雨が、降っていた。
梅雨もそろそろ明けたというのに、その日は一日じめじめと嫌な雨が降り、黒く低く垂れこめた雲はそれだけで気分を陰鬱にした。
日曜。本当は和葉と、奈良の方までバイクで出かける約束をしていたのだが、雨で流れた。
だから府警の依頼を受けて調査に協力した。暗号を模した脅迫状。快盗KIDが世を騒がせるようになってからというものこうした模倣犯が増えて困る。
暗号を解くのは寧ろ好きなので自分としてはいいのだが、振り回される府警刑事連中にはたまらないだろう。
大抵が警察に知恵比べを挑んでくるだけで凶悪事件に結びつかないのが救いだった。
この日の依頼も暗号だった。危ないから気をつけろと和葉に何度も念を押されて雨の中バイクで駆けつけた府警本部の玄関で、大滝警部に会った。
「平ちゃん、いつもすんませんなあ」
「別にエエで。今日は雨で暇やったし。なんや、大滝ハン。そっちは外なん」
「はあ……。銀行強盗の容疑者の似顔絵によく似た男が見つかった、言う通報があったんですわ。ちょう、行って来ますわ」
「そか。気ィつけてや」
「平ちゃんも、無茶したらあきませんで」
「暗号解読でナニ無茶すんねん。ホンならな」
雨が、降っていた。しとしとと霧のように垂れこめ、視界を悪くする。
大滝警部の巨体は、すぐに雨の中に溶けこんだ。
***
その日。一発の銃声が大阪の街に響いた。
***
大滝警部が市内で発砲したという一報を聞いた時には、正直耳を疑った。銃の腕はなかなかだと聞いていたものの、撃ったという話はトンと聞かない。
「大滝ハンが」
「はあ。威嚇で一発だけやったそうですが」
「ホンで、犯人は?」
「それが……」
項垂れて視線をさ迷わす若い刑事の声は、平次の耳に漸く届くくらいに掠れていた。
「そ、か」
「ホンマ……こんなことになるなん……」
がっくりと落とすその肩を無理に元気づけるように一つ軽く叩いて、窓の向こうの駐車場に一人ぼんやりと立つ大滝に視線を移す。
「ま、ここは俺に任せとけ」
「スミマセン、平次君。……平次君の方が大滝警部とは付き合いも長いし……私らではもう……」
片手をズボンのポケットに突っ込んだまま、帽子を深く被りなおす。
黙ったまま平次は、駐車場に向かった。
***
その背中は大きかった。
父とは違う広さを持ったその背中は、子供の頃から他人ゆえの温かみを常に自分や和葉に惜しみなく注いでくれていた。
それが、今は小さく見えた。
いつの間にか止んだ雨がアスファルトに黒い染みを所々に残している駐車場で、大滝は一人空を仰ぐ。
いつもなら平次や和葉を暖かく迎えてくるその背は、今は全てのものを拒んでいるようにも見えた。
「大滝ハン」
「平次君」
ゆっくりと振りかえるその顔には、張り付いたような笑顔。
「今日もお手柄やったそうで」
「別に。あんなん、メッチャ簡単な暗号やったで?KIDに比べたら屁ぇみたいなもんや」
「……」
「雨、いつの間にか上がったんやなあ」
「昼間は、ずっと降っとりました……わしは……」
大滝の顔から笑顔が消えて、再び空を仰ぐ。
「撃ったって、聞いた」
「……撃ちました。威嚇やったんです。犯人はそのまま……飛び降りる気ぃやったんです」
「陸橋から、国道へ、やって?」
「あいつは……親戚の借金を肩代わりして……追い詰められて……強盗を……」
「……」
「せやから……死ぬ気ぃやったんです……」
「……そか」
「せやけどわしは……死なせたなかった……。きちんと罪を償って……もう一度……」
大滝が、俯く。
「雨……降って来ましたな」
「……せやな」
黒く重い雲は、もう水滴を落とすことはなかったが。今度は平次が空を仰いで答える。
「助けたかったんに……わしは迷たんです……。その迷いが……」
大滝の撃った銃弾は、犯人の片足を掠めただけだった。
そのまま、陸橋から飛び降りた犯人は車に跳ねられた。まだ病院で、意識不明らしい。
「……久しぶりに付き合うてや。大滝ハン」
弾かれたように顔を上げる大滝に、グローブを投げてよこす。
