「なんやの、これ」
勝手知ったる他人の家、もとい、部屋。
先にお茶を持って二階に上がると、平次の部屋の座卓に茶封筒と、そこからはみ出す大金が目にとまる。
「しかもなんや、これ、聖徳太子やん。なっつかしー」
「あー、それなー」
後から平次がおばちゃん御手製の籠カステラの乗ったお盆を持って上がってくる。
「なんや、変な依頼なんや。いきなり金送りつけよるし。住所書いてへんし。返そうにも返されへん」
平次の両親は「経験やから」と平次が事件に拘わることは寧ろ歓迎している節があるが、金銭の授受は禁じている。
「どないするん?」
「しゃあないわ。依頼状通り船乗ってくるわ。依頼主も乗ってるやろし直接会って金返してくるわ」
「船?」
「ん。豪華客船らしいんやけど。ついでに依頼も果たせれば万々歳や」
「豪華客船って、なんやの」
平次は籠カステラのお盆を座卓に置き、立ち尽くすアタシのお茶も受け取って座卓に置いて代わりに一通の手紙を差し出す。
「その手紙に、船乗って小笠原来い、書いてあるんやけど、俺もようわからん」
「豪華客船!!タイタニックみたいなん??!!」
アタシが手紙を見つつ座ろうとすると、すかさず座布団を投げてよこす。
この幼馴染は変な所で気が回る。
「ええな!!アタシも行きたい!!」
「せやなー。なんや、札見せれば乗れる言うてるし、行くか?小笠原」
「行きたい!!」
「あ、でも一応、事件かも知れへんしなあ。おっちゃん、許してくれへんやろ。危険な目ぇに合うかも知れんし」
「えー。それ内緒にしてや。単に小笠原旅行、保護者は平次ってことで」
「俺が保護者でええんか」
「タイタニックのためや。ええで、別に」
「和葉が姉さん役ちゃうんかったんか?ま、それ以前にこの話おとんもおかんも知ってんねん。おっちゃんに内緒にはできそもないわ」
「ええーー。おっちゃんとおばちゃんに内緒にしてもらえば……いつなん?」
「次の連休や」
「え、あかんわ。アタシ、合気道部の合宿や」
いっそ休んでしまいたい勢いだが、さすがにそれは許してもらえそうにない。
第一、三年生が引退してしまった今、和葉ら二年生がしっかしりないと部全体の迷惑になってしまう。
好きで始めた合気道だが、こんな時はちょっとだけ、剣道部のマネージャーでもやってればよかったかも、と思ってしまう。
「んな顔すんなって。ちゃんと土産買ってきたるわ。な。和葉」
***
後から考えると間抜けな話だが、その瞬間に考えたことは、和葉に土産を買えないということだった。
すまん。和葉。約束、守れそうにないわ。
妙に冷静にそう心の中で謝ったものだが、実際はそんな問題じゃない事態に追い込まれていた。
水面がすぐそこに迫っている。
あかん。服部平次、一生の不覚や。……何度目か、わからんけどな。
四の五の考える暇なく頭から海の中に落ちた。頭から落ちたのは正解だったろう。
あの高さから落ちたのだ。落ち方が悪ければ内臓の一つや二つ破裂してもおかしくない。
下手したら骨の一本や二本折れていたところだろう。
水は、死ぬほど冷たい。体温が一気に取られる。水分を含んだ服が体に張り付き、体温と機動力を奪う。
この場合服には保温性は求められない。むしろ逆効果。脱いでしまうに限る。
勢いよく、随分と沈んだ。息はもつだろうか。
……意識が、遠のいた。
***
「おー、風呂お先や」
頭からバスタオルを被ったままの平次が顔を出す。
明日から連休。アタシは次の週末の御茶会のための着物を見に今日はおばちゃんを訪ねてきた。
「ごめんねぇ、和葉ちゃん。平次の後になってもぅて」
