一本は、寿美に。一本は奈緒子に。
***
大学を卒業したら、島に帰る。
それが最初からの約束だった。同じ屋根の下に住んでいるはずなのに殆ど顔を合わさない「命様」が、ホントは母さんだと知ったのも、その時。
見せてもらった「命様」の特殊メイク用のマスクは、なんだか酷く不気味で怖かった。
ただ。
ああ。やっぱり。
不老不死なんて。永遠の若さも美貌も、そんなものやっぱりないんだ。
不思議とショックは無かった。
「じゃあ、不老不死なんて、人魚の棲む島なんて、嘘なんじゃない」
「そうだけど……でも、こんな小さな島、そういう話題性がないと、やってけないのよ。なかなか」
母さんは、困ったように笑った。母さんも父さんもこの島で生まれ育った。母さんがどれだけ島を愛してるか、私は知ってる。
「この島には観光で生きてる人もいるんだもの。仕方ないじゃない?」
「でも……」
ゴム製のマスクを弄びながら、母さんから視線を外した。ホントの「命様」私が生まれる少し前に亡くなったらしい。
ホンの1,2年おばあちゃんが引き継いだものの、程なくしておばあちゃんは海で亡くなってしまった。それも私が生まれるまだ前のこと。
母さんは。もう18年も「命様」を演じてきたのだ。全然気付かなかった自分が悔しくもあり、内緒にしていた父さんと母さんが恨めしくもあった。
「私は、なんか嫌だなあ。だって皆を騙してるわけだし」
プッと膨れてみせると、母さんはまた笑って私の頭を軽く撫でてくれた。なんだか、楽しそうに。
「大丈夫よ。あんたに苦労はかけないわ。命様は、私で終わらせるから。あんたはちゃんと、好きな人の所にお嫁に行くのよ」
好きな人。
きっと、母さんは気付いてたんだと思う。私の気持ち。
***
後一本の矢。どうしよう。どうしようかな。
パラパラと、所在無げに名簿を繰る。毎年見る名前もある。バカみたい。
不老不死なんて、あるわけがないのに。
ふと、名簿を繰る手を止める。
縦に二本修正線が引かれ、代わりに書かれた名前。
毛利蘭。遠山和葉。
たしか、ポニーテールの子が遠山和葉だったように思う。勝気そうな大きな瞳で、関西弁の。
ポニーテール、か。懐かしいな。
私も高校まではポニーテールにしてた。もう、10年位前になる。あの頃は、「命様」のことも、母さんのことも何も考えずに毎日楽しかった。
大好きな幼馴染に囲まれて。沙織、奈緒子、寿美。そして、禄郎君。
いつも5人で一緒にいた。……まさか、こんな日が来るとは夢にも思わず。
沙織も、奈緒子も寿美も。皆人魚にとり憑かれてしまった。なんで、こんなことになったんだろう。
そんなに欲しかったのかな。永遠の、若さと美貌。私にはわからない。
あの子も。御札を渡したら、嬉しそうにしてた。そんなに欲しいのかな。永遠の若さと美貌さ。
「やったね、和葉ちゃん!!」
「ホンマや!!あたるとええなあ!!」
「そうそう。それで服部君に……」
「もう!!蘭ちゃんったら!!違う言うてるやろ!!あんなん、ただの幼馴染やし!!」
「服部君」。確か名前は、服部平次。最初に自己紹介された時に、ちょっとドキッとしたので覚えている。
大阪育ちとのことだったけど、まるで海育ちのように健康的に浅黒く焼けた肌をした、屈託の無い笑顔の少年。
禄郎君と、同じ。
幼馴染、と言う彼女がその「服部君」を好きなことは初対面の私の目からも一目瞭然。
そして。その「服部君」が彼女をこっそり大事に思っていることも……。
いいな。
いいな。いいな。いいな。
「……この子にしよう」
こんなの、意地悪じゃないよね。だって、もしかしたらホントに永遠の若さと美貌が手に入るかもしれないんだし。
ほら、よく言うじゃない?信じるものは救われるって。
夢が見れるんだもん。いいじゃない?
