泣き崩れる楓に、少し心が痛んだ。善人ぶって慰める菊人を殴り倒したい衝動に駆られた。が、辛うじて堪えた。
自分から仕掛けた罠とは言え、あまりこんな光景は見て居たくない。この分ならあのアホはすっかり罠に嵌ってくれそうだし。
「犯人も捕まったし。俺らはそろそろ寝るとしよか」
大きく一つ欠伸をすると目の端に涙が浮かんだ。そう言えば、昨日も碌に寝ていない。
「う、うん」
和葉はなんとなく歯切れが悪い。しきりに楓の様子を窺っている。無理もない。
楓と桜庭が恋仲だったと知った今、この状況で、この幼馴染が何を考えているかくらいわかる。
本当は楓の側にいたいのだろうが、菊人がその隣をしっかりキープしているためそれもままならない。ただ心配そうに視線を送っている。
「では、お部屋にご案内いたします」
使用人に促されてもう一つ大きく伸びをしながらついて行き掛けたが、和葉が動かない。
「なんや、和葉。どないしたんや。行くで」
「ん」
一瞬、視線を自分の方へ投げかけたが、すぐに外した。そのまま俯いてついてくる。明らかに、怒っている。
なんや?俺、なんかしたか?
桜庭を糾弾する時に、何か和葉の気に障るようなことを言っただろうか。
とりあえず使用人について部屋を出る。後ろでコナンの「泊めてもらおうよ」という声がする。万事順調。
後は。あの木の上から菊人が例の品々を回収するのが確認出来次第、連絡が入るはずだ。
長い廊下を行きながら、和葉は終始無言のままだ。
「こちらです。荷物はもう、運んでおきましたから。鍵はこちらとこちら。一つしかありませんから、気をつけてください」
「お、おう」
「トイレはあちらの角です。必要なものはお部屋にそろえておきましたので。お湯をご希望の際やその他ご用がありましたら、こちらの内線で使用人室をお呼び下さい」
「はあ」
「明日の結婚式は延期でございますが……朝食は予定通り9時になりますので、お呼び致します」
「はあ」
「では、ごゆっくり……」
「お、おお」
深く頭を下げる相手につられて思わず自分も頭を下げる。和葉は、ぼんやりと窓から外を見たまま表情を変えない。
「和葉」
「ん?」
「ほら、鍵」
「ん」
ホンの一瞬、鋭い視線を投げかけて、乱暴に鍵を受け取る。その顔にはあからさまに「怒ってます」と書いてある。
この幼馴染は、いいのか悪いのか、嘘をつくのが下手だ。
「なんやねん」
「ん?」
「どないしたんや、自分。さっきから仏頂面しおって」
「……」
「なんや、俺、和葉になんかしたか?何怒ってんねん」
「……アタシやない」
「はあ?」
「アタシやなくて、楓さんや」
鍵を差し込み、そのままドアを開けずに俯いて黙り込む。カチャリ、と無機質な音だけが響く。
「なんで、推理ショーなん、せなあかんかったん?」
「……」
「推理で犯人、つきとめたんやろ?桜庭さんがあんなことするなん、アタシまだ信じられへんけど。でも、せやったらなんで本人に自首勧めへんかったん?」
「……あいつが認めるとは、思えんかったしなあ……」
「でも」
くるりと平次の方へ振り返り、また視線を落とす。
「せやったら、せめて。楓さんがおらんところで推理したったらよかったんちゃうの?」
「……」
「桜庭さんが、罪認めんかったん、楓さんがおったからかもしらんよ?」
そういう考え方もあるかもしれない。
「……平次、気付いててんやろ?あの2人、コイビトなん」
「ああー、まあ……」
「せやったら!!」
叫ぶ和葉の声が広い廊下にこだまする。やばい。ここでは誰が聞いているか分からない。
「なんでよ!!なんであんな、皆の前で桜庭さん追い詰めなあかんかったん??!!アタシには、平次がなに考えてるかわからへん!!」
「和葉、ちょう落ち着け」
「自分の推理、そんなに皆に見せびらかしたかったん?平次、いつもそういうん嫌や言うてたやん!!犯人が逮捕できれば、途中経過なん、いらへん、て」
「せや。それはまあ、今でもそう思てるけどな」