平次は、ニッと笑った。v
「久々やろ。俺とすんの」
「投げんのも久しぶりですわ」
パスっと嵌めたグローブに拳を収めると、大滝が小さく笑った。
さっきの笑みよりは、随分と穏やかだった。
「ほな、行くで」
適当な距離まで走って、平次は大滝を振り返る。大滝が両手を上げて合図した。
パスッ。
軽い音を立てて球が大滝のグローブに収まる。もう一度小さく笑って、大滝が投げ返す。
「ナイス、大滝ハン」
パスッ。パスッ。パスッ。パスッ。
白い球が、二人の間を往復する。暫く無言で投げ続ける。
「……もうすぐ、夏やな。大滝ハン」
パスッ。
「……そうですなぁ」
パスッ。
「夏っちうたら、やっぱ甲子園やろ」
パスッ。
パスッ、パスッ、パスッ、パスッ。
元気付けようと振った話題に、大滝の顔に影がさす。平次は慎重にその顔色を窺った。
パスッ、パスッ、パスッ、パスッ。
「……ホンマ、平ちゃんはエエ肩しえてますなぁ」
パスッ。
「まあ、剣道で鍛えてるし。子供の頃からようけ大滝ハンの相手しとったからなあ」
パスッ。
「平ちゃんが野球やっとったら、甲子園は間違いなしやな」
パスッ。
「どうやろ。改方、実はあんま強ないんよな、野球。まあ、大阪府は強豪揃いやから競争厳しすぎや」
パスッ。
「いやあ。きっとリトルリーグで大活躍で高校進学時には推薦入学引く手数多ですわ」
パスッ。
「大滝ハンが、びしばし鍛えてくれそうやからなあ」
パスッ。
「わしなん、大したことは……」
パスッ。
「大滝コーチ!!俺がコーチを甲子園に連れてったんで!!……青春や!!」
青春まっ盛りの男子高校生の台詞に、大滝はつい破願した。が、すぐにその顔が曇る。
パスッ。
戻ってこない球に、平次は大滝との距離を縮めた。手の中の白い球を見つめたままの大滝は、顔を上げない。
「……大滝ハン?」
「ああ……またちょっと雨が……大丈夫や。行くで、平ちゃん」
さっきより距離を縮めた平次に、軽く投げてよこす。
パスッ。
「……甲子園、ですなあ」
パスッ。
平次は答えない。
パスッ。
「わし……」
口を開きかけた大滝が、なんでもない平次の球を後逸して慌てて後を追う。
しゃがみ込んだ大滝の背は、ホントにホントに小さく見えた。
「……あいつを、知っとったんです」
「あいつて、犯人か?」
「……知っとった、言うても話したこともありまへん。せやけど、よう、覚えてました」
「……」
立ち上がろうとしない大滝にゆっくりと近づく。
「……エエ……遊撃手でした。別に大活躍なんしませんでした。一回戦敗退やったし。あれは……多分5年前の甲子園です」
「甲子園……」
「ええ。初出場の県立高校やったんです。一回戦で優勝候補の強豪に当たって……一方的な試合やった。見てるほうも辛かった。選手は……特に投手は辛かった思います。投げても投げても打たれて」
「そうやな……」
「せやけど、明るい子ぉたちでした。最後まで皆、笑顔やった。そん中でもあの遊撃手の笑顔は……印象的やった」
「……それが……」
「もちろん、プロに入ったとか社会人野球をしてるとか、そんなんなかったんやと思います。わしかて……そんなに気ぃかけてたわけでもない。忘れとりました。奴の顔……見るまでは」
「……そか」
「顔見て、わかったんです。名前見て確信しました。奴や、と。わしは……」
「大滝ハン……」
どんな思いを篭めて。どんな希望を持って。毎年大滝が甲子園に足を運んでいるの か、平次は知っている。
「死なせたなかった。せやけど、撃ちたくもなかったんです。傷が残って……二度と野球がでけへんようになったら……あかん……思て……」
「それで……」
「迷ったんや。狙うんは、手ぇか足か。どっちが野球に影響ないか……」
「……そ、か……」
「せやけどそんなん、どっちもいいわけないんです。手ぇも足も後遺症が残ったらしまいや」
「……」
「わしは、迷った。その迷いが、この結果です」
「大滝ハン……」
大滝の背中に延ばす手など、平次は持ってはいなかった。行き場をなくして空いた手をズボンのポケットに突っ込む。
