鳥取県絡繰峠での事件翌日。鳥取県警に連行されていったロバートを見送った後。
「じゃあ、私達もそろそろ失礼しようかと……」
「ああ、やったら駅まで送りますわ。ちょう待っとってごしないな」
「やー、すんませんなぁ。お世話になりっぱなしで……これから色々大変でしょうに」
「いえ、こちらこそお世話になりました。まあ……武田家は勇三が継ぐことになると思いますが……とりあえず殺人事件の謎も解いていただきまして……さすがは毛利名探偵」
「い、いやあ、なに。あんなもんこの名探偵にかかれば謎のうちに入りませんよ。はっはっはっはっは………」
いつものことながら少し胡乱な表情を見せただけで笑ってごまかす小五郎の後姿を見ていた平次が小さくため息をついた。
「なんだよ」
「あん?」
「何ため息ついてんだよ。おっちゃんに手柄取られて悔しいのか?」
「アホ。そんなんちゃうわ」
「ふうん?」
ズボンのポケットに手を突っ込んだまま憮然とした表情でコナンから視線を外す。
その視線の先を追ってコナンは首を傾げた。
「なんだよ。蘭が、どうかしたか?」
「いや。別に」
「なんか変だぞ。お前。そりゃ遠山さん捕まって動揺したのはわかるけど……」
「関係あらへんわ」
その顔には「関係ありありです」と書いているようなものだったが、コナンはあえて突っ込まなかった。
もし。捕まっていたのが蘭だったら。吊るされたのが蘭だったら。自分はどこまで冷静を保っていられただろうか?
相変わらず素直に認めない平次だが、一夜明けた今も動揺を引き摺っているらしい。
ま、仕方ないか……。
コナンは嘆息し、しかし首を捻った。
でも、なんで蘭なんだ?
さっきの蘭を見ていた平次の視線が気になった。睨んでいる、とまでは行かなかったが決して好意的とは言えない複雑な視線。
当の蘭は和葉とのお喋りに夢中で平次やコナンの様子には気づかない。
「もう大丈夫?和葉ちゃん」
「うん。色々ごめんな、蘭ちゃん。アタシ、また色々迷惑かけてもうて」
「そんなの気にしないで。和葉ちゃん、大変だったんだもん……」
「でも、元はと言えばアタシが油断したんが悪いんやし……」
「和葉」
憮然とした表情のまま平次が和葉に声をかける。
「俺らも、行くで。さっさと準備せぇ」
「あ、うん」
「あ、じゃあ私も荷物まとめないといけないし。一緒に行こ、和葉ちゃん」
「うん」
仲良く武田家の客間に向かう二人を見送って、平次は自分も荷物をまとめるべく貸し与えられていた客間へ向かった。
……ま、あの二人が仲良いんは、別に悪いことちゃうし。
平次はコナンの台詞を反芻する。和葉が捕まって、動揺したか?したに決まっている。
一歩間違えれば和葉の命はなかったのだ。ロバートが、「誰が傷つこうがどうなってもいい」と思ったロバートが思いとどまらなければ、和葉の細い首はその無機質な縄によって縊られていたかもしれない。
自分でも意外なくらいに動揺した。まずは焦り。和葉を、一生失うかもしれないという焦燥感。そして怒り。犯人に対する。油断した和葉に対する。そして。
ぎゅっと握った自分の拳を見つめる。
その背後で襖が開いた。
「いやー。しかし今回はまあ、あれだったなあ。おい、おめぇ、あんまり女連れで探偵ごっこしねぇ方がいいんじゃないのか?」
客間に現れた小五郎がコナンが止めるより早く平次に声をかける。
ピクリと反応した平次が額に怒りマークをつけて振り返った。
「女連れってなんやねん。あいつが勝手に付いて来ただけや。大体おっさん、あんたもあのねぇちゃん事件現場にあんま連れて来ん方がええのんちゃうか?」
「仕方ねぇだろ?あいつとこのガキだけ置いてくるわけにもいかねぇし」
「は。さよか。せやけどなあ、捜査の邪魔になるだけやで」
「まあ、確かにこのボウズはちょろちょろ邪魔するだけだが、別に蘭は……なあ」
ちょろちょろという言葉にカチンと来ながらもコナンは努めてあどけない口調で口を開いた。
「平次兄ちゃん、どうしたの?蘭姉ちゃんと、なんかあったの?」
「心配すな。なんもないわ」
心配ってなんだよ、と思いつつも、とりあえず平次の言葉には裏がないのはわかる。
「でも平次兄ちゃん機嫌悪いよね?なんで?」
平次はコナンに一瞥をくれただけで、何も答えずに荷物をまとめてさっさと客間を後にする。
「ほなな」
