「兄弟みたいでおもろいやん」
心臓が爆発するんじゃないかと思うくらいのドキドキは、恋愛感情というものを欠片も持ち合わせていないんじゃないかと思われるこの幼馴染の一言であっさり片付けられてしまった。
苦笑するしかない。
「オレはかまへんで、そのまんまでも……」
その一言に期待するだけ無駄。寧ろこれでも上出来かもしれない。この幼馴染は今のところ、推理や剣道に夢中で色気のある発言とは全く無縁。今に始まったことでもない。
……ま、それが平次やし。
ホンの少しの脱力感と、ちょっとだけ安堵。苦笑する蘭ちゃんに、肩を竦めて見せる。
「お、和葉。新幹線の時間や。ほな、俺らこれで失礼しますんで」
「うん。バイバイ、平次兄ちゃん、和葉姉ちゃん」
「ん。バイバイ、コナン君。蘭ちゃんも、元気でな〜」
「気をつけてね。また電話するね」
できたてほやほやの東京の親友に手を振る。
「和葉、急げって」
「あ、うん。ほな、失礼します」
最後に一礼して。アタシは平次に続いて走り出した。
***
「……って、まだ新幹線来てへんやん!!」
「そう言うてもそろそろ発車の時間……ホームの番号間違えたか?」
財布に挟んでおいた切符を確認する。
「えーっと、14番ホームで合うてるよ……って、平次!!」
「なんや?」
「新幹線、43分発車やん!!まだ22分やで?」
「は?お前さっき俺が聞いたら23分や言うたやん」
「言うてへんもん!!」
「言うたわ!!」
「言うてへんもん!!平次のアホ!!」
「誰がアホじゃ!!」
「アホやなかったらドアホや!!もうちょっと蘭ちゃんと一緒におれたんに!!アホ〜〜〜!!」
「ったく、急に仲良うなりおって気色悪いやっちゃなあ。ええやん、どうせまた長電話とかすんのやろ?」
「電話はするけど、そんなしょっちゅう会われへんのに〜〜〜」
「ええやん。20分くらい」
「ようないわ!!全速力で走ってもうたやん!!荷物もあるんに〜〜〜。平次のアホ〜〜〜〜」
「せやから誰がアホやねん。そもそもはお前のせいやろ?」
「なんでよ!!間違うたんや平次やん!!」
「お前や」
「平次や!!」
軽口を叩きつつ、とりあえず指定の号車の乗車口まで二人でホテホテと歩く。指定席のせいか、まだ誰もいない。
「ほな、俺なんか買うて来るから、お前荷物見とってくれ。何か飲むやろ?」
「ん。お茶。和茶がええな」
「なかったら適当なんでエエやんな。何か食うか?」
「そんなお腹空いてへんよ。大阪までは持つと思う」
「ほな、向うでなんか食うか」
財布の中身を確認しつつKIOSKへ向かう幼馴染を見送って、ショルダーバックからハンドタオルを取り出してうっすらかいた汗を軽く抑える。
汗をかいたのは、走ったから。と。さっき赤面してしまったせい。
自分の着ている服に目をやる。見覚えのある縦縞。ホントに平次のシャツと似ている。そもそもあのシャツは、和葉が一緒に買い物に連れ出したときに買わせたものだから見覚えがあって当然。
今朝森園家で朝食を摂った後、平次が事情聴取に立ち会う間蘭に誘われて毛利家へ行った。結婚式が中止になったので新幹線を変更したのだがそれでも十分に時間がある。また買い物に行くという案もあったのだが、「よかったらちょっと寄らない?」と言われて素直に付いていった。
ら。
米花駅から手を引かれてずっと走らされて。
「なあ、蘭ちゃん。なんでそんなに急ぐん?」
「いいからいいから。あ、信号変わっちゃう。和葉ちゃん、急いで」
「もー、なんなん?」
大した距離ではなかったが、それでも荷物片手に走るのには少々難儀した。大きく「毛利探偵事務所」と書かれたビルの下で蘭が漸く立ち止まる。
「はい!!ここが私のうちだよ」
「そんなん、見たらわかるやん。こんなおっきく書いてあるし」
「さすが和葉ちゃん。ナイス突っ込み!!」
「もー、蘭ちゃんどないしたん?朝からご機嫌やし。なんかいいことあったん?」
「べっつにぃ?さ、入って入って。疲れたでしょ?冷たいお茶入れたげるから」
「そらありがたいけど……」
「はい。一名様ご案内〜〜〜。って、誰もいないけど気にしないで」
