受けながら、相変わらず表情一つ変えずに平蔵は一人ほくそえむ。
報告を終えて退出する刑事と入れ代わりに、遠山刑事部長が本部長室に入ってきた。
「なんや、お前んとこの悪ガキ、骨折やって?」
「おう。あのアホが。無茶しよって」
「なんや逆恨みで脅迫された上に誘拐されたんやて?」
「……おう」
「昨夜、和葉から電話があったわ。今、東京の病院や、言うて」
「そうか」
僅かに片目を開いて、目の前の親友の気配を窺う。
「なんや、和葉が迷惑かけたらしいなあ」
「……知らんな……。平次はそんなことなんも言うてへんかったが……」
「昨日の電話では和葉、平次君が助けに来てくれたと喜ぶは、自分のせいで平次君が捕まって殴られて怪我してもうたと泣き出すは、大忙しやったで?」
「そうか……」
とりあえず和葉からは最大級の賛辞を得られているようだが、平蔵はまだ気を緩めない。
……伊達に自分の親友をやっている男ではない。
何故和葉が「助けられた」のか。そこに至る過程に気付かないわけがないのだ。じっと、様子を窺う。
幸いなことに、現時点での遠山親子の服部平次に対する評価は高い。自分も妻もなんだかんだ言って親バカな自覚はあるので、一番近い他人である彼らの評価はいい指標になる。
まだまだヒヨっ子だとは思う。未熟だとは思う。若いのだから当たり前だ。そう思う。思うが。
その将来性を否定されてしまえば終わりだ。
服部平次誘拐の第一報が入って以来、平蔵が最も緊張した瞬間だろう。
無表情を装っていた風の遠山の顔に、フッと笑みが浮かぶ。
「ま、色々あったようやけど、平次君も頑張っとるようやな」
「……そう、やな」
「入院してるんか?」
「いや、骨折言うてもヒ骨やったらしいわ。松葉杖ついて今日戻って来とるはずや」
「ヒ骨か。そういや、お前もやっとったなあ、ヒ骨骨折」
「……昔の話や」
「ホンマ、どんどんお前に似てくんなあ。平次君は」
遠山が破願するのを確認して、平蔵は漸く肩の力を抜いた。
「ほな、和葉に言ってなんぞ見舞いでも持って行かすわ。平次君は、何が好きやったかな……。ところで平蔵」
「ん?」
椅子を回して遠山に背を向けかけていたのを慌てて戻す。机に肘をついて、遠山は平蔵の顔を覗き込んだ。
「先日の偽札事件の証拠品やけどな」
「……」
「昨日、見当たらんかった言うてる刑事がおるんだが、今朝わしが見に行ったらあった。お前、なんか知らんか?」
「さあな」
「なんや、ケースがちょーーーーーーーーーっと汚れとるような……」
「気のせいやろ」
「気のせいか?」
遠山の顔に、笑みが浮かぶ。平蔵はそれを、軽く笑って受け流した。
「気のせいやな」
「そうか」
遠山が身を起こす。
「お前がそういうんやったら、そうやな」
「そういうことや」
同じタイミングでニッと笑った二人の笑顔は、学生時代のそれとかわらない。
「ほな、こっちは現金輸送車強盗事件の犯人でも絞めて来るわ」
「ん。そっちは任せた」
親友の背中を見送り、扉が閉まって有に数十秒。微動だにしなかった平蔵はゆっくりと受話器を持つと慣れた番号をプッシュした。
椅子に深く座りなおし、足を組む。
「……静か?わしや」
すんません。親バカ服部夫妻が書きたかったんです。絶対親バカだと思うんです。
その一方で平次を息子としてではなく一人の人間としても認めてるとも思うんです。でもそれも親バカ故だとだと思うんですけどね(笑)
一見突き放して見えるのは、それだけ信頼してるからなんですよねーーー。でも絶対二人とも本人にはなんにも言わないだろうな、と。
あと平蔵&遠山父の友情(?)っぷりが書いてみたかったりして。オヤジs大好きなんです。ふふふ。
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