ふと見上げる毛利探偵事務所の明かりが消えている。3階の毛利家の明かりもついてない。
なんだ。誰もいないのかよ。
コナンは小さく溜息をついた。
考えても仕方のないこと。それはわかっていても、反芻せずに居られない先日のあの事件。
学校で元太達と馬鹿やってる間はまだいい。それでも、ふとした瞬間に思い出す。
……成実さんの……あの笑顔を……。
一人で考え込むのを避けるために元太達の寄り道にも付き合った。人と居る時はまだ気が紛れる。
だから。
蘭か、いやおっちゃんでもいい。誰か事務所に居てくれるとありがたかったんだけどな……。
コナンは右手で髪をぐしゃぐしゃっと掻き毟る。ダメだ。
決して忘れてはいけない出来事だ。胸に刻んでおくべき事件だった。それは、わかっている。
しかし、だからと言って今更反芻した所で何が出来る?どんなに考えても……浅井成実、いや麻生成実は死んだのだ。
階段の手前で一つ大きな溜息をつく。
毛利探偵事務所に送られてきたあの手紙は。麻生成実の最後の良心だったのだろうと思う。
両親と妹を火事で失った麻生成美。自分一人が体が弱く入院中だったというだけで難を逃れた。
その火事の原因……父の一家心中に疑問を持ち、医者となり二年前に名前と性別を変えて故郷の島に戻った。
そこで前村長から思いがけず聞かされた事件の真相。
それから二年。一体どんな思いを抱えて過ごしていたのだろう。
何故二年も待ったのだろう。何故。
前村長に続いて残りの三人を殺してしまえば、当時新参者だった自分は疑われやすいと判断したのだろうか。
目的をとげるまで自分に疑いが掛からないような綿密な計画を練るのに二年の月日を要したのだろうか。
どちらかは今となってはわからないことだし、今となってはどうでもいい。もしかしたら両方かもしれない。
そして。
復讐心と良心の間の葛藤が、二年間ずっと続いていたのだろうと思う。
体の弱かった彼が医師を目指したのは何故か。復讐のためでも検死で死亡推定時刻をずらすためでもないはずだ。
家族の死に疑問を抱いていたとはいえ、彼はホントは、人を救うために医師を目指したのではないだろうか。
そして無医村となった故郷の島に戻り、疑惑が晴れれば一生を島のために捧げたるつもりだったのだろう。
彼はそんな、優しい、綺麗な心の持ち主だったはずだ。
そんな彼に殺人を犯させたのは10年前のあの事件。麻薬に心奪われた四人の大人たちの狂気。
一つ、一つ、重い足取りで階段を上る。
犯人に対する怒り。恨み。目の前で死んでいった前の村長。運命の悪戯。何故、あの時。彼の前で。何故。
思いつきで奏でた葬送曲から復讐を思い立って。彼は一体どんな思いでこの二年を過ごし、そしてどんな思いであの手紙を出したのか。
彼が悪人でないことくらい分かる。寧ろ綺麗な心の持ち主だ。だからこそ、殺人鬼に、復讐鬼になりきれなかった。
止めて欲しかったから。心のどこかで。
炎の中の麻生成美を思い出す。「もう、血みどろなんだよ」。そう呟いた、彼を。
……あの笑顔は……本当に綺麗だった……。
全て知ってしまったような、悟ってしまったような、悲しいような、嬉しいような、切ない笑顔。……綺麗だった。哀しいほどに。
もし、もっと早く事件を解いていれば。被害者を最小限に留めていれば、彼は思いとどまったろうか。
そう何度も後悔した。だけど、違う。本当はわかっている。
綺麗な、だけど弱い心の彼は、その手を塗らした血が一人であろうと四人であろうと、自殺の道を選んだだろう。結局、俺には何も出来なかったんだ。
ズルイ、とも思う。バカだとも思う。
復讐のために罪を犯し、自分の罪を抱えたまま逝ってしまった。ちゃんと罪を償えば。
あの綺麗な心の持ち主は、きっとその綺麗な心を取り戻して、ちゃんと、幸せな人生を歩めたに違いないのに。
事務所の扉の前でもう一度大きくため息をつく。ふと、扉が完全に閉まっていないことに気付く。
あれ?事務所の鍵、開いてるのか?
そっと開くと、電気をつけないまま蘭が一人でソファに座って転寝をしていた。無用心極まりない。
いくら一般人には少々敷居の高い探偵事務所とは言え年頃の娘が鍵もかけずに寝入っているのはどうかと。
小さな不快感を抱えたまま、コナンは蘭を起こさないように静かに扉を閉めた。
小五郎の机の上には「麻雀に行く」とだけ書かれた置手紙。
蘭は制服のまま。寝るつもりはなかったのだろう。電気が点いてないのは夕方まだこの部屋が西日で幾分明るい頃に帰って来たから。そのまま眠ってしまったに違いない。
その間、誰も来なかった幸運に感謝して、コナンは手近な毛布を引っ張り出して蘭に掛けてやろうと回り込んだ。
蘭は、小さな寝息を立てて寝ている。週末あれだけバタバタしたのだ。疲れてるはずである。
この時間に帰宅ということは部活も休んだのかもしれない。
そっと、その長い髪に触れてみる。艶やかな絹糸のような髪。髪のしなやかな感触が、何故だかコナンを落ち着かせる。
いいかな。ダメかな。起きるかな。起きたら、なんと思うだろうか。
毛布を器用に蘭の肩に掛け、コナンは静かにソファに乗ると、蘭の膝に頭を乗せて自分も寝っ転がってみた。
暖かい。
さすがに小学生とはいえ、起きている蘭に「膝枕して」とは言えない。
でもこれなら、起きた蘭はきっと「おやおや」と思う程度だろう。
ごめんな。蘭。ズルイのは、わかってるんだけどさ。
蘭の温もりが、自分の心をじわじわと癒していく感覚に酔いながら、コナンは瞳を閉じる。
優しい空気に守られている気さえする。
いつか、必ず俺はここに帰ってこよう。
あの日の油断も、麻生成実の件も、自分の未熟が生んだこと。それら全てを埋め合わせて。
探偵としても人間としても一回り成長して。そしてここに帰ってこよう。
その為にも、乗り越えなければいけないハードルの一つなんだろう。あの事件も。
二度と、追い詰めた犯人を殺したりしないように。一人でも多くの命が救えるように。闇に迷った人々を救えるように。
そして帰ってこよう。ここに。蘭の側に。
温かい。心休まる場所に
というわけで、月影島読了時に書き散らして一時期アップしていたものの、致命的な間違いがあって落とした読み物を改訂。
多分、これで本編と辻褄の合わないところはなくなったはず。はずーーーーーーーーーーーーー!!うう。以後気をつけます。
というわけで、珍しくアンニュイコナン君。月影島は彼にとっても大きな意味のあった事件なんじゃないかと思うんですよ。
どうでしょうかね?というわけで頑張って成長して蘭ちゃんのところに戻ってきてあげてください工藤新一!!頼むよ!!
なんとなく、新蘭は膝枕なイメージ。平和はなんか背中合わせでお互い寄り掛かって寝てるイメージ。なんでだろう?
蘭ちゃんの方が母性を感じる&新一の方が甘ったれなイメージなのかも。んー。
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