一瞬、お母さんは?と聞こうとしてやめておいた。この前大阪に来ていたのも三人。平次の話にも毛利探偵と少年と彼女が出てくることがあっても、毛利夫人が出てきたことはない。昨日も、自然に三人で森園家に泊まっていた。
余計なことかもしれへんし。
案内されたのは毛利探偵事務所の上の自宅スペース。
「和葉ちゃん、汗かいたでしょ。麦茶でいい?」
「ん。ありがとー。せやけど、何でこんな急いだん?新幹線までまだあるし。どうせ平次達なん、事情聴取に夢中で当分連絡ないで、あれやったら」
「んー。内緒内緒。それより、そうだ。シャワー浴びる?」
「え?ええよ、別に」
「だって汗かいたでしょ?サッパリしておいでよ」
「そんなん、なんか悪いわ。こんくらい平気やし」
「そう?」
「うん。ありがと」
出された座布団に座って一息つく。麦茶を持って来てくれたらしい蘭が、自分の横に立ったまま動かないので不審に思って見上げる。
「ホントにいいの?」
「ええよ。気ぃ使わんとって」
「ホントに?」
「……蘭ちゃん、どないしたん?」
まだ会って日が浅い。親しくなったのはつい昨日のこと。
それでもなんだか、微妙な視線だけはわかる。
「どーもしないけど……」
「嘘や。蘭ちゃんの目ぇなんか言いたげやで?どないしたん?」
「うーん」
歯切れ悪く自分も座って、和葉の前に麦茶のグラスを置く。
「ホントにいいの?シャワー」
「ええって。なんでそんなに拘るん?」
「だって、汗臭いでしょ?」
「そんなに汗かいてへんって」
「着替えなら貸すよ?」
「そんなん、余計申し訳ないわ。ホント、気にせんとって」
「うーん」
俯いてしまった蘭の顔を低い位置から覗き込む。
「ゴメン、蘭ちゃん。アタシなんか、要らんこと言うた?」
東京ではこういう時、断ってはいけないのだろうか。ふとそんなことを考えてみる。
殆ど初対面で家に上げてもらって。更にシャワーを借りるなんてことは破格の待遇なのかもしれない。最大級に示してくれた友情の証だとしたら、断ったことで返って気を悪くしたのだろうか?
でも、そんなんてあるんやろか?
「うーん」
更に唸って考え込む蘭を見て、和葉は更に戸惑う。
「蘭ちゃん。怒ったん?」
「和葉ちゃんて、案外強情だよね」
「案外って言うか……よう言われるけど……。平次にも、よく」
「じゃあ、私も奥の手を使うしかないかな」
蘭の瞳に悪戯っ子のような笑みが浮かぶ。
「奥の手?」
「そ」
楽しそうな笑顔に。ああ、ホントに蘭ちゃんって美人やな〜、などと感心した瞬間。
「あ、ごめん、和葉ちゃん」
「冷た!!」
あからさまに。非常に分かりやすい程に麦茶をかけられた。左の袖にじわじわと麦茶が染みていく。
一瞬、何が起きたのか把握できずに目を丸くして蘭の瞳を見返すと、もう一度ニッコリと微笑まれた。
「ごめん、和葉ちゃん。手が滑っちゃった」
「……蘭ちゃん……」
勢いよく言い返そうとしたのに蘭の笑顔に気勢を殺がれる。
気心の知れた相手でも、何も言わずにこんなことをされれば流石に腹は立つ。「なにすんの!!」と怒鳴りつける所だが、蘭の笑顔にはそういった勢いを緩和する効果があるかのようだ。
漸く事態を把握して。激昂しかけた気勢を殺がれて。和葉は丸くなってた瞳を伏せると小さく溜息をついた。
「ホントごめんネ、和葉ちゃん。染みになっちゃうかなあ?大丈夫?すぐ洗えば大丈夫かな」
「……せやね」
「着替え、私の貸してあげるから。すぐに洗うから着替えて。ね」
「……蘭ちゃん、何企んでるん?」
「企むなんて、そんなわけないじゃない?」
もう一度微笑まれて。和葉は観念した。
「……どこで着替えたらええの?」
「お風呂場のとこでいいかな。あ、どうせだからシャワーも浴びる?」
「……どうせやからそうさせてもらおかな……」
蘭が何を考えているのかは分からなかったが。とりあえず悪意がないことだけは分かる。どうやらこれら全ての行為が、自分に対する好意から起因していることも。
何か。自分を驚かせようと企んでるのだろう。
そう思って和葉は、導かれるままに毛利家の風呂場に向かったのだった。
***
「ほれ。和茶」
「ひゃっ!!」
やられるだろうという予感はあったのだが、うっかりボンヤリしていた為に見事に引っ掛かって心臓を飛び上がらせる。
後ろから頬に当てられたのは、冷たいペットボトル。