「どんな事情があろうと、強盗はあかん。犯罪は犯罪や。それはわしもわかってるんです」
「……」
「せやから、奴だけ見逃すことも情をかけたるわけにもいかへん。わかってて、せやけどわしは迷いました」
「そら、まあ、しゃあないやろ。うちのオヤジやないんやから」
「……」
「俺は、別にエエと思うで。そこで大滝ハンが迷わんと撃って、そんで奴が飛び降りへんかったかはわからんし」
「……それはまあ、そう……ですけど」
「撃ってそんで飛び降りられたら、そら大滝ハンの気ぃが済むだけやろ?」
「確かに……そうです」
「あかんで、大滝ハン。俺にこんなん言われてるようなん」
「ホンマ、情けないことです」
「何言うてんねん。誰かに言うて欲しかっただけやんか」
「……ホンマ、平次君には隠し事できませんなあ」
「任せてや。長い付き合いやからなあ」
「平次君が和葉ちゃんとうちに泊まったときお寝しょしたことはまだ和葉ちゃんには黙ってますで」
「なにそんな昔話で脅してんねん、大滝ハン。そんなん持ち出さへんでも、ちゃんと今日大滝ハンが弱音吐いたんは黙っとくし」
立ちあがった大滝の背からは、何かが落ちていた。さっきまで小さかったその背は、今はその倍くらいに見える。
平次は小さく安堵の笑みを浮かべる。
「ま、今年も行くんやろ?甲子園。三日連続休暇、今年も府警で有名やで」
晴れ晴れとした大滝の眉が再び少しだけ顰められた。
「……今年は……迷とるんですわ。甲子園」
「そんなん」
「いえ、今日のことだけやないんです。それに迷とるんは決勝戦だけで」
「決勝戦が一番ええて、いつも言っとったやん。なんやあかんのか?」
「はあ……。ずっと一緒に行っとった野球部の同窓が……アメリカに転勤になってもて」
「アメリカか。そら遠いなあ」
「なんとか帰ってこれるようなんですけど、最終日辺りが。どうしても仕事が外せへんかったらしいんですわ」
「そら、残念やなあ……」
「一人で見に行くんも悪くはないんですけど……まあ……やっぱ少し……寂しいもんです。喜びや哀しみを隣で分かち合うもんがおらんっちうのも」
「そらまあ、なんとなくわかるなあ。でもそれやったら他の誰か誘って……」
「そのつもりやったんやけど……。今日みたいなことがあるとやっぱ切のうて」
「……」
片手で白球を弄ぶ。再び小さくなりかけた背に、平次は精一杯明るい声をかけた。
「ほな、俺が一緒に行ったるわ」
「え、平次君が?」
「せやせや。別にええやろ?俺でも。ちっこい頃はよう連れてってくれたやん」
「そら……なんも問題ないけど……。貴重な夏休み……」
「何言うてんねん。甲子園観戦も充分貴重な夏休みの思い出やで?和葉も誘うて見に行こうや。あいつ結構好きやで?スポーツ観戦。興味ないとか言いながらすぐ熱なんねん」
「はは。和葉ちゃんらしい」
「せやろ?よう喧嘩すんねん。せや。都合がついたら東京のあいつらも呼んでみよや。賑やかなんがええやろ」
「東京の、て。毛利探偵ですか?」
「せやせや。あとあのねえちゃんとボウズやな」
「そら……楽しそうやなあ……」
「やろ?甲子園の決勝……って、雨とか降ったら日付変わるんやったっけ?ま、ええわ。決定や」
「決定て……ちゃんと先方の都合も聞かんと」
「ん?大丈夫やろ。あいつら暇やし」
「はは」
暮れかけた日が駐車場の二つの影を長くする。
「そんかし大滝ハンも三日連続休暇やで?」
「せやな。凶悪犯にも都合つけてもらいましょ」
「せやせや。どうにかなるもんやで。こういうんは」
笑う平次に、大滝が振り返って笑いかける。
「ほな……行きますか。甲子園、決勝戦」
「おう!!決定や。和葉や東京のボウズも誘っとくから。大滝ハン、チケット頼むで」
「わかってます。地元に友人がおるから、朝から並んでもらいますわ」
「エエ席頼むで」
「任せといてください」
不意に平次の携帯が軽やかな音を立てた。グローブを小脇に挟んで器用に電話に出る。