「そんなん、着物見たい言うたん、アタシやし」
「ちゃんと綺麗にしといたで。髪も取った、湯垢も掬った、シャンプーリンス石鹸も並べときましたぁ」
「和葉ちゃん用のタオル、ちゃんと用意しといたん?」
「あ、忘れたわ」
慌てて湯殿に戻っていく。
服部家で湯を借りる時、和葉は必ず平次より前と決まっている。
更に和葉用のタオルがあり、しかもそれが度々新調されている。
子供の頃からの習慣とはいえ、最近それが嬉しいようなこそばゆいような複雑な気分になる。
「さ、着物はこれで決まりや。和葉ちゃん、お湯もろてきぃ」
「はーい」
立ち上がって替えの下着などが入った袋を掴んで湯殿に向かう。廊下で平次とすれ違う。
隣をすり抜けた時に平次から石鹸の匂いがしてきて、アタシは少しドキッとした。つい、足が止まる。
「なんや」
「なんもないわ」
ずっと一緒にいたこの幼馴染に恋したのは、一体いつからなんだろう。
何でもなかったこんな瞬間に、胸がトキメクことがある。顔が赤くなることがある。
一緒にいたいと思う。離れていてもどうしているか気になる。失いたくないと思う。
……心も体も触れ合っていたいと思う。
ぐちゃぐちゃ考えながらお風呂に入っていると、おばちゃんの声がした。
「和葉ちゃん、遠山さん、来はったで」
「ええ!!は〜い!!」
仕事帰りに父が車で迎えに来てくれることになってたので湯を借りたのだが、ちょっとゆっくり入りすぎたらしい。
急いであがって服を着る。
「あれ」
脱衣所の籠の下に、見慣れたお守りが見える。アタシのではない。ということは、必然的に平次のだ。
何しろこの世にたった二つしかないお守りだ。
「しゃあないなあ、もう」
バタバタと衣服をまとめて、風呂場の状態を確認して、廊下に飛び出す。
「おお。和葉。急げや」
「はあい」
着替えやらをまとめた袋を玄関に置く。アタシの鞄やら何やらも全部玄関にある。
「おばちゃん、平次は?」
「なんや、疲れた言うてもう寝たで。明日、小笠原やしなあ」
「そ、か」
階段を上ろうとすると不審そうな父の視線とぶつかった。
「平次の部屋に、忘れもんした。そっと入ったら、ええやんな」
「……」
父親として、幼馴染とはいえ年頃の男の寝ているところに娘が忍び込むのはどうか、と思っているのだろうが口にはしない。
なんとなく察しながらも、あえて無視して階段を上る。
そっと戸を開くと中は薄暗い。平次はこちらに背を向けて寝ている。
戸を開いたままにして廊下の光を頼りにお守りを座卓の上に置く。
「あれ」
ホントに忘れ物があった。手帳やらなんやら入っているポーチが座卓の下にぽつんと置いてある。
そういえば着物を見る前に、少しだけ平次の部屋に寄った。その時に置き忘れたのだろう。
高い平次の視線からは死角になって、気付かなかったに違いない。
確か、中にはソーイングセットも入っている。
父が不審に思わないうちに、と手早くはさみを取り出し、手帳を切り取り、ペンでぐりぐりと書いて安全ピンでお守りに留める。
これでよし。
ホンマ、世話の焼ける幼馴染やで。
平次が寝坊した日には、座卓に置いてあっても気付かず飛び出されてしまうかもしれない。
アタシはそおっと布団の横まで這い入り、平次の枕元にきちんと畳まれたトレーナーの腹のポケットにお守りを入れる。
おばちゃんに子供の頃から煩く言われた平次は今でもきちんと翌日の服を枕元に用意してから寝るのが習慣だ。
「なんや、上これなんに、Gパンなん?」
ついでにケチをつけて勝手にズボンを綿パンに代える。タンスの中も殆ど把握している。
「気をつけて、行ってきぃや」
