腹は、痛かった。尋常じゃなく、痛かった。
弾が当たった瞬間は、痛いというより熱かった。ただ、熱いと思った。それよりも何よりも。
うっかり石油に引火させてしまったらしく炎と煙が上がったのには正直驚いた。
「あ、あんた、足に弾くろたんか」
「ぼ、僕はええから平次君、早よ逃げ!!」
「ア、アカン…俺も腹にくろてしもたみたいや…」
ほんの一瞬、ダメかと思った。腹の辺りが熱く、血が止め処なく出やがる。いい加減止まれ、と思った所で止まるわけもなく。
自分の体とはいえ、こればかりはままならない。さて。ここでじっとして出血を最小限にとどめて助けを待つか。とりあえず脱出を試みるべきか。
坂田を伺うと、その視線を勘違いしたのかポツリポツリと話し始めた。
「僕の父親やったんですよ……20年前に死んだ、あの教官……」
正直、むかついた。聞けば聞くほど、むかついた。
坂田のことは、嫌いじゃなかった。何を考えているのかつかみ所のない所はあったが。人当たりがいいタイプで、いつも「平次君、平次君」となにかと我がままを聞いてくれた。
だからこそ。
警官という身分でありながら殺人を犯したあんたを、俺は許さへん。
興味本位のマスコミが。この事件をどう書き立てるかなど、容易に予想ができる。現役警察官による殺人。どんなに相手に非があろうと、焦点は坂田が現役の警察官であることに当てられる。しかもその立場を利用した犯罪だ。
最低だ。
それがどんなに犯罪者を喜ばせるか。犯罪予備軍を助長するか。こいつは、全然わかってない。
オヤジや、遠山のおっちゃんや、大滝さんが、死ぬ思いで守ろうとしているもの。それを簡単に踏みにじった坂田に、むかついた。
被害者ぶって語る坂田にむかついた。殺された人たちやその家族だけではない。警察が、大阪府警が、東尻署がどれほど被害を受けるかこいつは全然わかっていない。
俺に犯行を暴かれても、自首することなく自殺して責任逃れしようとした坂田に、むかついた。
腹が、痛い。
「そやから僕は法のかわりに……奴らに鉄槌をくだすために……僕は……」
堪忍袋の、緒が切れた。腹の痛みなど、どうでもよかった。
「立てや!!坂田ァ!!」
渾身の力をこめて叫んだ。その全てが、腹の傷に響いた。
「手帳に付いとる桜の代紋が泣いとるぞォ!!!!!」
***
オヤジが警察手帳を見せてくれることは少なかった。むしろ、俺には見せないようにしていたのかもしれない。
あれは、小学校の三年生か、四年生だったか。作文の宿題が出た。「大きくなったら」。大人になったら何になりたいか。
そんなものは、ずっと前から決まっていた。
「平次、作文に何書いたん?」
「そんなん決まってるわ。俺、刑事になんのや。おとんみたいな、な」
その頃から。俺の目標はオヤジだった。担当の事件を片っ端から解決し。時には担当外の事件にも首をつっこんで迷宮入りしかけた事件を解決し。
大阪府警でも、「迷宮入りしそうになったら服部・遠山コンビ」というのが合言葉だったと聞く。
オヤジの背中はいつも大きくて力強くて、格好良かった。
作文を親に見せた記憶はない。が、別段隠していたわけでもないから部屋にあったのを見られたのか、もしかしたら和葉が喋ったのかもしれない。
「平次、刑事になるんか」
「せや。あかんかな。なれへんかな、俺」
オヤジに意見を求めるとは、子供の頃の俺はエラく殊勝だったと思われる。
「……せやな。平次なら、なれるかもしれへんな」
「ホンマか!!??」
「そんかし、たくさん勉強せなあかんぞ。剣道もや」
「わかってる!!俺、頑張るわ!!」
オヤジに誉められるのは、嬉しかった。
「せやけど、忘れんなや。平次」
オヤジが取り出したのは、拳銃と、そして警察手帳だった。
「これが、拳銃や。お前にはまだ重い。せやけどな、わしにもまだ重いんや」
「そうなんか?せやけど、重いのんに、撃てるんか?」
「平次。この拳銃と警察手帳、どっちが重いと思う?」
「そんなん」
一目瞭然。子供心に、そう思った。
「拳銃や」
「違うな」
オヤジは、妙にはっきりと言い切った。
「平次、忘れたらあかん。この警察手帳はなあ、拳銃と同じくらい重いんやで」
「……」
「どっちも、めっちゃ重い。せやけどな、刑事はその両方を背負わなあかんのや」
「……」
「拳銃は人を殺すこともできる。絶対に、使い方間違うたらあかんもんや。平次、わかるな」