コナンは慌ててその後を追った。
「なんだよ、どうしたんだよ」
「うっさいわ。なんもない、言うたやろ?」
「だってお前、機嫌悪いじゃねぇか」
平次が後悔しているのを知りながら、あえてコナンは地雷を踏む。
「普段のお前ならロバートにあんなことは言わなかったはずだぜ?それだけロバートに対する怒りが大きかったってことだよな?」
「……関係あらへん。俺は、所詮この程度の男や」
「心にもないこと言うなよ。まあ、遠山さんがあんな目にあったんだ。ロバートに対する怒りは尤もだと俺も思うぜ。でもなんで蘭まで……」
「別に、なんもあらへん言うてるやろ。別にあのねぇちゃんのことなん、関係ない」
「……」
そのままバイクを取りに行く後姿を見送ってコナンは肩を竦めた。どうやら地雷は上手くよけられてしまったらしい。
怒らせれば平次のことだ。ポロリと本音を話すかと思ったのだが。
首を捻っているところに蘭と和葉が、相変わらず仲良く喋りながら客間から出て来る。
「なんか、蘭ちゃんと会う時はいっつも事件で、全然ゆっくり話せんくて。残念やわぁ」
「ほんと。今度ゆっくり話したいよね」
「やっぱ、平次がおるから事件に巻き込まれるんやろか」
「うーん。うちのお父さんがいるからかもしれない……目暮警部にも事件を呼ぶって言われてるし、お父さん」
「それやったら、今度は二人だけで会わへん?電話ばっかやと、やっぱつまらんもん」
「あ、それ賛成!!」
「蘭ちゃんのノロケもゆっくり聞きたいし」
「もう!!だから新一は私の男なんかじゃないってば!!」
話題が変わる気配を見せ、コナンは話し掛けるタイミングを逸しかけたが気を取り直して二人に声をかけた。
「ねえ、蘭姉ちゃん」
「あ、なあに?コナン君」
「平次兄ちゃん、何怒ってるんだろうね」
「平次が?」
「あ、そういえば……ちょっと変だよね。服部君。昨日までは謎解きに夢中だったみたいだけど……なんかその後機嫌悪いみたい」
「そうやろか?いつもあんなんやで?平次」
「うーん……でもなんか、私が話し掛けてもそっけなかったし……」
「……アタシが思いっきり平手打ちなんしたから、まだ怒ってんのやろか」
「でもあれは、服部君が悪いと思うけど……」
「うーん」
蘭も平次の不機嫌にはなんとなく気づいていたものの、心当たりはまるでない。
「やっぱり和葉ちゃんが危ない目にあったから、それで機嫌悪いんだよ、服部君」
「もしかして、アタシが油断したん怒っとんのやろか。やばいなあ……きっと怒鳴られるわ」
「そんな!!和葉ちゃんは悪くないよ。きっと、犯人に怒ってるんだよ」
それだけだろうか?コナンは首を捻る。それだけなら蘭に対するあの態度はなんだというのだ?
更に続けようとしたところにバイクの音と共に現われた平次の声が飛んだ。
「和葉、行くで」
「う、うん。またね、蘭ちゃん。コナン君も。気ぃつけてな」
「和葉ちゃんこそ気をつけて。服部君のことは気にしなくて平気だよ。きっと」
「うん……。でもアタシも悪かったんやし……後でちゃんと謝っとく。あ、蘭ちゃん、また連絡するから。な」
「うん。待ってる。元気でね」
「蘭ちゃんも。風邪引いたらあかんよ」
名残惜しげな和葉はなかなか動こうとしない。そこへトラックを運転して勇三が顔を出した。
「あー。大阪の、あんたらもトラックで国道まで送りますで。バイク、のっけたらええわ」
「ホンマに!!??平次、また迷ったらしゃれならへんし、わかるところまで送ってもらお!!アタシ、まだ蘭ちゃんと話したいし……」
「あかん」
相変わらず憮然とした表情で、平次がきっぱりと否定する。厳しい口調に和葉が驚いて平次を振り返った。
「さっき地図見て確認したから帰りは大丈夫や。行くで、和葉」
「う、うん」
「そういうわけやから、勇三さん、折角やけど……」
「あ、ああ。こっちは別に」
「ほな、毛利のおっちゃんも。ねぇちゃんも。俺ら、これで失礼しますんで」
「お、おう。気をつけて帰れや」
「服部君、和葉ちゃんをお願いね」
和葉にメットを放り投げ、さっさとバイクに乗るように顎で指示しながら平次が憮然と返す。
「言われんでも、わかっとるわ。ほな、またな」
「う、うん……じゃあね、和葉ちゃん」
「またね、蘭ちゃん」
あっさりと、轟音と共にバイクが走り去る。あっという間に小さくなったその後姿を見送ると、コナンは肩を竦めた。