暗くて見えない寝顔にそっとささやいて。アタシは忍び足でポーチを持って平次の部屋を辞退した。
***
どこか遠くで、誰かが呼んでいる気がした。
ああ。和葉の声や。
和葉の声は良く通る。小さい頃からずっと聞き親しんできたからか、どんな雑踏の中でもすぐわかる。
どないしたんやろう。泣きそうな声や。
声音で考えてることもすぐわかる。和葉は嘘のつけない性質だ。そこが和葉のいいところだとも思う。
時に損をすることもあるかもしれないが。うれしい時に、ホントに嬉しそうな声で「嬉しい」と言われるとこっちも嬉しくなる。
泣くなや、和葉。どないしたんや。
和葉は泣き虫だと思う。普段は気丈で人前で泣くことは殆どないのに、俺の前だとすぐ泣く。
哀しくて泣く。怖くて泣く。怒って泣く。悔しくて泣く。感動して泣く。嬉しくても泣く。
涙腺が弱いんじゃないかと思う。そして和葉が泣くと決まって自分が怒られる。子供のころから、ずっとそうだ。
お陰で、和葉の泣いている声は居心地が悪い。どうにかして笑わせな、という気がする。
泣くなや、和葉。笑ってくれ。どないしたんや。
そういえば。和葉はあの時も泣いていた。いつだったろう。多分、そんな昔じゃない。最近。
こんな風に泣きながら俺の名前を呼んでいた。
本当はしんどかったのだが、あんまり和葉が泣くから、しんどい素振りも出来ずに怒鳴りつけた記憶がある。
あれはいつだったろうか。体が熱くて動かなかったことは覚えている。
今も。そう今も。体が動かない。ただ、熱くはない。氷のようだ。なんだか自分の置かれている状況がよくわからない。
頭がぼんやりしている。真っ暗だ。ここは何処だろう。
ただ、和葉の泣いている声がする。俺の名前を呼んでいる。
***
どこか、暗くて寒い所で。
アタシは平次の名前を呼んでいた。必死になって呼んでいた。
平次、平次!!死んだらあかん!!どうしたん?何があったん?
ここは一体何処だろう。一体平次に何があったんだろう。暗くて、寒い。生気のない平次の硬い表情。
ああ、海の中だ。暗くて冷たい海の中だ。力ない平次の体が波の揺らめきに抗うことなく漂っている。
平次の方へ恐る恐る手を差し出す。指の先が辛うじてその頬に触れる。
冷たい海の中なのに、更に冷たい。背中に悪寒が走る。
なんでや。どうして。何があったんや。平次に、何があったんや。
なんでこんなに冷たいんや。なんで平次は目を開かんのや。なんで少しも動かんのや。
平次の笑顔が何よりも好きなんに。アタシの髪をぐしゃぐしゃ撫でる手が一番好きなんに。
いやや。そんなんいやや。
一生懸命手を伸ばしても、手の先が平次に触れるくらいで、何故か二人の距離が縮まらない。
アタシは、ただ必死にその名前を呼び続けた。
「か、ず……」
不意に平次の唇が僅かに動き、声が漏れた、気がした。
その瞼がゆっくりと開かれる………。
***
海に落ちてからのほんの少しの間、俺は気を失っていたらしい。
誰かに呼ばれた気がして覚醒した時には犯人を乗せた船影は随分小さくなっていた。
それでもまだ生きているということは、気を失っていた時間が致命的には長くなかったということだ。
とりあえず服を脱がなければ死んでしまう。
まだ少しぼんやりした頭で、とりあえずそれだけ判断すると俺は服を脱ぎに掛かった。
「お?」
脱ごうとしたトレーナーの腹のポケットのあたりに、固い感触がある。
なんやこれ……って、和葉のお守りや!!なんでこんなとこに入ってんねん!!
って、俺が知らんって事は、誰かが入れたんや。って、そんなん和葉以外におらんわ!!