……ちょっとは、怖い目にあったってさ。
だって。あの子の側には幼馴染が、ちゃんといるんだし。
***
大学の卒業式間近。いつも通り昼休みに学食でぼんやり皆を待っていたら、興奮気味の沙織がうどん定食をもってやってきた。
「ねえねえ、君恵、聞いた?ビッグニュース!!」
「え、なに?」
「寿美と禄郎君のことよ」
「え……ろ、寿美が、どうしたの?」
禄郎君が、と言いかけて慌てて飲み込む。このことは、誰にも内緒。
「あの二人、婚約したらしいのよ」
「え!!??」
少しだけ、予感はあった。でも、本人たちにはその気が無いのが分かっていたから……特に、寿美には。まさか、ホントに婚約するなんて。
「婚約?」
「そうそう。ま、前からそんな話は聞いてたけどねぇ。それより沙織、あんた声が大きいわよ」
奈緒子がアサリのボンゴレを机に置いて席に着く。
「あ、そうか。寿美の彼氏とか、その友達に聞かれたらやばいもんね」
「そうよ、寿美、卒業までは彼に貢がせるって言ってたじゃない?」
「え、じゃあ、あの彼氏と別れないの?それって……彼にも禄郎君にも悪いじゃない」
「でもだって……寿美にしてみれば、親が勝手に決めた婚約だしねえ」
「寿美が承諾したんだったら、それなりの誠意を見せるべきじゃないかしら」
「君恵は、相変わらず真面目よねえ」
沙織と奈緒子が笑う。別に、真面目なわけじゃない。
寿美の両親と禄郎君の両親は特に仲が良くて、昔から両家の娘と息子の結婚話は冗談半分語られてきた。
それに。禄郎君の両親にしてみれば、長男を網元の家に婿養子にやって、家業は禄郎君の弟に継がせたい。そんな思惑も耳にしていた。
だけど、寿美はずっと島を出たがってたし……。
「でもいいなー、寿美。禄郎君、島の中じゃ結構いけてると思うのよねー」
「そうね。まあ、真面目だし、頼りになるし、いいんじゃない?」
「まあね。詰まんない男だけど、旦那にしとくにはいいんじゃない?ま、どうせ殆ど漁でいないだろうし」
「寿美」
寿美は、大学に入ってから随分変わった。そりゃ、島にいる頃から美人だったしずっと島を出たがってたけど。
実際に島を出て、大学に通って色んな人と出会って、自主制作した映画の人魚役が評判になって。
随分、派手になった。
「婚約おめでとう、寿美」
「やだ、君恵。ホンキで言ってるの?」
「え?」
一瞬、心を見透かされたかと思い困惑した。
「めでたいわけないじゃない?これで私、一生あの島で生きていくこと決定よ?まあ、巫女になるあんたもそうかもしれないけど」
「でも……最後は寿美の意思で決めたんでしょう?結婚」
「んー。お父さんの説得に負けたって感じ?一人娘の辛いところよ。涙ながらに訴えられちゃさあ」
「そんな」
「ま、禄郎も諦めてたみたいだし。それもいいかな、って。旦那が漁に出てる間は本土に遊びに行ったりもできるしね」
「寿美」
「やあね、そんなのよくあることじゃない?大体、禄郎は婿養子に来るのよ?私に逆らえるわけ無いじゃない」
「そうだな」
不意に、いつもよりずっと低い声が響き、私たちは固まった。さすがの寿美もバツが悪そうに視線を泳がせる。
「寿美の言ってることは正しいよ。こっちだってそれを覚悟で婚約したんだ。寿美の好きにしたらいい」
「なあに?禄郎。ホントは私のこと好きで嫉妬してるんじゃないの?」
口の端に笑みを浮かべた禄郎君を、心から怖いと思った。
「ホンキで言ってるのか?お前」
沙織も奈緒子も黙ったまま。当然私も口を挟むことが出来なかった。
***
いつもポーカーフェイスの奈緒子の顔が、それでも酷く嬉しそうなのがわかった。
バカみたい。永遠の命も美貌も。貴女の手には入らないというのに。それどころか。
……貴女、もうすぐ死んでしまうのよ。
視界の端のポニーテールが目に止まる。ああ。幼馴染と何か話している。嬉しそうな、無邪気な笑顔。隣の幼馴染の表情は冴えない。憎まれ口でも叩いているのかしら。
永遠の若さと美貌は。どうやら彼のお気には召さなかったらしい。
いいじゃない。貴女の幼馴染の方がよっぽどわかってるんだわ。そんなものが、なんの意味もないこと。