「なんや、和葉。俺や。え?晩飯?食う食う、当たり前やろ?え、おかんが怒ってる?ほな、すぐ帰るわ」
「カエレコールですか?平ちゃん」
「それ言うんやったらカエルコールやろ、大滝ハン。どっちにしろ古いで」
「平ちゃんが知ってるのが不思議ですわ」
「この前TVでやってたんや。懐かしのCM特集。ほな、俺そろそろ帰るわ。てっちり準備しておかんが待っとるわ」
「ほな、これはわしが片しときますから。平ちゃん、また事件の時にはよろし頼みますわ」
「おう、任せてや。ほな、また」
***
「ふーん。そんであんなに甲子園にこだわったのかよ」
「せやせや。まっさか和葉が宝塚のチケットの約束してるなん、気ぃつかへんかったからなあ」
「遠山さん、ちゃんとお前に言ったって言ってたぞ」
「んー、まあそう言われれば隣でなんか言うてたけどなあ。こっちは甲子園行く気満々やったし」
「だったら最初から事情話せばよかったじゃねぇかよ。勝負なんてしてないで」
受話器を片手に。平次は顔の前でひらひらと手を振る。
「あかんあかん。大滝ハンのことなん話したら、和葉が気ぃ使うやろ?あいつなあ、お人よしやから、ホンマ気ぃ使うんや。それやと返って大滝ハンが気ぃ使うやろ」
「あー、まあ。それはまあ、なんとなくわかるけどさ」
「せやから自然に和葉やお前連れて行こう思たんや」
「推理勝負のどこが自然なんだよ」
受話器を持ちなおしたコナンの瞳には納得のいかない色が浮かぶ。
「勝負で白黒はっきりすれば和葉かて諦めるかと思たんや」
「だったらジャンケンとかさ。いくらでもあったんじゃねぇのか?別におっちゃんの提案なんて無視してもいいんだし」
「せやかて、俺と推理勝負やったら、俺が勝つやろ?」
「だから最初から勝負にならねぇって言ってるんだよ。それじゃ遠山さんだって納得できねぇだろ?」
「せやけど、あのおっさんが和葉の味方についた、言うたら世間的にはまあ、互角や。宝塚フリークのおばはんらかて納得するやろ」
「あー、そうか。遠山さんも断りやすいってことか」
「せやせや。俺にしたらメッチャ気ぃ使った方やで」
「それはまあそうだけどよ」
確かに。ことの経緯を説明すれば、チケットを譲ってくれることになっていたそのおばさんたちにも和葉の顔は立つ。「平次が推理勝負なんさせるんが悪いんや!!」と自然に責任が押しつけられることで、先方も和葉には悪い印象を受けないはずだ。
この鈍感推理一直線男にそこまでの配慮があったのかと正直感心したが(人のことが言えるのかというつっこみはおいといて)、それにしても。
「でもよ。お前あん時途中で遠山さんに勝負譲る気だったんだろ?どうするつもりだったんだよ。その辺」
「どうする、言うてもなあ」
受話器を片手に、服部平次は前髪をかく。
「せやかて俺も和葉が泣くほど宝塚に行きたいなん、思てへんかったんや。あいつ普段、宝塚行きたいなん言うたことないねんで?それが気ぃついたら泣いてるし。俺、めっちゃびびったわ」
「まあ、確かに俺も遠山さんが人前で泣くとは思わなかったけどよ」
「ホンマに、あいつが人前で泣くなんおおごとやで。せやからなあー。しゃあないからここは俺が大滝ハンにちゃんと事情説明して謝ろう思たんや。大滝ハンも和葉には甘いし、……まあ、かなり申し分けないけどなあ、せやかて勝手に約束した俺が悪いんやし、他で埋め合わせたら許してくれるんちゃうかて思たんや」
そうそう。そもそも大滝さんのためとはいえなんのアポなしに約束をするお前が悪いんだよ。
とコナンは受話器に向かって心の中だけで呟く。
それでもまあ、安受け合いする平次の姿は用意に想像できたし、それがこの大阪の友人の悪いところである一方、いいところでもあるのも事実。
「そんで?その覚悟はどこで潰えたんだよ。やっぱ大滝さんに謝んのが面倒になったのか?」
「ちゃうちゃう」
平次はまた見えない相手に向かって片手をひらひらと振る。
「お前も言うてたやん。勝負に勝ち負けなんないて。それ思い出してなあ。和葉の奴、めっちゃ宝塚行きたそうやし、推理勝負なんした俺があかんかったんやて思たんや」