慌てて取り出すとそこには見慣れた幼馴染の字で短いメッセージが書いてある。
アホってなんやねん。アホって。俺、今、生死の境をさ迷っとんのやぞ。も少し優しい言葉掛けてくれ。
と言った所で、まさかこんな所で俺がこんな目にあっているとは夢にも思うまい。
文句を言われる筋合いはない、と怒ることだろう。俺は今の自分の立場も忘れて思わず苦笑した。
海に落ちたと言ったら、あの幼馴染はどんな顔をするだろう。
とりあえずこのお守りを海に流したら、例え生還できても殺されかねない。特に……うちのおかんに殺される。
紐を首から掛けて、お守りをしっかり咥えて、更に服を脱ぎに掛かる。
すっかり水を吸って肌に張り付いた服を剥ぎ取るのは事だ。
特にズボンや!!柔らかい綿パンでまだ助かったで!!Gパンやったら死んどるとこや。
そういえば。昨夜はGパンを用意していたつもりが朝起きると綿パンにすり替わっていた。
特に気にも止めなかったが、あれはもしかして和葉が取り替えたのではないだろうか。あの夜、和葉が家に来ていた。
俺は先に寝てしまったのだが、知らない間にお守りがトレーナーに入ってたということは、その時に替えた可能性がある。
さんきゅー。和葉ー。助かったでー。
まだ命が助かる保証はないものの。
俺は今はどこかの合宿所で安らかに眠っているであろう幼馴染にとりあえず感謝の意を表した。
***
「和葉!!和葉!!」
誰か。名前を呼ぶ声にアタシは起こされた。目の前に心配そうな由紀の顔がある。
「和葉、どないしたん?怖い夢、見たん?」
「平次が……海で……」
「服部君が、どないしたん?」
アタシはゆっくりと肘を突いて上半身を起こした。由紀が心配そうにアタシの顔を覗き込む。
「平次が、どないしたん?」
「和葉が今、言ったんや。なんや、服部君が海でどうかしたって」
「わからへん……」
頭がぼんやりしている。薄暗い部屋。自分の部屋ではない。
ああ。そうや。今日は合気道部の合宿で。
ふと気付くと、アタシは泣いていた。なんやろう。涙がとまらない。
「アタシ、泣いとんの?」
「せや。うなされて、泣いとったんよ。なんや、服部君のこと呼んどったみたいやけど……」
「覚えてへんわ」
「覚えてないなら、それでええよ。なんや、ホンマ和葉が辛そうで、アタシ起こしてもうたくらいやし。きっと怖い夢やったんや」
「うん……ちゃんと覚えてへんけど……なんや、嫌な夢見た気ぃするわ……」
夢の内容は覚えていなくても何となく「嫌な夢やった」とか「いい夢見た」ということだけ分かることがある。
今もそんな感じ。なんだか寒気がするくらいになのに、夢の内容は覚えていない。
「ごめんな、由紀。起こしてもうたん?」
「あ、ちゃうちゃう。夜中にちょっと、起きて。そしたら和葉が泣いてて」
由紀の手に携帯がある。ああ。時計をみるとまだ1時前。連休の深夜なんて、家にいればまだ活動時間帯だ。
「なんや。彼氏のラブコールか」
「うっさいわ!!和葉も電話したったら?服部君に」
「なんで平次に電話せなあかんねん。ただの幼馴染やん」
「服部君の夢見て泣いとったくせに〜〜」
「そんな、もう忘れたし!!用もないのに電話なんか、せぇへんって」
由紀から視線を外すと覗き込むようにアタシの視線を追いかけてくる。
「『平次が危ない目に合う夢みたんや。そんで心配になって……』って……」
「『アホ。夢なんかで電話かけてくんな。子供かお前は。俺はピンピンしとるわ』って言われんのが落ちや」
「和葉って、服部君の口真似上手いなぁ」
「うっさい!!もー!!明日も稽古やん。もう寝よ!!」
布団を被るとクスクス笑いながらも由紀が自分の布団に潜りこむ。
さっき見た夢の内容はもうさっぱり覚えていなかったが、なんだか嫌な感触だけが身に纏わりついて離れない。
嫌な夢見て、心配になって。
そんなこと言えへんって!!もう!!由紀のアホ!!
