腹の痛みなど、なんでもなかった。
思い知らされた自分の未熟さを思えば。
坂田を恨むのは筋が違っている。それはよくわかっている。全ては自分が未熟だったせいだ。
腹の傷は、その戒めだと思えば安いものだった。
***
「平次?」
「……」
「おばちゃん、毛利さんらが来るかも知らんから、こっちには来うへんて」
「……さよか」
「しゃ、しゃあないやん。お客さん、来るかもしれへんのに……」
「別に、そんなん、どうでもええわ。和葉、お前も帰れ」
「あかんよ。アタシ、おばちゃんに、代わりに平次頼むわ、言われたし」
「すまん。誰にも会いたないんや」
「平次……」
用意された個室さえ恨めしく思った。相部屋ならそれはそれでつらかったかもしれないが。
警察病院に、自分の為に個室が用意されることに、胸が締め付けられた。
和葉は隣の椅子を立つ気配を見せない。強情で、心配性の和葉が帰るとも思えなかった。
一人になりたかった。
が、一人になったら……。泣いてしまうかもしれなかった。泣かずにすんでいるのは、隣の和葉のお陰かもしれない。
和葉は何も聞かずにそこに座っていた。
撃たれた俺を心配して、泣いていた。
弾の摘出手術が終わるまで、大丈夫だと言ったのに、それでも手術室前の廊下でお守りを握り締めて動かなかったと、手術後に看護師が教えてくれた。
多分、このまま一晩中ここにいるつもりなんだろう。
見上げる天井の高さと白さに。ほんの少し眩暈に似た感覚を覚えて目を閉じた。
どれくらい、無言の時間が流れただろう。
病室の戸が、ノックされた。
「はい」
平次の代わりに和葉が答える。
「……わしや」
「あ、大滝さん」
戸が、開けられる。
「平ちゃん、どないや」
「ん……。臓器にも骨にも影響なかったて……。手術も無事に終わって……。でも」
「でも?」
「平次今、誰にも会いたないって……」
「……」
「でも、折角来てくれたんやし、もう落ち着いたかもしれへんし。今寝てるから、ちょう、声かけてみる」
「大滝ハン」
戸の方へ顔を向けず、天井を睨んだまま。
「平ちゃん」
「俺、もう平気やし。すまんかった。心配かけてもうて……」
「そんな」
「……忙しいんやろ。俺もう、大丈夫やから」
「平ちゃん……あんな……。本部長、来てはるんや……」
空気が、凍りついたかと思った。自分の周りだけ。
来るか。来ないか。ずっと気になっていたこと。
「和葉」
「……なに?」
「お前も、席外してくれ」
「ん……」
和葉の気配が消える。代わりに。
平次は身を起こした。腹の傷が、まだ痛む。
「無理せんでええぞ。平次」
「こんなん、大したことあらへんわ」
見下ろされるのは、嫌だった。
静かに入ってきた平蔵が、やはり静かに椅子を引き腰をおろす。
「坂田が、逮捕されたで」
「……そか」
「……お手柄やったな」
「まさか」
「……」
「オヤジかて、そない思てへんのやろ」
「……まあな」
「……一矢報いて、御の字、ちうところや……」
「……」
もし。これで坂田を止められず、郷司を殺されていたら。
「いい面の皮……っちうやつや」
「……」
「俺が」
布団の上で両手を握り締める。
「おらんかったら、坂田ハン、思い止まったやろか」
「……ホンマに、そない思うんか」
「……」
思わない。坂田は、本気だった。それが正しいとは思わないが、本気だった。
もし、自分の存在が無かったとしても何らかの手を考えただけだろう。刑事である以上、郷司の家に潜り込む機会はいくらでもある。
それでも。
自分が一緒にいた方が、コトが運びやすいと判断した坂田は間違っていない。
警察嫌いで府会議員の肩書きを持つ郷司に対して、「本部長の息子」という自分の肩書きは有効だ。
「ちゃんと、わかっとるようやな」
「……痛いほど、な」
「せやったらええわ。わしの言うことは、なんもない」
「……」
「ああ、せや。和葉ちゃん、あんま泣かしたらあかんで」
捨て台詞はそれかい。
「ほな、さっさと治して早よ出て来い。これ以上、人様に迷惑かけるんちゃうで」
「おー。さっさと出たるわ。こない辛気臭いとこ」
入ってきた時と同じく、静かに立ち上がり、静かに出て行く。
「おお。和葉ちゃん。待たせてすまんかったな」
戸を開けて、廊下で待っていた和葉に声をかける。
「おっちゃん、平次は?」
「ま、大丈夫やろ。すまんな、和葉ちゃん。あのアホが色々心配かけて」
「そんな」
「あの不束者に付き合うんも大変やと思うが、ま、宜し頼むわ」
「う、うん。しゃあないよ。アタシ、平次のお姉さん役やし」
「ほな、わしらは府警にもどるよって。大滝、行くで」
「あ、おっちゃん。お父ちゃんに、アタシこっちにいるいうて、伝えとって」
「おお」
廊下を足音が遠ざかる。後姿を律儀に見送った和葉が病室に戻ってくる。
「平次!!起き上がって平気なん!!??」
「傷……痛い……」
「アホか!!さっさと寝ときぃ!!」
和葉の手を借りて、もう一度身を横たえた。
「和葉」
「ん?」
「すまんかったな」
「え?」
「心配かけて、悪かった」
和葉の細い眉が怪訝にひそめられる。
「どないしたん、平次。おっちゃんに、なんか言われたん?」
「アホ、そんなんちゃうわ」
犯人を追い詰めているつもりが、犯人に導かれていた。
犯人に踊らされているような嫌な予感。それがあたった。しかも、それは自分の一番近くにいた。
提供される情報も、何もかも全て。張り巡らされる罠のままに振り回され、殺人を犯され。
体よく。利用された。
坂田を恨むのは筋が違ってる。恨むのなら、自分の未熟さだ。利用するに値すると、利用できると坂田に判断させた、自分の未熟さだ。
「俺は……まだまだあかんなあ……」
視界にポニーテールが飛び込む。ベッドの横の椅子にもう一度腰掛けた和葉が、身を乗り出して覗き込んでくる。
「なんやの、急に。しおらしゅうなって。怪我して、弱気なん?」
「アホ、んなわけあるかい」
「せやせや。その方が、平次らしくてええで!!」
そう、弱気になっている場合ではない。
自分が未熟なことくらい知っている。坂田が利用したかったのが「本部長の息子」であることもわかっている。
かといって。落ち込んで立ち止まっている場合ではない。
結局、自分には頑張る以外の道は無いのだ。
「平次」
「ん?」
「なんやしらんけど、頑張ってな」
「お、おう」
この幼馴染の笑顔に。
……元気付けられてしまっていることは、情け無いので誰にも内緒だ。
すっごい勢いだけで書いてしまったんですけど、でもそういうことですよね?利用されちゃったのよね?平次君。
反省してください。精進してください。あかんやん!!坂田ごときに!!コナン!!お前もだ!!
あんたら目の前にぶら下げられたヒントに従ってただけなんじゃないの!!??自分で推理してるつもりがうまく誘導されてただけなんじゃ!!
多分、浪速連続殺人事件の話は、他にも書くと思います。
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