「やったら、なんであんなことしたんよ!!楓さん、あんな泣かして!!なんでもっと、気ぃ使てあげられへんのや!!」
「落ち着けて」
視線を上げたその瞳が潤んでいる。ヤバイ、と思った時には和葉の瞳からは大粒の涙が零れ落ちた。
「アタシは!!あんな平次、大っ嫌いや!!!!!!!」
再び俯いた瞳から、涙がはたはたと零れ落ちる。
思わず左右を見回す。人影はない。ないが。まさかと思うが菊人がどこかで聞いていないとも限らない。
「和葉、とりあえず、部屋入ろ。な。中で、話したるから」
「いやや!!言い訳なん、聞きたない!!」
犯人を挑発するためにも。この推理ショーは、楓の前でする必要があった。皆の前で桜庭を追い詰めなければならなかった。
全てが、必要だったと思っている。工藤も、自分もそう判断したのだ。確かに2人にとっては迷惑な話だろうが。
そして。楓に同情した和葉が泣くかもしれないことも。少しだけ覚悟はしていた。
それでも、いざ目の前で泣かれてしまうと、どうしようもなくなってしまう。
どうにかして泣き止んでもらいたいのだが……ここでは迂闊なことは言えない。
「和葉」
「知らん!!もう寝るもん!!お休み!!」
勢いよく扉が開かれ、ヒラリと身をかわして部屋に入る。俺が後を追うより早く乱暴に扉が閉められた。再び、無機質な鍵の音が響く。
あれほど怒っているのに就寝の挨拶を欠かさない所がなんとも言えないが、笑っている場合でもない。
「和葉」
「……」
「かーずーはー」
「……」
「和葉、な。ちゃんと落ち着いて話そや」
「知らんもん」
「和葉ー、とりあえず開けてくれやー」
「……」
扉の向うの気配が薄くなる。どうやら部屋の奥に行ってしまったらしい。一気に疲れてその場にしゃがみこむ。大きくため息をついた瞬間。
「……なんや、工藤かい」
背後に人の気配を感じて振り返ると江戸川コナンが立っている。
「……何やってんだよ、おめー」
「あー、まあ、色々や」
「なんだよ。誰も居ねぇのをいいことに、遠山さん押し倒そうとしたんじゃねーだろーなー」
「あ、アホ!!誰がするかい!!んなこと!!」
「ま、痴話喧嘩もいいけどよ。動いたぜ、奴が。予定通り、部屋の準備はしてもらった。あとはおめーのバッグ持って……」
「あー。了解やー」
***
「そんなことがあったのかよ」
「ああ。……ホンマ、和葉の奴、人の話まったく聞かへんし……そっちはどうだったんだよ。あの姉ちゃんに、もうばらしたんか?」
「んなわけねぇだろ?俺が言っても説得力ねぇし。まあ、お前か警部に聞いたことは出来るけど。そもそも蘭だって、俺には何にも言わねぇし」
「ま、そりゃそやな」
「神妙な顔して落ち込んでたけどな」
「和葉もなあ。それくらいしおらしくしとってくれたらありがたいねんけどなあ」
無事に犯人逮捕。俺たちに問い詰められた菊人は、後から踏み込んできた警官隊にあっさりと罪を自供して、一件落着となった。
が、落着といかないのはこっちの方である。「大っ嫌い」と叫ばれて、部屋に篭られて。そのまま眠ってしまったに違いない。
全てを誤解したまま。
「ま、朝んなったら説明するわ。そんでもまあ、怒られると思うけどなあ……」
「難儀してんだなあ、おめーも」
「ま、そこが和葉のええとこなんやけどな……って、何言わせんのじゃ!!こんボケェ!!」
「……おめーが勝手に言ってんだろ」
工藤が肩を竦める。見た目が小学生なので倍むかつく。
「じゃ、俺らの部屋こっちだから。頑張れよ、服部」
「自分、おもしろがっとるやろ」
「あったりめーじゃねーか。ちゃんと仲直りしろよ」
「言われんでもわかってるわ」
「許してもらったら、なんかいいことあるかもしんねえぜ?」
「アホ!!和葉なんただの幼馴染や。なんもあるわけないやろ!!そっちこそ同じ部屋なんちゃうんかー?」
「ばーか。俺に何しろって言うんだよ」
「う」
「頑張れよーー」
「何がじゃ!!アホ!!さっさと行け!!」
ひらひらと手を振りながら意地の悪い笑みを残して去っていく。見た目が小学生なので三倍むかつく。