そいでも。明日起きたら平次の携帯に電話してみよう。アタシはそう決めて瞳を閉じた。
***
とりあえず自分にできる精一杯をやり尽くした後で暗く広い海に漂っている時には、少しだけ死を思った。
人生諦めたら終わりだと思うので、どんなに見苦しくても最後まで足掻くつもりではあったが。
それでも。詩人のように「この広い大自然の中で自分はちっぽけな存在なんだ」とか実感してみたりした。
死ぬ時は、やっぱり凍え死ぬのだろうか。凍死は、一番苦しまない死に方だと聞いたことがある。
眠るように死ねるので痛みや苦しみはないらしい。ただ、あちこち凍傷になって死体は汚いらしい。
鮫やらに襲われて死ぬんは、さすがに遠慮願いたいもんやなあ。
この大海原では死体も見つけてもらえそうにない。確実に魚の餌だろう。
運がよければさっき脱いだ服が岸にたどり着くかもしれない。漁の網に引っ掛かるかもしれない。
もしかして、お守りは入れっぱなしの方がよかったんやろか。
あれが見つかれば、身元は確実に判明するんちゃうか?
泣くやろなあ。和葉。おかんは、泣くやろか。泣かへんやろうなあ。遺体に向かって悪態つくで、あの人なら。
おとんも。おとんも何も言わんのちゃうかなあ。泣いてるおとんは、見たない。
泣いてる和葉も、見たないけどな。
空を見上げると、月が明るい。闇夜だったらもっと心細かったに違いない。
月明かり以外何もないので、星もよくみえる。北へ。北へ向かった方がいいのだろうか。
少しでも岸の近くに。体力を消耗するだけの無駄足だろうか。微妙な所だ。
「平次の命守る、大事なお守りや」
明るい月に、明るい和葉の笑顔がダブる。さすがに心細いせいか、ちょっと感傷的だ。
なんや、死ぬみたいやで、自分。あかん。まだ白旗振るんは早過ぎるわ。
お守りを咥えなおす。守ってもらおやないか。俺は、生きて帰る。
和葉を泣かすんは、嫌や。
何もせずに諦めてしまうのは性に合わない。俺は、必ず生きて帰る。最後の一瞬まで諦めない。
そう、決意した瞬間。遠くに光が見えた。漁船の、漁火だった。
***
朝一で掛けた電話は電波が届かなかった。小笠原だから仕方ない。まだ海の上なのだろう。
と思いつつも、やはり昨日の夢が少し引っ掛かって平次の家に電話してみた。
電話口のおばちゃんは笑いながら、とんでもないことを言ってのけた。
「平次なあ、犯人にどつかれて海落ちて漁船に拾われたらしいわ。ホンマ、殺しても死なん子やで」
殺すって、とか突っ込んでる場合じゃない。アタシは、自分の顔から血の気が引くのが分かった。
「おばちゃん、平次、無事なん!!??」
「風邪引いただけで、五体満足らしいで。手足も凍傷にならんかったらしいし、額ちょっと切っただけらしいわ」
その後の会話は良く覚えていない。とりあえず平次は東京の本庁に出向くらしいことだけわかった。
茫然自失で電話を切る。あの夢は。あの嫌な夢は、このことだったんだろうか。
どうしよう。どうしたらええんやろう。整理できない頭を抱えて振り向くと、顧問と由紀が立っていた。
「和葉、具合悪いんやろ?」
「へ?」
「顔色悪いぞ、遠山。すぐ、大阪もどれ。な」
「先生……アタシ……」
由紀の手がアタシの額に伸びる。
「先生。熱があります。昨日の夜もうなされてました」
「うむ。ここで病院に行くのもいいが、親元に戻った方がいいだろう。なあ、遠山」
アタシは、泣きたくなった。もの凄く感謝しているのに、言葉が出てこない。