なんなんだよ、一体。
「ほら、コナン君。私達も、もう行こう?」
***
帰りはあっさりと国道に辿り着けた。当たり前といえば当たり前だが、どこにも「武田家こっち」という案内はないが国道となれば標識があちこちにある。
途中のコンビニ付きのガススタで平次がバイクを止めたので、和葉は飛び降りると平次を振り返る。
「なんか、飲む?」
「いらん」
「それやったら、なんか食べる?」
「いらん」
「どないしたんよ、平次?」
「何もないわ。何か買うんやったら、さっさとコンビニ行って来ぃや。俺、ガソリン満タンにしとくし」
「う、うん」
どうにも取り付く島がない。首を捻りつつ和葉はコンビニに向かう。
やっぱり自分の油断を怒っているのだろうか?それ以外に心当たりがないが、どうも平次の様子は気にかかる。
怒っているなら怒っているで、いつもなら頭ごなしに怒鳴りつけてくるのが平次だ。
こんな風に煮え切らないのはいつもの幼馴染らしくない。
「なんなんやろ」
自分の分のダースのビターチョコとお茶、そして平次のためにホットコーヒーを買う。いらないと言われたが、買って行けば飲んでくれるに違いない。
「はい、平次。コーヒー買うて来たで。いる?」
「あ、ああ。サンキュ」
コンビニを出るとガススタからバイクを移動させて来ていた平次が、そのバイクに寄りかかってぼんやりしていた。
疲れてるようにも、機嫌が悪いようにも見える。怒っているようにも、見える。
幼馴染とはいえ、たまに何を考えてるのかよくわからなくなる平次の顔を和葉は覗き込んだ。
「どないしたん?」
「なんや、お前まで。なんもあらへん」
「はい。チョコ食べる?疲れてんのやったら、甘いもんがええんよ」
「ん。サンキュ」
差し出されたチョコを一つ口に放り込み、またぼんやりと地面に視線を落とす。
軽くお茶に口をつけて、和葉はその様子を見守った。
「コーヒー、いらんかった?」
「ん?いや、今飲む……130円で、ええか?」
「え、いいよ。アタシのおごりや。平次にも……色々心配かけたし……。ホンマ、ごめんな、平次」
「……和葉、お前なぁ」
「なに?」
ポニーテールを揺らして俯いた幼馴染の顔を覗き込むと、ふと視線をそらしてまた黙る。
「なんよ?」
「……」
「あんな……。ごめんな、平次。アタシ、今回めっちゃ心配かけて」
「もうええって」
「せやけど……アタシが、油断してロバートに……」
「……」
いつもなら三倍になって説教が返ってきそうなところなのに平次はまた口を噤む。
「平次、怒ってんの?」
「……」
「なあ、平次ぃ」
「……」
「もう!!悪いと思ってるんやから、何か言うてや!!」
「んー」
「んー、やなくて!!」
「……あんな……お前、あれや」
和葉が目顔で先を促す。
「困ってる人がおるからって、助けなあかんわけちゃうんねんで?」
「はあ?」
抽象的な切り口に和葉は首を捻った。何から話していいのかといった表情で平次が言葉を捜す。
「だから、あれや。まあ、あの姉ちゃんに頼まれて、お前が断れへんのはわかるけどな」
「蘭ちゃんのこと?」
「せやけど、断る時は、断りや」
「……二人で会おう、約束したこと?そんなん、アタシが会いたいんやし……」
「ちゃうわ」
そんな約束しとったんか、とは言わずに平次は次の言葉を捜す。
「お前があの姉ちゃんと仲いいんはわかるけどな。だからってそん為にお前が危険な目ぇに合う必要ない、言うてるんや」
「?」
「せやから。あの姉ちゃんが言うたから、部屋から出たんやろ?あん時」
「う、うん。蘭ちゃんが、工藤君にもろた大事なマスコット落とした、言うて……」
「部屋から出るな、言われとったやろ。そういう時はお前が止めなあかんのや」
「あ、そのことやったら……」
どうやら平次は少し誤解をしているらしい。怒られる覚悟で和葉は正直に訂正した。
「すぐに探しに行こ、言うたん、アタシやねん。蘭ちゃんは、おっちゃんが部屋から出るな、言うたから明日にしよ、言うてんけど……。でも、めっちゃ気にしとったから、少しやったらええかなって思て……アタシ……が……」
平次は顔を上げてまじまじと和葉の顔を見た。案外に大きな瞳に見据えられて和葉は肩をすくめる。
「なんや。お前やったんか」
「う、うん。だって、蘭ちゃん、マスコット大事にしとったし……すぐ見つかった方がええかと思て……」
