それは。
ホントに些細なことだったけれど。
***
「なあ、平次」
森園家の広い廊下。用意された部屋に向かう途中、幼馴染に声をかけられて平次は振り返る。
「なんや」
「……なんもない」
「なんもないてあるかい。なんやねん」
「やっぱなんもない」
「変なやっちゃなあ」
首を傾げつつその後の言葉を待つが。続けるつもりがないらしく、和葉は視線を彷徨わせて黙ったまま。
更に目顔で促すと、ふいと横を向いてしまった。
思わせぶりなくせになかなか言い出さないのは、珍しいことでもない。
自分と違うこの生き物は。たまに何を考えてるのかよくわからない。
諦めて、なんでもない風に。
「疲れたなあ」
「平次、一日中事件の証拠探して走り回ってたんやもん。しゃあないよ」
「こんな日ははさっさと寝るに限るな」
「うん。そやね」
「お前も早よ寝ぇや」
「う……うん」
「なんや。どないしてん」
「アタシ……蘭ちゃんと、ちょっと、話してから寝よ、かな」
「なんやお前ら、ホンマ急に仲良うなったんや」
「別に、仲なん悪なかったもん」
「嘘言え。お前、目の敵にしてへんかったか?あのねぇちゃん」
「別に、そんなことないもん」
「よう言うわ。知ってんでぇ?目ぇ合わさんようにしとったやろ」
「そんなことないって」
「さよけ」
頑なに否定する幼馴染は認めようとしないが。それくらい、自分だって気付いていた。
基本的に人見知りしないようで、この幼馴染は時々酷く人見知りをする。
そんな時、それでも表面上は友好な雰囲気を保ちつつも、視線を合わさなかったり、口調がきつかったり。
本人は頑張って何気ない風を装っているつもりのようなのだが、やっぱりいつもとは違ってしまう。
いつもが分け隔てないだけに、それが顕著なのは寧ろ本人にとっては損かもしれない。
別に。頑張らなくても。
それならそれで自分の後ろから出てこなければいいものを。
頑張って無理に会話して。そして、こんな風にいつの間にグッと距離を縮めていたりするのだから、驚かされる。
……ホンマ。オンナはようわからんわ。
「ホンマお前、気紛れやなあ」
「そんな、気紛れとかそんなんとちゃうもん。ほな、アタシ蘭ちゃんとこ行ってくる」
「行ってくるって、こんな時間にか?もう寝てもうたんとちゃうんか?」
「そんなんわからんもん。とりあえず、行ってみる」
「ええけど……あっちのおっちゃんやボウズに、迷惑掛けるんとちゃうで」
「迷惑、かな」
「そうやなあ。どうせ突発やから、部屋なん一緒やろうし……」
服部平次は小首を傾げた。
自分と和葉の部屋は、幸か不幸か別々に用意されている。無論、もとより泊まる予定だったのだから部屋数の多い森園家ではなんの痛痒もないはずだ。
しかし、今日急に泊まることになった毛利一家の分の準備などあるわけないだろうし、「家族」揃って同じ部屋というのが妥当な線だろう。
……工藤が、上手く抜けだせへんと困んねんけどな。
寝つきのいい毛利小五郎は問題ないだろう。先ほどから頻りと大欠伸をしていた。
問題は、あの姉ちゃんか。
工藤新一によれば、毛利蘭は非常に寝付きがよく。しかも一度寝てしまったら滅多なことでは起きないということだが。
……何でそんなこと知ってんねん。工藤。なぁにがただの幼馴染や。めっちゃチェック済みやん。
口の端を上げて東の高校生探偵を嘲笑う西の高校生探偵は。
自分だって、自分の幼馴染の寝付きがいいこととか。その割りに寝が浅くて小さな物音にもすぐ起きてしまうこととか。
ちゃんと知っていることになんの疑問も感じていないのだから片手落ちとはまさにこのこと。
とにかく。和葉と違って滅多なことでは起きないのはいいとして。