はあ。
一応和葉の部屋をノックしてみたものの反応は無い。さすがに寝てしまったのだろう。
昨日会ったばかりの、碌に話してもいない楓と桜庭のために、この幼馴染は泣いてしまう。その性格は十分熟知していたから、一応覚悟はしていたのだが。
「あない泣かせるつもりちゃうんかってんけどなあ」
いっそ。楓がいないところではなく、和葉がいないところで推理ショーをやればよかった。そんな後悔が頭を過ぎった。
***
扉を激しくノックする音に起こされた。8割方眠った頭のままベッドを這い出たものの床に転げる。
普段、布団で寝ているせいで高低差を忘れていた。
「いってぇ……なんやねん……ホンマ」
ノックと共に、自分を呼ぶ幼馴染の声がする。頭を覚醒させようと務めるものの、昨日寝たのが遅すぎた。
「なんやねん、自分。朝から」
朝一で説明してやろうと思っていたこともすっかり忘れて、つい、不機嫌な声で扉を開ける。
しっかり髪も結って身支度を整えた和葉が、素早く部屋に飛び込んできた。
「あー。オトコが一人で寝ている部屋になんの用やー」
「アホ!!そんなこと言うてる場合ちゃう!!」
一つ大きく伸びをしたものの、頭は覚醒しない。正直、まだ寝たかったのでベッドに戻りかけたが、着崩れた浴衣の裾を自分で踏んでしまいつんのめった。
かったるいのでそのまま床に座り込む。そのまま倒れこんで寝てしまいたいくらいに、眠い。
「今!!おっちゃんに聞いたんや。犯人、桜庭さんちゃうかったて」
「あー。せや」
「桜庭さん、逮捕したん、平次と警部さんが仕掛けた罠やったて」
「せやせや」
「犯人に……菊人さんに証拠出させるための演技やったて」
「そゆことや。ほな、俺もう一眠りするから」
「平次!!」
立ち上がりかける俺の前に和葉が座り込む。真正面から覗き込まれて思わず下を向いた。寝起きそのままの今、自分がどれほど間抜けな顔をしてるかくらいわかる。
「なんでや!!平次!!」
「なんでや、言われてもなあ」
胡座をかいてガリガリと寝癖のついた髪を掻く。
「まあ、乱暴なんはわかっとったけどな。仕方なかったんや。あれくらいせんと、あの男が油断する思えへんかったから……」
「……」
「まあ、桜庭さんと楓さんには悪かったけど……まあ、これも桜庭さん助けるためや」
「……」
「菊人が仕掛けた罠、巧妙やったろ?あれだけ見たらどう考えても桜庭さんが犯人や。せやからそうならんように……」
「……その話は、もうええねん」
和葉の低い声に顔を上げると、今度は和葉が視線を落として両手を握り締めている。
って、どこ見てんねん!!!!
一気に頭が覚醒し、慌てて浴衣の前を合わせてみたものの、多分、和葉の瞳には映っていない。
「アタシは、なんでアタシに話してくれんかったんか、聞きたいんや」
「へ?」
「だって……アタシなんも知らんかったから……昨日、平次にあんな酷いこと言うてしもたし……」
「いや、まあ、あれは内緒にしとった俺が悪いしな。確かにやり方乱暴やったしな」
「アタシ……昨日はホンマに、平次なん最低や、思ててんで?ホンマに大嫌いや思ててんで?」
「あー。誤解が解けてヨカッタデスー。平次君最高!!大好き!!」
「ちゃかさんとって!!」
上目遣いに睨まれる。
「アタシは、そない信用ないん?」
「あー」
「アタシには話してくれとってもよかったんちゃうの?アタシが誰かにばらす、思ったん?」
「いや、思わんけどな」
「せやったら!!」
更に詰め寄ってくるその額をぺしっと軽く叩く。
「何するんよ」
両手で額を押さえて和葉が身を引く。これ以上至近距離に来られてはたまらない。
「ばらさんやろうけど、お前、嘘つくん下手くそやん」
「それは……」
「もし、ホンマのこと知っててみぃ?お前、泣いとる楓さん、放っておけたか?すぐに側によって、部屋から連れ出してホンマのこと言うたんちゃうか」
「う」
「それじゃ、あかんかったんや。楓さんには申し訳ないけどな。楓さんがホンキで泣いてくれへんと、それをあの男がいい気になって慰めんと、意味なかったんや」