「そんで、そのマスコットはちゃんとあったんやな?」
「う、うん……」
平次は苦笑した。
「よく捜しもしないで、和葉ちゃんにあんなこと頼んでこんな目に合わせて……」
「ホントにごめんね。わたしがちゃんと捜してれば……」
蘭の、その台詞だけで事態を誤解していた。蘭のせいで和葉が外に出る羽目になったのだと。
つきつめればそうなのだが、蘭が外に出たがったのだとばかり思っていたのだ。
自分が和葉を連れてこなければ。まずそれを後悔した。そして。
八つ当たりだとわかっていたから本人には言わなかったが。蘭があんなことを頼まなければ。そう思うと面白くなく、二人が仲がよいことすら疎ましく思えていたのだ。
つまらない男だ、と自己嫌悪に陥りつつ。
「なんや、お前やったんか」
「う、うん……平次……怒ってんの?」
もう一度繰り返すと、和葉が申し訳なさそうに見上げてくる。
平次は、一つ大きく息を吸った。
「あったり前や!!油断するにも程があるやろ!!殺人犯がうろついとってんで!!危機意識いうもん、ないんか!!お前は!!」
「う、ご、ごめんなさい……」
「大体や。お前になんかあってみぃ。俺、おっちゃんとおかんに殺されんで!!勝手について来るんはええとして、勝手な真似、するんやない!!こんボケェ!!」
「ぼ、ボケってなんよ」
「ボケはボケじゃ、アホ!!ちっとは俺の身にもならんか!!これで襲われたんがあのねぇちゃんやったら、それはそれで俺が工藤に殺されんねんで!!」
「う……」
「ちっとは反省しろ、言うんや」
「は、反省してる、言うてるやろ?さっきから謝ってるし……」
「誠意が感じられへんなあ」
「せ、誠意って、どうしたらええんよ」
畏まった様子でちらりと平次を伺ってくる。心の中でだけ苦笑して、しかし表情には表さずにすかさず平次はその手からダースチョコを奪い取った。
「あ、アタシのダース!!」
そのままざらざらと全部口の中に流し込む。
「ひ、酷ぉ!!」
「ハホ。ほれふらひでゆふひてひゃろうひうんやからやふいもんやろ」
「う、うう」
さすがに甘すぎてちょっと吐き気がしたのでコーヒーで流し込む。ポイっとコンビニ前のごみ箱にダースの箱とコーヒーの空き缶を放り込んだ。
不服そうな和葉にメットを放り投げる。
「行くで、和葉」
「う、うん。……あんな、平次……」
「なんや」
「ごめんな、ホンマ。これからは、ちゃんと気ぃつけるから……」
「もうええわ。ほら、さっさと行くで。飯は和葉のおごりやからな」
「う、うん。そんなん、いくらでも奢るから、せやから……」
「ほら。乗れっちうんや」
「うん……あんな、もう平次に心配かけへんから……」
「さっさとしぃや」
「う、ん……」
「一緒にいさせてな」。言いたい言葉を悉く遮られて、かといってそれを乗り切ってまで口に出せずに和葉は渋々とメットをかぶってバイクに跨る。
「振り落とされんよう、ちゃんと掴まっとけや」
「うん」
少し頬を染めて、それでもその温かい背中に腕を回した。
ブルン、と一つ吹かしてバイクが走り出す。
***
「和葉ぁ!!!!」
「何!!??」
バイクの轟音に混じって、平次の声が耳に届いた。精一杯声を張り上げて和葉は答える。
「一緒におるんはええからなあっ!!」
「何!!??平次!!」
「そんかし、ちゃんと俺に掴まっとくんやで」
「ええ!!?何!!??聞こえへん!!」
小さく、笑う。
「……和葉が無事で、俺、めっちゃ嬉かってんで……」
「平次ぃ!!全然聞こえへんって!!」
「今度は、ちゃんと俺が守ったるからな……」
で、守りきれずに美国島。まだまだですなぁ!!平次!!精進してください!!ちゃんと和葉を守ってください!!
蜘蛛屋敷は大好きです。外に出ちゃう和葉は迂闊だと思いますが、その迂闊さすら可愛く思えてしまう私の末期度合いはきっと平次と一緒かと。
てゆーか、平次もそう思っているに違いなく<私的に
でも私的には蜘蛛屋敷の平次はまだまだ恋愛未満。自分にとって和葉が大切な存在だと実感した、って程度です。
そして自覚すれば自覚するほど無責任なことが言えなくなってぐるぐるするのです。ふふふふふふ。
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