……それにしても、寝てくれないことには始まらない。
「ほんなら、あの姉ちゃんこっちに呼んだらええやん」
「蘭ちゃんを?」
「せや。どーせしょーもない話で夜更かしとかすんのやろ?ホンマ、何でオンナっちうもんはそんなんするんが好きなんや?俺にはさっぱりわからんわ」
「アホ。平次にわかったら気色悪いわ」
「ま、おっちゃんやボウズの邪魔せぇへんように、お前の部屋で話したらええやん」
そうなれば。工藤新一も部屋を抜け出しやすいだろう。
それに。
そうなれば、自分が部屋を抜けても大丈夫だろう。
きっと和葉は、毛利蘭とのお喋りに夢中になって。隣の部屋に自分がいないことなど気付かないに違いない。
これから真犯人を挙げに行くには都合がいい。
「そっか……そうやな。うん。そうする」
「ま、あの姉ちゃんがまだ起きてるとは限らんけどな」
「うん……でも、行ってみる。平次、もう寝るやろ」
「おう。俺は先に休ませてもらうわ」
「お休み、平次」
「ほなな」
わざとらしく大きく一つ欠伸。のつもりが、本当に欠伸が誘発されて目の端に涙が浮かぶ。
まだ何か。立ち去りがたそうな幼馴染にひらひらと手を振って背を向けたところで。
「なあ、平次」
「なんや」
「……なんもない」
「なんやねん、お前。さっきもそう言うて……」
「ホンマ、なんもないの。ごめん。お休み」
早口にそう言うと。
和葉はクルリと踵を返して平次の言葉も待たずに走り去った。
「……なんやねん、あいつ」
もう一度首を傾げる西の高校生探偵の頭の中は。
現在、真犯人を捕まえることで一杯で。残念ながら和葉の胸の内になど気付く余裕もなく。
両手を挙げて大きく一つ伸びをして。自分に用意された部屋に入ると静かに扉を閉めた。
***
平次が。事件を解くのを見るのは初めてじゃない。
西の高校生探偵。
和葉の自慢のこの幼馴染は。一度だって犯人を間違えたことがない。
……ま、推理の途中で間違えることくらいは、あるけど。
だけど。一度だって確信なしに不用意なことを言ったことはない。
平次が「犯人だ」と口にした以上。それは疑いの余地などないのだ。
少なくとも、自分にとってはそうだった。今まで、ずっと。
だから。あんな風に大勢の前で推理ショーをして、犯人を挙げて。……桜庭さんは否認したけど、でもトリックだって、ちゃんと自分にも納得いくくらい綺麗に解かれてて。
いい人に見えたけど、でも動機だってあったし。
平次が言うのだから、犯人に違いないのだけど。
それなのに。この違和感はなんなのだろう。
「和葉ちゃん、どうしたの?」
「え、あ、ううん。ごめん、何の話やったっけ」
「お台場。和葉ちゃんが、行きたいって」
「あ、うん。そうやねん。蘭ちゃん、行った事あるんやろ?」
明日。中止になった結婚式。どうせ平次は事情聴取に立ち会うに違いない。
どこかに遊びに行って時間を潰そう。そう持ちかけたのは自分の方だった。
「服部君のこと、考えてたんでしょ」
「え」
「誤魔化したって無駄だよ。和葉チャンの顔に、ちゃーんと書いてあるんだから」
「え、ええ!!」
反射的に自分の頬を両手で覆って。至極嬉しそうに笑う蘭の瞳に思わず顔が赤くなる。
「ちゃ、ちゃうもん!!そんなんと」
「ふ〜ん?」
「もう!!蘭ちゃん意地悪や!!」
「そんなことないよ。だって、ホントに顔に書いてあったんだもん!!」
「嘘や!!そんなわけないもん」
「……和葉ちゃんって、ホント可愛いよね」
「な、なに言うてんの!!」
「私もさあ。園子によく新一のことでからかわれるけど。ちょっと園子の気持ちがわかったかも」
「園子……ちゃん?」
「そう。私の大親友」
そう言って蘭は。まるで彼氏を紹介するかのようにはにかんで笑う。