そう。どんなに頑張ったって。死んでしまったら意味がないのよ。母さんみたいに。生きているから。限りある命を生きているから、意味があるのよ。
「では、幸運を手に入れられたお三方……、前へ!!」
奈緒子と、そして遠山和葉。もう一人、沙織の父親が歩み寄ってくる。ああ。ホントに拾ってくれたんだ。少し不安だったけど、計画どおりに行くものね。こういうのって。
ちらりと、不審そうに奈緒子が弁蔵さんを見た。奈緒子は知ってたのかしら。寿美が矢を当てたこと。
「矢をなくしたり矢の力を疑ったりすれば、人魚の災いが降りかかります。くれぐれもお気をつけて……」
恭しく私の手から矢を受け取るポニーテールの彼女。ゴメンネ。この矢は、貴女に何も与えないのよ。それどころか、矢を貰った人は次々に殺されてしまうの。
怖い?怖いかもね。でも大丈夫でしょう?
だって貴女には、ちゃんと隣に幼馴染がいるんだもの。
私だって罪のない貴女を殺すつもりなんてないから。ただちょっと怖い目にあってもらうだけ。だって。貴女は幸せなんだもの。これくらい、いいでしょ?
「お三方に至福の光を!!」
薄暗い松明で限られていた視界が、急に明るくなる。一条、二条。花火が夜空を照らす。
祭の観客からどよめきが起きた。すぐに振り向いちゃダメ。あそこに、滝に死体がかかっている事なんて、私は知らないんだから。
杭は上手く滝口に刺さってくれたかしら?浮き輪はとっくに川下に流されているはずだけど、どこにあるのかしら。川幅からいって、どこかに引っ掛かってるはず。
弁蔵さんが札を拾ってくれたってことは、どこかに浮き輪共々引っ掛かってたんだわ。大丈夫。きっと大丈夫。
川沿いを歩いて酔いを覚ましたら?そんな私の助言に従って、札を拾ってくれた。警察に疑われるかもしれないけど。恨むなら、貴方の娘を恨んで欲しいわ。
「お姉さん、あの山に詳しいでしょ?あそこまで案内してくれない」
駆けて来た少年に。腕をとられてあっという間に山に連れて行かれた。
***
「一緒に島を出ないか」
言われた時には、わが耳を疑った。
寿美と禄郎君が婚約して、父さんが亡くなって、5年。母さんが亡くなって……3年。
そして。私が沙織を殺した、その日に。
「え」
「君恵。俺は本気だ」
……バカな禄郎君。だから、婚約なんてしなければよかったのに。
寿美と禄郎君の不仲は年を経るごとに酷くなっていった。寿美に干渉したがらない禄郎君は、プライドの高い寿美には気に入らなかったらしい。
寿美は、いつも誰からも関心を持ってもらいたいタイプだから。その方が都合がいい。そう言いながらも寿美の言動に眉一つ動かさない禄郎君と喧嘩ばかりしていた。
「無理よ。私には大おばあちゃんがいるし。第一、禄郎君だって、どうするの?寿美のこと」
「寿美のことは……もう。オヤジもオフクロも死んだ。弟も……分かってくれている」
「わかってるって……。海老原のおじさまの怒りを買ったら、漁師なんて続けられないわよ」
「あいつはあいつで、本土に行く。だから……」
「無理よ。勝手なこと言わないで」
ホントに勝手だ。私は……ずっと好きだったのに。
そう。好きだった。子供の頃から、ずっと。ずっと。
大学に進学して本土に行って、色んな人に出会って。それでもやっぱり禄郎君が好きだった。
ううん。ホントは今でも好き。だけど。
だけど、私はもう、戻れない。何にも知らなかったあの頃には戻れない。
母さんのために。大好きな母さんのために。
私はもう、島を離れることは出来ない。
どうして。どうして、運命はこうなんだろう。
私が沙織にあの火事の真相を聞く前なら。私が沙織を殺してしまう前なら。私は禄郎君と本土に逃げることも考えたかもしれないのに。
でももうだめ。今更だわ。
それに……。そう。やっぱりだめだわ。母さんに「お願い」と言われた「命様」を、投げ出すわけにはいかない。
「……怒ってるのか?」
「なにを?」
「俺が……寿美と婚約したことを」
「別に……ただ、バカだと思っては、いるかな」
「君恵……」
延ばされた彼の手を、自分でも意外なほど冷酷に跳ね除けられた。
「今更よ、禄郎君。もう、私も貴方もあの頃には戻れないんだわ」