「うん」
「そんで、この警察手帳は。警察の象徴や。見てみぃ、この桜の代紋」
それをちゃんと見たのは、その時が初めてだったように思う。
「国家権力の象徴や。これがあれば、警察は何でも許される。だからこそ、重いモンや」
「うん」
抽象的な話で、正直意味はよくわからなかった。ただ。
なんとなく、オヤジの覚悟が感じられた。なんとなく。ただ、なんとなく。
「ええか。刑事になるんやったら、それを忘れたら、あかんぞ」
***
坂田を殺してたまるか。そう思った。俺や、遠山のおっさんや、オヤジや。皆を裏切った、坂田を殺してたまるか、と。
「推理で犯人追い詰めて、死なせたらあかんて、工藤も言っとったしなあ」
ポツリとつぶやく。坂田は答えない。
とにかく、こいつを担いで外に出なければ。無論、自分は死ぬ気はないし、こいつを殺す気もない。
刑事の何たるかを忘れて私怨に走った坂田に、わからせねばならない。
自分のしたことを。
こんな。たかだか16,7の若造の自分にもわかることが、どうして坂田にわからない。
むかついた。
そのイライラだけが、俺を動かしていた。
腹の傷は、痛かった。
***
「平次!!……平次!!」
何度も名前を呼ばれて。ゆっくりと目を開けると和葉が居た。
「平次。気ぃついたん!!??」
「……和葉、か」
死地を彷徨ったわけでもないが。それでも、ああ、生きているのだな、と実感した。すぐ側にある幼馴染の気配は、酷く自分を安心させた。
「なんでやの、もう……」
身を起こそうとしたが、まだ腹の傷は痛んだ。病院の白い天井が妙に高く思えた。
工藤と、ねえちゃんはどこにおるんや?
首を回して確認しなくても、部屋に気配がないことはわかったが。それでもゆっくりと視線をめぐらせて確かめる。
最後に、涙を一杯に湛えた和葉の瞳とぶつかった。
「なんで、そんな、無茶すんの……」
「アホ。泣くな」
「そんな怪我して、坂田さん担いで……。なんでそんな、無茶すんの……」
「無茶、やったかな……」
「そら……」
言葉を飲んで、和葉が両目の涙を拭う。
「平次にできへんことなん、ない、けど」
プイと顔を背けるポニーテールが揺れる。それから、ふと何かを思い出した風情で大きな瞳で振り返った。
「せや。おっちゃんから、伝言」
「オヤジから?」
「未熟者、不束者。修行が足りん」
「……さよか」
「せやけど……よう、守った。て」
守った。何を?坂田の命を?それとも。
ガラにもなく。泣きたくなったのは、腹の傷が痛かったからかもしれない。
気付くと、手を伸ばして和葉の手を握っていた。
「平次!!??」
「……傷……痛い……」
「だ、大丈夫なん!!??ちょ、放して。看護婦さん呼んでくる!!」
「いや……大丈夫や……」
「せやけど……」
「なあ、和葉……」
立ち上がりかけたその手を引き寄せる。不審気な瞳で、和葉はベッドの脇の丸椅子にもう一度座りなおした。
「なに?」
「……拳銃と、警察手帳。重いんは、どっちやと思う?」
「はあ?」
小首をかしげると、ポニーテールがふわりと揺れる。
「……同じくらい、かな」
「なんでや」
「なんでって……なんでやろ……なんとなく……」
真剣に考え込む様子に。再び視線を天井に戻して目を閉じる。ぎゅっと手を握りなおすと、僅かにその手に力が篭められた。
***
坂田の、東尻署の、大阪府警の。そして服部平次の戦いは。まだ始まったばかり。
久々の一人称に結構苦労してしまいました。不自然じゃないとよいのですが……。
あまりの色気のなさっぷりに最後の平和が妙にラブい気がしてしまうのは私だけですか?私だけですね。すみません。
病室でいきなり手ぇ握られても、一瞬ドキドキしても「傷、痛い」といわれたら看護婦さんを呼ぶことを優先する和葉萌えです。
多分、蘭ちゃんも看護婦さん呼ぶと思うんですよ……。どうでしょう?
坂田に利用されちゃったことは棚の上どころか天井裏に置いちゃってますが。まあ、目を瞑ってください。
ついでに私自身が書いた他の読み物とも微妙に合ってない所がありますが、それも是非是非目を瞑ってください。
平次の将来の夢が「探偵」ではなく「刑事」に違いないと思ったのはこのシーンでした。どうでしょう?
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