「1万と150円やからな〜〜〜」
「はいはい。全部1円でもええの?」
「やれるもんならやってみぃや」
肩越しに150円を差し出すと視界を一瞬だけ褐色の手が掠めていく。
「しっかし暑いなあ……」
「平次が時間間違えて走らすからやん」
「アホ。間違えたんはお前やろが」
「平次や」
「お前や。ボケ」
「誰がボケよ!!」
振り返ろうとしたその肩に。不意に重力が加わる。ホンの僅かな体温と、頬を擽る案外にサラサラとした髪。
額を和葉の肩口に預けて寄り掛かってくる幼馴染の小さな溜息が聞こえる。
「あー。ホンマ疲れたわ」
何か言い返そうにも、それ以前に呼吸すら止まってしまったかのような感覚。平次の表情は窺い知れない。
「じっとしとけや。俺疲れてんねん」
擦れたような呟き。いつもより力ない声に鼓動が早くなる。喉の奥が焼け付くような錯覚に陥る。口の中がカラカラ。
……どないしたん……?こんなん、珍しい……。
「へ……平次……?」
漸く声を絞り出した瞬間、場内アナウンスが新幹線の入場を告げ、新幹線がホームに滑り込む。
轟音と共に、肩の重みも消えて。早鐘を打っていた心臓の音もかき消され。目の前で新幹線の扉が開く頃には、何事もなかったかのように。
「ようやっと来たわ。あー、早よ座りたいわ」
「平次、オヤジ臭い……」
「うっさいわ。俺は疲れてんのや」
大きな荷物を弾みをつけて肩に背負うと片手をズボンのポケットに突っ込んで歩き出す。
「平次、後ろ上がってる」
「ん?ええやん。すぐ座るんやし」
「ようないわ。みっともない」
カバンにつられて捲くれ上がったシャツの後ろを引っ張っておろす。
よくよく見れば、ホンの少しだけ違う縦じま。傍から見ればペアルックに見えること間違いなしなのに、言葉通り平次は欠片も気に止めている様子がない。
……折角、蘭ちゃんが気ぃ使てくれたんに。
気を、使ってくれたのだと思う。本人は仕返しだと言っていたが。あの、極上の微笑で。あの笑顔を見せられては何をされても怒る気にはなれない。
……ホンマ、ええ子やな……。
「和葉?」
「え?」
「なんや、聞いてへんかったんか?お前、窓側がええんとちゃうんか?こっちやったら富士山見えんで」
「え、そうやけど……平次が窓側がええんやったら……」
「俺はどっちでもええわ。ほな、そっち入れや。荷物貸せ。上、あげんのやろ?」
「う、うん」
ポンポンと言われるままに荷物を渡すと片手でひょいと荷物を上げる。
さっきのは、なんやったんやろ……。
いつもと様子が違うように思ったのは、やっぱり気のせいだったのだろうか?
「ほれ、座れって」
「うん」
なおも立ったままでいると肩を押されて座らすように促される。
「なにボンヤリしてんねん。座れや。そんで、リクライニングするんやろ?こんくらいやったらええか?いつまで茶ぁ持ってんねん。これ降ろして、ここ置いて」
「あ、うん、ええと」
ボンヤリも何も手を出すより早く平次があれこれやってしまう。
「ほんで、これはどけて」
「え」
二つの席を分かつ肘掛が上げられる。
「お前はそこでじっとしとけや」
「え、平次!!??」
「俺寝るから。動くなや」
足を組んで腕を組んで瞳を伏せて。
和葉の肩に寄りかかって。
「寝るって、ちょっと、平次!!」
「動くなや。お前今枕な」
「勝手に枕にせんとって!!だ、第一、こんなん……」
「心配すな。どうせ兄弟にしかみえへんって」
そんな心配をしているのではない。
「平次、どうしたん?」
「……疲れたんや。黙っとけ」
「そんなん、事件やったけど、これくらい、いつもやったら……」
発車のベルと共に新幹線が走り出す。流れる車内アナウンス。
「……うっさい。お前も少し寝とけ」
「……寝たら富士山、見れへんやん……」
***
母に連れられて森園邸を訪れたのはいつだったろうか。まだずっと幼い頃。本庁に出張になった父と別れて一泊した。よく覚えている。
大きなお屋敷は洋館で平次には馴染みが薄く、嬉しがってあちこち探検した。
母の学生時代の親友と言う森園夫人のことも森園姉弟のことも、重松氏のことも良く覚えている。亭主の森園氏は仕事で留守にしていた。