「可愛いのは蘭ちゃんの方や。アタシは、その親友さんの気持ちの方がわかるもん」
「え?」
「……からかわれるんや。工藤君のこと。ただの幼馴染って、やっぱあれ、嘘やったんや」
「う、嘘じゃないよ」
「ふーん。そーなーん」
「もう!!和葉ちゃん、意地悪だよ!!」
形勢逆転。
寧ろ同じ穴の狢。
顔を見合わせて、同時に噴出す。
「あ〜あ。早く園子にも、好きな人ができないかなー」
「おらんのや」
「そう。いい男捕まえるーー、っていっつも張り切ってるんだけど、なかなか、ね」
「ふうん」
「ま、そんなに安い男に引っかかられても困るんだけど」
「あ、わかるわかる!!その気持ち!!やっぱ、大事な友達は変な男にはあげれへんもん!!」
「そうなのよねー。園子に好きな人ができたら、いーーっぱいからかってあげるのに」
「そうやね〜。今、たくさんからかわれてんのやもんね。蘭ちゃんは。好きな人のこ と で」
「べ、別に私は、新一のこと、好きとか、そんなんじゃ」
「ふ〜〜ん」
「違うってば!!」
もう一度。示し合わせたように同時に噴出して、暫く二人して笑って。
「で、ホントに何考えてたの?さっき。上の空だったでしょ?」
「あ、うん。……ごめん」
「別に、責めてるわけじゃないよ。でもなんか、心配そうだったから……」
「うん……」
「どうしたの?」
「あんな……」
平次に問いかけられなかったその問いを。言葉を捜して。
「桜庭さん……ホンマに、重松さん、殺したんかな」
「う、うーん。確かに、ちょっと信じられないけど……」
「なあ、蘭ちゃんとこのおっちゃん、何か言うてへんかった?」
「お父さん?別に……どっちかっていうと、服部君に先越されたってふてくされてたし」
「そっか……。なあ、蘭ちゃんは?」
「私?」
「せや。蘭ちゃん、工藤君やおっちゃんと一緒におって、事件とか結構見てるんやろ?推理とか……」
「私は、別に。新一と事件に会ったことなんてそんなにたくさんないし、推理なんて、全然」
「そうなんや……」
「和葉ちゃんは?和葉ちゃんだって、服部君と一緒にいて、事件に会うことあるんでしょ?」
「せやけど……アタシやって、別に、推理は全然」
「そうなの?でも、もしかして和葉ちゃん、桜庭さんが犯人じゃない手掛かりを知ってる、とか……」
「そんなんは、ない、けど」
「じゃあ、真犯人の手掛かり」
「ううん。そんなんともちゃうよ。せやから……アタシの、思い違い、やと思うし」
「でも、服部君の推理が間違ってるかもしれないよ?なんか手掛かりがあるなら、警部さんに話した方が……」
「ホンマ、そんなんとちゃうねん」
「じゃあ、ただ桜庭さんが犯人とは思えないだけ?」
「う……うん……」
「そーかなー。そんな風には顔に書いてないけど」
「う……う……ん……」
どんどん俯いてしまう和葉の顔を、蘭が追いかけるようにして見上げる。
「平次が……」
こんなことを言ったら、笑われるだろうか。
「平次が、なんや、ちょっと」
キラキラ、してなくて。
幼い頃からずっと一緒にいた。いつもその隣でその顔を見てきた。
事件に関わる時。とりわけ、事件を解いた時。
自ら、真実を導き出した時。
あの幼馴染は、極上の表情を見せるのだ。
上手く表現できないけど。月並みな言葉で言えば、キラキラしてて。
ドキドキさせられる。
あの時。
木から飛び降りて。和葉に容疑者を集めるように言った平次は、確かにキラキラしていたのに。
どうしてだろう。
推理ショーの時の、あの、違和感は。なんだろう。
そんなことを。
まだ知り合って間もない。きっと仲良くなれると、絶対仲良くなれると確信してるけど、それでも彼女にこんなことを言ったら。
