暗い夜道を二つの影が歩いていく。速くもなく、遅くもなく。
その背中には剣道の防具が背負われている。
月に一度の出稽古から帰る親子。
もう何年も続く光景だが、いつの間にか二人の背丈は随分差が縮まってきた。
満月が、二人を後ろから仄かに照らし出す。
「……平次」
不意に口を開いた父に、平次は少し顔を上げた。
「……今日の稽古は良かった」
「……おおきに」
「ええ面やった」
「……」
何年ぶりに聞いたか分からない父の誉め言葉に、平次は思わず言葉を失った。
父は気付いていると思う。しかし、だからと言って御世辞で息子を励ます父ではない。正直な誉め言葉なのだろう。
せやけど。
「まだや」
「……」
「俺は、まだまだや」
月に、雲が薄くかかる。
「俺は、強くなるんや。もっと、もっと……」
「……」
「そして……もう二度と……」
平次は仄かな月明かりの中で自分の右拳を見つめる。当然、傷は残った。残っていいのだ。
これは、自分に対する戒めになる。
「和葉を危険な目にはあわせへんのや……」
喉の奥から搾り出すように、平次がつぶやく。
右の拳を強く握り、視線はその傷跡から離さず、唇を噛む。あの時のことを思い出すと、胸が苦しくなる。
まだだ。
しかし二人は足を止めない。変わらぬ歩調で歩きつづける。
父は息子の方を見ようとはしない。相変わらず、視線は自分の影を見つめている。
息子も、父の方を見ようとはしない。
ただ、二つの影が、同じ歩調で動いていく。
「わかっとるなら、ええ」
静かに、父が口を開く。
「強くなれ。平次。そして、覚えとけ。二度目はないんや」
福井の小島で、何があったか父は聞かない。その沈黙が、平次には、少し重い。
何も聞かへんのは、父の期待の顕われや。遠山のおっちゃんにしても、同じことや。せやのに。俺は。
「オヤジ……」
「……」
俺は……俺の……俺の不注意で……和葉を……。
声にならない。
「平次、つらいか」
強い声に、平次は顔を上げて父を見た。二人の足が止まり、視線が、合う。
「お前の未熟が招いたことや。落とし前は、自分でつけぇ」
もしかしたら、自分は泣いているのかもしれない。そう思ったが、涙は出ていなかった。
「平次」
「……ああ」
「精進、怠るなや」
「ああ」
父と息子は再び視線を落とし、歩き始めた。
「俺は、強くなるんや」
雲が取れ、月明かりが二人を再び映し出した。
「平次ー。おっちゃーん」
明るい、よく通る声に二人は顔を上げた。遠山和葉が、トレードマークのポニーテールを揺らして駆けてくる。
「なんや。和葉、きとったんか」
「うん。お父ちゃんも一緒なんよ。あんまり遅いんで、おばちゃんも心配しとるわ。おっちゃん、お久しぶりです」
気持ちよく頭を下げる和葉に、平蔵の顔に笑みがこぼれる。
三人は歩きだした。
「なんや、平次。どないしたん。変な顔してぇ。あ」
「なんや」
「まぁた稽古でおっちゃんにぼっこぼこにされて、むくれとんのやろ。早い早い!!平次がおっちゃんから一本取るのにはまだまだ10年はかかるわ」
「お前……なんも知らんと、知ったような口叩くなや!!俺は強いねんで。せやけどもっと強くなる!!強くなって……」
平次は隣の幼馴染を振り返る。和葉は、その視線を笑顔でうけとめ、小首を傾げて先を促す。
「なんや」
「強くなって……」
和葉の笑顔が、少しまぶしくて、平次は視線を逸らせた。
「強くなって……」
「全国制覇やね!!」
虚を突かれて、一瞬平次は言葉を飲んだ。和葉の笑顔は、どこまでも明るい。
「……ああそうや。全国制覇や!!任せとけ!!」
「次は全国高校生優勝大会やんな!!お弁当作って、応援にいったるわ。ありがたく思いぃ」
「お前の弁当で腹壊して負けたら、洒落ならへんなぁ」
「なんやてぇ!!」
いつの間にか足を止め、数メートル距離をおいていた父は嘆息した。
「……まだまだやなあ、平次……」
美國島シリーズ読了時点で勢いで書いた習作です。何故か服部親子。しかもシリアス(?)
38巻まで読了した今思うと、絶対こんな親子の会話なんてないと思うんですけど、まあ、それはそれ。見逃してください(-_-;)。
基本的にあの親子間にはお互いを認め合う関係は確立してると思ってます。親子揃って意地っ張りですけどね。
そのオヤジの前で思わず弱音を吐く=それだけダメージが=つまりそれだけ和葉が大事、って図式で、書いた本人は一人萌えてます<ダメ人間
でも絶対平蔵はこんなに喋んないよな。
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