「その状態で稽古しても身にならんしな。時間の無駄や。な、遠山」
「せやで。合宿は残りのメンバで頑張るから。な、和葉。行ってきぃ」
「あ、あの」
この二人にだけは事情を話した方がいいのだろうか。何処から話そうかとアタシは言葉を捜す。
「『平次、無事なん!!??』の台詞とあんたの青い顔で、大体の事情はわかるって」
「詳しいことは、ガッコで服部本人からでも聞くから、今は行ってこい」
「あ、ありがとうございます」
アタシは勢いよく頭を下げ、急いで荷物をまとめるために部屋へ急いだ。
***
船上の推理ショー。朝には警察の高速艇が到着し、俺は犯人に同行して東京に戻った。
海ですっかり冷えたお陰で当然、風邪を引いて頭がガンガンしていたが、とりあえず事情聴取にも立ちあった。
昼過ぎにはそれも終わり、とりあえず薬飲んで新幹線中で寝とったらなんとかなるやろー、と思ったのだが。
東京駅で俺は和葉に捕まった。
泣かせへん、って思ったんにな……。
生きて帰ったいうのに和葉は泣きながら「アホ」を連発していた。
「も少し優しい言葉、かけられへんのか、お前は」
「アホ!!アタシやおばちゃんに散々心配掛けて!!もう知らん!!平次のことなんて、知らんもん」
「大体、俺を守るお守りやー、言うて、全然守ってくれてへんやん。危険な目に合うとるで、俺」
「それは、平次が忘れるから、悪いんや。忘れたから、落ちたんや。アタシが入れといたから、助かったんや」
なんとなく、一理通ってる所が可笑しい。
「そんな、泣くなや。目ェ溶けるで?」
「泣きたくて、泣いてるんや、ないもん。平次が、悪いんやん」
「俺、ちゃんと『五体満足やから心配すんなー』っておかんに言うたんやけど。なんか、嘘教えられてへんか?お前」
「それは、聞いたけど。そんなん、言われて、心配、せんと、思うな!!アホ!!」
「なんちゅーたらええねん」
雑踏の中。和葉は一向に泣きやむ気配を見せない。少しだけ、周囲の視線が痛い。
和葉に手を伸ばしかけたが、東京駅まで同行してくれた高木刑事と目が合って、慌ててその手をひっこめた。
「あ、じゃあ、僕はここで」
そそくさと立ち去る高木刑事をとりあえず一睨みだけしておいて、俺は和葉の頭に手を乗せた。
「もう、泣くなや。俺、帰って来たやん」
「知らんもん。もう。平次なん、海で、鮫に食べられたら、よかったんや」
せめて凍死にしてくれ。
「鮫に食われるんは、痛いからいややなあ」
「海に落ちる、平次が悪いんや」
「せやかて、犯人が」
「犯人に、どつかれとる平次が、悪いんや!!」
「ま、それは、せやねんけどな」
悪態を付きながらもその両目からこぼれる涙は止まる気配を見せない。周囲の視線は相変わらず痛い。
俺は、意を決して和葉の頭を自分の胸に引き寄せた。
「な!!??平次!!??」
和葉が慌てて離れようとする。俺は、和葉の頭に回した右手に力をこめる。
「俺、ちゃんと生きとるやろ」
「平次……」
「ホンマ、死ぬか思てんで。でも、ちゃんと生きて帰ってきた」
「……偉そに言うな。アホ」
「……とりあえず、生きてること喜んでくれや。なあ」
「そん、なん」
「死ぬより、ましやん」
「それは、せやけど」
「なあ、和葉」
「……」
「笑ってくれや。和葉」
和葉の両手が、俺の服の端をきゅっと掴むのがわかった。俺を見上げてくるままに、俺も右手の力を緩める。
「お帰り、平次」
和葉の笑顔が、痛いくらいに心に染みた。
「ただいま、や」
***
「アホ、なんでそういうこと早く言わんのよ!!」