笑われるだろうか。
「平次が、なんや、ちょっと、変……やったかな、て」
「変?」
「変……て言うか……なんや、ちょっと、歯切れ悪いっていうか……煮え切らへん、言うか……」
「うーん」
「ご、ごめん。わからんやんな。なんて言うん?長年の勘?なんや、ちょっと……上手く言えへんのやけど」
でも。
「もしかして、桜庭さん、真犯人とちゃうのかも、て」
「じゃあ、さっきの推理ショーは?」
「ようわからへんけど……もしかして、嘘、かな、とか」
「でも、どうしてそんな嘘を?」
「わ、わからへん……やっぱ、そんなことないやんな。やっぱ、桜庭さんが犯人やんな。ごめん、変なこと言うて」
「うーん。よくわからないけど……」
思案顔で視線をくるりと回して。
それから、蘭はニッコリと微笑む。
「もしそうだったら、嬉しいね」
「え」
「私も桜庭が犯人じゃないといいなー、って思うし。だって、楓さんも可哀想だし……」
「うん」
「私も、なんとなくわかるな。そういうの」
「蘭ちゃん……」
ベッドの脇に座って二人。また顔を見合わせて、同時に笑って。
「当たるといいね。和葉ちゃんの勘」
「ま、まだわからへんけど」
「そうだけど。当たってるといいよね」
「せやね」
「明日。どんでん返しがあるかもね」
「どーやろ?」
「なーんか楽しみだなー」
ぽふっと蘭がベッドに寝転がる。無駄に広い森園家の客室には、無駄に大きなキングサイズのベッド。
「寝よっか」
「うん」
なんだか。
胸に支えてた何かが取れたようで、和葉も笑う。
平次本人に言えなかったこんなことを、言えたのは相手が蘭だったから。
……ホンマ、蘭ちゃんってええこやわぁ。
その横顔をまじまじと見ると、視線に気付いたのか和葉の方を見て笑って。
「お休み、和葉ちゃん」
「う、うん。お休み」
ちょっとだけ、ドキドキ。
***
「ええ!?」
森園家の朝食の食卓に響く、毛利小五郎の頓狂な声。
「そんなことがあったんですか!?」
「はい……ですから、旦那様はお坊ちゃまに付き添って今警察に……」
「そんなぁ……」
「あの……旦那様は、きっと毛利探偵はこのことをとっくにご存知に違いないとおっしゃっていたのですが……」
「あ、ああ、いやぁ。勿論ですよ。あっはっは。私も警察に行くって言ってたんですけどね。いやぁ、起こしてくれればよかったんですが……」
小さく会釈して小五郎の傍を離れる使用人と入れ替わりに。和葉を伴って蘭が食堂に入ってくる。
「お父さん、どうしたの?」
「ったく、あんのガキ……警部も警部だ。なんで俺にそんな大事なことを相談してくれないんだ……」
「お父さん?」
「ったく起きてみればあのボウズも居ねぇし……って、蘭、どうした?」
「どうしたって、お父さんこそどうしたのよ」
「どーしたもこーしたもねーよ。ったく、今ここんちの人間に聞いたんだけどよ」
小五郎の、不満一杯の真相を聞きながら。蘭は和葉を振り返って。
小さくウィンクした。
推理ショー後の平次の「えげつない殺人鬼」発言に対する和葉のつぶやきを、何度も繰り返して見てたらふと別の解釈もできるなーと。
そんなこんなでこんなものが出来たのですが、………蘭和は、書くの楽しいなあイェイ。無駄に長くてごめんなさー。
平次はまあ、推理真っ最中なんで。こんなもんかな、と。段取り通りに物事を運ぶので一杯一杯です。
しかし、いつも思うんですけど、結婚式は何処でやる予定だったんですかね?どっかのホテルとか教会?
森園家には、他の参列者は泊まってなかったのでしょうか……謎です。
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