「だからさあ。そこまではいいんだよ。なんで最後の最後でああなったかって聞いてんだよ」
「あー」
「俺が一生懸命おっちゃんに解かせようとしたのにお前全然聞いてねぇし」
「せやからなあ。勝負はあかん、この勝負なしや、思てなあ」
「そんで?」
平次は一人鼻の頭をかく。
「……忘れたんや」
「はあ?」
「忘れた言うかなあ。俺ん中で、あれはもう勝負ちゃうかったんや」
「なんだよそれ」
コナンの眉間には盛大に皺が寄る。心なしか低くなる声に平次は言葉を探した。
「せやからな。あの積み木の謎は最初から解けとったけど、俺もお前もあの部屋の違和感に気ぃつくまで時間かかったやん?」
「ああ、まあな」
「俺も最初は岩富が犯人やと思てたし、まさか奴のアリバイが立証されるなん思わんかったしな」
「それはまあ、俺も驚いたけどよ」
「せやから俺はあの暗号和葉が解いたら仕舞いや思てたんや」
「そんで?」
「……真犯人に気ぃついた時には、勝負のことはころーーーーーーっと忘れてたっちうか」
「……」
「まあ、あれやな。俺ん中ではリセットされてたんや。勝負のことは」
「お前……」
「よう考えたら和葉に一言言うとけばよかったんやけどな。この勝負なしや、てな。せやけどまあ、俺ん中ではもうそのつもりやったから、真犯人に気ぃついた時にはこれや!!思て、早よ和葉のフォローしたらなっちゅうことで頭一杯になってもうてなあ」
「はは」
それで結果的に彼女の機嫌を損ねてしまったのだから世話はない。
「おっちゃんに言われるまですかーーっと忘れとったんや。甲子園も宝塚も」
「お前……切り替え早ぇなあ。で?ちゃんと謝ったのかよ」
「謝るもなにも」
受話器片手に平次は小さく溜息をつく。電話の向こうに聞こえないくらい小さく。
「あいつもまあ、なんちうか。ねちっこいところもあんねんけど、頭の切り替え早いところもあるしなあ。妙にサバサバと甲子園楽しみや〜〜〜言われたら、本心なんか皮肉なんか俺にもようわからんわ」
「ははは」
確かに。皮肉だったかもしれないし、彼女なりに納得していたのかもしれない。和葉の真意を計りかねてコナンはとりあえずコメントは避けた。
「ま、機嫌なおってよかったじゃねぇか。あの後お前ら、飛行機の時間だっつってさっさと行っちまったから、ちょっと気になってさ」
「おおきになぁ、工藤。やっぱりお前は俺の親友や〜〜」
「バカ。誰がお前の心配なんかするかよ。遠山さんが心配だったんだよ」
「なんやお前、あのねぇちゃんおんのに和葉なん気になるんか?やめとけや。ジャジャ馬やでぇ」
「んなこと言ってねぇよ。言われなくてもお前のオンナに手なんか出すか!!俺は蘭一筋だよ!!」
「へぇへぇ。ごちそうさま、やなぁ」
「誰がだよ。そっちこそ俺に変な牽制かけてる暇があったらとっとと幼馴染から抜け出せよ」
「アホ!!そんなんお前に関係ないやろ!!」
話題が逸れ、且つ不毛の色を見せ始めたのでコナンは慌てて起動を修正する。
「ま、とりあえずちゃんとフォローはしとけよ?」
「フォロー言われても、和葉が納得したもん今更蒸し返すんもなんやし。せやかて大滝ハンの事話すわけにもいかへんしなあ」
「バァカ。そういう直接的なんじゃなくてさ。お前だって悪かったって思ってるんだろ?食事に誘うとか、何かプレゼントするとか。月並みだけどよ」
「アホか。なんで俺がそこまでせなならんのや」
「だからお前はデリカシィ足んねぇっつうんだよ!!そう言う心遣いがなあ」
「アホらし。そんなんやってられへんわ。ま、とにかくまた日ぃ近なったら連絡するわ。あのねえちゃんと他にちょっと行きたいとことか食いたいもんとか相談しといてや」
「って言いながらいっつもお前が決めてるじゃねぇかよ、観光コース」
「そんなんお前の連絡が遅いんが悪いんや。こっちが決める前に連絡せぇや」
「……わかったよ」
「ほな、またな。あ、工藤のことやから大丈夫やと思うけどな。大滝ハンのことは内緒にしてな」