後三日で祭。それまでには沙織が連絡したという探偵が島に来るに違いない。人魚の祟りが怖くて探偵に依頼?沙織、あんたホントにバカだわ。
私はもう後には引けない。引くつもりもない。母さんの命を奪った寿美と奈緒子が心底憎いから。
だから。
探偵って、どんな人なのかしら。金田一耕介みたいな感じ?でも、島のことは何も知らないだろうし。何より私には「命様」の秘密がある。
これを上手く利用すれば、私に疑いはかからないはず。私の名前で沙織に歯の治療をさせることにも成功したし。大丈夫。きっと、大丈夫。
私は疑われることなく死んだことになって、そして「命様」として生きるんだわ。ひっそりと。
君恵としてではなく。
「さようなら。禄郎君」
***
「手離せばその身に魔が巣を作り……男は土に還って心無き餓鬼となり、女子は水に還って口利かぬ人魚となる……」
最初は少し不安な表情を見せただけだったけど。奈緒子の死に方を見たら、蒼い顔をしていた。
ごめんね。何の関係もない貴女を巻き込んだりして。
ごめんね。ただちょっと、羨ましかったの。
「俺の側から離れんなや……」
そう言ってもらえる、貴女が。そう言ってくれる幼馴染が隣にいてくれる貴女が。
家に戻って名簿を探す時、心配そうに二人がついてきてくれた。計算通り。
「君恵さん」
「なあに?蘭さん、和葉さん」
「そんな、さん付けなんて、ええよ。アタシのが年下やし」
「じゃあ、和葉ちゃん。なあに?」
「あ、そんなたいしたこと無いんやけど……。寿美さんに続いて奈緒子さんまでこんなことなって。君恵さん、ショックやったやろ思て……」
そんなわけないじゃない?だってあの二人を殺したのは、私だし。
「ホント……沙織もまだ行方不明だし。心配だわ……」
「でも、ホンマ誰なんやろ……犯人。二人も殺すなん、許せへんわ」
「ホントに……。二人とも、私の大事な幼馴染だったのに……。許せない。絶対捕まえてみせるわ、犯人」
「こんなことになって大変だと思いますけど、元気出してくださいね」
「ありがとう、蘭ちゃん、和葉ちゃん」
なんだか二人とも、拍子抜けるくらいいい子で少しだけ心が痛んだ。
ごめんね。和葉ちゃん。
まだ蒼い顔して。少し震えて。それでも一生懸命私を気遣ってくれて。
どんな顔するかしら?貴女をそんな目にあわせている張本人が、私だと知ったら。
「ねえ、和葉ちゃん」
「はい?」
「和葉ちゃんは、彼と付き合ってるの?」
そんなことないと分かってて、わざと聞いてみた。まだ付き合ってないことくらい分かる。何しろ私の方が10年も先輩なんだもの。
「そんなんちゃいますよ。あんなん、ただの幼馴染やし!!ホンマ、推理ばっかでアタシのことなん……」
「でも、守ってくれるって言ってくれたじゃない?」
「え?」
途端に顔が赤く染まる。さっきまでまだ蒼かったのに。
「守るなんて、そんな。側に居れ、言うただけやし。まあちょっとは、頼りにならんことも、ないけど。ええと、あの」
なんだか可愛らしくて、心が痛む一方笑ってしまった。
「あ」
「……なあに?」
「いえ、あの。君恵さん、笑ってくれたな、思て……」
「え?」
「お友達、亡くなって不謹慎かも知らんけど……。でもアタシ、君恵さんに元気出して欲しくて……。な、蘭ちゃん」
「うん。よかった……ちょっと安心しました。大変だと思いますけど……。沙織さんもまだ行方不明で心配ですけど、でも元気出してくださいね」
「ありがとう」
私のことを心配してくれるなんて。幸せな子達。
「あ」
「なあに?」
「波の音……」
「ああ、この裏すぐが海なのよ」
「あの」
和葉ちゃんが申し訳なさそうに、声を掛けてきた。
「なあに?」
「あの……トイレ……行きたいんやけど……」
「ああ、こっちよ。離れてるから、一緒に行ってあげる」
「じゃあ、私も……」
結局三人でトイレに向かう。和葉ちゃんが入った後、蘭ちゃんが小声で声を掛けてきた。
「沙織さんは、無事だといいですね」
「そうね」
「やっぱり……矢を持ってる人が、狙われてるんでしょうか……」
「どうかしらね。寿美は、まだ矢を貰う前だったし……」
蘭ちゃんも不安そうな顔をしてる。お友達が、やっぱり心配?