「……」
「そら泣いとった楓さんにも、怒っとった和葉にも、ショック受けとったご主人や百合江さんにも、申し訳なかったけどな。皆が本気になってくれな、あかんかったんや。わかるやろ?」
「う、うん……」
「和葉、そう言う嘘つくん、できへんやん。あの場で俺みたいに言えたか?桜庭さん、最低や。楓さん、あんな男やめときぃ、て」
「い、言えへん」
「別にな、信用とかそういう問題ちゃうねん。わかったか」
「う、うん」
再び視線を落として思案顔になる。俺は立ち上がると大きく一つ伸びをした。お陰様で頭が覚醒した。
「腹減ったなー」
「あ、せやせや。もう朝御飯になるいうて、平次呼びに来たんやった」
「それを早く言わんかい。ほな、俺、着替えるから。廊下で待っとれ」
「うん。急いでやー」
「おう。3分で終わんで」
和葉が部屋から出るのを確認して、急いで身支度を整える。
「平次、遅いー。5分32秒かかりましたー」
「アホ。計り間違いとちゃうかー?」
森園家の長い廊下を2人で歩く。天気は一転して晴れ。初めて気付いたが、庭の景色はなかなかのもんだ。
「やっぱ、アタシも頑張らなあかんなー」
「ん?何をや?」
「だって、やっぱああいう時は、アタシにも話して欲しいんや。だから、ちゃんと嘘とか、演技とか、できへんと……」
「アーホ」
思いっきり頭を小突く。
「何すんねん!!」
「そうそう。その方が和葉らしい、言うてんのや」
「分けわからんこと言うな!!」
「だからな」
宥めるように頭を軽く叩いてやる。
「鉄面皮の和葉なん、見たないって事や」
「て、鉄面皮……」
「そういうことやろ?ホンマのこと、知って知らんふりできるなん、別にいいことちゃうで?」
「う、うーん」
「和葉はなあ。そやって嬉しい時に嬉しい顔して、悲しい時に悲しい顔して、怒っとる時に怒った顔できるんが、ええんや。思ってることが素直に顔に出るんが、ええんや」
「そ、それってお子様ってことやないの?」
「ま、そうとも言うけどな」
「そんなん!!」
「ええやん。それが和葉のいいところやと、俺思うで。そんな和葉チャン、最高!!大好き!!」
「もう!!心にも無いこと言ってちゃかさんとって!!」
怒鳴りつけながらも。和葉の表情は満更でもなさそうだ。ホント、こいつは嘘がつけない。
そして。それが和葉のいいところだと思っているのもホント。素直な和葉がいいと思ってることも、ホント。
「平次、ちょっとは心が痛んだん?」
「ん?」
「推理ショーん時」
「おー。めっちゃ痛んだで。予定通りとは言え楓さん泣くし。菊人はむかつくし殴りつけたいくらいやったで」
「ふうん」
「……なんやねん」
「優しいんやね、平次」
「アホ」
優しいなどと。罠を仕掛けた時点で言われる資格はない。
「頑張ったんやね。平次」
「ま、な」
「えへへ」
「なんやねん」
歩調を上げて俺の前に出た和葉がくるりと振り返る。
「そんな平次君、最高!!大好き!!」
「……そら、ありがとー」
そのまま軽い足取りで廊下の突き当たりの食堂へ向かう。揺れるポニーテールを見送って、俺は安堵のため息をついた。
「何があったか知らねーけど。よかったじゃねーか」
不意に後ろから声がして。俺は振り返る気力も失う程に脱力した。
仲直りは東京駅までに行われたものと確信。怒ったままなら、どんなに蘭が言ってもお揃いなんて着ないでしょうね。和葉なら。
私も鉄面皮の和葉なんて見たくないです。和葉の魅力はその素直さ!!嘘のつけないところ!!くるくる変わる表情!!可愛い!!!!!(*^_^*)
ところで。書き始めたきっかけは台詞萌えでした。「俺らもそろそろ寝るとしよか」……一緒に!!??ねえ、一緒に!!??<こらこら
欠伸して涙目の平次、可愛い〜〜!!アニメではこのシーン、割愛されちゃいましたけどね。
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