「俺がなんか言う前に散々泣いて悪態ついたんはお前や!!」
「だって!!」
平次が風邪を引いたことはおばちゃんから聞いていた。「知らんかった」とは言えない。
「もう、薬飲んで早よ寝ぇ!!新大阪止まりやから、熟睡しててええよ」
さっき額に触れたらメチャメチャ熱かった。アタシは申し訳なくなって平次の顔も見れずに、あれこれ世話を焼く。
「ほら、もう寝ぇ!!アタシも、ちょっと疲れたし、新大阪まで寝るから」
「おー。それは静かで助かるわ」
連休中日の真昼間の新幹線。後ろは4人組で椅子をひっくり返してくれたお陰で遠慮なくリクライニングできる。
少しだけ話し声が気になったが、仕方がない。
「はあ」
隣の平次は早々に目を閉じて腕を組み、帽子を目深に被り、寝る体勢に入っている。
ホントはなにか掛けてあげたい所だが、急いで来てしまったので何もない。
こんなことなら合宿の荷物を梅田のコインロッカーに預けるんじゃなかった。あの中には、防寒用のブランケットがあったのに。
アタシは、深く腰掛けなおすと目を閉じた。平次ほどではないと思うが、それでも疲れた。
東京までの新幹線がどれほど長く思われたことか。今は。今は隣に平次がいる。
「ただいま」と言った平次の顔を思い出す。凄く嬉しそうな笑顔だった。
大好きな、笑顔だった。
せや。事情はどうあれ、平次は九死に一生を得たんや。真っ暗な大海原で漁船に拾われるなんて奇跡に近い。
アタシ、もっとちゃんと、なんか優し言葉かけたらなあかんかったんや。
平次が生きて帰ってきてくれて、嬉しいって。
それを出会うなりいきなり泣いてアホを連発してしまった。なんて可愛くない幼馴染だろう。
あかん。今更やけど、めっちゃ恥ずかしい!!アタシって子供や。自分のことしか考えてへん。
そっと隣の幼馴染の様子を窺う。規則正しく肩が上下している。寝てしまったらしい。
「お疲れ、平次」
新幹線の天井をぼんやり見上げたまま呟く。平次は寝ているけど、でもやっぱり顔を見ると恥ずかしくて言えない。
「!!」
不意に頭の左側に重さを感じる。寝こけた平次がバランスを崩し、アタシの方に寄りかかってきたのだ。
うわあ。動かれへん。
すぐ側に平次の寝息が聞こえる。アタシの胸の動悸が早くなる。
どうしよう!!平次に聞こえないやろか。
「和葉ぁ……」
「はい!!」
思わず姿勢を正して返事する。
「小笠原の……土産なぁ………買えんかったんや………」
「はあ?」
「ホンマ……すまん……」
「お、起きたん?平次」
答えはない。また、規則正しい寝息が聞こえる。
「そんなん」
天井を凝視したままアタシは続ける。
「そんなん、もうええよ。平次が、無事やったんやから」
「おー」
そのまま平次は新大阪まで起きる気配を見せず、アタシは一睡も出来ずにドキドキしっぱなしだった。
平次はたぬき寝入りです。わかってても起こせない和葉ちゃん。って感じです。
というわけでシンフォニー号事件に和葉ちゃんを補完。
「いつも一緒のお前らと」という平次が機嫌悪そうなのはホントは一緒に来たかったから。
ってことになってます。私の中で。
好きな相手のピンチを夢で察知、ってあたりが、少女漫画仕様です。
ダラダラと長くなってしまいましたが、どの萌えシーンも割愛できずにこんなことに。
ちうか、結構割愛したんだけどなあ。萌え過ぎ>自分
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