いい友達をもってよかったね、和葉ちゃん。私の友達は……大好きだった幼馴染たちは……私の母さんを殺したのよ?
「でもそうだとしたら、和葉ちゃんのことが心配ね」
「や、やっぱり……」
「でも、大丈夫じゃない?」
「え?」
「きっと、彼女のことは服部君が守ってくれるわよ」
「そ……そうですね」
禄郎君は、私のことを守ってはくれなかったけど。
「スミマセンでした。次、どこ探します?」
「そうね。もう殆ど探したし……他に心当たりがないのよ。皆の所に戻りましょう」
「やっぱり……誰かが持っていってしもたんやろか……」
「だとしたら……犯人がこの家に忍び込んだってこと……?」
「忍び込むも何も……こんな田舎でしょ?戸締りなんてあって無きが如しだし……あ」
「どうしたんですか?」
「私、新しい蔵をちょっと見てくるわ」
「じゃあ、私たちも一緒に」
「私なら大丈夫。一人で行くから、二人とも先に戻ってて」
「あ」
追うより早く、私は駆け出した。急いで沙織の服を着て、彼女たちの前に姿を現さないと。
後一回。もう一度怖い目にあってね、和葉ちゃん。でも大丈夫でしょ?お友達も一緒だし。
あの二人……「君恵」が死んだら、泣くのかしら?
また、少しだけ胸が痛んだ。
***
二人の探偵にトリックを暴かれ、「命様」は死んでしまった。母さんが守りたかった「命様」。
でもそうね。服部君の言うとおりだわ。
早く目覚めなければいけなかったのは私たち。この島の人たち全員。
そして。何よりも私。
断ち切らなければいけなかったのは、私。
永遠の若さと美貌。そんなものないと知っていて、わかっていて、でも。一番囚われていたのは私なんだわ。
「君恵……」
信じられない、というように声を掛けてきた禄郎君に背を向けた。
何もかもすべて終わってしまった今、彼の顔は見れなかった。
見たら、泣いてしまう。泣いて、縋ってしまうから。私を支えてきた「命様」とか、母さんとの約束とか。全て崩れてしまった今、私は泣いてしまう。
それこそ、今更だわ。
「なんで、こうなる前に俺に話してくれなかった」
全部全部全部。今更だわ。
波の音が聞こえる。私たちを育んできた海の音。父さんたちを飲み込んでしまった海の音。
一度寄せた波はまた寄せるけど、それは同じ波じゃない。そう。もう戻れない。もう戻れないんだ。
「禄郎君に話すことなんて、何もないわ」
「……バカだ。お前は」
泣かないように両手を握り締めた。
「……そうね」
バカだったのは、私。
波の音が絶え間ない。子守唄のように、生まれてきてからずっと聞いていた波の音。繰り返す、波の音。
「君恵」
「なあに?禄郎君」
「俺、君恵のこと、好きだ」
ああ。あの時も波の音が響いてた。
「大人になったら、結婚しよう」
「……うん」
幼い、まだずっと幼い頃の約束。禄郎君は覚えてる?あの日の約束。
私は覚えてた。あれからずっと、怖くて一度も確認できなかったけど。ずっとずっとずっと。
それなのに。
どうしてこうなってしまったのかしら。
「さ、こっちに」
福井県警の刑事に促されて、歩き出す。振り向いちゃダメだ。振り向いちゃ。
涙が、流れた。
***
疲れきって一晩寝込んだ和葉に、翌朝事件の真相を話した。案の定、和葉は泣いた。
最初は俺と一緒で「信じない」と言って泣いた。なかなか泣き止まない和葉を、俺は見守るしか無かった。