「わかってるよ。……そういえば、結局どうなったんだよ。その強盗犯」
「ん?肋骨折っただけで無事やったで?奇跡的やて言うてたわ。事情が事情やし別に人殺したわけやないし。罪は軽いやろって大滝ハンも言うてたわ」
「そりゃ、よかったじゃねぇかよ。大滝さんも少しは安心したんじゃねぇのか?じゃ、また電話するよ」
「ほな」
電話が切れた。
***
「せやけどお前もようわかったなあ」
帰りの飛行機の中。おもむろに口を開く平次に、和葉は首を捻った。
「わかったって、何が?」
「あれや。あのダイイングメッセージ」
「ああ、あれ」
ふいっと顔を曇らせて和葉は平次から視線を外す。
「あんなん、平次が色々言うてんの聞いて、偶然わかっただけやもん。それに結局真犯人つきとめたん、平次やし」
「せやけどあのねえちゃんも、毛利のおっちゃんも気ぃつかへんかってんで?警察もわからんかったんや。それ解けたなん、すごいことやろ」
「そ、かな」
大きな瞳に僅かに浮かぶ喜びの色に、平次はホンの少し安堵する。
「せやせや。まあ俺は色々経験積んでるし、和葉よりようけ情報多つかんどって真犯人みつけられたけどな。あの社長のわっかりずらいダイイングメッセージつきとめられるなん、さすがやなぁ」
「そ?」
「さっすが遠山のおっちゃんの血ぃ引いてるだけはあるわ。案外賢いんやなあ、お前」
「案外は余計や!!」
パシっと軽く後頭部をはたかれる。
「なにすんねん」
「平次、一言多いんや」
その笑みに、肩の力を抜いて椅子に深く身を沈める。
「せやけど、犯人も社長さんも、頭いいんか悪いんかわからへんね」
「ん?」
「せっかくダイイングメッセージ残させよ、思て、社長さんも残した、思て。でもアタシが解かんかったら誰にも伝わらんかってんで?メッセージ」
「確かにそうやなあ。警察もわからんかったし、毛利のおっちゃんが一人で行ってたら迷宮入りやで。この事件」
「せやね」
「お前があれ解いてくれたおかげで、俺も助かったわ」
「ホンマに!!??」
跳び跳ねるような仕草で体ごと自分を振りかえる和葉に、平次の方が面食らう。
「ホンマに、助かったん?」
「あ、ああ。あれが犯人の仕組んだ罠やてわかったしなあ」
「アタシ、役に立った?」
「おう。めっちゃ立ったって」
「そっかー」
その笑顔があまりにまぶしくて。平次は何気なく言った自分の一言に心から感謝する。
「楽しみやねー。甲子園」
「お、おお」
「今年はどこやろ。やっぱ大金と港南のOK対決なんかな」
「んー。前評判やとそんなとこかも知れへんけどなあ。ま、勝負はわからんかからなあ」
「せやね。決勝までに優勝候補が当たってまうかもしれへんし。ダークホースが優勝ってのもええなあ!!」
「せやせや。楽しみやなあ。甲子園」
「あ、そや。気になっててんけど、甲子園、やっぱ大滝さんも行くん?」
僅かな動揺を笑顔ですっぽり隠して。
「当たり前やろ?大滝ハン抜きに夏の甲子園を語れるかい」
「やっぱりや!!」
和葉のポニーテールが揺れる。飛行機の天井を仰いで軽く目を閉じた。
「ホンマ、めっちゃ楽しみやわ!!甲子園!!」
と言うわけで平和勝負編フォローと甲子園に補足。いえなんとなく、甲子園編で満足げに大滝さんを見上げる平次に妄想してしまって(笑)
ちなみに勝負編で平次が勝負のことを忘れてたと言うのは私の読了後の正直な感想でした。あああ!!アホだ!!この男!!みたいな。
でもそんなアホな平次に萌え萌えなのです自分。ああー、カッコいいくせにヘチョい……愛いよう。
大滝さんネタが予定以上に暗くなったのは書いてる当時自分が鬱だったからです。なんか、如実にでるますねえ。切腹。
でもちゃんと助かりましたから強盗犯。しかし大滝さんの台詞は難しかったです。平次に対して敬語なんだよなー、大滝さん。
甘やかしすぎ。
平和仲直り(?)の下りはそれだけで一本書いてもよかったかもなー。書こうかなー。
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