森園夫人は綺麗な女性だった。平次にも優しく接してくれた。勝気な森園百合江は、それでも珍しい客人に誇らしげに屋敷中案内して回ってくれた。
多分、森園菊人は面白くなかったのだと思う。
突然現れた客に母と姉を取られた気がしたのかもしれない。
殊更に静華に話し掛け、平次とは距離を置いていた。それでも平次は一向動じなかったので、その苛立ちを執事の重松氏にぶつけていた。
幼い平次にだって分かった。
菊人は、本当に重松氏が好きだった。
信頼していたし、だからこそ酷く甘えていた。重松氏にあたる姿は、寧ろ重松氏だけは最後まで自分の側にいてくれると言う切なる願いのようにも見えた。
「あんた、ばかじゃないの?」
「バカは姉さんだよ。姉さんなんかあいつとあっちで遊んでればいいだろ!!」
「平次くんはお客さんなのよ?アンタの方が歳も近いんだし、遊んであげなさいよ」
「あんなガキと遊べるか!!子供のお守りはまっぴらだ」
「アンタの方がよっぽどガキだわ。行きましょ、平次くん。次はお父様の書斎を見せてあげる」
「菊人。どうしてそんなこと言うの?平次君はお母様の大事なお友達の息子さんなのよ?どうしてそんな意地悪するの」
「お母様うるさいよ。行くぞ、重松。俺の自転車を直してくれる約束だろ」
「お坊ちゃま、しかし」
「重松!!お前はこの森園家に仕えてるんじゃないのか?」
久々に会った森園菊人の印象は、変ってないな、だった。
変ってないことの意味を、平次は考えなかった。
あの時。片桐楓の涙に不穏な空気を感じ取ったというのに。
……事件を未然に防げんのやったら、探偵なん、失格や。
犯人を突き止めたとはいえ。あの時の「変っていない」森園菊人に違和感を抱かないようではまだまだだ。
あの時と変らなかった森園菊人。
突然現れた幼い客人に家族を取られまいと精一杯張り詰めていたあの時の森園菊人。
自分の居場所を守るのに、必死だった。そして、それは今も変っていなかった。
自分に仕えてくれていた使用人、そして婚約者に裏切られたと思い込み。
好きだった、信頼していた重松までもが裏切ったと、自分から離れていくと思い込み失望して。
誰でもなく、重松を殺すという最も自分が辛い選択肢を選んだ、森園菊人。
張り詰めたその裏の表情に、何故自分は気付けなかったのか。
何故みすみす重松氏を死なせてしまったのか。
「すみません、平次君」
「別にエエで。重松はん。おばちゃんも、百合江さんもようしてくれるし」
「菊人坊ちゃまは、本当は平次君が来るのを楽しみにしていらっしゃったんです」
「そうなんか?俺、なんや最初から喧嘩売られた気ぃしたけど」
「……お優しい方なのですが、ただちょっと、人と接するのが苦手で。悪く思わないで下さい」
「ようわからんけど、重松はんがそう言うんやったら、わかった」
重松氏のことは、自分だって好きだった。色々よくしてもらった。
久々の再会。お礼を言いたいことは山ほどあった。もっと話したい事があったのに。
***
「平次、寝たん?」
「……」
「富士山、綺麗やで?」
「……」
規則正しく上下する肩に、和葉はそっと溜息をつく。
窓の外には、富士山。
空は抜けるように青い。くっきりと浮かぶ白い雪を被った日本一の頂。
「……感謝してんで?」
「え?」
不意に響く低い声につい全身が反応する。
「平次、起きたん?」
「……」
「感謝って、何?枕のお礼?」
ホンの少し、平次が笑った気がした。
「……そういうことにしといてくれ」
……てゆーかさ、平次が五歳だったとしても森園菊人は十四歳ですよ。それでこの大人げのなさはどうですか、葵さん?
つか、蘭和か平和かどちらかにしとけばよかったのは自分でもわかってるんです。でもどちらもいまいち削れずに。
結局なんとなく両方中途半端な感じに。蘭和はいつかまた書きたいなvv
平次が和葉に甘えまくってますが、「兄弟にしか見えない」という彼の大変先入観に富んだ思い込みがそうさせてるってことで。
当然お礼は枕に対するお礼ではありませんともさ。まあ、直接的に言えばそうかもしれませんけどね。クス。
家族ほどに近く、でも一番弱音を吐きたくない相手だと思います。この幼馴染は。
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