「アホ。お前が泣くことちゃう」
泣き止むまでずっと、隣にいてやった。
最後に一言。
「君恵さん、可哀想やなあ」
和葉が呟いた。
今日の海は荒れていた。君恵さんを連れて行くはずの船は、まだ出港できない。
島中の人が港に集まっていた。遠目に、君恵さんに話し掛ける和葉と毛利のねえちゃんが見えた。
あいつのことや。きっと一生懸命なぐさめとんのやろな……。
人込みから少し離れた所で海を見つめる。人魚のいる海。否。人魚など、何処にもいない。
「君恵は、罪を償わなきゃいけないんだろうな」
不意の声に振り返ると、禄郎さんが立っていた。俺の方を見ようとはせずに、視線は真っ直ぐ水平線を見ていた。
俺も真っ直ぐに海を見た。
「せやな……事情はどうあれ、三人も殺してもうた。私怨やし……あんまり情状酌量は……望めんかもしらんな……」
「だろうな」
海風が、きつかった。
「ちょうど、ここだったよ」
「なにがや」
「子供の頃さ。あれはまだ10歳にもなる前。俺はここで、君恵に結婚を申し込んだんだ」
「……」
「ずっと好きだったさ。君恵のことが。あの頃からずっと……。今も」
「せやったら」
今更と分かっていても、つい声が大きくなった。
「なんで守ってやらんかったんや!!君恵さんが辛い時、なんで側に!!」
禄郎が、視線だけを俺に向けた。ほんの一瞬。すぐにその視線は水平線に戻った。
「お前は、ちゃんと守ってやれよ」
「言われんでも、わかてるわ」
あの時、心の底から誓った。今までの決意なんて紙くずみたいなもんだと思うほど、強く。強く。
右手の傷が、痛んだ。
「待つんか?」
「ん?」
「君恵さん、戻ってくるまで」
「まさか」
強い風に煽られて、すこしバランスを崩した。
「今更待てる身でもないさ。そうだな、誰かいい人を見つけて、結婚して、子供を作るさ」
「それで、ええんか」
「ああ」
禄郎の横顔は。奇妙なほどに清々しかった。
「俺はこの島を愛してるからな……。君恵が愛した島だ。家庭を作り、子供を作り、島の明日を担う。俺だってもう、今更戻れないのさ」
少し波がおさまってきたのか、船が出港の合図を鳴らす。
「……お前は、間違うなよ」
「…………言われんでも、わかってるっちうに」
風が凪ぎ、波が穏やかになり。そして船がゆっくりと動き出した。
最後の禄郎と平次のシーンを入れるか入れないか悩んで悩んでや悩んで悩んで入れてみました。どうでしょう。
原作では、君恵→禄郎って感じは全然なかったんですけど、勝手にそういうことにして萌えてみました。
当然君恵さん高校時代はポニーテールも禄郎弟も婚約の時期とか寿美に彼氏とか、完膚なきまでにオリジナル設定です。
そういう意味では準拠なんだかなんだか。難しいところです。そしてなんか……すっごい悲恋になりました。うーん。
ただまあ、和葉が三人目に選ばれた理由を考えてみたら、こんなことに。
でもやっぱり疑問なのは……君恵さんのお母様は一体いつから命様を。君恵さんが生まれる前にしてみたのですが……
それってつまり、君恵さんの特殊メイク能力は要らなかった……いや、母親譲り……?謎過ぎ。
美國島は平和バイブルですから。そりゃもう、萌えシーン満載。一番はやっぱ崖ですか?ってことで、まだまだ書くと思います。
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